5
……それから数十分。
なんと会話は一切ない。ええ……嘘でしょ。なにこれ逆に怖いんですけど。なんだか裁判官から判決を言い渡される直前の被告人のような気分だ。あまりの気まずい空気に、酸欠状態が今にも限界を迎えそうである。
「ねぇ、莉奈さん」
「はいいい!?」
厚めのベーコンを切りながら景子さんが唐突に言った。
「今から色々聞いてもいいかしら?」
き、きた!! ついにこの時がやってきた! 質問責めという名の拷問タイムが!! 私は緊張でカラカラになった口をなんとか開いて声を出す。
「ええ。どうぞ」
トントンとリズム良く動く景子さんの手は止まらない。
「二人は同じ会社で働いてるって言ってたけど、知り合ったのはそこ?」
「あ、はい。同じ課で働いてます。私は湊士さんの……青柳課長の直属の部下なんです」
「まぁ、そうなの」
「入った時から憧れの存在で私には手が届かない人だなぁって諦めてたんですけど、ダメ元で告白したら良いお返事が貰えて……人生何が起こるかわからないですね」
おお、中々順調な受け答えじゃない? 冷や汗だらっだらだけど! 背中びっしゃびしゃだけど!
「湊士の趣味はどうやって知ったの? あの子がそう簡単にボロを出すとは思えないんだけど」
「ああ、それはアイドルのライブ会場で偶然会ったんです」
「ライブ会場で……? もしかしてあなたもアイドルが好きなの?」
「いえ、私の弟が大のアイドル好きで。弟に頼まれてLittle Princessっていうグループのライブに付き添いで行ったんです。そしたらそこで彼女たちを応援する湊士さんに会って……趣味の事はそれで知りました」
「ふーん、なるほどね。だからさっき弟がどうのとか言ってたのね。通りでアレの対応に慣れてるわけだ」
納得したように頷いて、景子さんは続ける。
「でも、湊士がドルヲタだって知ってイメージ大崩壊したんじゃない? 憧れの人が踊り狂ってるとこ見たんでしょ?」
「そりゃあもちろん驚きましたよ!!」
「でしょ? 気持ち悪いとは思わなかった?」
「気持ち悪いとかは……思いませんでしたね。むしろ動きが綺麗でちょっと感動しました」
「ええ……湊士のあの姿見たら普通は一発で引くわよ? あなたも珍味好きなのねぇ」
「ははは」
景子さんはことりと持っていた包丁を置いた。
「……ねぇ莉奈さん、知ってる? あたしこないだね、あの子にお見合いさせようと思って連絡したの。いい歳こいた大人が若いアイドルの尻追っかけまわしてるなんて、さすがに危ないって思ったから」
「……お聞きしました」
「そしたらあの子、急に彼女がいるって言い出すじゃない? あの生粋のアイドルオタクがよ? 画面の向こうの手の届かない美少女にしか興味がないあの子がよ? 現実世界で彼女がいるって言ったのよ? 天変地異でも起きたんじゃないのってぐらいびっくりして。で、まず真っ先に疑ったわよね。コイツ、お見合いしたくないから嘘ついてるんじゃないの? って」
私はヒュッと息を呑んだ。バ、バレてますよ湊士さん!! あなたの考えはお母様にまるっとつるっと筒抜けでしたよ湊士さん!!
「だからこうやって押しかけて来たんだけど……それは杞憂だったかしらね」
ぽつりと呟いた景子さんは顔を上げると、真っ直ぐに私の目を見て言った。
「莉奈さんはあの子のどこを好きになったの?」
「え?」
「ほら、あの子顔だけはいいから。女の人にモテるでしょ?」
「そうですね。社内でも一、二を争うモテ男です」
「はぁ〜。そうなのよねぇ……外面がいいから昔から女の子にはモテるのよ。でもほら、中身が残念すぎるじゃない? 普段はうまく隠してるけど中身が残念すぎるじゃない? 無神経なこと結構言うし。趣味に没頭しすぎて周りが見えなくなるし。ボロが出たら一発アウト。ここまでくると一種の詐欺だと思うのよね。オレオレ詐欺ならぬ顔だけ詐欺的な。顔はいいけど中身はポンコツなんだもの。まったく、一体誰に似たのやら」
景子さん、母親なのにさっきからずっと息子のこと酷評しすぎじゃない? 残念すぎるとか詐欺師呼ばわりとか。もちろん愛情の裏返しなんだろうけど。
「今までの女の子はね、あの子の趣味を知ったらドン引きして離れていったの。でも、あなたは違った。だからね、莉奈さんはあの子のどこを好きになったのかすごく気になって」
私は静かに湊士さんの姿を思い浮かべる。ビジネススーツを着こなし、オフィスで効率良く仕事をこなす湊士さん。黒いマントに青いサイリウムをかざし、アイドルにこれでもかと情熱を注ぐ湊士さん。子どもみたいに笑った顔、凛とした表情、時折見せる優しさ。
