残念と呼ばれた王女が幸せをつかむまで
王家の“残念な”末娘。
この国の第三王女であるクローディアは、自身がそう評されているのを──物心つくかつかないかのうちには、はっきりと自覚していた。
一番上の兄は知に優れ、二人目の兄は武に優れ、一人目の姉は美を讃えられ、二人目の姉は芸を讃えられている。
そんな彼らの下に生まれたクローディアに、突出したものはない。彼らに及ばないまでも、そこそこに優秀であったならまだ救いようはあったが、どれも王家としてはぎりぎりの及第点といったところだ。
あんなに素晴らしいご兄弟を持つのだから、と教鞭をとる教師たちの顔つきが違和感、驚愕、失望と変わっていく。その移り変わりを、幼いクローディアは呆れるほど目にしてきた。
劣っていることを理由に、虐げられるようなことはなかったけれど。
「二親が同じだというのに……クローディア姫は何というか、“残念”だよなあ。とりいっても旨味がないぜ、全く」
ある使用人がこぼした言葉が父王の耳に入り、彼は解雇された。元々その使用人は勤務態度を問題視されており、また王の娘を愛するが故の行動ではあったが、以後使用人たちのクローディアへの態度は腫れ物を扱うようなものになってしまった。
いっそ、兄や姉に蔑まれていれば恨むこともできたのに、彼ら彼女らは「妹に無礼な真似は許さん」「あんな不忠者、追放されて当然だわ」と皆クローディアを庇ってくれる。
そしてクローディアは誰も憎めず、かといって屈託なく振る舞えるほど能天気ではないのが災いして、鬱屈した思いを抱える陰気な少女になっていた。
彼女が十歳になった時、彼女の将来の婚約者や側近の候補を集めたお茶会が王城で開かれた。一応、お茶会以前に高位貴族の子弟との顔合せは済んでいる。クローディアの評判を耳にしていた彼らは、侮蔑の眼差しこそ向けてこなかったが、当たり障りなく壁を作って親しくなろうとしない。それはそうだろう。誰だって、優秀な兄や姉の側が良いに決まっている。
今日のお茶会では、国中の貴族の出でクローディアと同年代の子供を集めたらしい。そこまでしないと側近の一人も見つからない自分が情けなくて、クローディアは俯きたかった。しかし、王女という身分がそれを許さない。無能な自分を人前に晒すこと自体嫌だったが、いつまでも一人でいる自分を心配した親や兄弟の気遣いも分かっていたので、欠席することはできなかった。
お茶会がはじまり、次々と子供たちがクローディアに挨拶に来る。おもしろいことに、先にクローディアと面識のある高位貴族と密接に繋がりのある家の者ほど、挨拶してからはクローディアに関わろうとしない。話しかけて来る者もいたがどこか軽薄だったり、あからさまではないにしろクローディアを軽んじていたりする。他家との連携が取れていない、没落しそうな家のものばかりだ。
試金石、という単語がクローディアの頭に浮かぶ。役に立たない無能の自分にも、使い道はあるものだとクローディアは自嘲した。
一通り子供たちと顔を合わせ終えたクローディアは気疲れを感じ、同席していた母に許可を得て集団を離れた。とはいえ、一人ではなく護衛が付き従っている。それも必要ないのではと思えるほど、出席者たちはクローディアに注意を向けなかった。参加した子供の中には、クローディアの兄姉に仕えたいという下心が見え隠れする者もいる。クローディアにそれとなく兄や姉のことを聞こうとする子供へ、微笑みながら母である王妃が冷たい眼差しを向けていた。可哀想に。まだ子供で未熟なのに。王家の意図を蔑ろにしたばかりに、挽回するにはさぞ苦労することだろう。
元凶は、平凡で地味で人望のないクローディアなのに。
「せめて、お友だちはほしいなあ」
あと数年もすれば、クローディアは兄や姉と同様、貴族学院に通うことになる。心を許せる相手、というものに憧れはあるが、現状では厳しそうだ。
