死に顔を見る男
男は人を死に顔のみでしか見る事が出来なかった。
文字通りだ。隠喩もなにもない。ただそれだけ。
家族と会う時、教授と会談する時、友人と会話する時。
彼の目にはそれら知人の首から上がしゃがれた老人のような顔だったり、縊死した直後のような首に網跡をつけた絶望した表情、顔面全てが焼け野原となった見るも無残な首から上。
だがそれが男の日常だった。生まれてこのかた、綺麗な死に顔なんぞ男は見たことがなかった。
それは自分の顔も同じ。いやそれは違う。男は自分の顔を見ないようにしていた。
顔を洗う時も、水たまりを無意識に覗く時も。すぐに目を逸らしきっと醜いであろう自分の死に顔を見ないようにしていた。
きっといつの日か耐え切れず自殺するであろう自分の顔なんぞ見たくもなかった。
どれもこれも、醜い、成れの果て。満足したような表情なんて、見たことがなかった。
"自分だけが例外なんて、そんな戯言は誰が言えるのだろうか?"
だがそんな男の前にある女が現れる。
"あの、大丈夫ですか?"
人は他人に興味なんてない。世に出ていない未成人のように自分から他人に衝撃を、刺激を与えなければ人通しのつながりは生まれない。
男はカフェにてその女の顔を見た時、とても驚き、淡めふためきコーヒーカップが上にのったテーブルを脚に引っ掛けひっくり返しがしゃあと椅子ごと背中を地面にぶつける程に、衝撃だった。
その女の顔はとても綺麗だった。
美人という話ではない。なんの跡もなく、皴もない、とても満足気な表情を浮かべた死人だった。
その顔が動く。
「あの、大丈夫ですか?」
たとえ死人の顔だろうとその表情筋は動き男の目にはいくらその顔面が魑魅魍魎だろうともなんとか表情は読み取れる。特にその女の表情は読みとりやすかった。
ああ、大丈夫だ。
そう答えたつもりがパクパクと口を開いたり閉じたりするだけ。そうやら男は自分では気が付いていないが呂律が回っていないらしい。
「変な人」
綺麗な顔の死人は店の中が大惨事なこの状況で笑う。それがどうにもおかしく、男もそれにつられて笑った。
◇◇◇
男と女は恋人になった。
元々相性が良かったのかもしれない。男は女の喜ぶことをしようと善処し、女もそれに甘えることなくそれに応え、それ以上に女も男の喜ぶことをしようと励む。
彼は傍からみても良い関係だった。
そんな関係が長く続き、男はやがて自分の事をもっと知ってほしいと願うようになった。
よって彼は女に言った。曰く、"僕は人の死に顔が見える。"と。
なら彼女は男に言った。曰く、"君が望む事ならなんでも。"と。
女は既に見抜いていた。男が何をシタがっているのかを。
コンロ 練炭 チャッカマン
男が既に取り寄せ机の下に隠していたものだ。
男は何故彼女の顔が皴もない綺麗な状態なのか。その謎に答えを出していた。
「僕が殺すからだ」
死ぬときには綺麗でいたい。
長い年月を生きる事と天秤にかけ前者を選ぶ人間はいないであろうそんな願い。だというのになぜ彼女は綺麗なのか。男は惹かれたのか。
これは運命だった。女と男が結ばれるのも、そしてその後自殺するのも。
二人は練炭に火をつける。
そしてその煙に身を巻かれた。
男は最後に曇った空を透かす窓を見る。
そこには初めて見た綺麗な顔があった。
駄文、失礼いたしました