第20話 パニック初デート
あっという間に土曜日だ。
彼に最後に会ってから三日間。
わたしたちを繋ぐものは一日一、二回の簡単なメールのやり取りだけだった。
それだけでも、わたしの気持ちは大きくなるばかりだった。
気持ちが大きくなるにつれて、時々気持ちが破裂するように不安になる時がある。
こんな時は過去に同じ状態だった時にどうやって乗りきってきたのかなって考えたりもしたけれど、
静かに一方的に想い続ける恋しかしたことがなかったわたしには初めての経験だった。
修ちゃんに恋をしていた頃のわたしは何も望まなかった。
彼女がいてもいなくても、ただ好きで、想うことしか出来なかった。
叶わない恋だとずいぶん早い時期から気がついてはいた。
でも諦め方が分からなかったし、特別に彼に望むこともなかったからただ静かに想っているだけなら迷惑にはならないかなって、そう思っていた。
でもやがてまわりの友人が恋愛をして結婚をして、ついには修ちゃんまでもが結婚を決めた。
わたしの先の見えない恋心もそろそろ終止符を打たなければと思った。
辛かったのはほんの数日で、日が経てば簡単に結婚は受け入れられたし、普通に笑って結婚の話も聞けるようになった。
でも合コンに行ったり前向きに頑張っている振りをしていたけれど、本当は長年わたしの心に住みついた修ちゃんへの恋心は簡単には消えてはくれなかった。
行き場のない気持ちがわたしの心の中で輝きを失ったまま残って、ただ胸が苦しくていつも無意識に俯いていた。
そんな時に出会ったのが鈴村さんだった。
彼と出会った日からわたしの心は再び明かりが灯ったみたいに温かくなった。
鏡に映る自分に向かってほほ笑んでみた。
緊張して自信がなさそうな引きつった笑顔の自分にため息しかでなかった。
これから好きな人に会いに行くというのにこんな顔しかできないのか、と思ったら逃げ出したくなった。
でも、この間言いそびれてしまったけど今なら素直に心から結婚おめでとうって修ちゃんに言えると思うんだ。
そっか、もう過去形なんだ。
誰にも言えずに一人長年想い続けてきた恋も、もうようやく心の整理がついたんだ。
そう思ったら少しだけ、鏡の中の自分の表情が和らいだ気がした。
新たな恋に進めたことがわたしにとってはとても大きなこと。
なんだか大袈裟かもしれないけど俯きがちだったわたしの視界も、前を向いてちょっとだけ胸を張って歩けるような気がした。
「行ってきまーす!」
いつもより大きな声で行ってきますと家族に告げ玄関の扉を開くと、青い空のてっぺんから降り注ぐ太陽の光が眩しかった。
身体に触れる暖かい風が気持ちよくて、眩しい太陽の光に背中を押される様にして家を出た。
こんな快晴の日に右手にはしっかりと、借りたブルーのビニール傘を持って。
鈴村さんが指定した待ち合わせ場所は、わたしたちが一番最初に出会った駅前だった。
同じ、自宅からの最寄駅だ。
大型のショッピングモールが隣接し、都心部に比べると小さいけれど百貨店も徒歩三分ほどのところにある。
大学も近くに二つほどあるため老若男女、あらゆる人々が行き交っていた。
この日も休日の駅前はたくさんの人で賑わっていて、こんなにたくさんの人がいて無事会えるかな。
連絡がくるかもしれないと思って携帯を手に何度も何度も同じ場所を行ったり来たりしていた。
……とにかく落ち着かなかった。
気合いを入れすぎて約束の十二時より三十分も早く待ち合わせ場所に着いてしまい、あまり早く待ち合わせの場所に来るものではないな、と勉強になった。
待っている間ドキドキしながらじっとしてるのって結構辛い。
だから、落ち着かなくてついウロウロしてしまう。
約束の時刻が迫った頃のわたしの心拍数は、計測したら尋常じゃない数値を叩きだしていたと思う。
彼からの着信で更に上がる心拍数も、電話に出て彼の声を聞いたら心臓の心拍数は限界に達した。
これ以上上がったら死んでしまう。
落ち着け落ち着け、と心の中で唱えていると、今いる位置を電話で伝えて数分後に背後から彼の声が聞こえて一度目をぎゅっと瞑ってから息を大きく擦って振り返った。
見上げて目を合わせるといつものような明るい笑顔を見せてくれて、改めて見る彼の笑顔は今まで見てきた笑顔よりも無邪気に見えた。
今日の鈴村さんはスーツでもなくて、みずほちゃんのおにいちゃんでもなくて、一人の若くて明るい笑顔の素敵な青年だった。
緊張が解けることはなかったけれど、鈴村さんに会って彼の顔を見たらなんだかほっとしてぎゅっと握って汗がにじんだ手の力が少しずつ解けた。
「あ、傘。わざわざありがとう」
