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二十六話 傍にいるために

 そして数日後、エリーズの元に一通の招待状が届いた。差出人はグローリエだ。エーデルバルト公爵家にてエリーズをもてなしてくれるのだという。

 指定された日、エリーズは入念に身だしなみを整えて馬車に乗り込んだ。王妃らしく落ち着いた雰囲気になるようにと女官のカイラが選んでくれたのは、深緑色を基調としたドレスだ。

 エーデルバルト邸に到着するまでさほど時間はかからなかった。馬車を降りたエリーズが目にしたのは、生家のガルガンド邸より遥かに大きな規模の建物だった。真っ白な外壁と赤い屋根の組合せが上品さと豪華さを同時に演出している。屋敷の前庭で、花壇に少しも乱れることなく植えられた色とりどりの花がエリーズを出迎えた。

 家令と思しき初老の男性がエリーズの元にやって来て、(うやうや)しく挨拶をすると屋敷の中へ案内してくれた。彼の後に続き、グローリエが待つ客間へと向かう。途中ですれ違ったエーデルバルト家の使用人たちは皆、エリーズに向かい丁重に頭を垂れた。王城の者たちにひけをとらない洗練された動きだった。

 たどり着いた先、客間の扉を家令の男性がそっとノックする。入室を促す声を確かめ、彼が扉を開けた。


「ようこそお越しくださいました、王妃様」


 ラベンダー色のドレスを着たグローリエが、エリーズに歩み寄り優雅に礼をする。エリーズもドレスの裾をつまんで挨拶を返した。


「お招きありがとうございます、グローリエ様」

「こちらへどうぞ、すぐにお茶を持ってこさせますわ」


 客間のテーブルの上には既に、菓子や軽食がずらりと並べられている。ここまで案内を務めた男性がグローリエの向かいの椅子を引き、エリーズを座らせてくれた。部屋を出ていった彼と入れ代わりでやって来た使用人が、エリーズの席に置かれたカップに茶を注ぐ。その使用人も退出し、客間にはエリーズとグローリエの二人だけとなった。


「お会いできて嬉しいわ」


 グローリエがにこやかな表情を見せる。常に気品に溢れた立ち居振る舞いをする彼女にやや気後れしていたエリーズだったが、その笑顔を見て肩の力が抜けるのを感じた。


「わたしも嬉しいです。あの、エーデルバルト公爵のお加減は……」

「変わりないですわ。本当ならご挨拶をするべきなのでしょうけれど、人前に出るのは少し難しくて。気になさらないで。王妃様がいらっしゃったことは伝えておきますから」

「はい、よろしくお願い致します」


 それから話題はエリーズのことに移った。王妃としての生活のこと、そしてヴィオルのこと。グローリエは真摯に耳を傾けてくれ、いつの間にかエリーズの緊張もすっかり解れていた。


「王妃様が充実した毎日を送っておられるようで安心致しました。ですが……何か悩んでいることは?」


 グローリエなら、最近のエリーズの悩みに良い助言をくれるかもしれない。エリーズは全て打ち明けることにした。


「あの……実はわたし、他のご令嬢の皆さんと仲良くなれていない気がするのです。わたしが何を言ってもそれに同調するだけで、皆さんそれぞれのお話をしてくださらないといいますか……何だか、距離をおかれているように思えるのです」

「そう……」


 グローリエは目を伏せ、静かにカップへ口をつけた。エリーズが固唾(かたず)を飲んでそれを見ていると、彼女はやがて口を開いた。


「貴女、ご自身が周りからどう思われているか考えたことはおありかしら?」

「えっ……?」


 エリーズのことを全てが僕の理想だと言ってくれるヴィオル、近衛だけでなく一番の友人でいてくれるリノン、温かく見守ってくれるローヴァン、王妃として信頼してくれるジギス、そして甲斐甲斐しく働いてくれる使用人たち――彼らとは良好な関係を築けているとエリーズは思っている。

 しかし、それはとても狭い世界での話だ。王国の貴族たちが集う場では、エリーズはまだまだヴィオルの陰に隠れてしまうことが多い。


(わたし、やっぱり王妃として上手くやれていないのかしら)


 ローヴァンやリノンは心配いらないと励ましてくれたが、やはり現実はそう簡単なものではないのだ。

 エリーズの答えを待つのに飽きたのか、グローリエが続ける。


「王妃様、残念だけれど貴女は厄介者だと思われているわ」


 その言葉にエリーズはただただ面食らった。いつどこで誰の顔に泥を塗ってしまったのだろう。必死で最近の記憶を辿ったが思い当たることが何もない。

 しかし言われてみればガルガンド家で下働きをしていた頃も、義父と義妹はエリーズに辛く当たっていた。自分は本当は誰の役にも立てない人間なのだろうか。


「あ、あの、わたし……」


 何と答えていいのか分からずしどろもどろになるエリーズとは対照的に、グローリエは涼しい顔をしている。


「貴女はね、社交界に突如現れて紫水晶の君の心を我が物にした妖女だと言われているの。もし貴女のご機嫌を損ねてしまうことがあったら国王から罰が下るって、皆怯えているのよ」


