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十六話 国王陛下のダイヤモンド

 更に半月が過ぎ、とうとうこの日がやって来た。アルクレイド王国中の貴族と、交流をもつ周辺国の王族たちが集う日――アルクレイド王が妻を迎えたことを祝う、盛大な夜会が開かれる。

 日はすでにほとんど落ち、星が点々と姿を現しだす時間に差し掛かっている。アルクレイド城の大広間には今頃、招待客たちがぞくぞくと集まってきていることだろう。

 女官が五人がかりでの着替えと準備を終えたエリーズは一人、控えの間でヴィオルが迎えに来るのを待っていた。この夜会のためにと仕立て上げられた深い紫色のドレスは、生地を何枚も重ねてひだをたっぷりと作った豪奢(ごうしゃ)な意匠だ。肘丈の袖の口には薄いレースのフリルが縫い付けられていて、スカート部分の中ほどのところには(たる)ませて波のような形にしたサテンの飾り布がぐるりと一周するように留められている。銀色の巻き毛は女官が綺麗に(くし)を通して毛先にまで丹念に香油を塗りこみ、一本の乱れもない。元の良さが隠れてしまっては勿体ないと化粧はそれほど厚くされていないが、それでも鏡を見たエリーズにとっては自分が自分でないように思えた。ドレスと同じく、今日のために用意された金細工に大粒のダイヤモンドをあしらったティアラと耳飾り、首飾りは一体どれほどの値段が張るのかエリーズには想像もつかない。左手の薬指にはめているのは、ドレスと同じ紫色の宝石を使った指輪だ。

 静かな部屋に、扉を軽く叩く音が木霊した。


「どうぞ」


 エリーズが応えると扉が開き、ヴィオルが姿を現した。肩章とサッシュをつけた正装で、上衣は白色、下衣は紺色をしている。左胸に、アルクレイドの国章を金と銀で象った飾りをつけて、いつものように手には真っ白な手袋をはめていた。

 めかし込んだ王妃の姿を見て、彼はほぅ、と息を漏らした。


「美しすぎて直視できないくらいだ」


 ヴィオルはエリーズのもとへ歩み寄り、手袋を外してそっとその手をとった。


「君の美しさを世界中に見せびらかしたい、けれど閉じ込めて僕だけが知る姿として留めておきたいとも思うよ」

「……ありがとう」


 彼はエリーズと顔を合わせる度、可愛い、綺麗だ、ドレスがよく似合うと褒めてくれる。いつものエリーズはそれに対し笑ってあなたも素敵よと返すのだが、今日はか細い声で礼を言うしかできなかった。

 ヴィオルが心配そうにエリーズの顔を覗き込む。


「緊張してる?」

「ええ……そうね」


 王の妻に相応しい振舞いや教養をエリーズは今日まで懸命に学んできた。だが、いざそれが試されるとなるとやはり不安は拭えない。自分一人が恥をかくだけなら良いが、エリーズが不手際を起こせばそれはヴィオルの顔に泥を塗ることになる。今まで彼と歴代の王たちが築き上げてきたアルクレイド王国の信用を揺るがすことにもなりかねない。


