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十話 なおも焦がれる二人

 エリーズが目を覚ました時、外はすっかり明るくなっていた。鳥のさえずる声が聞こえてくる。

 身を起こし、記憶の糸を手繰り寄せる。今は婚礼の儀を終えた日の翌朝――ではなく更にその次の朝だ。

 ヴィオルは優しかった。心身共に彼のものになる夜、エリーズが不安や痛みを感じたのはほんの一時だけで、後は彼の体にしがみつき愛を乞うばかりになっていた。

 いつの間にか眠りに落ちて、目覚めた時もエリーズの体はヴィオルの腕の中にあった。夫婦となって歩む最初の日、彼は妻の傍を離れなかった。食事は全て寝室に運ばせてヴィオル手ずからエリーズに食べさせ、抱きしめて甘い言葉をささやき、飽きることなく唇を吸い、頭からつま先までをくまなく愛し尽くした。果てはエリーズを浴室まで抱えて連れて行きその身を清めることまでしてくれた。

 エリーズは視線を落とし、己の体を見た。胸元や腹部、太腿(ふともも)――至るところにヴィオルが刻んだ愛の証が花を咲かせている。おそらくエリーズが目視できない箇所も同じようになっているはずだ。見る人間によっては、二人が過ごした時間がどれほど甘美で濃密なものであったか簡単に推測できてしまうだろう。

 エリーズの愛する夫は姿を消していた。気だるさの残る体でのそのそと寝台の端まで移動し、天蓋(てんがい)をずらす。寝台の横の小さな机に書置きが残してあった。


『愛しいエリーズ 

 君の目覚めの時に傍にいられなくて申し訳ない

 今日は一日ゆっくり休んでいて。何も気にしなくていいからね

 今夜、またこの部屋で

 君だけの夫より』


 結婚式を挙げてもヴィオルに与えられた休暇は昨日のたった一日だけで、今日から彼はまた政務に取り掛からなければならないのだ。エリーズも早く手伝えるようになりたかったが、まだ王妃教育のすべてが終わっていないためできることがない。

 ヴィオルは「君の顔を見ると一瞬で疲れが消える」とエリーズにいつも言っていた。彼のことを思うなら、今夜も笑顔で迎えるのが一番いいのだろう。

 とりあえず身支度をしなければと、エリーズは使用人を呼ぶための紐に手をかけた。


*** 


「はぁ……」


 国王ヴィオルはこの日、もう何度目か分からない思いため息をついた。

 執務机に向かいペンを走らせつつも、頭の中の半分以上を占めるのは愛らしい妻のことだ。健気に夫の愛をすべて受け止めようとする姿に愛おしさが溢れて止まらず、まともに寝かせてやることができなかった。

 何も知らない清らかな娘は夫になった男の手で一日にしてすべてを暴かれ、奪われ、染め上げられた。しかし今朝、目を覚ました時に横にあった彼女の寝顔は純真で無垢な少女のそれで、政務さえなければいつまでも見つめていたかった。

 今だって、すべてを投げ出してエリーズの元に飛んでいきたい。抱きしめて銀糸(ぎんし)の髪を撫でて、蜂蜜よりも甘い唇を味わって、(すみれ)色の瞳に夫の姿だけを映させたい――新雪のように白い肌が口づけられる度に赤く色づいていく様を見て、狂わない男がいるならば是非とも会ってみたいものだ。


「……エリーズ」


 彼女は今何をしているのだろう。ぐっすり眠ることができただろうか。ゆっくり休むようしたためた書置きは残したが、真面目な彼女のことだ、分厚い歴史書や教本に手を伸ばしているかもしれない。

 視線は机の上の書類に向きながらも、ヴィオルのペンを持つ手はのろのろとしか動かない。再び重く長いため息をつき顔を上げたヴィオルの視界を、黒いフロックコートが覆った。