綺麗に整えられた庭の片隅で、クローディアはようやく俯けた。このまま、消えてしまえば誰にも迷惑をかけずにすむのに。
「うーん、困った!」
急に聞こえた大声に、ビクッと肩を震わせる。護衛を見れば、
「殿下から少し離れた場所に、どこかの令息がいらっしゃいます」
どこの家か言わないあたり、こんな催しでもなければ来ないほど低位の貴族らしい。何に困っているかは分からないが、困っているならとクローディアは声の主の元へ向かった。
声の主は、茶色の髪に茶色の瞳、ぱっと人目を引くようなものを持ち合わせていない地味な容姿の少年だった。彼は丸い瞳を懸命に細めて、じっと虚空を睨んでいる。
「何に困っていらっしゃるの?」
「何ってお嬢さん、あの小鳥たちですよ!」
「小鳥?」
びしっと少年が指さした先には、小鳥が何羽か、枝にとまっている。番なのか、お互いに毛づくろいし合っている。かわいらしいが、特別珍しい光景ではない。
「あの愛らしさ! 今すぐ形にしたいのに!」
ぐっと拳を握り、少年は熱弁する。
「ああ! 何で僕は今、小刀を持っていないのだろう!」
王家のお茶会に、刃物は当然ご法度である。
「小刀……? 小刀で、何をするの?」
「これは失礼、説明が足りませんでしたね! 僕の趣味は木彫りでして! おお! 世界を己の手で切り取る瞬間こそまさに! 生きている! と実感できるのです!」
「そ、そうなの……」
すっかり少年の雰囲気にのまれていたクローディアは、ふと自分の中から鬱々とした気分が抜けていることに気付く。心の重荷が消えた訳では無いが、ひとときでも忘れたことにクローディア自身が驚いていた。
「あなた、お名前は?」
ここにいるということは挨拶もしているはずだが、残念ながら覚えていない。挨拶の時、必死になって覚えようとしたがクローディアの記憶力では厳しかった。これだから自分は、という情けなく思う気持ちもあるが、どうせ間違えるならはじめから聞いてしまおう、という開き直りのほうが強かった。
「僕? 僕はアッツェ・シパーフ! シパーフ男爵家の長男です」
「アッツェ、」
シパーフ男爵令息、と続こうとしたクローディアの言葉を、アッツェは待たない。
「はい! 何でしょうお嬢さん! ……あ! ここにはお嬢さんがたくさんいらっしゃいますね! 差し支えなければ、お嬢さんの名前をうかがっても?」
「クローディア、……」
せっかちらしい彼は、クローディアがあえて家門を語らなかったことに気付いているのかいないのか。名前を聞いても、表面上クローディアの身分に気付いた様子はない。
「クローディア嬢! 可憐なあなたに似合った良い名前ですね!」
「か、可憐!?」
そんなこと、言われたことがない。奇抜な言動をするアッツェに勝手に風変わりな印象を持っていたが、意外と貴族的なリップサービスはこなれているのか。
「お、お上手なのね」
「上手? まさか、この僕がその場しのぎで美辞麗句を口にしていると!? みくびってもらっては困ります!」
「え、あの」
「僕は心動かされたものに関して、嘘偽りはつかないと決めている! 何故なら、心の動きを偽ればどれが本当の感情、すなわち心の震えか分からなくなり、感性が鈍ってしまうから!」
高らかに語ったアッツェは、まっすぐクローディアを見た。そのきらきらと光る瞳に、クローディアは映っている。
「故に、あなたは可憐である! 他の誰かがどうこう言うは知りません、庭で奇声を発した僕に声をかけてきたあなたの心根も含めて、可憐で美しい!」
「……………………ふっ」
思わず、クローディアは吹き出していた。王女の沽券に関わるので、はしたなく声を上げて笑うことはなかったが口元をしっかり覆っていないと、高らかに笑い声がもれていただろう。その横で、アッツェは「んん?」と首をひねっている。状況が掴めていないらしい彼を放置するのも悪いと思い、クローディアは何とか笑いをおさめた。
