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恋はサイリウムと共に  作者: 百川 凛
1曲目:ミス・ミステイク
4/40





「佐伯さん。悪いんだけどこの資料四階の会議室に持って行ってくれる?」

「あ、はい」

「もうすぐ始まる会議で使うみたいだから、急ぎでよろしくね」

「わかりました」


 先輩に言われて、私は小走りでエレベーターへと向かった。


 大手化粧品メーカー〝フェレーヴ〟。フランス語で「妖精」と「夢」を意味する単語を組み合わせた造語で、「妖精のような美しさを世界中の人々へ」というのが社のコンセプトになっている。化粧品の他にも健康食品や医療品、サプリメントの開発、美容関係のグッズ販売も行なっている会社だ。


 入社して三年。私は出来上がった商品の広報活動を担当しているため直接商品の開発に携わることはできないけれど、その分世間一般への宣伝に尽力しているつもりだ。自分がまだまだ未熟なのは十分理解しているが、少しでも商品の魅力を伝えられるよう努力は惜しまない。


 預かった資料を持って廊下を突き進む。履き慣れたヒールの靴音がカツカツと響いた。そういえばこの資料って誰に渡せばいいんだろう? まぁ、中にいる人に渡せばそれでいいか。


「失礼します。会議資料の方お持ちしまし……た」

「ああ、わざわざすまないね」


 中に居た人物を見て、私は思わずその場に立ち止まる。


 シワ一つない紺色のスーツをビシッと着こなし、書類から外したつり気味の目を真っ直ぐに私へと向けた長身の男性は、我が経営企画部広報宣伝課の若き課長、青柳あおやぎ湊士みなと三十歳。


 黒髪のセンター分けに涼しげな目元と色気のある泣きボクロ、女性よりもきめ細かく整った白い肌に無駄な肉のないシャープな輪郭、すっと通った鼻筋。……うん。さすが社内で一、二を争う高顔面偏差値の持ち主だ。今日も今日とてイケメンである。だが、いかんせんこのタイミングだ。私の頭には金曜日のライブがフラッシュバックする。


 黒地のマント、青いマスク、揺れるサイリウム、呪文のような掛け声、狂喜乱舞する三人組。


 う〜ん。……果たしてこんなイケメンがあんなコスプレみたいなマントを羽織ってアイドルのライブに行くだろうか。いや、行かない。……やっぱりあれはただの見間違いだよなぁ。だいたいマスクもしてて顔もよく見えなかったのに、なんで私はあの時課長を思い浮かべたんだろう? 目の前にあるえらく整った青柳課長の顔を見て、私は首を捻った。


「……俺の顔に何かついてるか?」

「えっ? あっ!? す、すみません!」


 随分と課長の顔を凝視していたらしい。私は誤魔化すように持ってきた資料を手渡した。


「ありがとう。助かったよ」


 そう言って、課長はふわりと笑みを浮かべる。


「っ! い、いえ!」


 う、わ! 至近距離の笑顔は破壊力が半端ないって! 私は自分の顔に熱が集まるのを感じた。普段冷たいくせにこういう所は優しいなんてズルくない? ギャップ萌えってやつ? 仕事も出来て性格も良いイケメンだなんて、天は二物を与えずなんてとんだ嘘つきだ。なんでこんなにハイスペックな男性がいまだに独身なのだろう。聞けば、女性からのアプローチは全て断っているというではないか。う〜ん、これは我が社の七不思議と言っても過言ではない。私には関係ないけれど。


「では私はこれで失礼します」

「いや、待ってくれ」

「はい?」


 一礼して顔を上げた瞬間、私の肩はビクリと跳ね上がった。だってそこには先ほどの笑顔とは一変、まるで獲物を狙う動物のような鋭い視線で私を見やる課長が居たのだから。……えっ、な、なに? もしかして私何かやらかした!? この短時間で!?


「実は佐伯に個人的な用事があってな。会議室に資料を届けるよう頼んでおいたんだ」

「……わ、私に用事……ですか?」


 課長はこくりと頷くと、三日月型に歪めた薄い唇をゆっくりと開いた。


「金曜の夜、見ただろう?」


 ピシリ。その一言でこの場の空気が音を立てて凍った。これは比喩なんかじゃない、少なくとも私たちの周りの空気は間違いなく凍っている。だって……え?


