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三十四話 砕かれた未来

 静かな通路に二人分の靴音だけが響く。不安から、エリーズは無意識にヴィオルの方へぴったりと体を寄せていた。彼は何も言わず、ただランプで先を照らしながら進んでいく。

 しばらく歩くと通路が終わり、エリーズの前に広がったのは壁も床も石でできた小部屋だった。正面の壁の手前に何かが置いてあるのがうっすら見える。

 ヴィオルは迷うことなくそちらへ向かっていった。何もない部屋でそこの壁際だけが一段高い段になっている。その上に鎮座しているのは一脚の椅子だった。

 ヴィオルが普段客人を迎える時に座る、金と上質なベルベットで作られた玉座と似た形をしているが、雰囲気が異なっている。木材となめした動物の革が使われており、かなり古い印象を与える。

 だが、ただの古い品物ではないことがエリーズにはすぐ分かった。背もたれの部分が後ろの壁にぴったりつくように置かれた椅子、その両脇に鉄の板が打ち付けられており、そこから伸びているのは――囚人を繋ぐのに用いられるような太い鎖と(かせ)だった。椅子の足元の床にも、それぞれ左右に同じものが設置してある。まるで、それに座ったものの手足を鎖と枷で拘束し永遠に立ち上がれないようにするためのもののようだった。

 目にしたことのない異様な雰囲気を放つ椅子を前に、エリーズの肌が本能的な恐怖で粟立つ。


「大丈夫。君が触れても何も起こらないから」


 ヴィオルが言い、立ち尽くすエリーズをその場に残して段を上がった。ランプを持っていない方の手で、椅子の肘置きの部分をそっと撫でる。


「僕が触れても大丈夫……今のところはね」


 今のところ、とはどういう意味だろう。ヴィオルが己の体に子を成せないよう細工をしたことと、この椅子との間に何の関係があるのか――エリーズが問う前に、ヴィオルが口を開いた。


「これはね、アルクレイド王国の初代国王が使っていた玉座なんだ」


 それが本当なら、七百年ほど前からこの玉座は存在していることになる。木と革でできているのに朽ちず残り続けるなどあるはずがない。


「不思議だろう?……この玉座にも、精霊の力が働いている。だから当時のまま形を保っているんだよ」


 その玉座が、なぜこんな地下に放置されているのだろう。しかも周囲には枷まである。一つ疑問が消えたと思うと、またすぐに次の疑問が湧いて出る。


「この王国は……建国以来ずっと戦禍とも、国を揺るがすような災害や飢饉とも無縁の歴史を歩んできた。なぜだか分かる?」

「……初代国王陛下が精霊様と結婚して、その精霊様のご加護がずっと働いているから、でしょう? もちろん、ヴィオルや今までの王様たちの努力もあるけれど……」


 この国に住む者なら、誰だって答えられる簡単な問いだ。ヴィオルは頷いた。


「そう。ただ……それは半分正しくてもう半分は間違いだ」

「え……?」


 エリーズを含め国民は誰もが、王国のすべてが精霊の力によって守られていると信じて疑っていない。一体何が間違っているというのか。


「この物語には、続きがある。王の血を受け継ぐ者と、ほんの一握りの貴族たちしか知らない真実だ」


 ランプの光で玉座を照らしながら、ヴィオルは語り出した。

 祝福された王国の伝説の裏側、ずっと秘匿され続けてきた国王の秘密を。


***

 

 七百年ほど前――争いの耐えない大陸を、一族と共に旅する一人の若い男がいた。

 狩りに出かけた男は、森の中にある湖のほとりに一頭の牡鹿を見つけた。男は弓を構えたが、その牡鹿から只者ならざる気配を感じ、矢を射ることなく弓を捨て牡鹿に祈りを捧げた。

 すると牡鹿は美しい娘に姿を変えた。牡鹿の正体は大地の精霊で、男の祈りに心を開き彼とその一族に安住の地を与えた。

 精霊の加護を受けた地は水と緑に溢れ、そこを攻め落とそうとした者は大地にその行手を阻まれた。

 いつしかそこには平和を求める多くの人が集い、精霊と心を通わせた男は国を興して最初の王となった。

 王と精霊はいつしか愛し合う仲となり、二人の間には王子が生まれた。

 精霊の加護を受けしアルクレイド王国は、栄華の道を歩み始める。

 ――ここまでが、王国中に伝えられる始まりの物語だ。


 仲睦まじかった王と精霊。しかしある時、王は精霊に剣を向けた。

 理由は定かでない。王自身が精霊の力を欲したからとも、民が精霊を魔のものとして忌み嫌うようになったからとも言われている。

 身も心も深く傷つけられた精霊は怒り狂い、王の玉座にある呪いをかけた。


「わたしはここを去るが、王国はこれからも安寧の地であり続ける。しかし、それは王の魂と引き換え。王とその血を継ぐ子がこの玉座に身を捧げ続けなければ、わたしの加護は永遠に失われる」


 精霊はそれきり王の目の前から姿を消し、王国中を探しても見つけられることはなかった。

 精霊が呪いをかけた玉座は、破壊しようとしても燃やそうとしても傷ひとつつけることができず、遠くに捨て置いても翌日には王の元に帰ってきた。途方に暮れた王は、城の地下にそれを隠した。

 王は残された王子と共に、呪いを恐れながら生きた。時を経て王が三十歳になろうかという時、彼は突如「呼び声がする」と言い残し、呪われた玉座がある地下室へと独り向かっていったという。

