第70話 汜水関前哨戦(中編)
曹操は黒装束の襲撃を受け、孫堅は自身と曹操軍を仲違いさせようとする敵の対処に追われている頃、さらに戦場は移って一刀たち補給係が駐屯する駅の跡地。
川から離れたこの場では朝靄も薄く、華雄はハッキリと見えだした陣容に思わず呟いた。
「どこが放棄された駅だ……あの怪しげな軍師の言った通り、無数の馬車が陣を構え外壁と成っているではないか」
ここに来るまでの間に哨戒部隊にでも捕捉されたのだろうか、銅鑼とも鐘ともつかぬ甲高い金属音が鳴り響かせては槍を持った兵に配置に付くよう急かしている。
簡易な柵程度しかない廃駅のはずが、今では方陣を組んだ馬車の小集団が駅を囲んでいる。それらの方陣の中心には反董卓連合に参加した諸侯の旗がそれぞれなびいており、馬車の荷台に弩を乗せて低く構えた兵が並び、隙間からは槍や戟が突き出されていた。
もしも華雄が正規の兵数を率いていたならば多少の損害を出しつつも防衛線を突破し補給処を蹂躙できていただろう。もしも帰りの心配が無い自軍の陣の隣であれば一撃を加えて撤退しても戦果が損害を上回っただろう。しかし、今は馬が倒れれば帰還は望めず後の作戦の失敗が約束される。
「弩と矢を運んでいるのは女? 従軍商人の娼婦か? だとしてもこの気合の入りようは……」
前線となる馬車方陣へ両手いっぱいに武器を持った女たちが駆けこみながら運んでいた。
「都の外の民は向こうを選んだか……これは敵うまい」
士気の高さを目の当たりにした華雄は退却の判断をした。激情の人、猪武者と評される彼女だが、指揮能力が低ければ腕っぷしだけで軍を任される訳がない。
兵たちを連れてきていた替え馬に載せ替えながら手早く安全な道の算段をつけると撤退を始めた。
「警戒を強めて進軍速度が遅くなればそれで良い、か。あの流れ者の軍師……徐栄の言うがまま動くしかないとは」
去って行く華雄の影が見えなくなるとその反対方向、反董卓連合本陣に向けて一刀が単騎で駆けて行った。
華雄の軍が偵察程度とはいえ連合側の勢力圏に侵入している時点で前線に何かあったに違いない、として援軍を求めるように酔琳と風から要請があったのだった。
最初は曹操軍から出向している酔琳とその手勢で伝令に行くと言ったが一刀がそれを却下した。
「それだと援軍を連れて来るまでの時間が惜しいし、戦闘になるなら現実として俺は必要無いだろ? 李梅たちは周囲の巡回、曹操軍の皆には追撃に見せかけて偵察してもらって、俺が本陣から援軍を連れて来るまでの間に休憩しててくれ。それに俺と董衣の長距離走は知ってるだろ。武装した騎兵なんかに遅れは取らないって」
慢心とも取れるが、これまでの経験に裏打ちされた自信だった。
そうして本陣へ向かって駆けて行く一刀。かつて洛陽で馬超に習ったモンキー乗りに似た伝令乗りは、確かに武装した騎兵の護衛がいたら足手まといにしかならない速度で進んだ。
「久し振りに全力で走れて楽しそうじゃないか!」
上機嫌で駆ける董衣の速度は衰えを見せずに本陣まで辿り着いた。
制服の上着を着て来たこと、そして一際大きな駿馬の牝馬に乗っていたため一刀本人だと確認が取れ、すぐに本営まで行くことができた。
「すぐに騎兵の援軍と後詰の歩兵を向かわせてください」
「良いのじゃ。七乃、すぐに動かせる軍はあるかの?」
袁術は何も考えていないかのような気軽さで援軍の許可を出した。しかし、張勲は浮かない顔で答えた。
「どこの軍もすぐに動かせるとは思います~。ですが、援軍に出した後はそのまま陽人の砦に駐屯するんですよね? そうなると物資の輸送が今まで以上に大変になりますけど~、兵を飢えさせる訳にはいきませんから、輸送係で現場を知る北郷さんに援軍の編成をお任せしては如何でしょう?」
「ふむ。名案じゃのう! 北郷殿の裁量にお任せしよう」
無邪気な袁術はともかく張勲からは司令部と前線指揮官の信頼に基づく委任、ではなく被害を過剰に報告して来た前線のために諸侯の兵を動員させて借りを作りたくないという考えが見えるようだった。
しかし、それを予想していた軍師の風は一刀に知恵を授けていた。
まずは残っている曹操軍に指令書を渡して精鋭の騎兵を用意させ、次に公孫賛の幕舎に行き白馬義従と星を援軍に出すよう求めよというのだ。
「風……程昱は目の前の脅威を冷静に評価する分別を持っています。その程昱が必要と言うのであれば援軍を出すべきです」
援軍を求める一刀の口上の後、公孫賛の隣に控えていた星が進言した。
「星の判断を信じよう。白馬義従を預ける」
