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部屋の案内が終わりリビングに戻ると、史裕が「まりん姫……リトプリ……ああ、尊い……!」と言いながら冗談じゃないくらいの勢いで号泣していたので、ここは迷わずドン引いた。
「ティッシュ、ここに置いとくぞ」
「ゔゔ……ありがどゔございばず。やっばリトプリ最高でじだ」
うん、我が弟ながらひどい有様だ。ぶぉーんという不快な音を響かせながら鼻をかむと、妙にスッキリした顔で「……泣いたら腹減った」と戯言をぬかす。
「そうだな。俺も腹が減った。何か食べるか?」
「えっ、いやいいですよ! これ以上ご迷惑をお掛けするわけにはいきませんから! ほら史裕、帰るよ!」
「嫌だ! 俺はもう少しこの金騎士様の夢の国で余韻に浸っていたい!! できれば飯を食いながら!!」
「高校生が小学生みたいなワガママ言わないでよ恥ずかしい!」
「ははっ。いいんだよ。お前たちが帰ったら俺一人になるし、誰か居てくれた方が賑やかでいい。ほら、ぼっち飯よりみんなで食べた方が美味いだろ?」
課長は嬉しそうに言った。史裕もここぞとばかりに「ほら! 金騎士様もこう言ってることだし!」と押してくる。
「でも、」
「冷蔵庫に何かあったかな? 卵と肉は買ってたはずだけど……それとも出前でも注文するか?」
課長にこれ以上の迷惑はかけられないと、私は慌てて口を開いた。
「あ、あの! ……もしよかったら私が作りましょうか?」
「えっ。莉奈って料理出来るのか?」
「あ、一応出来ますよ。簡単なものしか作れないですけど味は大丈夫ッス! それは弟の俺が保証します!」
何故か私の代わりに史裕が答える。ていうか二人とも失礼すぎない? いや事実だけど。炒飯とかカレーとか超簡単なものしか作れないのは事実だけど。言い方もうちょっと考えて。とりあえず史裕はあとでぶん殴る。
「材料がないので炒飯とスープぐらいしか出来ませんけど。それでよければ」
材料がないので、の部分を強調したのはなけなしのプライドである。そんな私の様子を気にも止めていない課長はぱっと顔を輝かせると「ぜひお願いするよ!」と言った。
「……キッチンお借りしますね」
とりあえず冷蔵庫から材料を取り出してテーブルに並べる。あまり使われてなさそうな調理器具を手に取り、鍋に火をかけた所で課長が隣にやってきた。
「無理を言って悪いな」
「いえ。弟が迷惑をかけたお詫びです」
「元はと言えば俺のせいでこんなことになってるんだ。むしろこっちがお詫びしなきゃならないのに……」
「ていうか、今からが本番なんですから気を抜かないでくださいよ。それに、よく考えたらちょうどいい機会じゃないですか」
「え?」
私はボウルに卵を割りながら言った。
「だって、付き合ってるのに彼女の手料理を食べたことないなんておかしいでしょ? もしお母様に追及されても困らないし、今食べてて損はないと思いますよ。私の手料理!」
どうだと言わんばかりに見上げると、一瞬虚をつかれたような顔をした課長はたちまち笑顔になって吹き出した。
「ははっ。じゃあお言葉に甘えてお願いするよ。よろしくな、彼女サン」
課長はポンと頭を撫でると、史裕が待つリビングへと戻って行った。
……くそう。仕返しは見事に失敗だ。私は赤くなった顔を誤魔化すように必死に卵をかき混ぜた。
♪
「美味い!!」
「でしょ? 味はまぁまぁイケるんッスよ、まぁまぁ」
自分が作ったわけでもないのに生意気な口を叩く史裕の頭を軽く小突きながら、私は熱々の炒飯をスプーンですくった。
目の前に置かれた高性能な最新型のテレビからは、統率の取れたダンスを披露するリトプリの五人がやけに高画質で映し出されていた。二人はこのライブ映像を見ながら「今の。まりん姫が首をちょっと傾げるところ。あざといんだけど可愛いよなぁ」「わかる。そのあと小雪姫と顔見合わせて笑うところがまたいいんだよ」「来週のMスタ楽しみだなぁ」「新曲を含むメドレー披露なんて神かよ。スタッフに感謝」なんていうヲタトークを繰り広げている。
……そんな会話を聞き流しながらただひたすらに自分で作った炒飯を咀嚼する私。え、何この状況。ぼっち飯ならぬオタク飯? これオタク飯って名付けていいよね?