「……やめておこうか」

「え?」


 ヴィオルがぎゅっとエリーズの手を握る。


「君に辛い思いはさせたくない。王妃は体調を崩したと言って、僕だけが来賓(らいひん)の前に出ればいいだけの話だ。僕が誰にも文句は言わせない」

「そ、そんなの駄目よ」


 ティアラが頭からずり落ちないよう、エリーズは小さく首を振った。


「わたしのために皆さまは集まってくださっているのだから、そんな嘘はつけないわ」


 ヴィオルに手を握られているお陰だろうか、先ほどよりもエリーズの心はいくらか落ち着きつつあった。小さく息をつき、エリーズは彼の目をじっと見据えた。


「大丈夫よ。アルクレイド国王の妃として、あなたの隣に立つわ」

「……分かった。君を信じるよ」


 エリーズの額に軽い口づけを落とし、ヴィオルが微笑む。


「僕のことだけ考えていればいいよ。それならきっと怖くないはずだから」


 部屋に再びノックの音が響く。


「陛下、王妃殿下、ご準備はよろしいですか」


 ジギスの声だ。ヴィオルが大丈夫だと返事をし、手袋をはめ直してエリーズに腕を差し伸べる。


「行こう」


***


 初めて王城を訪れた日、エリーズは大広間で客の一人として二階に立つヴィオルの姿を見上げていた。それが今、彼の隣に立ち客人が集う場を見渡す位置にいる。

 大広間に集まっているのは、ヴィオルの誕生日を祝う夜会の時よりも更に多くの王侯貴族たちだ。数百人の視線が、広間の二階の扉から姿を現したアルクレイド国王と王妃へ一斉に注がれる。

 付き添いとして二人の傍らに立つジギスが高らかに告げた。

 

「我らがヴィオル王、そしてエリーズ王妃のお成りです」


 エリーズと腕を組んだまま、ヴィオルが来賓に向かい礼をする。それに合わせてエリーズも姿勢を低くした。階下の貴族たちがそれに応えるように挨拶の体勢をとる。


「エリーズ王妃殿下より、お言葉を頂戴致します」


 ジギスがエリーズに目配せをする。エリーズは改めて、集まった客人たちを見渡した。これほど大勢の注目の的になるのは初めてのことだ。

 体全体が波打つような感覚に陥る。呼吸が速くなる。口の中が渇き、手の平にじんわりと汗がにじむ。

 ヴィオルが心配そうに様子を伺う気配がする。エリーズが何も話せなくなってしまうようなら、自分がこの場をとりなすつもりでいるのだろう。


(いいえ、それでは駄目)


 彼がいないと何もできない人間にはなりたくない。それでは王妃とはいえない。

 ヴィオルとしっかり組んだ腕から、彼の温もりが伝わってくる。それを感じながら、エリーズは大きく息を吸った。

 大丈夫、隣には愛する人がついている――


「皆さま、本日はお越し頂きありがとうございます」


 静まり返った大広間に、エリーズの声だけが響く。


「この度、私はアルクレイド王妃となりました。ですが私にはまだ知るべきこと、学ぶべきことが数多くあり……完璧な王妃とは未だいえません」


 震える唇が言葉を紡ぐ。


「ですが、私は夫を……ヴィオルを心から愛しています。そして彼が守り続けてきたこの王国のすべても、大切に思っています。私は王妃として夫の助けとなれるよう尽力してまいります。ですからどうか……私たちを見守ってくださいますようお願い申し上げます」


 言葉を切り、エリーズは頭を下げた。言いたいことはすべて伝えきった――顔をあげると、一瞬の間の後に大広間中を拍手の音が埋め尽くした。

 それを聞きながら、エリーズはほっと安堵のため息を零した。ヴィオルが耳元に唇を寄せる。


「君は最高だ」


 優しい声を独り占めし、エリーズは頬を緩ませた。


***


「いやあ、驚いたよ。わたしは本当に君のことを男色だと思っていたからね」


 招待客の全員に向けての挨拶を終えて大広間の一階に降りた国王夫妻の元へ、王族や貴族たちが代わるがわる顔を見せにやって来る。今にこやかに話しているのは、隣国バレスフィーアの王太子、エリオットだ。明るい茶色の髪と緑色を基調とした礼服が合わさり爽やかな印象を与える青年は、ヴィオルとは昔馴染みの仲のようだった。


「ご期待に沿えず残念だけど、この通り最高の花嫁を迎えたよ」


 王太子はエリーズに向かい愛想よく微笑みかけた。


「そりゃあここまで理想が高いんじゃ、なかなか結婚しないわけだ。我が国にお越しの際には、全力でおもてなしさせて頂きますね、王妃殿下」

「ええ、ありがとうございます。楽しみにしていますわ」


 その後もエリーズたちに声をかけてくる者はあとを絶たなかった。(うやうや)しく王と王妃を褒める言葉を述べる貴族もいれば、「こんな愛らしい女性をどこで捕まえた?」とヴィオルに軽口めいたことを言う王族もいた。

