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三十五話 紫水晶の覚悟

 エリーズは長椅子に突っ伏して、ひたすら嗚咽(おえつ)した。母や父を亡くした時ですらこれ程まで泣かなかったのに、涙が溢れて止まらない。

 ヴィオルが自分の前から永遠にいなくなってしまう――その現実に耐えられない。それならばいっそ、このまま泣き続けて涙の海の中で溺れ死んだ方が楽になれるとすら思えてくる。

 部屋中に響き渡る自身の慟哭(どうこく)にかき消され、エリーズは扉が開いた音に気付かなかった。突如、何者かに抱き起されたかと思うと、そのまま腕の中に包まれる。


「エリーズ、大丈夫、だいじょうぶ」


 リノンだ。エリーズの隣に座った彼女が歌うようにその名を呼びながら、抱きしめて優しくその背を擦る。人の温もりに触れ、エリーズの体の震えが徐々に収まっていく。


「リノン……」

「あは、駄目だよエリーズ。せっかくの可愛い顔がぐしゃぐしゃ」


 エリーズの目元の涙を指で(ぬぐ)い、リノンがにっと笑顔を作る。その傍らで、金属が小さな音を立てた。


「ローヴァンさん……」


 エリーズの足元に片膝をついたローヴァンが頭を垂れる。


「王妃殿下、許可なく入室してしまったことをどうかお許しください」

「いえ、あの、大丈夫……です」


 どうして彼らがここにいるのだろう。エリーズの胸中を察したかのようにローヴァンが続ける。


「ヴィオルから事情は伺いました……王家の秘密を知ってしまわれたと」


 自分は最初から全て知っていた、と言うような口ぶりだ。


「……ローヴァンさんはご存じだったのですか?」

「我がコルテウス家は代々、国王の近衛騎士を務めています故この秘密を教えられます。リノンには……つい先日伝えました。後、知っているのはジギスやエーデルバルト公爵とグローリエ公女殿下、それから王家に近しいほんのわずかな貴族たちです」

「どうして……わたしには、何も……」

「この真実は歴代の王妃殿下たちには、ずっと伏せられてきたことです。世継ぎとなる王子を出産された後、アルクレイド王家は彼女たちに自由な生活を与えてきました」


 王侯貴族同士の結婚は国や家の利益のために行われるものだ。最初から愛があるとは限らず、最後まで愛が芽生えないこともある。アルクレイド国王に嫁いだ妃たちも最低限のことをすればあとは自由でいられる幸運を享受し、疑念を抱くものはいなかったのだろう。


「ヴィオルは自分が(にえ)になる日が来たら急に一人で遠方へ出かける必要ができたということにして、その道中で事故に遭い死んだと貴女や周りに伝えさせるつもりでいました」


 エリーズや国民、近隣国の者たちにとっては、ヴィオルは不幸にも事故死したという筋書きが伝わるだけ。しかし本当は精霊がかけた呪いの犠牲者となる――そこでエリーズははたと思い出した。自分が最初に抱いた疑問だ。


「ヴィオルには……世継ぎがいません。わたしとの間に……作る気がないと……」

「王妃殿下、少し昔のお話をさせて頂いてもよろしいでしょうか」


 エリーズが頷くと、ローヴァンは小さく礼を述べて話し始めた。


「アルクレイド王国の秘密に触れたのは貴女の他にもう一人おられました……ヴィオルの母君です」


 ヴィオルの母は不運にも病死してしまったのだとエリーズは聞かされていた。しかし真実は違うとローヴァンは語る。前国王の妃は側近の不注意がきっかけで己の夫が、そして生んだ子が辿る末路を知ってしまった。深く衝撃を受けた彼女は、自分は悪魔の妻となり悪魔の子を生んだと嘆きひどく心を乱し、その果てに――自ら命を絶った。当時、ヴィオルはまだ九歳だった。

 その四年後、前国王は例に漏れず呪われた玉座に魂を捧げ、ヴィオルが即位することになった。彼はとある決意を持って王座に昇ったのだという。


「ヴィオルは、自らがアルクレイド王国の最後の王となるつもりでいます」


 これ以上、哀れな王を生まないために、愛した母を襲った悲劇を二度と繰り返さないために――ヴィオルは自分が犠牲になるのを最後に精霊の加護を受けることを放棄し、すべてを人の手によって守り導く新たな国を造るという意志を掲げた。そのために彼は今まで起きている時間のほとんどを政務に費やし、民のために身を粉にしてきたのだ。ずっと妃を(めと)らなかったのは、己の血を継ぐ子を成さず呪いの連鎖を断ち切るため――


