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十八話 笑わない近侍

 薬を飲み、しっかり栄養と休息をとったことでエリーズの体はすっかり回復した。王妃が急に倒れてしまったことにヴィオルは心を痛め月に一度、必ず医師と面談する機会を設けることとした。少し心配し過ぎではないかしらともエリーズは思ったが、気兼ねなく体調について相談できる場があるのはいいことだろう。

 エリーズの予定にも少し修正が入り、以前よりいくらか負担がなくなった。空いた時間、リノンを連れて城の廊下を歩いていると、前から来る人の姿が目に入る。


「ジギスさん、こんにちは」


 国王の近侍ジギス・クルディアスはぴたりと足を止め、エリーズに向かい丁寧に礼をした。


「ジギスさんお疲れ様でーす」


 リノンが明るく挨拶しても、彼は眉ひとつ動かさない。


「今日もお仕事はたくさんあるのですか? いつもヴィオルのことを助けてくださってありがとうございます」


 ジギスは少しの間の後、口を開いた。


「……いえ、私のことはお気になさらず」


 急ぎますので失礼致します、と言い残し、ジギスは足早に歩き去る。その背が角を曲がり消えたところで、リノンが小さくため息をついた。


「あの人ほんとに何考えてるか分からないんだよねぇ。仕事はめちゃくちゃできるって話だけどさ。いっつもむすーっとしてるし、生きてて楽しいのかな」


 エリーズは相槌を打たず、その場に(たたず)んで彼について思いを巡らせていた。リノンの言う通り、ジギスは常に無表情で淡々とした口調で話す。それは己の部下にあたる人物が相手でも、主君であるヴィオルでも変わることがない。なかなか腹の内が読めない人間だ。


「エリーズ、大丈夫?」


 リノンが心配そうに顔を覗き込んでくる。


「あ、ごめんなさいリノン」


 ジギスについてエリーズは心に引っ掛かっていることがあった。彼はとりわけ、エリーズに対して冷淡なような気がしている。露骨に嫌悪感を表してくるわけではないが、顔を合わせたときはエリーズを観察するような、警戒するような態度をにおわせてくるのだ。特に先日エリーズが体調を崩して寝込んでから、それはより顕著になった。

 彼に失礼なことをしてしまったのかと何度も考えたが、思い当たることがエリーズには何もなかった。考えられるとすれば自分が倒れたことで彼に何か不都合なことが起きたというくらいだが、確証は持てない。


「ジギスさんが冷たいの気にしてる? あの人、誰に対してもあんな感じだってローヴァンも言ってたから、エリーズが思いつめることなんてないよ。何せ一部の人からは『鉄仮面』なんて呼ばれてるらしいし」


 頭がカチンコチンなんだよ、と言ってリノンが笑う。彼女の明るさは今やエリーズの大きな支えだ。

 ヴィオルにとっては右腕であるジギスとエリーズはこれから長い付き合いになる。できるだけ彼との距離を縮めたかったが、それは難しいのかもしれない。


「そうね、ありがとうリノン。行きましょうか」


 気を取り直し、エリーズは再び歩き出した。


***


 数日後――エリーズはいつかのように女官のお仕着せに着替え、台所に立っていた。

 何とかしてジギスともっと仲良くなれないかとあれから少し考え、自分の料理を食べてもらい話すきっかけを作るという作戦に行きついた。

 料理以外に能がないのかと問われれば返す言葉はないが、美味しい食事は人の心を解す。それはエリーズがヴィオルと共に出向いた視察先でもてなしを受け、身をもって感じたことだった。緊張していても、心のこもった料理や甘い菓子を食べると肩の力が抜け、会話を弾ませることができる。

 さて、問題は何を作るかだ。以前エリーズが焼いたケーキはヴィオルやリノン、女官たちに好評だったが、城内の様々な話に精通する王妃付きの少女たち――シェリアとルイザによると、ジギスは甘いものを食べないという話だった。更に聞くところによると、仕事を優先するあまり昼食を抜くことも多々あるらしい。

