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ぐつぐつと沸騰を始めた鍋を死んだ魚のような目でじぃーっと見つめる。IHで炎は出ていないはずなのに、地獄の業火のような真っ赤な炎が燃えているように見えるのはどうしてだろう。
「…………」
「…………」
き、気まずい。え、何これここ酸素ある? 富士山の頂上より酸素薄いんじゃないの? ていうかこんなに張り詰めた空気の中で料理したことなんて今までの人生であっただろうか。いや、ない。ねぇちょっと待って。ホントにちょっと待って。どうしてこうなった。え、なにこれ。何で私青柳課長の家のキッチンで青柳課長のお母様と肩を並べて料理してんの? え? まさかいきなり姑の嫁テスト? 結婚してもいないのに? それ以前に付き合ってすらもいないのに? なにそれ死ねる。完成した料理見てこんなゴミをうちの息子に食べさせるなんて万死に値するとか言われるのかな? なにそれ死ねる。
料理の材料を買った私たちは、景子さんの言う通りそのまま湊士さんのマンションへ向かった。湊士さんは持っていた荷物をテーブルに置くと、料理の準備を始める私たちに向かって笑顔で言った。
「莉奈、母さん。 せっかくだし俺も何か手伝うよ」
「その必要はないわ。ご飯が出来るまであんたはテレビでも見て待ってなさい。あたしは莉奈さんと色々話がしたいから」
「その話に俺は混ぜてくれないわけ?」
「あんたが食いついてくるなんて珍しいわね。なぁに? あたしが莉奈さんと二人でいると何か不都合でもあるのかしら?」
「そうじゃなくて……ほら、莉奈だって母さんと二人きりじゃ緊張するだろうし」
「あら、だからこそ仲を深めようとしてるんじゃない」
「……莉奈をいじめるかもしれないだろ」
「心外ね。あたしが嫁をいびる醜い姑クソババアだとでも言いたいの?」
「……そこまでは言ってない」
おお、さすが母は強し。あの課長が言いくるめられている。しかもしかめっ面の不服顔まで見せている。なかなかレアな姿である。。空気もなんとなくピリピリしている。って……他人事みたいに言ってたけどこの状況ヤバくない? ただでさえ大変なことになってるのに親子ゲンカなんて始められたら私の身が持たない。精神的にも、肉体的にも。……こうなったら仕方ない。私が腹をくくろうじゃないか。いけ、私!
「湊士さん、私なら大丈夫ですよ」
「……莉奈?」
驚いたように目を見開いた湊士さんに、私は笑顔で言った。
「だからほら、いつもみたいにリビングで灰音姫でも見てて下さい!」
「でも、」
困り顔の湊士さんに向かって、私は切り札とも言えるワードを告げる。
「金曜のMスタ、録画してあるんでしょう?」
その言葉に、湊士さんはキラキラと瞳を輝かせながら早口で答えた。
「当たり前だ! もう百回は見たぞ!! トークの時の司会者とのやり取りも完璧に再現出来る! なんなら今ここでやってやろうか!?」
「遠慮しときます」
「そうか……まぁいい。お前の分もあとでちゃんとダビングしてやるからな!」
「いや弟が録画してるんでいらないです」
「バッッッカ野郎!! DVDはなぁ、保存用と観賞用と布教用と予備、何枚あったっていいだろうが!!」
「え、そんなに必要あります?」
「何が起こるか分からないから予備は大事だぞ! データの消失、不慮の事故による破損・紛失エトセトラ! だからお前にもちゃんと渡しておいてやる!」
「だからうちにもあるからいいですって。しかも裕史が馬鹿の一つ覚えみたいに何回もリピートしてて困ってるんですから」
「それが正しい鑑賞の仕方だ!! さすが弟くん、良い騎士精神だ!! 莉奈も弟くんを見習うように!」
「嫌ですよ」
「よし、そんなお前には自作の特製パッケージ付きでDVDをプレゼントだ!!」
「いやだから……あーもういいや。ハイハイわかりました。あとで貰いますからとりあえず出て行ってくれます?」
「本当だな!? 最低でも三枚は渡すからな!? 今までの出演したローカル番組の録画も入れてやるからな!?」
「あ、それは史裕が喜びます。本気で」
「はははそうだろうそうだろう!! そうと決まれば早速準備だな!! 待ってろ!」
湊士さんはルンルンとスキップでもしそうな勢いでリビングへと戻って行った。……ふぅ。嵐が去った。私は安堵のため息をついた。
気合いを入れ直して振り返ると、景子さんが意外そうな顔でこちらを見ていた。湊士さんのより大きい、けれどどこか似ているクールな印象の目が丸く見開かれている。……今の数分で私、何かやらかしただろうか。と不安になっていると呟くように言った。
「……随分と仲が良いのね。あなたたち」
「そ、そうでしょうか?」
「ええ。湊士が女性の前で趣味を語ってるところなんて今まで見たことなかったもの。しかもあんなに楽しそうに」
ふ、と表情を緩めた景子さんはテキパキと料理の準備を始めた。袋から買ってきた卵やネギを取り出しながら「莉奈さんはスープをお願いね」と言われたので、私はもう一つの鍋に水を入れ、慣れないIHのスイッチを押した。