「金曜、俺のこと見ただろう? ()()()()()で」


 ガチガチに固まって動けなくなった私に追い打ちをかけるように課長は続けた。金曜の夜……ライブ会場……。え? ていうか待って、ちょっと待って。金曜のライブってまさかリトプリのライブのこと? え? そこで俺のこと見ただろって……それって、それってまさか!?


 私の頭には青いマスクと黒地のマントがパッと浮かんだ。



「……ワタシ、ナニモ、ミテマセン」



 唇を無理やり動かしてなんとか言葉を発するが、大根役者でさえ驚くほどの棒読みになってしまった。いや、棒読みどころかカタコトだ。私は片方の手で髪を耳にかける。


「お前……嘘つくの下手だな」


 課長は哀れみの視線を向けながら言った。ああ、案の定嘘ってバレバレだ。いやいや、だって……だってさぁ!?


「金曜の夜、俺はあのライブ会場にいた。正直に答えていい。お前もいただろう? 目が合ったもんな?」


 私はカラカラになった喉からなんとか言葉を絞り出す。


「……ま、まさかとは思いますが……青いマスクをして黒地に金と青のラインが入ったマントなんて着てませんでしたよ、ね?」

「ああそうだ。それが俺だ」



 …………………………


 ……………………


 ………………


 …………


 !?



 人間、本当に驚いた時は声も出ないらしい。心の中ではジェットコースター乗車時並の大絶叫を上げているのに、実際はハクハクと金魚のように口を開閉させることしか出来ない。


 だってあのライブはリトプリのライブで、みんなマント付けてて、最前列でヲタ芸しててサイリウムがぐるぐる回ってすごく綺麗で……。えっ……ええええええええええええっーー!? 思考回路はショートどころか爆発した。



 コツン、コツン。



 課長の長い足がゆっくりとこちらに近づいてくる。後退りしても後ろは壁。しかも、その壁にそっと手をつかれてしまって逃げ場はなくなった。

 やけに整った顔が目の前に迫ってくる。あまりの近さに息遣いまで聞こえてくる始末だ。こんな壁ドン、望んでない。



「──佐伯莉奈」



 ハッと我に返り、身の危険を感じた私はまくし立てるように言った。


「だ、大丈夫です! 私あの、金曜のことは誰にも言いませんから!! ライブのことも、あの、課長が変なマント付けてサイリウム振りながら狂喜乱舞してたなんて口が裂けても言いませんから!!」


 課長の眉がピクリと動き、私の肩もビクリと跳ね上がった。それを見て、課長は大きな溜息をひとつ吐き出した。



「──佐伯莉奈」



 再びフルネームを呼ばれて、向かい合う。


「お前に一つ頼みがあるんだが」

「……頼み……ですか?」

「ああ」


 私はゴクリと生唾を飲み込む。課長は真っ直ぐ私の目を見つめると、その薄い唇を開いた。



「俺の彼女になってくれないか?」



 訪れたのは、沈黙。

 


「はあああああああああー!?」



 打ち破ったのは、私。




「だっ、な、なんっ、なっ、なんっ!?」


 足の先から一気に上ってきた血液が頭の天辺でブクブクと沸騰した。身体が熱くてたまらない。これ、軽く四十度は超えてるんじゃないだろうか。壊れたロボットのように言葉がうまく出てこなくて、私はバカみたいに同じ音ばかりを繰り返す。


「ああすまない。勘違いしないでほしいんだが、正確に言えば一日だけ彼女のフリをしてほしいんだ」

「……か、彼女のフリ?」

「そうだな。もうすぐ会議が始まるから説明は後だ。今晩時間はあるか?」

「へっ? あ、ありますけど……?」

「そうか。じゃあ七時にエントランスで」

「えっ!? ちょ、あ、青柳課長!?」


 課長は自分の言いたい事だけ言うと、資料を持って会議室を出て行ってしまった。


 ぽつんと残された室内で自分の頬を強く抓る。……痛い。じんじんと広がる痛みにああ、これは現実なんだと思い知らされ、私はがっくりと項垂れた。

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