 彼はヴィオルに負けず劣らず多忙な身だ。仕事をしながらでも食べられて、腹にたまりすぎない軽めのものがいいだろう。

 エリーズは台所に据え置かれた棚を開けた。瑞々(みずみず)しい野菜たちが、料理に使われるのを今か今かと待っている。


「……うん、決めたわ」


 エリーズは呟き、野菜をいくつか取り出した。


***


 完成させた料理をふた付きのバスケットに詰め、エリーズはジギスの執務室へ繋がる廊下を歩いていた。お仕着せ姿で彼を訪ねると間違いなく良い顔はされないので、普段のドレスに着替え直している。

 執務室の扉の前でエリーズは立ち止まり大きく深呼吸をした。ジギスが今、この奥にいることは彼の部下に確認をとっている。エリーズの方から彼のもとに出向くのは初めてのことなので、今更ながら緊張しているのを感じた。

 覚悟を決め、扉をそっと叩く。入室を許可するジギスの声を確かめエリーズは扉を開けた。


「突然ごめんなさい、ジギスさん」

「王妃殿下……?」


 さすがのジギスも、エリーズが訪れるとは思っていなかったのだろう。声と表情に少しばかりの動揺がにじみ出ている。席を立ち、彼はさっとエリーズの目の前にやって来た。


「どうなさいましたか」

「ジギスさんにお渡ししたいものがあって」

「私にですか」

「すぐ用意しますのでおかけになって下さい」


 ジギスはやや怪訝(けげん)そうな顔をしつつも、エリーズの言うことに従ってくれた。姿勢を正し再度机にかける。執務机の上は整頓されていて、書きかけの書類が中心に置いてある。


「ジギスさん、あまりご昼食は召し上がらないと聞いたのですけれど……食べないと力が出ないでしょう。わたしが作ったものですけれど、良ければいかがですか?」


 エリーズはそう言って、執務机の空いたところにバスケットを置きふたを開けた。用意したのは茹でた卵やハム、野菜を挟んだサンドイッチだ。指でつまんで食べられるほどの大きさに切ってある。

 それを見ても、ジギスは驚きも喜びもしなかった。ただ黙ってバスケットの中身を凝視している。

 彼の好き嫌いを完全に把握した上で作ったものではない。エリーズは慌てて付け加えた。


「あの、何かお嫌いなものがありましたか? でしたらそれは避けてください」

「……いえ、そうではなく」


 ジギスが顔を上げ、エリーズを見た。


「なぜこのようなことをなさるのです」

「え、なぜって……ジギスさんと、もっと仲良くなりたいと思っただけです……」


 ジギスは眉をひそめた。それが何の感情から来るものなのか、エリーズにはすぐに判断できなかった。


「わたしの勘違いだったら本当に申し訳ないのですけれど……ジギスさん、わたしのことがあまり信用できていないように思えて……無理もないお話です。だってわたしは本当なら、王妃になんてなれないはずの身でしたから」


 王妃になる者が受けるべき教育は一通り身につけた。しかし身分の壁は分厚いものだ。エリーズのことを妃の器ではないと思う者がいても何らおかしくはない。


「でも、わたしはジギスさんのことを信頼しています。ヴィオルのことをいつも助けてくださっていますから。夫にとって大切な方は、わたしも大切にしたいと思うのです」


 ジギスはなおも口を開くことなく、目を伏せて何かを考え込むような素振りを見せた。そしてまたエリーズの方へ視線を戻す。


「王妃殿下、もう一つお聞かせ願います……なぜ陛下とご結婚なされたのですか」

「ヴィオルのことが好きで、ずっと一緒にいたいと思ったからです」


 迷うことなくエリーズは答えた。誰に何を言われようとも、絶対に曲げられない自分の気持ちだ。

 ジギスはエリーズの言葉を咀嚼するかのようにまた少し黙った後、ゆっくり口を開いた。


「……陛下は、身分だけで人の価値を計るようなことは絶対になさいません。でなければ私が近侍としてここにいることもないのです」

「え……?」


 ジギスは高位の貴族家の生まれだとエリーズはてっきり思っていた。多少の冷たさこそあれど、彼の立ち居振る舞いからは教養の高さがうかがえる。


「偶然に話す機会があっただけの私を、陛下は近侍に取り立ててくださいました……貴族といえど没落したも同然の家に住んでいた私が、国王の右腕を務めるなどあり得ない話だった。ですがあの方は、私にはそれだけの力があると言って譲らなかったのです」


