序説ーこの作品の意義ー
私は米澤穂信氏の『氷菓』が好きなのだが、この作品の中に「全ては主観性を失って、歴史的遠近法の彼方で古典になっていく。いつの日か、現在の私たちも、未来の誰かの古典となるのだろう。(米澤,2001)」という文がある。私はこの文章を「私たちの私たちの考えや意見は未来に伝えられることはなく、私たちが経験したあらゆる事件のみが客観的に伝わっていく。そして、この事件は未来人によって勝手に意味づけをされて歴史となる。私たちのイデオロギーは無視をされて。」と解釈している。つまり、私たちの想いは無視されて私たちの暮らしたこの時代に意味づけされていくということである。
実際に歴史の事象(アルビジョワ十字軍であれ、第二次世界大戦時フランスのドイツ占領下であれ)を調べていると「当時そこに住んでいた一般人は、そこにいた名もなき小市民は何を思っていたのだろうか。」という疑問にあたる。しかし、インターネットで探しても、J-stageで探しても見つからない。もしかしたら世界中の本の中にはそれを描くものはあるだろう。しかし、『アンネの日記』というようなごく少数のものしかない。というのも一般人の多くは自身の人生を脳内で振り返ることはあっても、書体で書き起こそうということを行う人はごく少数だ。そして、私自身も書体で書き起こそうとしない側の人間であった。
しかし、ある時に近所の河川でサイクリングをしているときのことであった。飛行機が近くを飛び、飛行機を見んとする人たちが空港の方を見ている。そんな公園の中へと私は入った。公園内には子供たちが遊具で遊んでいた。そして、公園で遊んでいる子供たちが3~5歳だと仮定する。すると、彼らのほとんどが令和生まれであり、コロナ禍という特殊な環境下で生まれている子もいたということを。そこで私は平成という時代がいずれ歴史的遠近法の彼方で意味づけされるという運命にあることを知ったのだ。我々はいずれ古典になるということを知ったのだ。この古典に一般人がこの時どのように思ったのかということが書かれている資料があれば、その時代を叙述する作業はより効率的になることだろう。そして、これはその時代の一般的な一般人の役目である。
だから、私は自分の想いを未来に伝え、歴史の中に自身のイデオロギーを還元したいのだ。そう、未来に歴史として語られる「令和の歴史」の中に。ここで「令和の歴史」の始まりにはコロナ禍という歴史的事象になる大きな出来事が長い期間続いた。そして、コロナ禍により私の多くの青春時代はマスク生活、自粛生活と他の世代にとっては異様な光景と共にあった。だからこそ私はこの時代を叙述せんと思ったのだ。
ここで更に私のこの仕事の正当性を高める為にコロナ禍が今後語られる歴史の中でどれだけ多くの影響を与えたかについて話しておく。ただ、この話は全て私の所感であり客観的データは全くない為、違う可能性も十分にあり得る。そのため、他のデータにあたることが重要である。
一つ目にネットの影響力がコロナ禍以降力を増したように思う。その影響力は文化的側面もあるが、特に政治的側面における影響力が増したように思える。コロナ前はテレビや新聞などが政治的世論を決定していたが、現代ではネットがポリティカルな意見を発信し、それにテレビや新聞などが擦り寄るようになってきたと思う。実際に新聞やテレビなどの大阪万博の批判的報道、昔であれば岸田元総理の批判的報道などがそれにあたる。特に新聞やテレビなどの岸田元総理批判の報道にはネットにおける岸田元総理の批判のコンテクストで使われた「増税クソメガネ」というワードを利用していたところもあった。
