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どんなに嫌だと思っていても時の流れは待ってくれない。あっという間に週末を迎えた。
私は今、白いトップスにグレイッシュピンクのプリーツワイドパンツ、六センチヒールのパンプスを履いて待ち合わせ場所である中央公園入口の変なポーズを決めた銅像の前にデデンと立っている。
ここは待ち合わせの名所なのか、周りにはバッチリお洒落をした女の子や音楽を聴きながらスマホを操作している男の子が多かった。浮き足立った雰囲気の中、まるで討ち入りに向かう武士のような気迫を見せている私は明らかに浮いている。
ああ、声を大にして言いたい。どうしてこうなった、と。
♩
あの色々な意味で衝撃的なランチの後、私は自宅に帰ってから思い切って課長に電話を掛けた。
オフィスでする話ではないし、それ以前に課長が忙しすぎて話す暇なんてなかったからだ。
スマホからコール音が鳴るたびに、心拍数が上がっていく気がした。なんだか今頃になって緊張してきたが、ここで切るわけにはいかない。切ったらただのイタズラ電話になってしまう。
『……はい』
いつもより低い課長の声が聞こえる。私は息を吸い込んだ。
「お疲れ様です、佐伯です。夜分に申し訳ありません」
『大丈夫だ。俺もちょうど話したかったしな。昼のメッセージのことだろ?』
話がわかっているなら早い。
「そうです。一体なんなんですかあのメッセージは! いきなりあんなの……困ります!」
『何って……そのままの意味だが?』
「ですから! その意味がわからないんです!」
『土曜にデートに誘う意味がわからない、と?』
私は小さく溜息をつく。
「……彼女のフリは一日だけって言いましたよね?」
『言ったな』
「だったら!」
『文句を言いたいお前の気持ちはよく分かる。でもな、少し考えてみろ。俺たちお互いのこと何も知らないだろ? そんな中で俺の母親に会うなんて無謀中の無謀だ。話せばすぐにボロが出る。警察の取り調べよりもひどい尋問が待ってるんだぞ? お前、それに耐えられるのか?』
「それは……確かにそうですけど」
『だからある程度お互いについて知っておく必要があると思うんだ』
ううん……反論出来ない。
「だからって……なんでデートなんですか」
『そりゃ、恋人同士なのに二人で出掛けたことがないなんておかしいだろ? いいじゃないか。お互いを知る良い機会だ』
課長の素性をこれ以上知ったら抜け出せない気がする。いや、悪い意味で。
『それに、一度でもデートしておけば母に何か聞かれた時も反応に困らないだろ? 実際に一緒にいて思ったことを言えばいいんだから。嘘をつくわけじゃないし、佐伯の罪悪感も減る。つまり、このデートは一日彼女を成功させ、母親に俺のお見合いを諦めさせるために必要不可欠なものなんだよ』
ダメだ、このままじゃまた課長のペースに乗せられる。ていうかもうほぼ乗っちゃってる。
課長は声のトーンを少しばかり落として言った。
『まぁ、あれだ。デートなんてのは名前だけで、ただ単に二人でどこかに出掛けるだけだから。佐伯はあまり深く考えなくていい』
いやいや、世間一般ではそれをデートというのでは?