「奇声を発した自覚はおありなのね?」
「ええまあ、お前に人が近寄ってくる時は大体そうと思えと父に再三言われておりますので」
「なるほど。では先ほどの、可憐とかの賞賛も、声をかけてきた方々みんなに言っていらっしゃるの?」
「まさか! あなただから言いました!」
「ふふっ本当にお上手な方」
反論しようとしたアッツェを遮って、クローディアは告げた。
「あなた、おもしろい方ね。もっとお話が聞きたいわ」
「僕の話?」
「木彫りでは、小鳥以外にどんな物を作っていらっしゃるの?」
「! それでしたら、」
嬉々として話し始めたアッツェと、嬉しそうに相槌を打つクローディア。
二人の運命が、重なった瞬間だった。
「お時間を作っていただき、ありがとうございます」
お茶会からしばらくして。どこか暗い雰囲気をまとっていたクローディアだが、今の彼女にその陰はない。飛び抜けて成績が向上している訳ではないが、学問に意欲的になったと教師から報告を受けている。お茶会を境に明らかに雰囲気の変わった末娘に、国王夫妻は目を細めた。
「他ならぬ、お前の頼みだからな」
「ええ」
おおらかに応ずる二人に、クローディアは頭を下げてから再び顔を上げる。
「アッツェ・シパーフ男爵令息に、婚約の打診をしてください」
お茶会での二人の様子は、当然二人の耳に入っている。クローディアに対する扱いを戸惑っていても、幼い姫君が日に日に萎れていくのを案じている使用人は数多くいた。お茶会の日、クローディアに付いていた護衛もその一人で、「姫様があのように心から微笑まれたのを、久しぶりに見ました」と報告している。名目は婚約者候補や側近候補を見つけるため、とはしていたが気の合う者が一人でもできればと思っていたので、思わぬ誤算だ。ただし、それにはいくつか条件がある。
王は優しく、だが一切の容赦なく問いかけた。
「シパーフ男爵家は、王女が降嫁するに足る家かな?」
「いいえ」
「それではアッツェ・シパーフに何がしかの功績を立てる可能性や才能があり、格上の家に養子に出せるか?」
「いいえ」
一呼吸おいて、クローディアは告げた。
「普通の王女の嫁ぎ先としては、無理でしょう」
今までの彼女なら瞳を伏せて、黙り込んでいただろう。
「地味で才能のない、期待されない王女なら、降嫁は可能です」
今の彼女は、まっすぐ前を向いている。
「ふむ、彼と結ばれたいために、あえて汚名を被るか」
「それで良いのですか、あなたは」
兄や姉ほど華々しいものではないが、クローディアのここ数ヶ月の努力には目覚ましいものがある。学院に入学する頃には、一角の王女となるのではと教師たちは興奮冷めやらない様子で評価していた。それを棒に振ってまで、その令息と添い遂げたいのか。
「わたくし、はじめてだったんです」
ぽつりと、クローディアはこぼした。
「慰めでも気兼ねでもない、純粋な賛辞を向けられたこと」
娘の言葉に、二人は複雑な表情になる。王や王妃としてではない、親としての顔だ。二人とも、末娘を愛しているからこそ、その言葉に反論できない。クローディアは微笑んだ。
「だから、その、……ひ、一目惚れ、してしまいました」
ぎゅ、とクローディアの両手が胸の前で握られる。それでも、震えは抑えきれていなかった。
「本当の無能とはならないよう、これまでより一層努力いたします。ですから、何卒、お力添えをお願いします」
「……令息は、お前の気持ちを知っているのか」
クローディアは首を横に振った。
「あなたが望んでも、彼もそうとは限らないわ」
「分かっています、その時は諦めます。でも、どうしても、一度だけ手を伸ばさせてください」
今まで、卑屈さと諦念を抱えていた娘の固い決意に、二人は折れることにした。
