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走る、走る。
ヒールを履いた動きにくい足で、とにかく走る。まったく! あんなとんでもない格好で一体何をやってるんだあの人は!! 信じられない。一人だけ気の早いハロウィン気分でも味わってるんですか!? しかもノーマスクでイケメン晒し放題だし!! こんな街中で誰か知り合いに見られたら何て言い訳する気なのか……あーもう!!
蒸し暑い夜の空気を切り裂いていくと、ようやく時計台の下に辿り着いた。青柳課長はキョロキョロと首を動かしながら、歩く人の顔を一人一人確認しているようだった。完全に不審者だ。
「……あ、おや……み、湊士さん!」
全力で走ったせいで息が苦しく、かすれた声しか出なかった。課長はそんな残念な声を拾ってくれたのか、パッとこちらを振り向く。
「……居た」
小さく呟くと、黒地に金と青のラインが入ったマントを翻して近付いて来た。
「な、なんでこんな所にいるんですか!! リトプリは!? ドーム公演はどうしたんです!? ずっと楽しみにしてた初日でしょ!? もうとっくに始まってますよ!?」
私と真っ直ぐに向かい合った青柳課長は耐えられないと言わんばかりに叫んだ。
「無理だ!!」
いや何が!? 会話がまったく成立してないんですけど!!
「あの男が元彼だって知った時からずっとイライラしてたのに。莉奈がこれからあの男と一緒にいると思うと気になって気になってライブどころじゃなかったんだよ!!」
「……は?」
「……例えるなら推しに熱愛報道が出た時、事務所からの公式コメントを待ってる間みたいな。ショックを通り越し気力を失い何も手に付かなくなって諦めもついてるけど、まだどこかで信じたいという思いもあるもどかしくてモヤモヤした気持ちっていうか」
「……は、はぁ?」
なんだその例えは。分かるようで分からない。
「いや、違うな。俺が抱いてたのはもっと醜い感情だった。言い訳するのはやめよう。俺は……あの男にみっともなく嫉妬してたんだ」
「えっ?」
……嫉妬? 課長が市川に? ……どうして?
「莉奈にあの男と付き合うのかって聞いた時、関係ないって言われてショックだった。あの男に部外者って言われた時、言い返せなくてイライラした。……俺が知らないうちに二人で会ったりご飯に行ったりしてたことも嫌だった。そして、それを嫌だと言える資格がない事を歯痒く思った」
課長は苦しそうに顔を歪める。
「あの男と別れた原因が誤解だって分かって、もし莉奈が復縁を望んでるならそうした方がいいのかもしれないと思ったんだ。あの男が本気だっていうのも伝わった。でも──」
アイドルを見る時とも推しを見る時とも違う、焦がれるような熱を帯びた瞳が真っ直ぐに私を見据える。
「一緒に水族館に行った時みたいにペンギンを見てはしゃいだり、俺の名前を呼ぶ時ちょっと照れくさそうにしてたり、美味しい手料理を振る舞ってくれたり、ライブに楽しそうに付き合ってくれたり、見守るような優しい笑顔を浮かべてたり……そういう姿をあの男にも見せるのかと思うと我慢が出来なかった。ドームまで行ったけど、やっぱり莉奈の事が気になって気になって。気付いたら引き返してた。それから全力で走ってここに来たんだ」
力強く引き寄せられ、ぐらりと体が傾く。その瞬間甘いムスクの香りがふわりと広がり、あっという間に課長の胸の中におさまっていた。
「な、なっ」
「……好きだ」
課長の低い声が耳元で響く。まるで魔法にかかったみたいに動けなくなった。
「俺の趣味を受け入れてくれるところも、仕事熱心で努力を怠らないところも、弟想いの優しいところも、あんまりセンスのよくないプレゼントのボールペンを大事に使ってくれるところも、全部ぜんぶ好きだ」
私を抱きしめる手にぎゅっと力がこもった。
「お前の事を傷付けてしまうと思ってずっと自分の気持ちに気付かないふりしてたけど……もう無理だ。俺は莉奈が好きだ。一緒にいるうちにどんどん惹かれていった。傷付けないよう努力する。お前が嫌ならアイドル追いかけるのもやめる。だから、俺と本気で付き合ってほしい」
激しい心臓の音はどっちの音だろう。最早それすらも分からない。
「……私、諦めようとしてたんです。課長は恋をする気がないんだからって。私を好きになってくれることはないんだってずっと言い聞かせてて」
「…………」
「でも課長はいつも優しいし不意打ちで名前呼んだり思わせぶりな態度ばっかりとるし、そうだと思えばいきなり突き放すような態度とるし。どれだけ悩んだと思ってるんですか!?」
「……悪かった」
私は自分を落ち着かせるように息を吐く。
「私、自慢じゃないけどアイドルヲタクの扱いに慣れてるんです」
「……ああ」
「だからちょっとやそっとの事じゃ傷付いたりしません。安心してヲタ活していいですよ。ていうか、そんなマント身に付けてピッカピカのサイリウムなんて振り回してる湊士さんのこと、受け入れられるのは私くらいしかいないと思うんですよね」
「……それは、つまり?」
「私も好きです湊士さん」
告げた瞬間、周りからワッと歓声が上がった。
……そこでようやく気が付いた。ここが時計台の下、つまり駅近くの街のど真ん中だということに。
な、な、なんという事だ! 人生最大と言っても過言ではないほどの羞恥心が襲ってくる。リトマス試験紙のように顔を赤と青に変えながら慌てて離れようとするが、そうはさせまいと抱きしめる力が強くなった。
「ちょっ!?」
「いいじゃないか。みんなこのマントのおかげで動画か何かの撮影だと思ってるみたいだから」
……そんなバカな。でも確かにこのマントはコスプレ感がある。動画共有サイトに投稿するための動画撮影だと思われても仕方ないのかもしれない。……私の気持ちとしては複雑だけど。湊士さんは楽しそうに笑って手を振りだした。どうやら吹っ切れたらしい。
でもまぁ、いっか。
周りから送られるたくさんの拍手を聞きながら、私は湊士さんの広い背中にそっと手を回した。




