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十三話 お妃様の欲しいもの

「ああエリーズ、ちょうど良いところに」


 ある日の午後、城の廊下を歩いていたエリーズは後ろから聞こえてきた声にはっと振り向いた。ヴィオルが早足でこちらに向かってくる。日中に彼の姿が見えると、それだけで嬉しい気持ちになれた。

 エリーズの前で立ち止まった彼は、両手を後ろで組んだ姿勢だった。


「ヴィオル、どうしたの?」


 ヴィオルが目を輝かせ、後ろにしていた手を前に出す。そこにはピンク色の薔薇と小さな白いカスミソウを合わせて作った花束があった。


「君にぴったりだろうと思って持ってきたんだ。受け取ってくれる?」

「とっても綺麗だわ、ありがとう!」


 花束を受け取り甘い香りにうっとりするエリーズを見て、ヴィオルも満足そうな笑みを浮かべた。

 

「ごめん、すぐに政務に戻らないといけないんだ。また後で」

「頑張ってね。早く帰ってきてくれるのを待っているわ」

「ありがとう、終わったら急いで戻るよ」


 ヴィオルは頭の位置を下げエリーズの唇に軽く口づけると、身を(ひるがえ)して元来た廊下を歩いていく。

 エリーズは花束を抱えたまま、その姿が曲がり角で見えなくなるまで見送った。


***


「ヴィオルはわたしにたくさんのものをくれるのに、わたしは何にも返せていないわ」


 自室のテーブルの上、ガラスの花瓶に生けられた先ほど貰った薔薇の花を見つめながらエリーズはため息混じりに言った。

 結婚する前からヴィオルは度々、花束を持ってエリーズの元にやって来ていた。花の種類はユリの時もあればガーベラの時もあり、薔薇の時でも色は赤や白、ピンク色など様々だ。以前に渡したものがしおれそうになる頃に、また新しい花を持ってきてくれる。

 結婚してから、贈り物の種類や頻度は更に増えた。ただでさえ日常で着るドレスや身につける装飾品はすべてヴィオルが用意してくれたのに、加えて王都で人気だというチョコレートがたくさん詰められた箱や、可愛らしい兎や猫のぬいぐるみ、なかなか手に入らないという人気作家が書いた小説本などが届けられる。近いうちにエリーズの部屋が贈り物の数々で埋め尽くされてしまうのではないかと思えてくるほどだ。

 彼の気持ちはとても嬉しいし、貰ったものは大切に味わったり保管しているが、エリーズ自身がまだヴィオルに礼を返せていないことが気がかりだった。


「陛下はエリーズ様がお喜びになるお姿を楽しみにしていらっしゃるのですから、気になさらずとも良いと思いますわ」


 カイラが茶の用意をしながら穏やかに言った。


「そういうものなのかしら……」

「ええ。ですからエリーズ様がもし陛下に何かなさりたいということでしたら、例えばこういうものが欲しいとお願いするのも良いかもしれませんわね。その人が望むものを用意するのは、あげる側も楽しいですから」

「そんな、更に何かお願いするだなんて」


 ただでさえ貰いすぎな程なのに、これ以上何かを欲しがるなんて厚かましくてとても真似できない。


「直接これが欲しいとお伝えはせずとも、エリーズ様がお好きなものの話をされてみるのはいかがでしょう?」

「わたしの、好きなもの……」


 果たして自分は何が好きなのだろうか、エリーズは更に深い思考の沼に沈み込んだ。花や綺麗なドレスはもちろん好きだ。宝石のような仕上がりのチョコレートも、先日リノンが城下町で食べさせてくれた揚げパンも。