 国王の許しを得ずに王妃に触れた男は皆、処刑台行きになる――そういう噂があると以前リノンが言っていたが、あくまでも冗談だとエリーズは本気にしていなかった。しかし、社交界でずっと生きてきたグローリエが言うと一気に信憑(しんぴょう)性が増す。


「まあ、全員が全員そうだとは言いませんけれど、特に貴女と年の近い令嬢たちはご機嫌取りに必死ね。貴女からすれば言いがかりをつけやすい立場ですもの」


 自分より綺麗なドレスを着ていた、自分の言うことを聞かなかった――共に茶会をした令嬢たちはエリーズにそう思われないよう、卑屈にしたりエリーズの言うこと全てに同調していたのだろう。

 最初の穏やかな調子から一転、グローリエの言葉はどんどん棘を増していく。


「それだけではないわ。ヴィオルの心を射止めるために努力してきた女性は国内外にたくさんいる。けれどぽっと出の貴女がそれを全て水の泡にしたの。妬まれるのも無理はない話だと思いませんこと?」

「……っ」


 咄嗟に言い返すことができなかった。彼女の言うことは的を射ている。ヴィオル自身は過去に恋人がいたことはないと言っていたが、今まで顔を合わせた貴族の女性たちの中にも、ずっとヴィオルに好意を寄せていた者が何人もいたのだろう。彼女たちの目には、エリーズは決して良いようには映らないはずだ。

 もしかしたら、目の前にいるグローリエもその一人かもしれない。一度はヴィオルと縁談が持ち上がった仲だ。ヴィオルにその気がなかったとしても、彼女も同じだとは限らない。だとすればエリーズにこうして強く当たるのも納得がいく。

 エリーズは動揺を悟られないよう、テーブルの下で拳を強く握った。ヴィオルが与えてくれる幸せばかりを受け止めていた心に、氷水のような負の感情を浴びせられ戸惑うばかりだ。言葉を探しているうちに、グローリエが更に畳みかける。


「腹が立った? なら私にこう言われたと、お帰りになったらすぐヴィオルにお伝えくださいな。きっと私に相応の報いがあるはずよ」

「……いいえ」


 エリーズはグローリエの灰色の瞳を見据え、頭を振った。


「これはわたしの問題です。ヴィオルには国の皆さんのためやるべきことがたくさんありますから、巻き込むわけにはいきません」


 夫の名を口にし、エリーズの胸にふつふつと勇気が湧いてくる。


「それに、もしもヴィオルが本当に、わたしを傷つけるようなことを言った人に罰を与えるとしても、グローリエ様はそれを覚悟で今わたしに本当のことを教えてくださったのでしょう? そのお気持ちからわたしは逃げたくありません」


 グローリエの眉がぴくりと僅かに動いた。


「ヴィオルに頼ってばかりだと思われてしまっているのは仕方のないことです。今のわたしにできることはそう多くありませんから。わたしはヴィオルと出会ってたくさんの幸せを貰いました。ですから王妃として、できるだけ多くの方にお返しをしたいと思っています」


 有名な詩を(そら)んじたり、王国の歴史を話して聞かせることなら今のエリーズにもできる。しかし、それだけではきっと王妃として十分ではない。

 以前ヴィオルはエリーズに、「自分は力ではローヴァンに勝てないし、知恵ではジギスに勝てない」と語ったことがあったが、エリーズにとって彼は(まが)うことなき名君だ。望めば何でも手に入る立場にありながら、高みから人を見下ろすようなことは絶対にしない。王は国を支える大地のようでなければいけないと、自ら各地に足を運び己の目で民の生活を見て、何をすべきかを考える。夫のその姿勢をエリーズは他の誰よりも深く尊敬している。

 エリーズが例え何もできなかったとしても、ヴィオルは傍に置いてくれるだろう。だがそれではいけない。彼を支えるに足りる力を得て、二人で幸せな国を築いていきたい。エリーズのせいでヴィオルの信用が失墜するようなことには絶対になって欲しくない。

 朝から晩まで独りきりで働き続けていたエリーズにとって、ヴィオルと出会い結ばれることができたのは奇跡だ。しかしそれをただの奇跡で終わらせてはいけない。この国のどこかでかつてのエリーズと同じように孤独に生きている誰かへ向けて、手を差し伸べられる王妃でありたかった。


「グローリエ様からご覧になって、わたしに足りないものは何でしょうか? 頼り切りで申し訳ございません、ですが教えて頂きたいのです。どんなことであっても受け止めます」


 紅茶や菓子に手をつけることも忘れ、身を乗り出して問いかけるエリーズをグローリエはしばらく無言で見つめ――ふっとため息を漏らした。

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