「ありがとうございます、お父様、お母様!」
二人が頷いた瞬間、堪えていた涙をこぼした娘に王妃はつけ加える。
「お前の気持ちが変わらなくても、彼が風評を信じてあなたを蔑ろにするようなら、婚約は解消します」
王妃が優しく頭をなでると、軽視され慣れてきた娘ははっとしてから、また涙をあふれさせた。国王夫妻にとっては、他の子と同じようにかわいい娘だ。彼女が不幸になりそうなら、たとえ彼女の意に沿わないことをしてでも守りたいと思っている。
シパーフ男爵に話を持っていくと、あり得ない速さで領地から息子と馳せ参じた。
そして開口一番、
「申し訳ありませんでした!!!!」
と土下座した。
「この馬鹿が何かしらの不敬を働いたことは分かっています! ですが、どうか極刑はご容赦を!」
男爵の取り乱しようはどこか慣れがあって、息子のことで大変苦労していることが窺える。話が進まないので、一旦男爵を落ち着かせてから王は本題に入った。
「婚約の申し込みだが」
「まことに恐縮ですが、相手を間違えられているのでは?」
「クローディアと、アッツェ・シパーフとの婚約で間違いない」
クローディア、という名に反応したのか、男爵に頭を押さえられていたアッツェが顔を上げる。茶の髪に茶色の目の、何処にでもいるような少年だ。しかしその目にすれたところはなく、かといって王の前だというのに萎縮した様子もない。ある意味大物かもしれん、と王は内心感心した。
アッツェの目が一か所に吸い寄せられる。
「クローディア?」
思わず、といった調子で王女の名前を呼び捨てた息子に絶叫しかけた男爵だが、王が“良い”という風に手を振ったので何とか飲み込む。そんな大人たちのやり取りをよそに、少年少女の間には朗らかな雰囲気が漂っていた。
「ひ、久しぶりね、アッツェ」
クローディアは姉たちに教えを乞うて、精一杯かわいらしくしてもらった。もちろん一番上の姉には及ばないけれど、それでも、す、好きな人に会うので最大限お洒落な格好をしたい、と姉たちにお願いしたのだ。姉たちは、「任せなさい!」と侍女たちを総動員して仕上げてくれた。
「おお、やはりクローディア嬢! 今日は一段と美しい!」
アッツェの賛辞に、照れを通り越して胸がいっぱいになる。協力してくれた姉たちに頭の中でお礼を言っていると、おや、とアッツェが不思議そうな顔になる。
「そういえば、……クローディア嬢は、第三王女と同じ名前ですね」
「その、私が第三王女なの」
「なるほど、そうでしたか!」
うんうん、と一人頷いて納得しているアッツェは大して驚いていないようだった。傍らの父親の顔色は、今にも卒倒しそうなほど白い。王はやはり此奴、変な所で肝が据わっていると認識しつつ、男爵が気絶した際に備えて騎士を近くに配置させた。
「それでね、アッツェ」
「はい?」
「わ、私と……婚約してくれないかしら?」
決死の覚悟で告げられた言葉に、アッツェの顔にようやく驚きの表情が浮かぶ。
「婚約? 僕と?」
「ええ、……だめかしら? もっと可憐じゃないとだめ?」
「いえ、クローディア嬢は十分可憐ですが」
アッツェは真顔になり、クローディアをじっと見つめた。
「逆に、僕でいいんですか? 才能も功績もないし、顔も普通ですよ?」
「私も、才能も功績もないし、顔も普通よ」
「あなたは王女で、僕は男爵家の息子だ」
「わ、わたくし、あなたがいいの」
「どうして?」
王はこの繊細さの欠片もない少年を殴りつけたかったが、必死で耐えた。
「わたくしを、心から“可憐だ”と言ってくださったから……好きになってしまったの」
たどたどしくも恋心を告げたクローディアに、
「なるほど」
と一言こぼしてから、
「ええ!? 言われたことがない!? こんなに可憐なのに!? それは世界が間違っている!!」