 あらかた話し終わったかと思われたところで、今度は一人の女性がエリーズとヴィオルの前に現れた。結い上げた金の髪にバラの飾りをつけ、鮮やかな青色の袖のないドレスに身を包んで、同色の肘丈の手袋をはめている。細く白い首を飾るのは、頭飾りと同じくバラを象ったチョーカーだ。

 エリーズが今まで会話をしてきた女性たちの中でも、頭ひとつ飛びぬけて美しい貴婦人だった。長い睫毛(まつげ)に縁どられた灰色の瞳、つんと高い鼻、濃すぎない紅をさした形の良い唇が、ふっと笑みを作った。


「ああ、グローリエ」

「ご機嫌よう、陛下」


 ヴィオルに名前を呼ばれ、女性はドレスの端を持ち上げて挨拶をした。ただそれだけの仕草が、生まれたときから貴族の子女として徹底的にあらゆる教育を受けてきたのだと物語っている。


「グローリエ・エーデルバルトと申します。お会いできて光栄ですわ。王妃殿下」


 その姿に思わず見惚れていたエリーズははっと我に返り挨拶を返した。


「こちらこそ、お会いできて嬉しいです」

「エーデルバルト公爵家は、長年にわたり王家を支えてくれているんだ」


 けれど、とヴィオルがやや顔を曇らせる。


「公爵の体調は良くないようだね。結婚式には出席してくれていたけれど」

「ええ。父は本日もお二人とお話しすることを楽しみにしていたのですが、どうしても体調が優れず……私だけで参った次第ですわ」


 グローリエはエーデルバルト公爵家の一人娘で、病を患った現公爵の代理として公務も行っているのだとヴィオルがエリーズに説明をした。


「信頼できる女性だ。彼女のことも存分に頼るといいよ。グローリエ、どうかエリーズと仲良くして欲しい」

「勿論ですわ。王妃殿下、また後日ゆっくりお話し致しましょう」

「はい、是非ともよろしくお願い致します」


 グローリエが去ったところで、楽士たちの演奏が流れ始めた。ダンスの時間が始まることを告げる音楽だ。


「さあ、僕たちの仲の良さを見せつけよう」


 エリーズはヴィオルと共に大広間の中央まで進んだ。ヴィオルが自分以外とはダンスを踊らないで欲しい、と言ったためあまり練習できていない。ヴィオルが政務の合間に何度か付き合ってくれただけだ。

 それなのに、曲が始まると的確なヴィオルの導きのお陰でエリーズの足はもつれることなく動く。周りで踊る貴族たちは、国王夫妻の近くに来るたびに視線を二人に投げかけ、広間の端に寄って見ているだけの者たちもヴィオルとエリーズに注目している。それを感じながらも、エリーズの意識は愛する夫のみに向けられていた。

 曲が終わり、ヴィオルが片膝をついてエリーズの手の甲に口づけた。紫水晶に(たと)えられる美しい王が唯一(ひざまず)く相手は妻ただ一人なのだと、その場にいる全員に見せつけるように。


 再び歓談の場になった大広間。客人の一人と談笑するヴィオルの傍らに立つエリーズの耳に、話し声が届いた。


「噂には聞いていましたが……いやはや凄いとしか言いようがありませんな、陛下の王妃殿下への溺愛ぶりは」

「今日の王妃様のドレスや指輪の色からしても明らかでしょう」


 どうしてドレスや指輪の色が出てくるのかしら、とエリーズは自分が身につけているそれに視線を落とし、そこではたと気づいた。ドレスも指輪の宝石も紫色。ヴィオルの髪や瞳の色とまるっきり同じだ。緊張のせいもあり素敵なドレスと指輪だわ、という感想しか抱いていなかったが、王妃は自分だけのもの、というヴィオルの独占欲が詰まった品のようらしい。

