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♪せっかくライバル減ったのに!(ハイ!)
もう違う子に狙われるなんて(バキュンバキューン!)
一難去ってまた一難!(一難去ってぇ、また一難!)
でも負けないわ!
あなたの事は私が一番好きだから(オレもー!)
一週間後に迫ったリトプリのドームライブのため、史裕は帰ってくるなりコールの練習をし始める。部屋から漏れ聞こえる声には熱がこもっていて、彼の本気度を表しているようだった。ただでさえ暑い日が続いてるのに弟のせいでさらに気温が上がっているんじゃないだろうか。この地球に厳しい非エコヲタクめ。その情熱の十分の一でいいから勉強の方に注いでくれれば……。そうすれば毎回赤点かギリギリかの恐怖と戦わなくて済むのに。
今日も流れてくるリトプリの曲と全力のコールを聞きながら、私は大きな溜息をついた。
課長とはあれからなんだかギクシャクしてしまって、事務的な話以外では口を聞いていない。
少し前まではこれくらいの距離が当たり前だったのにそれを寂しいと感じてしまうようになるとは……。私の心は随分欲張りになってしまったようだ。
ピコン、と鳴ったスマホの通知音がぼんやりとしていた私を現実世界に呼び戻す。
市川翔という名前が表示されたアイコン。私はそれを不思議な気持ちで見つめる。〝もう一回付き合ってほしい〟と言われた日から、こまめに連絡がくるようになったのだ。まさか自分のスマホに再びアイツの名前が登録されるなんて……今でも信じられない。
あの頃──私と別れたあと、市川はハッキリと従姉妹の事を振ったらしい。ご丁寧に市川本人から経緯を説明された。正直、断れたなら最初からそうしろよと思わないでもないけれど、きっと色々な事情があったのだろう。
「言いたいことがあるんだよ! やっぱりまりん可愛いよ! 好き好き大好きやっぱ好き! やっと見つけたお姫様! 俺が生まれてきた理由! それはまりんに出会うため! 俺と一緒に人生歩もう! 世界で一番愛してる! ア・イ・シ・テ・ル!!!!」
隣から聞こえるガチ恋口上と呼ばれるコールをBGMに、私は画面をタップして返事を打った。
♩
「あ」
定時を一時間ほど過ぎた頃。退社するためにエレベーターに乗り込んだ私は、先に乗っていた人物の顔を見て思わず声を上げた。細いストライプの入った濃紺のスーツがよく似合ってるその人は、切れ長の目を見開いて固まっている。
「……お疲れさまです、青柳課長」
「ああ、お疲れ」
ぎこちない挨拶を交わすと、私は一人分の距離を開けて隣に立った。
「一階でいいか?」
「あ、はい。お願いします」
丸いボタンを押すと、扉は静かに閉まっていった。
課長と退社時間が被るなんて今までなかったのに。しかもエレベーターという狭い空間に二人きりなんて……実に気まずい。
下へと向かう小さな機械音を聞きながら、私はおもいきって口を開いた。
「リトプリのドーム公演もうすぐですね」
「ああ」
「二十四日でしたっけ? 史裕なんて毎日コールの練習してますよ」
「ああ」
いつもなら食いついて来るリトプリの話題を振ってみても、にべもない返事しか返ってこない。チラリと隣を伺うと、私を見ていた課長と目が合った。課長は何か言いたげに口を動かすが、すぐに閉ざされてしまった。
ポーンと小気味良い到着音がして、扉がゆっくりと開く。そのままエントランスを抜けると「莉奈!」と私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「い、市川!?」
振り向くと、エントランスの外で待っていたらしい市川の姿があった。彼は人当たりの良い笑顔を浮かべて近付いてくる。
「なんでいるの!?」
「ん? いや、この近くで仕事あったから。暇ならご飯に誘おうと思って」
「……だったら連絡くれれば良かったじゃん」
「連絡したけど返事来なかったから。直接来てみた」
「えっ、嘘!?」
慌ててスマホを確認すると、確かに市川からのメッセージが届いていた。
「ご、ごめん! スマホ見てなかった」
「いいよ。俺も勝手に来てごめん」
市川は苦笑いを浮かべながら言った。
「で? 今から行ける?」
「……ちょっと待て」
私たちの間に入ってきたのは青柳課長だった。市川の事をギロリと睨み付けている。その視線を受けた市川はわざとらしく大きな溜息をついて口を開いた。
「またあなたですか、青柳さん」
課長は市川を睨み付けたままだ。
「申し訳ないんですけど、俺今莉奈のこと口説いてる真っ最中なんですよ。だから邪魔しないでもらえません?」
「ちょっ!?」
周りにうちの社員もいるっていうのに何とんでもないこと大声で言ってるんだこの男は!! ていうか今そんなこと課長に言う必要ある!? それと、私を挟んでやり取りするのはやめて欲しい。居心地が悪すぎる。
「……邪魔はどっちだか。過去の自分の行動が恥ずかしくないのか? 少しは彼女の気持ちを考えて行動しろ」
「っ……!」
「もう自分勝手に彼女を振り回すな」
「その点については反省してます。でも部外者──彼氏でもないあなたに言われたくないですね」
「俺はっ…………!」
「言っておきますけど俺、本気なんで」
一触即発。
心なしか、流れる空気がピリピリしている。……これはもしや世に言う『私のために争わないで』状態なのだろうか。二人の男が自分を奪い合って仲違いするという、少女漫画や恋愛ドラマでは定番のシチュエーション。……いや、そんな都市伝説が目の前で起こるはずがない。
「莉奈」
市川は私を見ながら言った。
「……七月二十四日の午後六時。駅前の時計台の下で待ってる」
「え?」
「急がないって言ってたけどやっぱやめた。その時、返事くれ」
思いのほか真面目な顔をしている市川に反応することが出来なかった。頷くことも首を振ることも出来ず、ただその場に立ち尽くす。
どうしよう。どうすればいい? 返事っていうのはつまりこないだの事……だよね? まだ頭も心も整理がついてないのに。私は市川に何を言えばいいのだろう。
市川も課長も私に何か言っていたが、それが私の耳に入る事はなかった。
──気がつくと、私は一人その場に立ち尽くしていた。むわっとした蒸し暑い空気が体中にまとわりついて、不快感を煽る。
こうしていても仕方ない。私は家に帰るため歩き出した。心の中は迷子の子供のようにさまようばかりである。