『それとも……お前は俺と出掛けるのが嫌か?」
「……いえ。嫌なわけでは、ないですけど……」
『よし。それなら土曜の十時、中央公園の銅像前に集合で。じゃあな』
「えっ、ちょ、課長!? 青柳課長っ!?」
一方的に切られた電話を呆然と見つめる。
ただの四角い機械へと成り下がった真っ暗な画面のスマホをベッドに放り投げると、私もばふんと顔を埋めた。
♪
あの時の会話を思い出して溜息をついた。
時間を確認すると、待ち合わせまであと十五分。少しばかり早く着きすぎたらしい。
「あっ、しゅんちゃん!」
待ち合わせの相手が来たのか、隣の女の子が甘えた声を出す。彼氏と思われる男の子は待たせてごめんな、と言いながら彼女に手を差し出した。彼女は満足そうにその手を握って歩き出す。おーおー、仲睦まじいカップルだこと。
彼女の揺れるフレアスカートを見て、ふと自分の服装を確認する。……うん、なんか普通だ。
あまりにも気合いが入っている格好もあれだし、かといってカジュアルすぎるのもあれだし、スカートを穿くべきかパンツにするべきか、でもどこに行くか分からないから動きやすい方がいいのか、だけどデートという名目上ちょっと頑張ってお洒落な格好の方がいいのか……。
鏡の前で悩みに悩んで悩んだ結果、結局いつものオフィスコーデと大して変わらない服装へと落ち着いたのだが、本当にこれで良かったのだろうか。やっぱり直前まで迷ったワンピースにすれば良かったかな? 今更ながら不安になった。
「おお、早いな」
最近聞き慣れてしまった声にぱっと顔を上げると、課長がイケメンスマイル全開で手を振っていた。グレージュのジャケットに白のインナー、黒のパンツが細長い足を強調するようでとても良く似合っている。その姿は雑誌から出てきたモデルのようだった。
その証拠に、周りの女の子もチラチラと熱い視線を課長に送っている。いやいや君たち隣に彼氏いるでしょ。なに? イケメンと彼氏は別物だって? うん、超わかる。
「一応早く来たつもりだったんだがな。待たせて悪かった」
「いえ。私が早く着きすぎただけですから。約束の時間までまだ十分ありますし」
と、課長の鋭い視線が私を捉える。じろじろと見られ居心地が悪い。
「……なんですか」
「その服、よく似合ってる」
「えっ!?」
「なんだ? 嬉しくないのか? デートの時、会ったらまず相手の服を褒めろってネットに書いてあったんだが……間違ってたか?」
「……いえ、間違ってはないですけど」
まさかの社交辞令宣言byネット調べ。ちょっとでもドキッとした自分がバカみたいだ。これが本当の彼氏だったら殴っていたかもしれない。もしかして課長は女心に疎いのだろうか。小さい頃からアイドル一筋だったから? 液晶を通してない現実世界の女性はどうでもいいと?
「……もっとデートらしい服装をしてきた方が良かったですかね?」
「デートらしい服装?」
課長はよく分かっていないのか、キョトンとした顔で聞き返す。
「なんていうか、ワンピースとかの方がデートっぽい雰囲気になったかなぁ、と思いまして」
「いや、今の格好でも充分デートっぽいと思うぞ? 似合ってるし」
社交辞令でこう言ってくれてるけど、せっかくイケメンの隣を歩くんだからもう少し気合い入れれば良かったかもなぁ。そんな事を考えていると、私をじっと見ていた課長がニコリと笑って言った。
「もし気にしてるなら心配ない。ワンピースは次のデートで着てくれればいいから」
私は目を丸くする。……まったくこの人は。恥ずかしげもなくこんなことが言えるなんてどういう神経してるんだ。無意識って怖い。私は動揺を悟られないよう話題をすり替えた。
「……あの、今日はどこに行くんですか?」
「水族館だ」
おお、なんか本当にデートっぽい場所だ。
「中にフードコートもあるみたいだから昼はそこで食べよう。莉奈はパスタが好きなんだろ?」
……パードゥン?
私は自分の耳を疑った。思わず脳内で英語に変換してしまうほど動揺している。だって今、課長の口から私の名前が、しかも呼び捨てで放たれたような気が……? 空耳?
「どうした?」
「えっと、青柳課長、今私の」
「それ」
「え?」
「青柳課長って呼ぶのはやめろ。仮にも彼女だろ? 俺もお前のこと名前で呼ぶからさ」
さっきのは空耳でもなんでもなかったらしい。
「で、でも」
「二人の時は湊士でいい。敬語もなしだ」
突然やってきた試練に私はたじろぐ。だってこんな話は聞いてない。が、課長の追及は止まらなかった。
「ほら、言ってみろ」
「でも、」
「いいからほら」
「み……みなと……さん」
言った瞬間、顔に熱が集まった。って名前呼んで赤面するとか中学生か! どこの少女漫画のヒロイン気取りだよ私!! 課長はますます笑みを深くした。うわ、これ絶対バカにしてる。
「よし。じゃあ行くぞ、莉奈」
私は赤い顔のまま頷いた。……わざとですよね? これ私の反応見て楽しんでるだけですよね? クッソ。これだから色々拗らせたイケメンは。
課ち……じゃなくて湊士さんを恨みがましく睨みながら、その広い背中を追った。