 その息子である王子が次の王となったが、(めと)った妃との間に生まれたのは男児ただ一人のみ。そして彼も三十歳を迎える前に、玉座の呼び声を聞いてその身を差し出した。

 そうして始まった、アルクレイド王国の呪われた歴史――王は己の血を引く男児を一人しかもうけることができず、やがてその子も精霊の加護を続かせるための(にえ)となる。王たちは皆、二十五歳から三十歳になるまでの間にその役目を果たす。三十歳を超えて生きた王は今まで誰一人いないという。

 かつて玉座の呼び声を無視し続けた王もいたようだが、直に彼は己にしか聞こえない声により徐々に狂っていき、最後には自我を失ったまま玉座に縛り付けられる形で身を捧げた。

 玉座に魂を差し出した王がどうなるのかは誰も知らない。呼び声を受けて玉座に向かった後、その体は跡形もなく消えるのだという。死を迎えるのか、別の世界に生きる何かになるのか、確かめる術はない。


「……僕も、歴代の王たちと同じ運命を辿る」


 すべてを語り終えたヴィオルがそう締めくくった瞬間、エリーズは全身の血を一気に抜きとられたような、氷の槍に体を貫かれたかのような感覚に陥った。エリーズが聞かされていたのは、王は退位した後遠くへ移り住み精霊に祈りを捧げて生きるのが習わしという話だったが、それは王国の呪いを隠すためのまやかしに過ぎなかったのだ。平和で豊かな国は、国王が生贄となることで今までずっと成り立っていた。

 ヴィオルは今二十七歳。次の誕生日もそう遠くない。彼が呪われた王の血を継ぐ者として玉座に呼ばれるのは明日かもしれないし、どれほど長くもったとしてもあと二年あるかどうか――


「う、嘘……!」


 衝撃的という言葉では済まされない事実に、エリーズの頭の中でがんがんと音が鳴り響く。

 ヴィオルと共にずっと生きていけると思っていた。退位した後の彼について行って、二人で慎ましやかに生きるのもきっと楽しいだろうと思っていた。だがそれはどうあがいても叶わない。彼はもうじき、エリーズを独り残してこの世を去る。

 エリーズのささやかなたった一つの願いが、思い描いていた未来が、このような形で粉々に砕かれるなど予想できるはずもない。

 足がわなわなと震え出し、エリーズはその場でよろめいた。ヴィオルが支えようと手を伸ばす。


「エリーズ……」

「嫌ぁっ!」


 エリーズの金切り声が地下室中に木霊する。驚いたヴィオルの手が止まった。


 ――嫌、嫌、嫌

 ――どうして、どうして、どうして


 絶望と悲しみと悔しさ、あらゆる負の感情がぐちゃぐちゃに混ざり合いエリーズの頭の中に流れ込み、嵐のように暴れ回る。言葉にならない叫び声が口からこぼれ出る。

 どうしたらいいのか分からない。嘘だと言って欲しい。夢なら早く覚めて――


「エリーズ、落ち着いて……」

「っ!」


 再び差し伸べられたヴィオルの手を、反射的にエリーズは払いのけていた。妻が初めて見せた拒絶するかのような行動にヴィオルも動転したのだろう。その場でぴたりと凍り付く。

 考えるより、何かを言うよりも早く、エリーズは彼に背を向けて元来た道へと駆け出した。

 足をもつれさせドレスの裾に引っ掛けながら、エリーズは薄暗い通路をひた走る。隠し扉のある部屋を飛び出して、呼吸を乱しながら一心不乱に、見えない何かから逃げるように走り続ける。両目から涙がぼろぼろと零れて止まらない。

 地下を抜け出してもエリーズは足を止めなかった。途中、見覚えのある赤い髪が視界の端に映り自分を呼ぶ声が聞こえたが、そんなことはすべてどうでも良く――自室までたどり着いたエリーズは、長椅子に身を投げ出して再び大きな叫びを上げた。


***


 ジギスは息を切らしながら城内を駆け回り、国王の姿を探していた。先ほどすれ違った王妃は今まで見たことがないほど取り乱しており、ジギスが呼んでも足を止めることなく走り去ってしまった。ただ事ではない状態を一刻も早くヴィオルに知らせるべきなのに、彼の姿が見当たらない。

 王城の一階まで降りたジギスはそこに主の姿を見つけた。生気のない様子で、昼だというのに明かりの灯ったランプを手にしている。


「陛下!」


 ジギスが駆け寄ると、虚ろな紫水晶の瞳が彼に焦点を合わせた。


「陛下、何をなさっているのです。妃殿下がひどく取り乱したご様子でした。急ぎ向かって頂きたく」

「……僕のせいだ」


 ジギスはヴィオルの顔をまじまじと見つめた。呆れるほど仲の良い夫婦が、何の理由でそこまでの喧嘩に発展するのだろうか。


「全部、エリーズに話した」

「何をです、全部とは一体」

「……地下室の玉座」


 その言葉を聞き、ジギスは絶句した。国王の近侍として、王国の真の歴史とヴィオルがいずれ辿る末路については聞かされていた。だがそれは、何があろうとも王妃の耳に入れてはいけないはずの絶対の禁忌――ジギスは思わず、力なく垂れた王の腕を掴んで揺さぶった。

 

「何故です陛下、貴方は」

「仕方がなかった。エリーズには、誠実でいなければいけないと思ったんだ。でも、あの子は……」


 紫水晶の君と呼ばれた姿は見る影もない憔悴(しょうすい)しきった顔と声。ジギスは頭を軽く振り、平静を取り戻すよう努めた。すべての状況が飲み込めた訳ではないが、己が動かなければすべてがどんどん悪い方へと転がっていく。


「陛下、とにかくこちらへ。一度座ってすべてをお聞かせください」


 ヴィオルの手からランプを取り上げ、ジギスは彼を歩くよう促す。


「王妃殿下の元には、ローヴァン殿とリノン殿を行かせます」

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