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「はぁ? あのクソ野郎がカメラマンになっててイベントで一緒に仕事? しかも連絡先を教えろだぁ? アイツ頭おっかしいんじゃないの!?」
由梨子は叫びながら生ビールの入ったジョッキをドン! とテーブルに置いた。
「どの面下げて莉奈に話しかけてるわけ!? 信じらんない。神経腐ってんじゃないの!?」
行きつけの居酒屋の片隅で、私は由梨子に今日の出来事を話す。当時の市川との色々な出来事はもちろん由梨子も知っているので、話を聞いた彼女は怒りを爆発させていた。
「……だよね。私もそう思う」
「ほんっと。今さら何なのよあのクソ野郎!! 普通自分の浮気が原因で別れた元カノに連絡先なんて聞くぅ? 反省の欠片もないじゃん! 自分がしたこと忘れたの? は? 鳥頭なの? 三歩あるくと忘れるの?」
私以上に怒ってくれる由梨子の声を聞きながら、私もハイボールを口にした。
──市川翔とは大学一年の時、友達の紹介で知り合った。
何度か会っているうちに親しくなり、向こうからの告白で付き合うことになった。市川は見た目も性格もちょっとチャラけた感じだったけど、優しい人柄や自分の夢に向かってひたむきに勉強している姿に惹かれたのだ。自分でも単純だと思うけど、ギャップというやつに見事やられてしまったわけだ。
特に大きな喧嘩をする事もなく、二年の月日が流れた。二人で色んな所に出掛けたり、市川の住むアパートに行ってご飯を作ったり、交際は順調だったと思う。……まぁ、実際そう思っていたのは私だけだったんだけど。
とあるデートの日、待ち合わせ場所に立っていると電話がかかってきた。それは待ち人市川からのもので、聞けば母親が入院したらしく、病院に向かうから今日のデートには行けないと慌ただしく告げられた。驚いた私はこっちの事は気にしなくていいから、早くお母さんの所に行ってほしいとだけ伝える。彼の実家は県を跨いだ隣の市にあるので、移動にそこまで時間はかからないだろう。
ごめんな、また後で連絡するからと言われ電話を切ると、心配そうに眉尻を下げた自分の顔が真っ黒い画面に映った。……お母さん、大事ないといいな。
予定がなくなった私はせっかくここまで来たし、買い物でもしてから帰ろうとお店を見てまわった。途中で立ち寄った花屋で市川のお母さんにお見舞いの花でも買ってみようか、でも迷惑かもしれないから市川に相談してから決めようか、なんて悩んだりしているうちにあっという間に時間は過ぎた。
まだ市川からの連絡は来てないので、たぶん色々と忙しいのだろう。今日は実家に泊まるのだろうか。もしこっちに帰ってくるならお腹を空かせて帰ってくるだろう。市川家の空っぽの冷蔵庫を思い出して、私は苦笑いを浮かべる。まぁ、夕飯ぐらいは作っておいてやるか。今日帰って来なくてもタッパーに詰めて冷蔵庫に入れておけば日持ちするし。そう思った私はスーパーで食料を買ってさっそく市川の住むアパートに向かった。
……それが私の運の尽き。
だって、辿り着いたアパートの前で、彼氏である市川と見知らぬ女が抱き合っている所に遭遇したのだから。
その姿を見た瞬間、私はまったく動けなくなった。しっかりと背中にまわった腕や彼女の頭を優しく撫でている様子をただ見ている事しか出来ない。ドラマや漫画みたく怒鳴り込んでいくなんて、実際にはとてもじゃないけど出来なかった。
熱い抱擁が終わると、二人は手を繋いでアパートへと入って行く。ちなみにその手はしっかりと恋人繋ぎだった。
しばらく呆然とその場に立ち尽くしていた私だったが、ハッと我にかえった。……なに、今の。ていうかアイツ病院に行ったんじゃなかったの? お母さんが入院したって話は何だったの? 嘘だったの? 嘘ついて今の女とずっと浮気してたってこと? 今、市川と彼女が部屋の中で何をしてるかなんて想像したくもない。