「ですが突然、貴女が現れたのです。王妃殿下」


 ローヴァンの口調は(とが)めるようなそれではなく、穏やかで優しかった。


「ヴィオルは貴女への恋心を抑えることができなかった。私を含め彼の覚悟を知る者たちは皆、驚きました。ですが貴女と出会ってからのヴィオルは変わりました。どこかすべてを諦めたようなところがあった彼が、別人のように生き生きして……」


 政務に勤しむ国王でありながらエリーズに甘えてきたり時には気を引くために()ねてみたり――それはエリーズよりずっと前から彼の傍にいたローヴァンですら初めて見る、主の人間らしい姿だったという。


「決して器用な愛し方ができていたわけではないのに、すべてを受け入れてそれ以上の愛で応えようとしてくださるあなたが愛おしくて仕方がないと、ヴィオルは私に語ったことがあります」

「ヴィオルが……」

「王妃殿下、貴女に真実を隠し続けていたこと、隠し通そうとしたことをヴィオルに代わってお詫び致します。ですが、ヴィオルの貴女への愛は疑う余地のない本物です。貴女からの愛を失ったら自分は生きていくことができないと常日頃から言っておりました。もし貴女が真実を知り、自分の母親と同じ気持ちを持ってしまうことをヴィオルは何よりも恐れていたのです」


 実の母親から悪魔呼ばわりされる、それが幼い彼の心にどれほど暗い影を落としたか――エリーズが同じ立場なら、何もかも諦め投げ捨てて永遠に独りきりの世界に閉じこもってしまっただろう。だがヴィオルはそうではなかった。更なる悲しみを生まないため、自分にできることを尽くそうとした。彼はエリーズを妻として迎え入れたものの、子をもうけることだけはしてはいけないと思いとどまっていた。エリーズの最初の疑問に、ようやく答えが示された。

 先ほどエリーズがそれを問うた時、ヴィオルは心の中で激しく葛藤(かっとう)したはずだ。しかし彼はエリーズとの関係を保つためごまかしたりはぐらかすことをせず、それが壊れる覚悟で全て話してくれた。

 最後のヴィオルとのやり取りが思い出される。気が動転していたとはいえ、よろめいたエリーズの体を支えようとした彼の手を拒んで逃げてしまった。エリーズの胸に自責の念が押し寄せる。


「いいえ……いいえ、わたしがヴィオルを愛さないなんて……ああ、ローヴァンさんどうしましょう、わたし……」


 リノンが(なだ)めるようにエリーズの手を握る。ローヴァンがすっと立ち上がった。


「ヴィオルを呼んでまいります。リノン、ここは頼む」


 リノンが頷いたのを見届け、ローヴァンは部屋を後にする。エリーズの手を握ったままリノンはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。


「……びっくりしたよね、エリーズ。あたしも初めて聞いた時はほんとにびっくりした。今でも半信半疑だもん」


 沈黙でエリーズを不安にさせないためだろう。言葉を選びながらも彼女は話し続けた。


「当たり前だと思ってたものが、実は誰かの犠牲で成り立ってたって知った時、どうしたらいいんだろうね……あたしにも分かんないんだ」

「わたしにも、分からないわ……」

「……にしても、精霊様も滅茶苦茶なことするよね。何百年も続く呪いをかけるなんてさ。陛下は何にも悪くないのに」


 その時、がちゃりと音がして部屋の扉が開いた。ローヴァンの後に続きヴィオルが姿を現す。


「後は任せるぞ」


 ローヴァンが言うと、ヴィオルが頷いた。続いてローヴァンはリノンに目配せをし、その意図に気づいた彼女がさっと立ち上がる。


「王妃殿下、我々はこれで失礼致します」

「エリーズ、またね」

 