謁見の間に響き渡るほどの素っ頓狂な声を上げ、憤慨して、
「え、好き!? 僕を!?」
と一気に真っ赤になったアッツェに、大人たちは嫌というほど“脈あり”だと悟らざるを得なかった。
そして、二人の婚約は結ばれた。
二人が婚約を結んで、数年後。
「此度も、全力でがんばりました」
「この間の特訓が活きたわね」
王都の学院に入学した二人は、図書室の片隅で試験の結果を報告し合っていた。アッツェは中の上、クローディアは上の下といった程度だ。手は抜いていない。アッツェの婚約者でいるため、クローディアが“地味で才能のない、期待されない”王女でいると告げた際、「わざと自分を偽らないでほしい」とアッツェから頼まれたのだ。
「言ったでしょう、己を偽ることは感性を鈍らせると」
「でも、わたくし、あなたと」
「あなたにふさわしくなれるよう、僕も努力します。それでも実を結ばないことなど、いくらでもあるでしょう。あなたとの婚約が続けられなくなるのは、僕も嫌です。でも」
じっとアッツェはクローディアを見た。その視線の熱さは、今でも昨日のことのように思い出せる。
「あなたを偽らせないといけないなら、僕はあなたにふさわしくない。あなたに汚名を着せて、平気な顔をする僕ではあなたを傷付けているのと同じです。そんな僕なら、あなたを幸せにすることなんてできない。いや、むしろ不幸にしている」
「アッツェ」
「お互い、死力を尽くしましょう。世の中には、人事を尽くして天命を待つ、という言葉があります。僕たちが共にいるために頑張れば、きっとその頑張りを見てくれる人がいて、僕たちを認めてくれます」
そして、お互いがお互いの側にいるために二人は努力を重ねてきた。相変わらず“残念な”王女とその地味な婚約者と言われることはあるが、その評価に憤ってくれる友人もできた。
あと一年で学院を卒業し、クローディアはシパーフ男爵家に降嫁する。概ね穏やかだった学園生活だが、最後の最後で波乱が起きていた。
ラナーナ・ウィクト男爵令嬢。
ウィクト男爵家の庶子である彼女は、時期はずれに転入してきたかと思えばいたるところで問題を起こしていた。
見事な金髪に澄んだ青色の瞳を持つ美少女である彼女は、転入試験で大変優秀な成績であったらしく生徒会役員に抜擢され、そこに所属している高位貴族の令息の何人かを虜にしているらしい。クローディアは生徒会に所属していないが、何人もの男子生徒と親密なラナーナを“何とかしてほしい”と何度か嘆願を受けていた。クローディアは将来王籍から離れるとはいえ、現在学園に通う中で最も身分が高い。普段は勝手なことを言うくせに、厄介事は押しつけてくるのかとアッツェは怒っていた。そんな彼がいるから、クローディアは気にしていない。
「お兄様たちにお願いして、ウィクト嬢のことを調べていただいたけど……あやしいところはなさそう」
「そうなんですか?」
「あら、アッツェは何か気にかかることがあるの?」
「ええ、まあ。この間、彼女が令息と話しているのを目にしましたが……」
アッツェは、見た目は普通の令息なのでクローディアと一緒にいないとその他大勢に容易に紛れるそうだ。それで偶然、ラナーナたちに気付かれず見かけたらしい。
「やたらと一緒にいた令息をほめそやしていましたが……うーん、何というか」
「何というか?」
「的を射ているのに、心がこもってない」
それは、己を偽らないを信念にしている彼だからこそ、直感したのだろう。
「アッツェ」
「はい」
「ちなみに、その時に彼女といた令息って、どなたかしら?」
アッツェから聞いた名前と、現在彼女に籠絡されつつある令息の名前を、クローディアは書き出す。今までに見知ったことと、並んだ名前を見比べていると、ある考えが浮かんだ。
「もう一度、彼女について調べましょう」
「呼び出しって、なんですかぁ~」