 他にこれが欲しい、これが好きだと言えるものがあっただろうか。十年以上も働きづめの日々を送っていたエリーズにはなかなか難しい問題だった。


「先ほども申し上げました通り、嬉しいというお気持ちを陛下にお見せするのが一番のお返しですよ」


 悩むエリーズを見かねてかカイラが諭すように言った。一旦はそれで納得することにしたものの、エリーズの気分は完全にはすっきりしないままだった。


***


「そうか、なるほどね……」


 政務の合間、ヴィオルは執務机に両肘をついて手を組み、呟くように言った。目の前には王妃エリーズ付きの女官、カイラが立っている。


「陛下のお気持ちは十分にエリーズ様へ伝わっておりますわ。ただ、少し戸惑っていらっしゃるところもございます」

「うん、分かった。僕が少々はしゃぎ過ぎていたみたいだ」


 エリーズに恋をしてから、彼女の笑顔が見たい一心でヴィオルはあらゆる贈り物を用意した。花をはじめ一般的な女性が好むものを多方から取り寄せエリーズ宛に届けさせた。それらの品に喜んでくれているか、特別に彼女の興味を引いているものが何かあったかをカイラから聞き出すべく執務室に呼び出したが、女官の口から聞かされたのは「どの品に対しても大変喜んでいるが、同時に申し訳なさも感じている」という事実だった。

 本来ならばエリーズはガルガンド伯爵家の令嬢として、誕生日や事あるごとに贈り物をされる立場のはずだった。不運が重なりその幸せを逃してしまった彼女の心を埋めてやりたいと思ってしたことだったが、ヴィオルの独りよがりになっていたようだ。


「何か欲しいものがある、という訳でもないんだね?」

「はい、そのようです」


 エリーズは物をねだることどころか、自己主張をすることも忘れかけているような娘だ。もう少しゆっくりと時間をかけて心を解きほぐしていく必要があるのだろう。


「カイラ、いつも面倒をかけてすまないね」

「とんでもないですわ。お心遣いに感謝致します」

「下がってくれていいよ。エリーズのことをこれからも頼む」

「勿論でございます」


 カイラは深々と頭を下げ、静かに執務室を出て行った。


***


 翌日、庭園のベンチに座り本を読んでいたエリーズは、人の気配を感じて顔を上げた。こちらにやって来る途中のヴィオルは、エリーズと目が合うと軽く片手をあげ、足を速めた。


「ヴィオル、今日も来てくれたの?」


 忙しい彼が二日続けて日中にエリーズを訪ねて来ることは稀だ。


「少し暇ができたんだ。良かったら二人で話さない?」

「勿論よ、嬉しいわ」

「じゃあ、見せたいものがあるから一緒に来てくれる?」


 差し伸べられたヴィオルの手を、エリーズは内心うきうきしながら握った。


***


 ヴィオルに案内されたのは、王城の奥まった位置にある部屋だった。ヴィオルが着ているジュストコールのポケットに手を差し入れ、鍵を取り出す。


「余程のことがない限りは、僕しか入れない場所なんだ。君は特別」


 扉が開かれる。その先は、特に家具などが置かれていないがらんとした部屋だった。代わりにエリーズの目をひいたのは、壁にかけられた十数枚の絵だ。花や動物、風景などが描かれたものが、額縁に入れられて飾ってあった。


「全部、僕が描いたものなんだ」

「そうなの?」


 エリーズは驚いてヴィオルの顔を見た。絵はどれも本物を切り取ってきたかのように精巧だ。動物たちは今にも動き出しそうで、風景画は手を伸ばせば中に吸い込まれてしまいそうだった。


「ヴィオル、すごいわ……! こんなに上手だなんて」

「趣味みたいなものだよ。絵を描くのは昔から苦にならなくてね。王族に生まれていなかったら画家になっていたと思う」


 もしも彼が画家だったなら、きっと貴族たちから引っ張りだこの存在になっていただろう。

 それからヴィオルは部屋に飾られた絵の一枚一枚について、何を題材にしたのか説明をしてくれた。


「もっと見てみたいわ。他にはないの?」

「後は王都の美術館に保管している分がある。今度見せてあげるよ」

「それでおしまい?」

「後は……習作とか、わざわざ飾るほどではない程度の出来のものくらいしかないな」

「それも見たい……って言ったら怒る?」


 彼が今までどのような作品を生み出してきたのかできるだけ多く見たかったのだが、ヴィオルはすぐには頷かなかった。


「まさか。怒りはしないけれど……でもわざわざ見てもらうほどのものではないからな……」

「ヴィオルの描いた絵、綺麗でとっても素敵だからもっと見たいの」

「そう言われたら断れないよ」


 こっちにあるよ、と言ってヴィオルは更に奥にある部屋にエリーズを誘った。画材が置かれたテーブルと、キャンバスを支えるための画架がある。ヴィオルが実際に絵を描くための部屋なのだろう。部屋の端に、布がかけられたキャンバスがいくつも立てかけてあった。