「……何だ君か。驚かせないでくれ」


 いつの間にか執務机の前に近侍のジギスが立っていた。


「失礼致しました。ノックをしてもお返事がありませんでしたので」


 ジギスはいつもと変わらぬ冷静な口調で告げ、執務机に広げられた書類に目を落とした。


「何か問題がございましたか」

「大ありだよ。愛しい妃のことが気になって全く身が入らない」

「それらは全て陛下にご確認頂く必要があるものばかりですので、代理を立てることはできかねます」


 近侍の至極真っ当な返事にヴィオルは先ほどとは違う種類のため息をついた。


「見ただろう? エリーズの花嫁姿を。一体何に例えたらいいだろう。まるで物語の世界から抜け出てきたかのような……」

「とてもよくお似合いでした」

「くれぐれも妙な気を起こさないように。彼女は僕だけのものだ」

「心得ております」


 ジギスは優秀だが、話しているとたまに人形を相手にしているように思えてくるのが難点だ。

 雑談は切り上げることにして、ヴィオルは近侍の目的を問うた。


「ご依頼されておりました件でご報告に。調整ができましたので日帰りができない視察はすべて三か月後以降に致しました」


 やはりジギスに任せて良かったと、ヴィオルは満足気に頷いた。


「ありがとう。その頃には王妃のお披露目を終えてエリーズも落ち着いているだろうから、一緒に来てもらえるよ」


 エリーズと一日でも離れてしまうことに耐えきれず、彼女が本格的に公務に携われる頃合いを見計らって遠方への外出の予定をすべて後ろ倒しに変更したのだ。


「ジギス、ご苦労様。エリーズとの結婚が決まった時から君には色々頼んだし、ここらで少し休んでくれて構わないよ」


 見張らなくてもさぼったりしないからさ、と微笑んでみせたヴィオルだったが、ジギスはいえ、と頭を振った。


「まだ仕事が残っておりますので、これで失礼致します」


 それでは、と丁寧に頭を下げジギスは部屋を後にした。ヴィオルがジギスを近侍に取り立てて五年ほど経つが、彼がまともな休暇をとったのは一度あるかないかだ。

 初めて会った時から変わらず愛想のない男だが、彼と話したことで少し気が紛れた。ヴィオルは再び書類にペンを走らせ始めた。


***


 その夜。エリーズは夜着に着替え、寝室のベッドに腰かけてヴィオルの帰りを待っていた。丸一日の休暇のためか今日の彼は忙しくしていたようで、エリーズの夕食には同席しなかった。

 初夜に続き昨夜も半ば気絶するように眠ってしまったため、ヴィオルと最後に交わした会話の内容がどのようなものであったか記憶が定かでない。そのことを思い出すと、エリーズの胸に急に気恥ずかしさがこみ上げてきた。


(今日も、するのかしら)


 子を成すためには、閨事(ねやごと)を繰り返す必要があると習った。だが、それが毎日なのか数日おきなのか、はたまた月に数回なのかまでエリーズは聞き及んでいない。

 夫によって行われた数々の愛情表現に完全に慣れたわけではないが、彼の温もりを全身で感じるのは心地よかった。また今日もそれがあるのだとしたら――


「ああ、夢みたいだな。君がここで待っていてくれるなんて」


 不意に声がしてエリーズがそちらを見ると、ヴィオルが浮足立った様子で部屋に入ってきたところだった。


「ヴィオル、お帰りなさい」


 エリーズは平静を装い、隣に座ったヴィオルに声をかけた。つい先ほどまで閨事について考えていたと悟られれば、ふしだらな女だと思われてもおかしくない。


「ただいま、僕の花嫁」


 ヴィオルはエリーズの頬に軽い口づけを落とし、いつものように指同士を絡めてきた。


「今日は一日休めた?」

「ええ。少しお庭をお散歩したくらいで、後はゆっくりしていたわ」

「そう、なら良かった」


 ヴィオルが空いている方の手をエリーズの頭に伸ばす。彼はエリーズの髪に触れるのが好きらしく、優しく巻き毛に指を沿わせてくる。


「ヴィオルは今日もずっと頑張っていたのね……」

「まあね。でも平気だよ。こう見えて体はそれなりに丈夫だから」

「今のわたしでもできることがあればいいのだけれど……」

「気にしないで。君は毎晩ここで僕を迎えてくれればそれでいいんだ」


 でも、とヴィオルはエリーズと額同士を合わせてきた。


「欲を言うなら、キスしてくれると嬉しいな」


 今まではヴィオルにされるがままで受け身になりがちだったが、彼が嬉しいと感じてくれるなら喜んでしたい。やや緊張しつつも、エリーズはヴィオルの唇に自分のそれを重ねた。