こんな天気のいい日に傘なんて持っていたら目立つし、一番に目がいくところだ。
今更だけど……傘を持ってきたりしたら迷惑だったかな。
でも今日会う一番の目的は傘だったから……
「こちらこそ! あの、これ、ありがとうございました!」
「ううん、そんなの本当に全然」
「いえ。なんか、すみません。こんな天気のいい日に…」
「え? あぁ」
借りたブルーのビニール傘を手渡すと手に取った傘を眺めながら穏やかな表情で、
「子供用女の子の傘を平気で差す男だから晴れの日に傘持つことなんて朝飯前だよ」と言ってなぜか胸を張ったから思わず笑みがこぼれた。
「あ、もしかして今の笑いはあの時の俺の姿を思い出して……」
「え? ち、違いますよ!」
否定しながらも、ついあの時の彼の姿を思い出したら、いけないと思いながらも噴き出してしまった。
しまった、失礼だったかなと思って鈴村さんを見上げると同じように「マヌケだったよね~」と言って笑っていた。
その様子をなんとも言えない幸せな気分で眺めていたら、しばらくしてマヌケ!?なことをさせてしまったのは自分だと思い頭を下げた。
すると鈴村さんは「そんなつもりで言ったんじゃないよ」と言って少し慌てた様子で言った。
「もう、貸した借りたの話はやめよう? お礼を言うのももう終りね」
優しい彼の気遣いだとは分かったけれど、その一言でこの日の用事は終わってしまった。
こうなることはわかっていたし、わかっていたから麻衣子には用事を済ませたら昼食に誘えとアドバイスを受けていた。
自分から誘わなくても誘ってくれるだろうと彼女は言っていたけれど、そんなの分からない。
だから、頑張ろう。
この日を逃したらまた、もう二度と二人きりで会えないかもしれない。
一つ一つの些細なチャンスでも今はそれを逃したら終わってしまうんだって、そう思ったら出来ないと思っていたことでも出来る気がした。
不思議だった。
こんな自分、知らなかった。
全部、麻衣子のおかげだ。
あの日の、電話での会話のおかげだよ。
拳を握りしめて大きく息を吸った。
「あのっ……!」
「お腹空かない?」
「あの、よかったら……あの、わたしとこのあと……!」
「……はい?」
「はっ!? 今、なんと……?」
見上げる先で彼と目が合ってもう一度「お腹空かない?よかったら何か食べに行こう」と言った。
「あ、はい。喜んで……」
一気に全身の気と力が抜けるような気がした。
だから彼からの誘いに安心して「好きな食べ物は?」との問いに「肉まん」と即答してしまった。
「肉まん……」
「あっ? あぁっ……」
「とりあえずじゃあ、……コンビニだよね?」
「違います! 間違いです!」
すぐにわたしの答えは間違っていたと察した。
肉まんって……せっかく二人きりで食事できるというのに食べ歩きでもするつもりなの?
で、でも……あれ、わたし好きな食べものって他に何があったっけ。
無難な食べ物を適当に答えればいいだけなのに、パニックになって頭が混乱していた。
その時ちょうど視線の先に回転寿司のお店が見えた。
混乱して立ちつくすわたしの視線に気がついた彼が「お寿司? 好きなの?」と聞いた。
「お刺身……あっ、レバ刺しが好きです!」
「……れ、レバ刺し」
「……えっ? あっ……あぁっ! ち、違っ」
再び、大間違いだった……。
レバ刺しが大好物なのは本当だけど、消えてしまいたい。
ちょっとだけ本気でそう思った。
パスタとかオムライスとか、可愛い答えがいくらでもあるじゃん。
なに本気で好きな食べ物答えてんだろう……。
自分の口からありえない単語を出したあとはこうやって冷静になって考えられるのに……もう、遅いよ。
もうだめだと思い項垂れていたら「あはは」と彼が声をあげて笑い出した。
片手で顔を覆って「ごめん……」と何度も言葉では謝りながらも噴き出す笑いが我慢できない様子だった。
わたしは、ちっとも笑えなかった……。
彼はしばらく笑い続けて、ふぅと一息吐いて「ごめんね」と申し訳なさそうに一言謝ると、呆然と立ち尽くすことしかできなかったわたしと目を合わせた。
「いいじゃん、コンビニ行こう」
「えっ、でも……」
「今日天気いいし、外で食べるの気持ちがいいと思って。あーホラ、この間の公園とか」
気を遣ってくれてるのかな。
恐る恐る目を合わせると口を閉じてニッコリとした彼特有の可愛い笑顔を見せてくれた。
「俺、晴れの日ってすごく好きなんだよね。ぼーっと空を眺めてるだけでも幸せというか」
「わ、わたしもそうです!」
「おっ、いいね!」
でもやっぱり、今みたいに表情を崩して口をいっぱいに広げて心から楽しそうに笑うその笑顔が一番輝いて見えるから好きだな。