 頭を下げ、二人の騎士は去っていった。後に残ったヴィオルの紫水晶の瞳がエリーズの方へ向く。いつもの輝きが心なしか失せているような気がした。


「隣に座ってもいい?」


 エリーズは答える代わりに長椅子の上の体を少し横にずらし、彼が座る場所を作った。空いたところにヴィオルが浅く腰かけ、体ごとエリーズの方に向ける。


「……エリーズ、本当にごめん。謝って済む問題ではないのは分かっている。でも謝ることしかできない」

「……謝らないで、ヴィオル。わたし、怒ってなんていないわ。わたしの方こそごめんなさい。ただ、あなたとこの先もずっと一緒にいられないのが、悲しくて……」


 泣き過ぎたせいで、エリーズの声はやや(かす)れてしまっている。ヴィオルの表情が一層、憂いに沈む。彼だって同じように思っているはずだ。


「……初めてエリーズの姿を見た時、痛いくらいの衝動に突き動かされた。恋なんて僕にとっては(かせ)にしかならないと分かっていたはずなのに……君と一緒にいたいと思ってしまった。たとえ短い間でも、君と共に生きられたら何の悔いも残さず全て受け入れられるような気がしたんだ。けれどそれはあまりにも身勝手な願いだった。君と出会った次の日や、結婚してすぐに『その時』が来ていても何らおかしくなかったのに、あまりにも無責任が過ぎた」

「そんな風に言わないで。ヴィオルに会えて良かったってわたしは今でも思っているわ」


 もし彼と出会えていなかったら、エリーズは今も狭い屋根裏部屋で何が正しいのかも分からないまま、恋の幻だけを見て生き続けていただろう。


「呪いを解く方法はないの……?」

「何百年にも渡って密かに探されてはいるけれど、手がかりは何も見つかっていない」

「……ヴィオル、だったらわたしも一緒にこの身を捧げるわ」


 かつて抱いていた、誰かを愛し愛されるという夢――それはヴィオルが素晴らしい形で叶えてくれた。今のエリーズに悔いはない。独りで残されてしまうくらいなら、愛する人と運命を共にする方が良い。それが死でも、永遠の苦しみでも受け入れられる。


「駄目だ。それだけは許容できない」


 静かに、しかしきっぱりとヴィオルは言った。


「エリーズ、君が僕を中心に色々なことを考えてくれるのはすごく嬉しい。けれど……僕を君の全てにしてしまってはいけない」

「ヴィオル、わたしは」

「君を王妃に迎え入れて、苦労をかけてしまったと思う。けれど僕はできるだけ、君に色々なものを見せてきたつもりだ。執務室に閉じこもって僕を手伝ってもらうより、その方がよほど君のためになるだろうから」


 王に次ぐほどの権限を持っていながら、ヴィオルはエリーズに机に向かってこなさなければならないような細かい執務は全くといっていいほど任せなかった。代わりに様々な場所に連れ出し、見聞を広めたり多くの人々と言葉を交わす機会を多くとってくれていた。


「今まで見てきたものの中で、興味をひくものがきっといくつかあっただろう? 僕が役目を果たした後、この国から王はいなくなる。僕の信頼のおける人物たちが共同で民を守っていく。君には彼らの仲間入りをするのではなく、何でも好きなことをして自分自身のために生きて欲しいんだ」


 商売でも芸術でも何でも構わない、とヴィオルは言った。


「何もしたくないというなら、それでもいいよ。君の生まれ育った家、あそこは全て君のものだから、そこでのんびり暮らすのも一つの生き方だ。ローヴァン、リノン、ジギス、グローリエ……彼らには君を守るよう伝えてある。皆、何があっても君の味方をしてくれる。お金のことも心配いらないよ。ガルガンド領の管理はジギスに任せてあるし、僕の絵を全て売って君の財産にして欲しいと彼に伝えてある」


 ヴィオルはエリーズと夫婦になった日から、必ず訪れる別れの時に備えていた。何も知らない無垢な娘を呪われた王国の妃にしてしまったことを償うために、帰る場所や不自由のない暮らしを用意し、エリーズを守る役目を信頼できる側近や友人に託している。


「君は立派で素敵な女性だ。どこにだって羽ばたいて、幸せをつかむ力がある」

「ヴィオル……」

「エリーズ、お願いだ。僕を愛してくれるなら僕のたった一つの望みを叶えて」


 そう言ってヴィオルが微笑む。エリーズの喉元に熱いものがこみ上げた。


「……ずるいわ。そんな言い方」


 あえて断れないような言葉を選ぶ彼でも、本気で恨むことなどできない。

 エリーズの目に再び涙がにじむ。こらえきれず、エリーズはヴィオルに体を寄せて彼の胸に顔を埋めた。


「わたしはあなたと一緒にいたいだけなの……ヴィオルがいてくれたら、他にはなんにも、いらないのに……」


 王妃でいられなくとも構わない。着の身着のままで荒野に放り出されたとしても、彼となら幸せに生きていける確信がある。

 ――どうして、唯一願うものだけが手から離れてしまうのだろう。

 泣き続けるエリーズをヴィオルは黙って抱きしめた。彼女がいよいよ泣き疲れて眠ってしまうまで、ずっとそうしていた。

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