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光 -ひかり-  作者: 美波
第四章 ねがい
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第24話 後輩のSOS

 この日も朝から足取りが軽くて、いつもはほぼ百パーセントの確率で足止めを食らう駅前の大きな交差点の信号も止まることなく通過できた。

 改札を抜けるとちょうどいつも乗る電車の何本か前の電車が到着していて、乗ろうかどうかと迷ったけど軽い足取りの勢いそのままに飛び乗った。

 いつもは憂鬱でしかない二十分の満員電車の乗車時間も、あの人のことを考えていればあっという間に過ぎ去った。

 明日会えるんだって思うだけで緊張して胸が詰まる思いでいっぱいになる。

 いつになったら平常心で彼に会える日が来るのかと疑問に思うことも多々あったけど、先のことをいくら考えても答えは見えない。

 今はただ、明日も会ったら緊張はしてしまうだろうけどきっと楽しくて穏やかで幸せな時間が過ごせるのかなって。

 そう思うだけで今日一日頑張ろうって思えてしまうから、恋って不思議だなって思った。



 会社に着くとロッカーへは一番乗りだと思って事務所に鍵をもらいに行ったのに、先に誰かが鍵を貰ってロッカーへ入っていることを知った。

 時計を見るとまだ八時だった。

 始業時間は九時のため、今日はすごく早く会社に着きすぎてしまった。

 一体何本早い電車に乗ってきてしまったんだろう……。


 ロッカーの扉を開くと、制服に着替え終わった見覚えのある後ろ姿が見えてすぐにそれが山岸さんであると分かった。

 満員電車が嫌いでいつも早めの電車に乗って来てロッカーで時間を潰しているとは聞いていたけれど、こんなにも早かったんだ。


「山岸さん、おっ……」


 「おはよう」ってそう言いかけた時だった。

 山岸さんの名前を呼んだ瞬間にビクっと肩を震わし驚いたように勢いよくこちらへ振り返った。

 わたしは彼女の表情を見て思わず途中で言葉を失ってしまったんだ。


「どうしたの……?」


 化粧ができない状態にまで赤く腫れあがった瞳は、涙こそ流れていなかったけれど、つい先ほどまで泣いていたような瞳だった。

 無意識に彼女の元へと駆け寄る。

 真っ赤な目がわたしを捕えて「秋元さん」とわたしの名を呼ぶと崩れるようにしてその場にうずくまってしまった。

 彼女と同じようにしゃがんで山岸さんの肩に手を置くと僅かに震えていた。

 わたしは急いで制服に着替えると、誰かがロッカーにやってくる前に山岸さんをいつもお昼にお弁当を食べる会議室へと連れ出した。



「すみませんでした……」

 謝りながら無理に笑う姿の彼女が痛々しくて見ていられなかった。

 わたしは「座って」と言って彼女をイスへ座らせると隣へと座った。

 しばらくの沈黙が続いた。

 山岸さんの涙の理由は正直、検討すらつかなかった。

 プライベートを事細かに報告し合う仲でもなかったし、彼女に悩みがあったかどうかってことすらわたしは知らなかった。

 だから安易に「何があったの?」と聞いてはいけないような気がして何も言えなかった。

 ただ、隣で目を腫らす彼女の悲しそうな表情が見ているだけで辛くて、今彼女にしてあげられることって何のかなって必死に頭を働かせていた。


「秋元さん、わたし。……振られちゃいました」


 隣から聞こえるか細い声に目を見開いて一瞬息が止まった。

 「振られた……?」と独り言を呟くように声を発すると「はい」と小さくてそれでもしっかりとした返事が返ってきた。


 頭が一瞬にして混乱した。

 ついこの間、長年片思いしてきた想いが相手に伝わって付き合うことになったって照れながら嬉しそうにほほ笑んでいて、

 もうすぐ訪れるクリスマスも、会えないってわかっていてもそれでも健気にクリスマスプレゼントだけでもあげようって悩んでいたのに。

 どうして、なぜ。

 疑問だけが頭に浮かびあがって脳内で何度も何度も繰り返していた。


「おかしいと思ってたんです、ずっと」

「……え?」

「こっちが会いたい日に会えなかったし、急に会えないってなっちゃうこともよくあったんです」


 でも、それは仕事が忙しいからだって、そう言ってたよね?


「彼にはずっと付き合っている人がいて、別れたって聞いてたんだけど……そうじゃなかったみたいです」


 自虐的な笑顔が向けられて、心が痛んだ。

 感じたことのない胸の痛みに、膝に置いた拳を握りしめた。


「大橋さんとか友達にもさんざん怪しいって言われて……寝ている間に携帯を見ちゃったんです。別れても彼の方はまだ好きだったみたいで、彼女に対して必死に好きだ、別れたくないって内容のメールを送っていて」

「……」

「わたしにはろくにメールの返事もしてくれなかったのに……」

「……」

「クリスマスだってやっぱり、彼女のためにわたしとは過ごせなかったみたいです」


 山岸さんからの目線をわたしが逸らしてはいけないと思って必死に耐えると、彼女がゆっくりと瞳を伏せた。


「わたしって彼にとって何だったんでしょうか」

「……」

「ずっと、だた彼の好きだって言ってくれた言葉だけを信じていたのに。……馬鹿みたい」


 鼻をすする音が聞こえて、それでも山岸さんは必死に涙を堪えているように見えた。


「秋元さん、今日は仕事でいっぱい迷惑かけちゃうかもしれません……」

「いいよ、そんなの全然いいんだよ」


 わたしが他にしてあげられることなんて何もなかった。

 かけてあげる言葉がわたしには分からなかった。

 山岸さんの質問への答えはおろか、何かを言ってあげることすら出来なかった。


 自分に嫌気がさしたことは何度もあったけど、今日この時こそ強くそう思ったことはなかった。


 わたしは山岸さんの話を疑いもせず、幸せそうだな、とかうらやましいなって思うだけで、彼女が出してたであろうSOSの信号にちっとも気がつかなかった。

 ううん、昨日、彼氏の話しをする時に一瞬だけ不安そうな顔をした山岸さんの変化に気がついていたのに。

 わたしは能天気に笑っていた。


 二十八年間わたしは何をしていたんだろう。


 過去に友人が恋愛に悩んで涙する姿を何度も見てきたのに、わたしはいつも何も出来ず言えず、それは今も変わらない。

 年下の後輩が泣いていて、こんな時年上なのに、先輩なのに。

 わたしは恋愛に関してはもちろん……ううん、人間としてもまだまだ未熟だってことを身にしみて感じた。




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