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「最近張り切って仕事してるな」
「え? そうですか?」
「張り切ってるというか、生き生きしてる気がする」
「あー、同期の友達に触発されたからですかねぇ」
「同期の友人というと、うちの会社にいるのか?」
「はい。商品企画課にいるんですけど、Charmeの新作コスメに彼女のアイデアが採用されたらしくて」
「おお、凄いじゃないか。次の新作ってことは夏の商品か」
課長はスープを静かに飲んだ。
「はい! 私、彼女とは高校の時からずっと友達で。彼女は当時から自分の作ったコスメでメイクするのが夢だって言ってたんです。社会に出てからもメイクだけじゃなく流行りの色やファッション、ヘアスタイルにネイルを研究してて。常に情報収集を怠らず、その子がどうすれば一番輝けるのかを考えて仕事に取り組んでたのを知ってるから。だから、今回その努力が実って本当に嬉しくて」
「なるほどな」
「だから私も彼女に負けないくらい良い広告作って少しでも多くの人に手に取ってもらえるよう宣伝しなきゃって! 今回は一段と気合い入ってるんですよ。彼女の頑張りを無駄にしないためにも!」
「おーおー、それは頼もしいな。初々しいリクルートスーツの頃が懐かしいよ」
初々しいリクルートスーツといえば入社したての頃の話だろうか。やだ、黒歴史の宝庫じゃん。
「ピカピカの一年生の時の話だったらやめてくださいね。恥ずかしんで」
「ははっ。ピカピカの一年生どころかその前の話だよ」
「ええっ!?」
「莉奈のことはうちの部署に配属される前から……つーか、入社前から知ってたよ」
「はぁ!? なっ、なんで!?」
「俺、入社試験の面接官だったんだ。覚えてない?」
「か、課長が!? め、め、面接官!?」
衝撃の事実だった。あのカッチコチのダメダ面接を課長に見られていたなんて……! 穴があったら全力で飛び込みたい。
「やっぱり覚えてなかったか。ショックだなー」
「だ、だって! あの時はいっぱいいっぱいでもう何がなんだか……!」
「俺は覚えてたよ」
「……えっ?」
「莉奈のことはよく覚えてた」
課長の鋭い瞳に捕らえられドクンと胸が高鳴る。昔を思い出すように柔らかく目を細めると、ゆっくり唇が動いた。
「なんせ、昔推してたアイドルと同じ名前だったからな」
ト キ メ キ を 返 せ !
……まぁね、どうせそんなことだろうと思ってましたよ。ドルヲタだもの。歌って踊る液晶越しの可愛い女の子にしか興味ないんだもの。はぁ。この残念でポンコツなイケメンにほんの一瞬でも期待した私がバカでアホでしたね。……ていうかちょっと待って。期待ってなによ、何を期待してたのよ。なに胸ときめかせちゃってんのよしっかりしなさいよ私!
「懐かしいなぁ。りなりーを推してたのは高校生の頃だったか? あのグループは前触れもなく突然解散を発表したから、当時はかなりショックを受けたんだよ」
へぇ、当時の推しの子はりなりーって言うんだ。どこのグループに居た子だろう。私はちょっと知らないや。
「課長は、」
「名前」
仕事並の素早さで的確にツッコまれ、慌てて訂正を入れる。こうなっては名前呼びに照れている暇はない。
「……湊士さんはどうしてアイドル好きになったんです?」
私は気になっていたことを聞いてみた。
「んー……。きっかけはなんだったか忘れたけど、物心ついた頃にはテレビに噛り付いてたな。なんていうか、テレビの中の女の子たちはいつもキラキラ輝いてて楽しそうだったんだよ。どんな時でも笑顔で歌って踊ってて。それを見てるとこっちまで元気になれた。嫌なことがあっても辛いことがあっても頑張ろうと思えたんだ。彼女たちには沢山救われたよ」
そんな小さい頃から好きだったんだ。でも、好きになった理由はちょっと予想してなかった。可愛い子が好きだからとか、もっとそういう軽いノリかと思ってたのに。
「だからそんな彼女たちを応援して、少しでも恩返しがしたかったんだ」
湊士さんは小さく笑った。