授業終わりに、クローディアとアッツェは教室を貸し切ってラナーナを呼び出した。
念のため護衛には見えない場所に待機してもらっているが、彼女と直接相対するのはクローディアとアッツェだ。第三王女であるクローディアを前にしても、彼女はヘラヘラした態度を崩さない。まるで、クローディアを“残念な”王女と蔑む一部の生徒と同じように。
クローディアは、深呼吸した。隣には、アッツェがいて視線が合うと軽く頷く。それだけで、いくらでも勇気が湧いてくるような気がした。
「誰かの命を受けて当主候補の査定を行っているようですが、いささか派手に動き過ぎではないですか?」
クローディアの言葉に、一瞬ラナーナの動きが止まった。そして先ほどまでのだらけた仕草が嘘のように、隙のない所作で跪く。確かに同一人物であるのに、一瞬で人が入れ替わったかのような、見事な豹変だった。
「クローディア殿下におかれましては、再三のご無礼、まことに失礼いたしました」
「誰かの手の者と、認めるのね?」
「はい。王太子殿下は、一度は私の表の身分をお教えになったはずです。あなたはそれを盲信せず、独自に調査した上で再度お尋ねになられました。ならば、秘匿の必要はないと王太子殿下より指示を受けています」
「そう」
ラナーナは高位貴族の令息に無差別に声をかけていたが、より親密に関わっているのは後継者と目されている者だ。単に嫁入り先を探しているのかと思えば、どんなに魅力的でもきっぱりと誘いを断った令息に対しては徐々に接触をなくし、ちょっかいをかけるのをやめている。また、誘いになびきかけても婚約者や友人の訴えで踏み止まった者も同様だ。残っている者たちの名前を並べた時、以前に兄たちが落ち度があれば優秀な次男三男を後釜にできるのに、と呟いていたのを思い出した。そしてラナーナの動きを再度注視し、推測した。
かまをかけたが、無事あたっていたようで、ほっとする。無意識に体が強張っていたせいか、安堵して力が抜けかけた体をアッツェが支えてくれた。
「よくぞ、見破られました」
「お兄様たちの言葉と、アッツェがいたからです」
「シパーフ令息が?」
「彼は、心を偽らないことを信条にしているから」
そんな彼が“的を射ているのに、心がこもってない”と表現したのだ。対象の情報を詳細に知るラナーナが、それを元に的確に対象をおだてて虜にしているのではないかと考えた。
「なるほど、“的を射ているのに、心がこもっていない”ですか。私もまだまだですね」
「? あなたはわたくしたちと同年代でしょう?」
「いいえ。僭越ながら、陛下が幼少のみぎりからお仕えしております」
「まあ!」
「なんと!」
驚く二人に、ラナーナはにこやかに笑ってから目を細める。
「成長なさいましたね……お二人とも」
微笑むラナーナは、二人が出会った時も護衛の一人として陰から見守っていたらしい。
「協力して私の正体を見破った今のお二人なら、誰も共にいることに異を唱えないでしょう」
ラナーナに太鼓判を押され、クローディアとアッツェは視線を交わした後、照れたように笑った。
それから二人の卒業式までも、なかなかに忙しかった。ラナーナの正体を知ったとはいえ、王太子の謀が絡んでいるとなると早々に取りやめる訳にもいかない。クローディアに優しい兄だが、それとこれは話が別、ということらしい。クローディアは持ち込まれるラナーナ関連の相談事に真剣に向き合い、悩みながらも捌いていった。才媛でなくとも、真摯に相談にのってくれる王女に好感を抱くものは多かった。
卒業式の間際、行動が余りにも目に余るとして、ラナーナと彼女と親しい一部の生徒が退学となった。その頃には、ラナーナの誘惑にのった生徒は婚約を解消され、更には後継をはずされている。元婚約者たちはクローディアや王太子たちの斡旋で新しい縁を結んでいたため、大した騒ぎにはならなかった。