私はゆっくりと口を開いた。
「普段の彼は何事にも冷静で、常に周りに気を配っていて、仕事も卒なくこなすし女性の扱いも慣れていて紳士的だし、本当に理想の人なんです。もちろん私も最初はそこに惹かれました。だけど、なんていうんですかね。上手く言えないんですけど……私は、アイドルが大好きだっていう素の湊士さんが知れて良かったと思っています」
「本当に? ドン引きのアイドルオタクよ? ロリコン疑惑まであるのよ?」
「そりゃあ……何回も言いますけど、もちろん最初は驚きましたよ? だってあんなイケメンがサイリウム振り回して狂喜乱舞ですもん。呪文みたいなわけわかんないこと叫んで狂喜乱舞ですもん。何してるんだろうこの人っていう衝撃は凄まじかったです。しかも無駄にキレッキレダンスでめっちゃうまいし、周りと揃ってて綺麗だし。とんでもないこと知っちゃったなって動揺しました。……でも、」
私はクスリと笑って肩をすくめる。
「アイドルの話をしてる時の湊士さんってとっても楽しそうなんです。キラキラした目で、子供みたいに笑ってて。確かに普段とのギャップは激しいんですけど、どっちの彼も個性があってとても魅力的だと思います。あんなに何かに熱中できるって、言い方を変えれば一途じゃないですか」
「……推しの子は変わってるけどね」
「ははっ、確かに。でも、アイドル好きっていう枠は何十年も変わってないみたいですし、やっぱり一途だと思うんですよね」
「まぁ……百万歩譲ってそうかもしれないわ」
「湊士さんのああいう顔は私しか見れないんだろうなぁって思うと、なんだか嬉しくなるんですよ。まぁ、彼をここまで変えてしまうアイドルっていう存在に嫉妬する気持ちは分からなくもないですけど。でも、アイドルの子に本気で恋してるわけじゃないって分かってますから」
「そうなのよ。あの子、本当は結構感情表現豊かなのよ」
「ですよね。意外と悪戯好きで子供っぽい所もあったり、時折見せる優しい顔だったり楽しそうな笑顔だったり。私、仮面を付けて仕事してるカッコいい湊士さんより、ありのままの湊士さんの方が好きだなぁって思うんです」
…………ん?
そこで私は違和感に気付く。え、あ、れ? 私、今……なんて言った?
ナチュラルすぎるほどナチュラルに出てきた「好き」という言葉に、私の顔面はボンっと音が出そうなほどに赤く染まった。いや、違う! 今のは違う断じて違う! 異性としての好きじゃなくて人間としての好き! そう! 人として!!
「あなた……本当に息子のことよく見てくれてるのね」
「え?」
私を見るその瞳は、息子を想う母の気持ちそのもののような優しい色をしていた。私たちをあたたかく包みこんでくれるような、陽だまりの色。
「あの子、昔の彼女にアイドル好きっていう趣味のことで色々言われてね。中には理解してくれた子もいたみたいだけど、やっぱりダメだったみたいで。ほら、彼女としてはどうしても自分を一番に見てほしいじゃない? 最初は受け入れたつもりでも、側にいるうちに耐えられなくなる」
確かに、好きな人に自分を一番に見てほしいというその気持ちは分かる。例え相手がアイドルだろうと、嫉妬してしまう女性は多いだろう。ましてやあの熱量だし。
「それから湊士は相手のことを傷付けてしまったって後悔ばかり。別れる時に色々言われてあの子も傷付いてるっていうのにね。それ以来彼女も作らなくなっちゃったみたいで心配してたの。でも、あなたとならいい関係が築けそうで安心したわ。……莉奈さん」
「はい」
「今まで嫌な態度取ってごめんなさいね。ましてやあなたを試すようにこんなことさせて」
そう言って景子さんはぺこりと頭を下げた。
「い、いえ!! そんなことは全然ないです! か、顔を上げてくださいお母さん!」
私はその姿に慌てふためく。
「ふふっ、あなたと二人で話せて良かったわ」
交戦的な態度から一変、優しくて明るい態度になった景子さんは私にこっそり耳打ちをする。
「見てよアレ。さっきからウロウロして落ち着かないみたいなの。よっぽどあなたが心配なのね」
景子さんの指の先に目をやると、録画したリトプリを見に行ったはずの湊士さんの背中がチラリと見えた。どうやら私たちの様子を気にしていたらしい。
「あの子も待ってるみたいだし、早く作ってしまいましょ!」
気合を入れ、景子さんは勢い良く卵を割り入れた。




