四十一話 二人はずっと蜜月中
温かな日差しが降り注ぎ、優しいそよ風が花の香りを運んでくる。アルクレイド王城の庭は、いつ訪れても楽園のような美しさを誇る。
そこを散歩するエリーズの目の前には、美しい白い薔薇の咲き誇る生垣が広がっていた。王妃の希望を聞き、庭師たちが張り切って育てたものだ。
「……早く、あなたと一緒に楽しみたいわ」
エリーズはそう呟いて――大きくなった腹部にそっと手を当てた。
国王を縛り続けていた大地の精霊の呪いが解けて数か月後、エリーズは念願だった愛する夫の子を懐妊した。
王侯貴族の女性は育児を乳母たちに任せることが多いが、エリーズはできるだけ自分で育てたいとヴィオルに頼んだ。「絶対に無理をせず辛い時には周りを頼ること」「時々は夫婦二人きりの時間もきちんと持つこと」この二つを条件に、彼はエリーズの意志を尊重してくれた。
子を宿しどんどん変わっていく体に、時には不安に押しつぶされそうになることもあった。しかし使用人たちや友人、そして何よりヴィオルが寄り添ってくれたお陰で、今では我が子の顔を見る日が楽しみでたまらない。
ゆっくり歩いている内に、エリーズは庭園内に設置された東屋まで来た。ヴィオルと初めて出会った時、彼に導かれて訪れた場所だ。白い屋根の下に置かれたベンチに座ると、初めて恋をした日のときめきをはっきりと思い出せる。
独りで王国の呪いを受け入れようとしたヴィオルの元に向かったこと、精霊と初代国王の記憶を辿ったこと、精霊の姿を目の当たりにしたこと――それらはすべて、エリーズにとっては遠い夢の中の出来事のようだ。しかし忘れてはならないものもある。大地の精霊の祝福は愛によって続くことや、真の幸せに溢れた国は、人の手で作り出されるべきだという国王の揺るぎない意志――
「エリーズ、一人でここまで来るなんて」
顔を上げると、エリーズの目に心配そうな表情を浮かべた夫の姿が映った。妻を探し庭まで来たようだ。
「転んだりしたら大変だよ。君にもしものことがあったら僕は……」
「ふふ。ヴィオルったら心配し過ぎよ。ゆっくり歩けば大丈夫」
妃の妊娠が発覚してから更に加速度を増した国王の過保護ぶりは、近衛騎士を苦笑させ近侍の眉間に深い皺を刻ませる。だが愛する我が子の未来のためとより一層政務に励む姿は、紛れもなく名君のそれだ。
「ところで、ヴィオルはどうしてここに来たの?」
エリーズが問うと、ヴィオルは思い出したかのようにエリーズの隣に座った。
「そうそう、見せたいものがあるんだ」
白い手袋がはまった彼の両手がエリーズの目の前で広げられる。右手が何もない空中をつかみ、折りたたまれた指を一本ずつ開くと――その上に、一枚の銀貨が乗っていた。
「まあ」
何度見ても魔法に思える所作にエリーズが声を漏らすと、ヴィオルは銀貨を左手の指でつまんでエリーズの目の前に近づけた。
「見て欲しいのは今の手品ではなくてこの銀貨だよ」
エリーズはその銀貨をまじまじと見た。王国内で流通する何の変哲もない普通の銀貨に思われたが――
「これ、初めて見る銀貨だわ」
アルクレイド銀貨は、表面に翼の生えた牡鹿、裏面に国土の形の絵が浮き彫りになった意匠だ。しかしヴィオルが出した銀貨には、長い巻き毛を持つ女性の横顔と、百合のような形の花が彫られている。
「新アルクレイド銀貨さ」
「この花は……精霊様が咲かせた花ね」
長年にわたり、呪われた玉座が安置されていた王城の隠し部屋――呪いが解けたことで玉座は消え、代わりに今そこにあるのは大地の精霊の加護をもたらす枯れることのない花だ。その隣の巻き毛の女性は誰だろうか。
「そう。その花と君の姿」
「え、わたし!?」
「似てないかな? これでもかなりこだわったんだけど……この銀も君の髪の色にできるだけ近づけたし」
まさか己の姿が銀貨になるなどとは思っておらず、エリーズはただただぽかんとするばかりだ。
「ど、どうしてわたしの顔を?」
「だって、君が王国の呪いを解いてくれたも同然なんだから。アルクレイドの救世主を未来永劫残るようにするのは当たり前だよ」
「そんな……大げさだわ」
王国を救いたいという意志は、あの時のエリーズにはなかった。あったのはただヴィオルの傍にいたいという思いだけだ。
「精霊の加護は愛によって続く。君こそがその象徴だ、エリーズ。この銀貨で王国中の民が、そしていつか大陸中の人間が君のことを知るんだよ」
「……ふふ」
紫水晶の君が妃に向ける愛は、両手だけで受け止めるには大きすぎる。だが、それほど深い愛を一身に浴びることができる自分は幸福な女性だとエリーズには思えた。
ヴィオルは新銀貨を上着の内側にしまい、両手の手袋を外した。片手をエリーズの肩にまわして抱き寄せ、空いているもう片方の手で大きくなった妻の腹部を優しく撫でる。
「早く会いたいな……」
「もうすぐよ」
エリーズは微笑んで夫の肩にそっともたれた。
「ありがとう、ヴィオル。わたしは世界で一番幸せだわ」
「うーん、それはどうかな」
ヴィオルはわざとらしく片方の眉を上げ、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「だって、世界で一番幸せなのは僕だよ。一番が二人いるのはおかしな話だ」
「あら。だったら、世界で一番幸せな夫婦、ということにしましょうか」
「そうだね。そしてもうすぐ世界で一番幸せな家族になる」
二人で額同士をくっ付けて笑い合うと、エリーズの胎内に宿った命がもぞもぞと動く。
「この子も嬉しいって言ってるみたい」
一瞬で芽生えた恋は、永遠の愛の花を咲かせる。
やがて体が朽ちる日が来ても、固く繋がった魂が滅びることはない。恒久の楽園の中で、蜜月はずっと続く。
「我が王妃エリーズ、永久の愛を君に」
「はい、ずっと傍にいます。わたしの国王陛下」
色とりどりの花たちに見守られながら、世界一幸せな夫婦は甘い口づけを交わした。