「この辺に色々置いてあるんだ」


 ヴィオルが呟きながら、キャンバスを覆う布を一枚一枚取り払っていく。彼にとってはあまり出来のよくない作品たちらしいが、エリーズにはそれらを置きっぱなしにしておくのは勿体なく思えた。


「……あ」


 最後に姿を現した作品を見て、エリーズは小さな声をあげた。それはヴィオルの肩から上を描いた肖像画だった。動き出し、こちらに向かって話しかけてきそうな程に写実的だ。


「ん? これは七年くらい前のものかな。自分を描いたのはこの一枚だけだよ」

「……これ、頂いても良いかしら? わたしのお部屋に飾りたいの」

「えっ!? これを?」


 さすがのヴィオルも予想外だったようで、いつになく驚いた表情を見せた。


「駄目?」

「いや、君が望むなら喜んで渡すけれど……どうしてこれが欲しいの?」

「……ヴィオルと一緒にいられる時間は限られているでしょう? 勿論それは仕方のないことだって分かっているわ。でも、やっぱり少し寂しくて……この絵をお部屋に飾っていれば、ヴィオルがそこにいてくれるみたいに思えそうな気がするの」

「エリーズ……」


 物欲とはすっかり縁遠くなっていたエリーズだったが、この絵を目にし、欲しいという衝動に強く駆られた。呆れられてもおかしくないほどにエリーズはヴィオルに焦がれてしまっている。叶うなら片時も離れたくないと思う心を、この絵なら慰めてくれそうな気がした。


「ごめんなさい、わたしは王妃なのにこんなに寂しがりではいけないっていうのは分かっているの。頑張って直すけど、でも、この絵が欲しいの」

「いいんだよ」


 ヴィオルは片手で絵を持ったまま、空いた腕をエリーズの体にまわして抱き寄せた。


「直さなくていい。君はそのままでいて」


 彼が傍にいてくれることが何よりも嬉しい――抱きしめられてエリーズはそれを確信した。薔薇の花束も勿論嬉しいが、ヴィオルの優しい眼差しにはそれよりもっと大きな価値がある。


「飾れるように額に入れて、後で使用人に持っていかせるね」

「ありがとう、嬉しいわ」


 ヴィオルと別れて程なく、金色の額縁に入った彼の肖像画がエリーズの部屋に届けられた。


***


「……ふふ」


 壁に飾られた夫の絵を見ていると、エリーズの顔には自然と笑みが浮かぶ。一人で飲む茶も、心なしか以前より美味しく感じるようになっていた。


「エリーズ様、先ほどから頬が緩みっぱなしですわ」


 いつものように茶を淹れてくれるカイラに言われ、エリーズははっとして頬を押さえた。じわじわとそこに熱が集まる。


「ごめんなさい、わたしったら……」

「いえ、私も安心しておりますわ。陛下の絵を飾るようになってからエリーズ様はずっと楽しそうにしていらっしゃいますから」

「ええ。ヴィオルが傍にいてくれるみたいだから……あ、本物のヴィオルの方がもちろんずっと素敵だけれど」


 絵姿のヴィオルも立派だが、彼の美しい紫水晶の瞳はどんな質の良い絵の具を使っても本物と同じには描けないだろう。


「まあ、聞いているこちらが照れてしまいます」


 カイラがくすくすと笑い声を漏らす。エリーズは顔だけでなく耳まで熱くなるのを感じた。


「もう、本当に、ごめんなさい……」

「良いのですよ。離れている間もこれほど想って頂けるなんて、陛下はお幸せな方ですわ」

「ヴィオルもそう思ってくれているといいのだけれど……」


 彼は今夜、貴族の間で好まれるカード遊びのやり方を教えてあげると約束してくれた。それを覚えたら、今度はチェスのルールも。エリーズは今からそれが楽しみで仕方がなかった。


(ヴィオルと過ごす時間が、わたしは一番好き)


 彼が隣にいてくれれば、他には何も必要ない――心からそう思えた。

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