 孤独の闇の中に生きていたところで偶然にもヴィオルと出会い、新たな人生を与えられた――彼の境遇に、エリーズは己を重ね合わせた。


「ヴィオルには人を見る目が備わっているのですね。だってジギスさんはとても優秀で立派な方ですもの」

「……ええ。分かっていたつもりなのに、私は本当に愚かです」

「ジギスさん?」


 ジギスは再び椅子から立ち、エリーズに向かい深々と頭を下げた。


「王妃殿下、数々の無礼をお詫び致します。本当に申し訳ございませんでした」


 あまりに唐突なことにエリーズは目を丸くした。


「ジ、ジギスさん!? どうして謝るのですか、別に悪いことなんて何も」

「いえ、私はもうあなたに顔向けできる立場ではありません」


 頭を下げたままジギスが言う。


「あの、ジギスさん、お願いですからお顔を上げてください。そのままではちゃんとお話ができませんから」


 エリーズが頼み込み、ようやくジギスは顔を上げた。今までに見たことがない、打ちひしがれたような表情をしている。


「王妃殿下の仰る通りです。私はあなたのことを完全に信用しておりませんでした」

「いいんです、さっきも言った通り無理もないことで……」

「いえ、王妃殿下の元のご身分については私もとやかく申し上げるつもりはございません……あなたのことを警戒するべきだと思ったのはまた別の理由です」


 ジギスはとつとつと語り始めた。


「王妃殿下と出会われてから……陛下は大きく変わりました。今までは一日のほとんどを政務に充て、お話する内容もそれについてばかりだったのです。それが今では口を開けばあなたのことしか話さず、とにかく時間ができればあなたの顔を見に行くと言って聞かず、先日あなたがお倒れになった時は、かつてないほど取り乱しておられました」

「まあ」


 不覚にも嬉しいと思ってしまったエリーズだったが、同時に湧いた疑問をジギスに投げかけた。


「もしかしてヴィオル……わたしのせいでちゃんとお仕事をしなくなってしまったのでしょうか?」

「いえ。それは問題ないのですが……陛下はあなたの虜になっておられます。もしもあなたが見境なく贅沢品を求めれば国庫にあるすべての財をつぎ込み、あなたが地位を望めば他国を攻め落とし、その玉座にあなたを座らせるかもしれないと」


 エリーズは以前、城の図書室でそういった類の物語を偶然にも読んだことがあった。いわゆる「傾国の美女」と彼女に心酔した統治者は大陸諸国の歴史の中にも実在したらしく、それを基にした小説や戯曲も書かれている。

 エリーズとヴィオルが彼らの仲間入りになることをジギスは懸念していたのだ。しかしエリーズにとっては想像もしてみないことだった。


「そ、そんなことをヴィオルがするはずはありません。ヴィオルは誰よりも国のことを考えていて、戦争なんて以ての外です」

「分かっております……ですが、最悪の事態も考えておかねばならないと、私が勝手に判断したまでのことです」


 しかし、とジギスは続けた。


「それは間違いでした。あなたには欲がまったくない……これ程までに純粋な方がおられるとは思っていませんでした」


 彼の言う通り、エリーズは王妃という立場そのものに執着していない。愛したヴィオルが偶然にも王だっただけのことだ。もしヴィオルが平民でも流れ者でも、出会いさえすれば絶対に彼のことを好きになるとエリーズは確信している。


「今までの私の振舞いについて許して欲しいとは申しません。私が王城にいることが許容できないと仰るなら、近侍の役目を陛下にお返しして家に戻ります」

「そんな! とんでもないです。許すも何もわたしは最初から怒ってなんていませんし、ジギスさんがいなくなったらヴィオルはとても悲しみますよ。わたしもようやくジギスさんとお友達になれて嬉しいです」


 わだかまりが解けたことに安堵し、エリーズがふわりと笑みを浮かべたその瞬間――ジギスの執務室の扉が、勢いよく開かれた。

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