二つ目に都市伝説界隈とロスチャイルド・イルミナティ・フリーメイソン系陰謀論とQアノン系陰謀論が融合し、コロナ禍の不安感からこの融合体が一気に増大した。都市伝説界隈とロスチャイルド・イルミナティ・フリーメイソン系陰謀論の融合はコロナ禍以前から確認され(体感では2018年頃からyoutubeなどで見かけるようになった)、Qアノン系陰謀論も少しずつ内包するようになっていた(実際に5G有害説やトランプ擁護的言説、DS概念などは紹介されていた)。これらの運動は小学校高学年から中学一年生のころまでそれなりの影響を私に与えた。特に中学一年生のころは当時コロナ禍であったこともあり強い影響を受けた。そして、当時初めて自身のイデオロギー形成が起こった。そのため、当時の私のイデオロギーはより正確に叙述する必要がある。ここについてはなるべく早いうちに思い出し、再整理しておく。参考までに当時のイデオロギーは中学二年生の春には基本的に転向したが、当時のイデオロギーは私に愛国心・ナショナリズムの重要性を提示し、愛国心・ナショナリズムは今の私の陰謀論的コンテクストを全面的に放棄したイデオロギーの中でも残っている。さて、話を戻すがこの融合体はコロナ禍以降、Qアノン系陰謀論と強く接近するようになったのだろう。これらはコロナ否定説やコロナ=風邪説、反ワクチンなどと結びつき、トランプ擁護、DS概念といったQアノン的言説が強まったように思える。しかし、私はこのような都市伝説界隈は遅くとも2020年の4月ごろには卒業していたため、詳しいことはよくわからず、記憶も曖昧である。また、当時の私は恐らくそれらを完璧に理解できていたわけではない。このことから、記述していることが事実とは乖離している可能性もありうることを理解してほしい。
最後にだがコロナ禍の終わりをいつにするかについてお話ししようと思う。コロナ禍がいつまでかは人によって異なるだろう。特に未来となれば特に論争の的になっていることであろう。実際に後期古墳時代がいつからなのかとかいうような歴史学における論争は多い。今回このシリーズにおけるコロナ禍の定義、つまり何時までの事象を扱うかについてだが、中学三年生のGWまでとしたい。これについてだが、中学三年生頃になるとコロナの規制はかなり緩くなったように思う。実際に中学二年生の正月(2022年の1月頃)には既にコロナ規制は緩くなっており、私自身初めて一人で伊勢の大神宮に参った。そして、誰にも咎められることはなかった。感染力は半端ないためみんな当然のようにマスクをしていたが、コロナは弱毒化しており既に「コロナというのは流行っているが死ぬ病気ではない」という感覚が人々にしみついていた。また、2022年のウクライナ侵攻(2022年2月24日)以降はコロナの話題はニュースから追放され、ウクライナの話題で持ち越しとなった。ではそこで終われな良いと思うかもしれないが、それでは『私のコロナ史』というタイトルと矛盾する。この作品の目標は主観的にコロナ時代を描かんとするものである。そして、主観的にコロナ時代が終わった時分は2022年のGWである。というのもこの時期初めて私がコロナに罹ったからだ。この完治と共に私のコロナ時代は終焉した。
よって、この作品では2019年12月~2022年のGWまでをコロナ時代として位置付け、コロナの動向とそれに巻き込まれる私の中学校生活を描いていくことにする。理想はこれが後世まで残り、コロナ時代と当時の私の想いが未来へと伝わることである。決して有名にならなくてもいい。ただ、未来までこれが残り、未来において私の想いがつながっていくことを夢見ている。そして、インターネット上でそれは叶うと思っている。それを期待してこの前置きを終了することにする。あの久しくも憎きあの「コロナ」という響きを胸に一つ一つ記述していこう。
ここでは追記とか雑談とかそういう系のことを書こうと思います。取り敢えず今回はこのシリーズがいつ出るのかについて話そうと思います。結論を言いますと未定です。というか私は物書きをするときはいつも気分でやっています。だから、予定なんて立てられません。ただ、序説だけ書いてバックれることは決してあり得ませんので興味を持ってくだされば、次回のが出るまでお待ちください。
なお、私自身今年から大学受験となりますので夏ごろからは一切書かなくなると思います。それに、今は前々から少しずつ書いている作品もありますので、必然的にこの作品の優先度は低くなっております。ですが、大学受験が終わったらいっぱい書けるとおもいますので、期待しておいてください。ではまたいつか。
《引用》
2001年 米澤穂信『氷菓』角川スニーカー文庫