結果、いつもの数倍早く食べ終わってしまった私はキッチンに向かい、調理器具の後片付けを始めた。ヲタトークの邪魔しちゃ悪いしね。
「片付けまでさせて悪いな」
食べ終わった食器を持ってきてくれた課長が、さっきと同じような口調で現れた。
「莉奈の言う通り、手作り料理は食べてて損はなさそうだ。すごく美味しくて他の料理も食べたくなったよ」
「炒飯なんかで大袈裟な」
「大袈裟なんかじゃない。料理も美味いし、気立てもいいし、うん。莉奈はいい嫁になりそうだ」
「……からかうのはやめて下さい」
整った顔はニヤニヤと歪んでいる。
「これ片付けたら帰りますね」
「帰りは俺が送って行くよ。立派な車じゃなくて申し訳ないが」
「えっ、課長って車持ってたんですか?」
「ああ。通勤には使ってないけど、一応な」
まぁ三十代だし、確かに持っててもおかしくない。じゃあ今日はあえて公共交通機関を使ったのかな。学生気分で楽しかったからいいけど。
食器の片付けを終え、史裕と玄関を出ると「下のエントランスで待っててくれ。車取ってくるから」と課長も一緒に外に出た。
言われた通り史裕と二人並んで待っていると、スマホがピコンと音を立てた。それは課長から到着を知らせるメッセージだった。
「着いたって」
「うぃー」
表に停まっていた青いセダンに私と史裕は乗り込む。……車も推しプリカラーの青とは。さすが金騎士はブレない。史裕は変に気を回したのかそれともからかい半分なのか、後部座席に座ろうとした私を無理やり助手席に詰め込んだ。史裕、やっぱり後でぶん殴る。車内はムスクのような甘い匂いに包まれていた。女性が好きそうな良い香りだ。
「二人ともシートベルト締めたか? 出るぞ?」
「あ、はい。大丈夫です」
「あの! ちょっと聞いていいッスか!」
溢れ出す好奇心を隠しきれないうきうきした口調で史裕は言った。
「なんだ?」
「ずっと気になってたんスけど、青柳さんって姉ちゃんとは本当の本当に付き合ってないんですか?」
「ふ、史裕!」
「だってやっぱ弟としてはそこんとこ気になんじゃん!!」
「だから付き合ってないって言ってるでしょ!! 青柳課長は上司なの!」
「え〜、怪しくね?」
「怪しくないって!」
私は後ろを向いて猛抗議する。しかし、史裕は矛先を変えて追及の手を緩めない。
「姉ちゃんはこう言ってますけど、実際のとこどうなんですか! 青柳さん!」
「ん?」
今まで我関せずと黙っていた課青柳長はバックミラーをチラリと見る。史裕の目は興味津々に輝いていた。ミラー越しに二人の目が合うと、課長は口角を上げてただ一言。
「秘密だ」
一拍の間のあと、史裕の絶叫。
「か、かっけええええええ!!」
……うん。確かに今のはカッコよかったよ。不敵に笑う口元も、挑発的な瞳も。
「もう出るぞ」
カーナビにうちの近くの住所を入力すると、車はゆっくり走り出した。車内には甘酸っぱい余韻のようなものが漂っている。
♪あなたと私の恋は
ロマンチックにはほど遠いみたい
……が、瞬間大音量で流れ始めたリトプリの曲で雰囲気が一気にぶち壊れた。
いや、雰囲気が壊れるとか壊れないとかそんなの別にいいけどね!! 全然そんなの気にしてないけどね!!
♪ だけど目が合った瞬間
胸がキュンッ♡と高鳴るの
「きゅんきゅんキューン!!」
「きゅんきゅんキューン!!」
楽しそうに史裕と二人で合いの手を入れながら運転する課長の横顔がなぜか見れなくて、私は大人しく窓の外ばかりに視線を向けていた。