 もしかしたら多くの客人がそれを察しているのかもしれない――そう思うとエリーズの頬が熱を持った。


「『国王が愛するダイヤモンド』の名は的外れではないですわね」

「陛下の愛妾(あいしょう)の座を諦めていない令嬢もいるという話ですが……あの様子では当分は無理でしょうなぁ」


 ヴィオルがエリーズに骨抜きにされているのは、もはや公然の事実のようだ。急に気恥ずかしさがこみ上げてきたところで、不意にヴィオルがエリーズの腰に腕を回した。

 驚く王妃と上機嫌な王に、周りの貴族たちは温かな視線を向ける。エリーズと目が合うと、ヴィオルは悪戯っぽく口の端を吊り上げた。


***


 夜会はつつがなく終わり、エリーズは寝室に戻っていた。普段着ているものよりひと際重いドレスを脱いで身を清め、夜着に着替えると気持ちがほっとする。


「バレスフィーア国の王太子様、シェンドル国の王様と王妃様、ガレニア侯爵家のミハイル様、エーデルバルト公爵家のグローリエ様……」


 今日、話をした人物たちの顔を思い浮かべながら名前をぶつぶつと呟く。果たして次に会った時、全員のことを思い出せるだろうか。


「どうしたんだい、そんなに難しい顔をして」


 声をかけられ、エリーズはその方に顔を向けた。寝る支度を終えたヴィオルがやって来て、エリーズの隣に腰を下ろす。


「今日お会いした方々のことを考えていただけよ。皆さんのお名前とお顔を覚えるのが大変で」

「今、全員のことを覚えようとしなくてもいいよ。その内覚えられるし、分からなくてもそんな素振りを見せないで笑っていれば乗り切れる」


 そんなことよりも、とヴィオルは腕を広げ、がばっと覆いかぶさるようにしてエリーズを抱きしめた。


「エリーズ、頑張ってくれて本当にありがとう。君のことがとても誇らしいよ。誰よりも立派で美しい僕の妃だ」


 よしよしと頭を撫でられたり労うように背中を軽く叩かれ、エリーズに絡みついていた最後の緊張の糸がぷつんと切れた。ヴィオルの体にしなだれかかり、彼の顔をうっとりと見上げる。


「頑張れたのはヴィオルが傍にいてくれたからよ。あなたがいてくれたら、わたしはどんなことでも乗り越えられるわ」


 今日の夜会を無事に終えたことによって、エリーズは自国の貴族からも他国の王族からも、ヴィオルの妃として正式に認知されたことになる。彼の隣に立つのに相応しい人物だと証明することができた。


「あーもう大好き! 君を手放したりなんかしない。エリーズ以外はいらない」


 夫の口づけが顔中に降り注ぎ、くすぐったさと照れでエリーズはころころと笑った。


「ヴィオルたら、何だか大げさだわ」

「ずっと我慢していたんだよ? 大勢を目の前にして堂々と『愛してる』なんて言われたらたまらないよね。本当は挨拶もダンスも全部放り投げて、君と一緒にここへ(こも)ってしまいたかった」


 無性に嬉しさがこみ上げてきて、エリーズは彼に口づけを返した。キスの応酬がしばらく続いた後は互いの体をくすぐり合い、寝台の上で子犬のようにじゃれ合う。

 仰向けになったエリーズの白い首筋に、ヴィオルの唇が強く吸いついた。きゃん、とまさしく子犬のような声を上げるエリーズの体を、身を起こしたヴィオルが見下ろす。寝台の上で転げ回っているうちにエリーズの夜着はすっかり乱れ、胸元ははだけて太腿(ふともも)がむき出しになっていた。

 ヴィオルがエリーズの手をとり、熱のこもった目で顔を見つめながら伺いを立てるように指先にキスをする。エリーズは口づけられた指先を、ヴィオルの柔らかい紫色の髪に滑り込ませた。

 もう言葉など必要ない。エリーズは疲れ果てて眠りに落ちるまで、夫と二人きりの世界を楽しんだ。

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