2
♪
課長から電話があった、翌日のことだ。給湯室で何を飲もうか迷っていた私の元に、慌てて駆け寄ってきた先輩が興奮したように言う。
「佐伯さん!! ちょっと聞いたんだけどこないだのイベントに来てたあのカメラマン! 市川さんだっけ?」
「ああ、はい」
朝から嫌な名前を耳にしたものだと内心で思っていると、先輩はとんでもない爆弾を落とした。
「あの人と大学時代付き合ってたんだって!?」
「……は?」
いまいち状況が読み込めない。……市川と? は? 私が付き合っ…………はあああああああ!? な、なんでそれを先輩が知ってるわけ!? 聞いたって一体誰に!?
脳内でぽんぽんと湧き上がる私の疑問に答えるかのように、先輩はぺらぺらと喋り出す。
「打ち上げの時本人が言ってたのよ! もうわたしたちびっくりしちゃって!」
びっくりしたのはこっちである。あんのクソ野郎、人の職場の人間に何勝手なこと話してくれちゃってんの!? プライバシーの侵害だ!
さっきまでは打ち上げに行かなかった自分の判断を正しいと思ってたけど、今になって後悔した。
いや、でもまさかこんな事になるなんて思ってもみなかったし。先輩の口振りだと、おそらく参加したメンバーのほとんどに知られてしまっているのだろう。……嘘でしょ? ありえない。ほんっと、何やってんのよアイツ。ていうか、私と付き合ってたことバラして何の意味があるわけ? イライラが順調に溜まっていく。
「なんで言ってくれなかったの? 言ってくれたらこっちも色々気を遣ったのに!」
「ははは」
もはや乾いた笑い声を上げるしかない。気を遣うって何に? ていうか、本当に私を気遣う気持ちがあるなら放っておいてほしい。
「市川さんって良い人だよね! カッコいいし話も面白いし優しいし! 復縁する気とかないの?」
「そんな気はまったくないですね」
「え〜、本当に?」
「本当です」
「でも、向こうはそんな気あるんじゃないかなぁ? だってわたし佐伯さんのこと色々聞かれたよ?」
ありえない。私は苛立ちそのままにグッと顔をしかめる。先輩は興味津々と言ったように私の反応を窺っていた。これ面白がってるだけでしょ、絶対。
「あの……そろそろ仕事始めないと間に合わなくなるので失礼します」
「あっ、ごめんごめんちょっと待って! 呼び止めたのは仕事の話なの! 危なく本題忘れるとこだった!」
先輩は慌てて話し出す。……なんだ。ただの冷やかしじゃなかったのか。向きを変えようとしていた体を元に戻すと、先輩と顔を合わせる。
「ええと、あのイベントでたくさん写真撮ったでしょ? メイク完成後の個人写真とか、最後の記念撮影とか」
「……ええ」
「その写真が出来上がったって担当者から連絡が来たのよ」
「あ、そうなんですね」
どうやら本当に仕事の話だったらしい。写真が届いたらそれを同封した手紙を参加者に送る事になっているから、先輩はそれを知らせに来たのだろう。……まぁ、その担当者が市川っていうのは引っ掛かるけど。
私が訝しんでいると、先輩はにやりと笑って爆弾第二号を投下した。
「それでね、今日写真を届けに担当の方が来るらしいんだけど、受け取りを佐伯さんにお願いしたいの!!」
「は?」
「青柳課長も急な出張が入っていないし、わたしたちも別件の打ち合わせがあるから。申し訳ないけど一人で対応してね!」
「は?」
「ふふっ。っていうのは建前で、実は向こうからお願いされちゃったの。ご指名されたら断れないじゃない? じゃ、午後イチで来るみたいだからよろしくね!」
先輩はニヤケ顔でそれだけ言い残すと、意気揚々と自分のデスクに戻って行った。……さ、最悪だ。何がご指名だよこんなの完全に嫌がらせじゃないかあのクソ野郎!!
市川に何を吹き込まれたのかは知らないけど、先輩も協力する気満々みたいだし。いや、あれはやっぱりただ面白がってるだけですよねそうですよねああそうですかそうですか! ていうかうちの会社に直接届けに来るとかおかしくない? 時間の無駄だし郵送……いや、データで良くない!? プリントならこっちでも出来るし! 技術だとかこだわりだとかがあるのかもしれないけどさ! どうやらまんまとアイツに嵌められたようで非常に腹立たしい。
よし、会ったら一発ぶん殴ろう。
取り残された給湯室で、私は胸の前で握った右手を左手のてのひらに数回打ち付ける。パンパンと小気味良い音が鳴った。