「本当に、僕で良いのですか?」
卒業式を終え、結婚式まであと数日という時。
緊張した面持ちで問いかけてきたアッツェに、クローディアは目を丸くした。
「急にどうしたの?」
「……あなたは、公にはなっていないですが、王太子殿下の策に気付かれました。高位貴族の令息の中には、それをどこかで知って、あなたへ釣書をおくった者もいるとか」
「それで?」
「あなたはもう、“残念な”王女じゃない。だから、」
「アッツェ」
静かな声でクローディアが名を呼ぶと、アッツェの肩が跳ねる。この数年でぐっと背の伸びたアッツェの頬に、クローディアは触れた。
「あなたが言いたいのは、本当にそんなこと? あなたは、心を偽らないんでしょう?」
ぽろ、とアッツェの目から落ちた涙でクローディアの手が濡れた。
「ごっ、ごめんなさいクローディアでんかぁ〜〜!!」
「あらあら」
「ぼくじゃない人と結婚しないで、くださいっ」
せきを切ったように泣き出したアッツェの手を、空いた手で握ろうとしたら縋るように掴まれる。
「そんな気はまるでないけど、一応聞こうかしら。どうしてそんなことを思ったの?」
「だって、僕、何も、何もない、平凡な子息でっ、殿下の隣には、ふさわしくなっい、から」
「そんなことないわ。ラナーナの時は、手がかりをくれたじゃない。ラナーナも、認めてくれたでしょう?」
「そんな、の、偶然でっ、しゅ、趣味の、木彫りだって、下手の、横好き、だしっ」
「あれはあれで愛嬌があって好きよ、わたくし」
泣き止まないアッツェの涙が、ぽたりとクローディアの顔に落ちた。はっとして身を引こうとしたアッツェを逃さないように、クローディアは抱き着く。
「クローディア、殿下っ」
「アッツェ、聞いて。人って、一番じゃなくてもいいみたい」
「へ、……?」
「わたくし、一人目のお兄様より賢くないし、二人目のお兄様より強くないし、一人目のお姉様より美しくないし、二人目のお姉様より器用じゃないわ。いいえ、それどころか、賢さではこの国で一万番目かもしれないし、強さでは下から数えた方が早いかも。美しさや器用さも似たり寄ったりね」
きょとんとしているアッツェが、とてもかわいく見える。背は高くなり、声変わりしても、変わらないわたくしの愛しいアッツェ。
「そんな平凡なわたくしが、同じく平凡なあなたがいいと言ってるの。それ以外に何も必要ないように、わたくしたち、がんばってきたじゃない」
「クローディア、殿下」
「不安になる気持ちは分かるけど、びっくりしたわ。私の方が愛想を尽かされたかと思っちゃった」
「それはないです!!」
「それは良かったわ」
くすくすと笑っていると、頬に手を当てられ、そっと上向かされる。触れている手と注がれる眼差しの、どちらがより熱いだろうか。
「クローディア」
その後に、敬称が続かない。アッツェのしようとしていることを察しつつ、クローディアは目を閉じ──。
「まだ早い」
「「!?」」
上から降ってきた声にばっと見上げれば、天井を一部はずして顔をのぞかせているラナーナ──現在はクローディアの護衛に戻っている──が顔を覗かせていた。
「だめですよシパーフ令息、あと数日お待ちを」
「あ……はい」
アッツェが頷くのを確認すると、ラナーナは天井を元通りにして気配を消す。
「す、すみませんクローディア殿下、情けなく泣いた上にあなたにとんだご無礼を」
「い、いえ、わたくしも、王女なのだから止めるべきだったわね! ……嫌じゃなかったから、つい」
「あ、あおらないでください!」
「あおる?」
「あ! い、いえ、その……結婚式、待ち遠しいですね」
「そうね」
強すぎず弱すぎず、ぎゅっと握られた手を、ずっと放さないでいよう。ようやくかたどられた幸せの形を、クローディアはその手におさめた。