公孫賛の判断は早く、他の諸侯ではこうも早く話は進まなかったであろう。星が公孫賛に仕官したことを知っていた風がその口添えがあると考えていたからこそと言えた。もっとも、風が公孫賛を頼ったのははそれだけではなく、匈奴相手に対騎兵戦闘の経験を積んだ公孫賛軍の戦力が欲しかったのが大きな理由だった。
一刀と星は揃って公孫賛の幕舎から退出すると
「久しいな、一刀。私も馬を求めて北に行ったんだが幽州で伯圭殿と出会ってな。有難いことに白龍という馬を譲ってもらったのだ。一戦終えたら馬の調練について話を聞かせてくれると助かる」
「もちろんだ。それと俺が居た廃駅に食料とか武器とか揃ってるから最低限の武装でいいから」
「中原と華北では馬上弓も少し違うのだが……その用意もしているのだろうな。うむ、速度重視で行くこととしよう」
そうして援軍の準備を終えた一刀は来た道を先導しながら戻った。
しかし、それなりの距離を進むということで援軍の騎兵たちは比較的軽装で統一されていたのだが、非武装の一刀と董衣の速度に合わせるのは流石に困難だったようだ。
(孫家だと騎兵は背中に背負った籠から捕鯨の要領で手槍を投げるらしいし、曹操軍の虎豹騎はサーベル状の刀を腰に差してる。白馬義従はそれに加えて短弓を持ちながら……色々持ってても董衣について来ようと速度を維持してるんだから、白い馬で揃えた見栄えだけじゃなくて練度も高い。公孫賛はかなりの軍を育て上げてるのか)
戦闘が控えていると考えられるので強行軍は控え、一定のペースを保ちながら一刀は先導した。
一方、廃駅から撤退した華雄たちは帰りがけに曹操の部隊に突撃を仕掛けていた。そうして勢いのまま中心部まで突き進み襲撃中の黒装束の一団を回収する作戦なのだろう。
直接戦っている者以外が天幕に放火したのか火の手が上がっており、延焼こそ少ないものの兵の動揺を誘うには十分な効果があったようで華雄は自分でも気味が悪いと感じるほど簡単に突撃に成功した。
「近衛の方々、撤収の時間にございます!」
陣の内側で火計を働いていた黒装束の兵たちに華雄が近衛と呼びかけると、彼らは華雄の隊が連れていた替え馬に飛び乗って突撃に合流した。そして中心部で曹操と夏侯惇、包囲している兵を相手に縦横無尽に戦う黒装束――近衛兵たちの解囲に向かう。
「天子の兵は我らと供に在り! 貴様ら朝敵は兵ではなく棺を引いて来るべし!」
華雄が曹操に向け大喝しながら躍り出る。朝敵と言われてしまえば、如何に訓練を受けた曹操軍の兵とて怯みが生じるのは仕方がないと言えよう。
その間に黒装束の近衛兵たちは騎乗を済ませ退却の準備が済んだ。
「いずれ戦場で雌雄を決さん! さらば!」
華雄は得物である金剛爆斧を一閃すると包囲の薄い面に突撃した。騎兵たちも彼女に続き、曹操軍の包囲は突破された。
今まで曹操軍の兵は皇帝の近衛兵という強敵に防戦一方だっただけに、突然の敵の撤退に復讐しようと駆け出す兵に曹操は命令を下した。
「追撃不要! まずは被害を確認しなさい! 無事な隊は投石器の建材を最優先に消火せよ!」
曹操の号令で周囲の混乱は沈静化し、外縁部で警戒に当たっている兵の他は事態の収集に動く。
「近衛か……天子の信頼を勝ち得たのね、董卓……」
次々に挙がる戦闘での死傷者や火計による物資の損失などの報告を受けながら曹操は呟いた。
曹操軍の包囲を突破した華雄隊は汜水関の方角に向かう途中で孫堅を発見した。
孫堅は曹操軍に受け入れられなかった後は周囲の警戒に努めており、散発的にやってくる孫堅軍を騙る華雄の別動隊を追い払った直後の事だった。そこに勢いに乗った華雄隊の突撃を受けてしまった。
江東の虎の異名に恥じない豪傑の孫堅であり、華雄の一撃をいなしたものの多勢に無勢の状況では後続の騎兵の追い打ちを全て捌ききることは敵わない。
孫堅は深手を負ったものの華雄は退却を優先したことと騎乗していた馬が狂乱して川の上流、つまり反董卓連合軍の勢力圏とは反対側へ逃げたためそれ以上の追撃は受けなかった。
「クソっ……! 疲労と出血で頭が回んねえ……若い頃はこんな傷、屁でも無かったってのによぉ……歳は取りたくねえな……」
なんとか馬を宥めて味方の居る方へ向かおうとするが、ついに体力の限界で落馬して気を失った。
忙しさにかまけて大分遅れてしまいました。疲れすぎて一周回ってハイになってきましたが。
序盤で輜重隊が戟より槍を構えるのは獣除けの武器である槍の方が馴染み深いだろうとしてそうしました。武器として主力の戟と別に多量に用意されていたのは組み合わせて馬防柵を作るための資材兼護身用の物だったからということで……