「そういう経緯があったんだけど、今じゃ恩返しとか関係なく普通にハマってるっていうか……。例えばほら。グループだとさ、一人の歌に聞き惚れてると別の子のダンスが目に入って気になって、そしたらまた別の子のトークが面白くて興味がわいて、そうするとメンバーみんなの名前が知りたくなって、他にどんな歌を歌ってるのか検索して動画見て、いつの間にかグループ全体が好きになってて。そういう風にどんどんハマっていくんだよ。そのうちCDとかDVD買って、チケット買ってライブに行ってグッズ買ってペンライト振って。気付いた時には頭まですっぽりと沼にハマって抜け出せなくなってた」
それはさぞかし深い沼なんだろう。湊士さんを見て実感する。
「失礼ですけど、今まで彼女は?」
「何人かと付き合ったことはある。俺はガチ恋勢じゃないからな」
「ガチ恋勢?」
「アイドルの女の子に本気で恋してる人達のことだよ。俺は確かにアイドルが好きだけど、それはあくまでファンとしての好きなんだ」
なるほど。異性としての好きや友達としての好き、家族同士の好き、みたいなジャンル分けってことか。一つ勉強になった。無駄知識だけど。
「だから付き合った人はいるけど……すぐに別れた。みんな俺の趣味が理解出来ないみたいで。思ってたのと違っただの気持ち悪いだのと散々罵倒されたよ」
湊士さんは苦笑いを浮かべながら言った。
「中にはそれでも良いからと言ってくれた彼女もいたが、やっぱりダメだった。確かに俺はガチ恋勢じゃない。でも、俺は付き合ってたってどうしても彼女より推しの事を優先してしまうし、話す内容もほとんどがアイドルのことばかりだ。例え相手がアイドルとはいえ、自分の彼氏が他の女性を褒めてるのを聞き続けるのは気分が悪いだろう? 〝彼女なのにどうして私のこと見てくれないの? 本当は私のこと好きじゃないんでしょ〟って泣きながら言われてようやく気付いたよ」
何かを考えるようにフッと息を吐く。
「当時は分からなかったけど、どうやら俺は女性の気持ちに疎いみたいなんだ。だから知らないうちに傷付けてしまうことがよくある。……そんな無神経な男と一緒に居たって幸せになれない。〝私は私のことだけを好きでいてくれる人と一緒になりたいの〟そう言ってフラれるのは当然だ」
苦しそうな顔で笑う湊士さんに何て声をかけていいか分からなくて、私は口を閉ざした。
「だから俺はお見合いをしたくないし、女性と付き合う気もない。もう誰も傷付けたくないからな」
湊士さんは自分が女性を傷付けてきたって言ってるけど、湊士さんだって同じくらい、ううん。きっとそれ以上に傷付いて来たんじゃないだろうか。自分の好きなものを好きだって言ってるだけなのに。受け入れてもらえず罵倒されるなんて、傷付くに決まってる。
「そういう莉奈はどうなんだ?」
「え?」
「彼氏。いたんだろ?」
突然話を振られ、焦りながらも答えてしまった。
「わ、私は……大学の時に付き合ってた人がいましたけど、卒業前に別れました。それ以降はいないですね」
「そうなのか? どうして別れたのか聞いてもいいか?」
正直言ってあれは良い思い出ではない。だが、もうずいぶん前の話だ。時効だろう。
「当時付き合ってた彼氏に母親が入院したから病院に向かわなきゃならないってデートをドタキャンされたんです。でも、結局それは全部嘘で。その日アイツは他の女とおもいっきり浮気してました。それが原因で別れてそれっきりです。ま、そんな男とは別れて正解だったと思ってますけどね」
とは言うものの、やっぱり今思い出しても腹の立つ話である。浮気に時効はないのだ。
「それは……最低な男だな」
「でしょ? それに比べたらアイドル追っかけてた方が全然マシだと思いますよ、私は。ま、今は彼氏とかいらないし、別にいいんですけどね」
ジュルル、とストローでおもいっきり烏龍茶を啜ると、気分が少しだけスッキリした。
「彼氏がいらないだなんてもったいないな。莉奈は美人だし性格も良いから男が放っておかないだろうに」
「っ!」
ぽつりとこぼした湊士さんの言葉に危うく烏龍茶を吹き出すところだった。前回の二の舞になるところだった……危ない危ない。まったく! そういうことをサラッと言わないでよねこの天然人たらしが! ていうかそれ言ったらあなたの方がずっと勿体ないですから!!
湊士さんは私の動揺を気にもとめず、広げたパンフレットを読んでいる。
「もうすぐイルカのショーがあるらしいぞ。観に行くか?」
「あ、はい」
「じゃあ行こうか」
どうか、赤く染まった頬に気付きませんように。