第11話 一番星
「あ、あの……お子さんですか?」
「えっ? あっあぁ、この子ですか。子持ちに……見えます?」
「全然! ごめんなさい!! 失礼なこと言って……」
彼は女の子と同じ目線になるようにしゃがむと「もうちょっとだけ遊んでいこっか」と言った。
女の子は「うん!!!」と身体がそのまま前方へ向かってでんぐり返ししてしまいそうになる勢いで頷くと、砂場目がけて走って行った。
「あの子は、姉の子供です」
「あ、……お姉さんいるって言ってましたよね」
立ち上がりながら俯くようにしてほほ笑むと軽く頷いた。
彼は視線をベンチに向けると「座りませんか」と言ってわたしの顔を見た。……たぶん。
わたしは視線を合わせることが出来ないでいた。
ベンチの隅に座るとあとから彼が距離を取って隣に座った。
「この間は、ありがとうございました」
「いいえ。あの傘ボロくて。雨漏りしませんでしたか?」
「いえ! すごく、助かりました……!」
「そっか、よかったです」
会話が途切れると子供の無邪気な声と、風に揺れる木々の音が聞こえてきた。
「寒くなってきましたね」
「は、はい……過ごしやすい秋はあっという間に終わっちゃいますよね」
彼は空を見上げた。
「でも、秋の夕焼けは一番綺麗だと思います」
わたしもそう思うって、相手の目を見て言いたいのに、
彼の横顔だけを見てすぐにまた正面を向いて俯いた。
だから俯いたまま「はい」とだけ答えた。
「今日は、お出かけですか」
「はい、あの、美容院に行ってきました」
「言われてみれば……」
「あの、結構切ったんですけど」
「あ……すみません、鈍くて……」
「いえいえいえ、そんなつもりじゃ。あ、でもよく髪型違うのにわたしに気がつきましたね!?」
「あ、本当だ」
彼は「不思議だ」と呟くとすぐに「そういえば」と言って話題を変えた。
「みずほが、あいつが迷惑かけませんでしたか?」
「いえいえ、挨拶しただけです。みずほちゃん、ですか。本当に可愛くて……癒されました」
「あはは、癒しですか。でも結構やんちゃで手がかかりますよあいつ」
「よく遊ぶんですか?」
「休みの日だけですけど時々。今日は午前中はオママゴトに付き合わされました」
思わずオママゴトというワードに笑ってしまった。
想像したら、可笑しかったから。
失礼だったかな。
「みずほはお母さんで、なぜか僕は飼い犬のポチだったんですよ」
「……はい?」
「普通オママゴトって言ったらお父さんとお母さんですよね?」
「そ、そうですよね」
「お母さんと犬って。言葉を話すと「イヌはしゃべっちゃダメって」……もう、何にも成り立たたないじゃないですか。僕、吠えることしかできないらしくて」
「あははっ」
「まぁでもそこは、ポチになりきりましたよ。完璧だったと思います」
「なんかちょっと、得意気な感じですね?」
「ははっ。意外とね、やってみると楽しかったりするんです」
少し俯きながら笑う彼の横顔は本当に心から楽しそうで見ているだけでこちらまで幸せになるような、そんな笑顔だった。
「おにいちゃん、おなかすいた……」
砂場で遊んで砂だらけになったみずほちゃんが彼の前に立つ。
彼は「うわっ、またすごいことに」と言って手でみずほちゃんの洋服の砂を払った。
「そろそろ帰るか」
「うん!!」
立ち上がる彼と、砂まみれのみずほちゃんの手がわたしの目の前で繋がれた。
「じゃあ、僕たちはこれで」
「あ、はい!」
「まだ帰らないんですか?」
「もうちょっとだけ、ここにいます」
「そうですか」
俯いた顔を上げられなかった。
去っていく彼らの気配を感じたら、笑って見送ることが出来なかった。
行ってしまう。
あの日出会えたことは偶然だったとしても、
今日、ここで再会できたのは奇跡みたいなものだ。
今日を最後に二度ともう、会えないかもしれない。
いいのかな。
ここのまま別れて、いいのかな。
「まっ……、待って下さい!!」
夢中だった。
立ち上がると、去り行く二人の背中を追う様にして短い距離を走った。
今までのわたしはまわりに手を引かれて、流されて。
合コンに誘われれば行って、男性を紹介してくれるって言ってくれる人がいて。
そこでいい出会いがあればいいなって、そう思っているだけで全部が他人任せだった。
本当は、本気で新たな恋をしようなんて思っていなかったのかもしれない。
「あの……この間お借りした傘を返したいんです」
今まで生きてきた中で、一番の勇気を振り絞った瞬間だったかもしれない。
「今度改めてもう一度、お会いできないでしょうか……?」
唇も声も震えて、目線は泳ぐようにして定まらなかった。
なんとか目線を上げ瞳を合わせると、彼は照れたように一度視線をはずし、再びわたしを見た。
その優しい瞳にただわたしだけを映して、大きく一度だけ頷いた。
ほっとしたらなんだか胸にこみ上げてくるものを感じた。
瞳から溢れだしそうになるものを我慢するように唇を噛んで空を見上げた。
夕焼け空にキラリと光る一番星を見つけた。
それはいつも見る一番星の輝きに比べて数倍も光輝いて見えた。
【光 -ひかり- 第二章 終】