「ん……ありがとう。愛してるよ」


 お返しに、と彼からも愛情がたっぷりこもった口づけがエリーズに贈られ、その後はぎゅっと抱きしめられた。


(やっぱり今夜も)


 しかし、エリーズの予想はすぐさま覆されることになった。エリーズの体を離し、ヴィオルが優しく微笑む。


「そろそろ寝ようか」


 寝台の上掛けをめくり、ヴィオルが寝そべる。おいでと彼に言われ、エリーズも拍子抜けしつつ同じようにした。

 二人並んで横になり再度手は繋いだが、ヴィオルはそれ以上のことをする素振りは見せなかった。


「それじゃあお休み、エリーズ」

「……お休みなさい」


 エリーズが挨拶を返すと、ヴィオルの目蓋がすっと閉じられた。


(今日は、何もしないのかしら)


 昨日までのヴィオルはエリーズがまともな受け答えのできない程ぐずぐずに思考を(とろ)けさせていてもなお、なかなか繋がりを解こうとしなかった。それなのに今日の彼はあまりにも紳士的すぎて、それが逆にエリーズを不安へと駆り立てる。

 何か自分に不手際があったのだろうか、やはり何日も続けてするようなことではないのかもしれない、妻に心配をかけまいと元気に振舞ってくれているだけでヴィオルも疲れを溜めているのかもしれない、キスしてもらえただけで幸せでそれ以上を求めるのは欲深過ぎる、そもそもこんなことをいつまでも考えるのははしたない――ぐるぐる回る思考を抑えようとエリーズも目を閉じたが、寝付ける気がしなかった。

 そうして顔の向きを変えたり、体をもぞもぞ動かしているうちに


「どうしたの、眠れない?」


 ヴィオルを再び起こすことになってしまった。


「あ……うるさくしてごめんなさい。何でもない、の」

「本当に? 具合が悪いなら隠さないで。今からでも診てもらおう」

「ち、違うの。どこも悪くないわ」


 否定したものの、ヴィオルの瞳から心配の色が消える気配はない。

 こうなってしまったら仕方がない――エリーズは腹をくくって口を開いた。


「ヴィオル、わたしは本当に大丈夫よ。ただ……今日は何もしないのかしら、って思っただけ、なの……」

「え」


 ヴィオルがきょとんとした表情を見せる。


「その、昨日まで、ヴィオルがわたしにしてくれたこと……今夜もまたすると思ってて……」


 ヴィオルは何も言わず、ぱちぱちと瞬きをするだけだ。やはり自分が間違っていたのだと、エリーズは上掛けで顔の半分が隠れるまで深く寝台に潜った。


「ごめんなさい、わたしがおかしいのね。ヴィオルはわたしなんかよりずっと大変だもの、もう寝た方が」


 最後まで言い終えない内にヴィオルが身を起こし、エリーズの体がすべて見えるところまで上掛けを剥がして体重をかけないように覆いかぶさってきた。

 結婚初夜から昨日までの間、彼に愛され続けて朦朧(もうろう)とした意識の中で見た光景と重なり、エリーズの心臓が大きく跳ねる。


「エリーズ、君は何もおかしくないよ。僕もまだ起きていたい」

「え、でもヴィオル、疲れているでしょう?」

「とんでもない。言ったはずだよ、君の顔を見たら疲れなんて全部吹っ飛ぶって」


 ヴィオルのしなやかな指がエリーズの首筋から鎖骨をなぞった。


「やり過ぎたっていう自覚があったんだ。何も知らない君をあまりにも深く求め続けてしまった。だから、今日くらいはゆっくり寝かせてあげようと思っていただけ」


 先ほどまで彼の瞳に灯っていた優しい光が、次第に激しく揺らめく炎に変わっていく。


「本当にいい?」


 エリーズが頷くと、ヴィオルは噛みつくような口づけをしてきた。呼吸すらも奪おうとするかのような激しさにエリーズの胸が震える。


「明日の朝もゆっくり寝ていていいからね」


 頭をくらくらさせながら、エリーズはひどく甘い彼の声を聞いた。

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