私は持っていた合鍵を市川の部屋番号が書いてある郵便受けに文字通り投げ入れると、走るようにその場を立ち去った。
当日はショックで呆然としているだけだっが、悲しみという感情は後からくるものらしく、あの光景を見た数日後に突然涙が出てきた。好きだった気持ちや裏切られた悲しみ、悔しさがぐるぐると回って涙と一緒に落ちていく。
頭と心の整理をした数日後、市川本人に先日見た事を話して別れを告げると、市川は「違う! あれは違う! 誤解だ!」とそればかりを繰り返した。挙げ句の果てには「確かに部屋にはあげたけど……でも何もなかった! 信じてくれ!」という戯言まで吐いた。その言動に私は呆れ果て「親が入院したなんて最低な嘘ついて? デートドタキャンして他の女と会って? 抱き合ったあと仲睦まじく部屋に入っていったくせに何もなかった? そんなの信じられるわけないでしょ!? もう別れるから! さようなら!」と半ば叫ぶように言って連絡を絶った。
それから市川は何度も会いに来たり連絡を取ろうとしていたみたいだけど、連絡先はブロック削除済みだし、会いたくないという私の気持ちを汲んでくれた友達の協力もあって上手く避け続けた。そのうち風の噂で海外に留学したと聞き、もう会う事はないと思っていた。
──ああ、嫌な事を思い出してしまった。
苦虫を噛みつぶしたような顔で一点を見つめていると、再びドン! とジョッキを叩き置く音が聞こえた。
「とにかく!! あんなクズ男、仕事上は仕方ないとしてもプライベートで話しかけてきたら無視よ無視!」
「うん」
「なんなら青柳課長に守ってもらいなさい!」
「……は?」
突然出てきた課長の名前に驚きを隠せず、動揺してしまう。
「な、なんで青柳課長なの?」
「とぼけちゃって〜! 噂になってるよ。デートしたんだって? あのイケメンと付き合ってんの? てかなんでその話あたしにしてくれないのよ水くさい!」
うわ、もう他の部署にまで噂が回ってるとは。恐るべし女子の情報網。
「あ、あれは違うの。デートも誤解で、あの時課長とはたまたま会っただけで」
「ふ〜ん?」
由梨子は意味ありげに口角をつりあげる。
「で? ホントはどうなの? 付き合ってんの?」
「だから違うって!」
「え〜? つまんない。じゃあさ、莉奈は青柳課長のことどう思ってんの?」
「どうって言われても……」
そう言われ、私は少し考える。青柳課長は誰もが認めるイケメンで、優しくて、仕事も出来る憧れの存在だ。でも実は重度のアイドルヲタクっていうギャップがあって、推しが関係すると暴走しちゃうところもあって。一見クールに見えて情熱的で。けど、そこが結構可愛かったりする。相手の気持ちを考えて行動出来るしっかりとした人だけど、自分が傷付いちゃうくらい優しい不器用な人でもある。私はそんな青柳課長のことを……。
「好きなんじゃないの?」
由梨子の言葉にハッと顔を上げる。……私が、青柳課長を……好き?
「青柳課長だって莉奈に気があると思うんだけど。二人が付き合ってるかもって噂が出たの、実はデート現場目撃情報の前からあったんだよ? なんか仲良く話してるのよく見るって」
それは私がたまたま彼の秘密を知ってしまったから。ただそれだけで──……もし秘密を知ったのが私じゃなかったら課長はどうしてたんだろう。私だから頼んだなんて言ってたけど、あの課長のことだ。上手く言いくるめて今の私みたいに恋人の振りを頼んだり、デートに行ったりしたのかもしれない。モテるし。
私の胸がチクリと痛んだ。
「ねぇどうなの? ねぇねぇどうなの?」
「…………うるさい」
「ここまできたんだからハッキリ言いなよ〜!」
私は逃げるように残ったお酒を飲み干した。……もう。今まで必死に気付かない振りしてたのに。なんてこと聞いてくれたんだ由梨子め。




