第68話 性善、性悪
許昌出発を目前に控え、一刀は張勲から輜重隊への訓示を求められた。
「李梅はこういうの苦手だし、桜桃は目立ちたくない……消去法で俺だよな」
「あまり長い事は言わなくても結構ですよ。この前の食事や曹操様のお話で士気が高まっているようですし、諸侯の皆様からの長話に辟易した後ですから」
「まあ簡単な事でいいのなら。曹操の所から出向してくれてる軍師とも相談しておきます」
「はい~。よろしくお願いしますね」
張勲を見送ると一刀は風を呼んだ。
先ほどまで昼寝でもしていたのだろうか、垂れ目には涙の跡が見える。一刀は訓示の内容について意見を求めたが逆に風に質問された。
「お兄さんはこの反董卓連合を見て何を感じたのです?」
「え……そうだな、とにかく凄い数が集まったなーって。それと、こんな大軍に食わせるだけの飯を持ってこれたか? って思った。正直、俺たちが何もしなくても変わらないだろうな……そうか、そう言う事か」
「自分で気付いたのなら良いのです……ですが、風の考えと乖離していないか一応お聞かせ願えますか?」
「ああ、こんなに沢山の人が集まったし輜重隊だってかなりの数になってる。だから一人二人働かなくたって良いだろ……なんて思っちゃいけないんだ。自分が運んだ飯の一口、矢の一本とかそういった物資の積み重ねがこの反董卓連合を支えるんだよ。だから輜重隊が働かないと勝てない……前線の兵が戦う前に、俺たちは既に戦っているんだ」
一刀の答えは風を少し感心させた様子だった。
「おお……お兄さんの国ではそういった軍事への教育も行われているのですか?」
「いや、そんなことは無いよ。連合の陣を見てこんな軍を支えられる量の物資を持ってきてないって気圧された時に李梅に諭されたんだ」
「成る程……それなら納得なのです。後はお兄さんが演壇の上で注目を浴びながら言葉を詰まらせなければ良いだけですね」
「そうなんだよなー。あ、服装はこの前みたいに私物の白い制服を着た方が良いかな? それとも普段着にしてるこの騎兵用の服の方が良い?」
「今のままで良いと思います。兵卒からしたら上等な服を着たお偉いさんより親しみが沸くでしょう」
そうして先行する輜重隊が出発する日、一刀は風に相談した内容で訓示を終えた。
汜水関攻略軍の最高指揮官として同席していた袁術が輜重隊に出発の号令を掛けた。すると、輜重隊は集合した時よりもキビキビした動作で訓示を行った広場から出て行った。
「うむうむ。北郷殿は短く簡潔な言葉で兵の鼓舞ができるのじゃのう。素晴らしい部下を持てて妾は心強いぞ」
袁術の労いに一刀は恭しく一礼しながら答えた。
「ありがとうございます。ですが、事前に士気を高めて下さった曹操殿のお陰だと思います」
「そういうものかのう……そうじゃ、北郷殿は霊帝様に謁見してから来たのであろう? 霊帝様は荊・交・益州の三州の国号について何かお話になられておったかえ?」
「そういう話はありませんでした……あの、国号は朝廷で決めるのではありませんか?」
「古に倣えばどこの王族の血縁じゃからその国号、その土地の旧国号などじゃのう。じゃが今回は禅譲した皇族で、漢が滅ぼした楚の地じゃ。しかも貴霜の拡張阻止や大秦を始めとした海外諸国との外交を円滑ならしめるための三州の統合じゃ。新しき国号を考えねばならんじゃろうて」
一刀はすらすらと答える袁術に感心した。容姿こそ幼く見えるが博識な面を見せられ、一刀はつい李梅に聴くように尋ねてしまった。
「袁術様ならどのような国号に致しますか?」
「難しい質問じゃのう……無難に二番目の子を意味する「仲」を冠した仲漢かのう。本国である漢と南蛮諸民族との仲立ちにも掛かって縁起も良さそうじゃ」
「「仲」……ありがとうございます。また霊帝様に謁見する機会があったら提案してみます」
輜重隊の本隊として一刀たちがしなければならない事として物資の集積地の安全確保と選定があった。
「許昌の勢力圏内なら既に華琳様が掌握した廃村があるのです。そこを起点としますので、お兄さんたちにはその先の候補地を巡ってもらって欲しいのです。候補地は放棄された村や古い駅で人は居ないはずなのですが野盗や流民が占拠してる可能性がありますので、野盗であれば殲滅を、流民であれば立ち退きか協力の交渉をして下さい」
「野盗を追い払うって言っても輜重隊から割ける人数なんてもう居ないぞ」
「そこは華琳様が部隊を都合するのでご安心下さいです」
曹操から治安維持の巡察も兼ねた騎兵が派遣され、合流した一刀たちは許昌を出発した。その中には後学のためにと酔琳が軍監として付いていた。
「曹昂……じゃなくて、酔琳、来てくれて頼もしいよ。絶影も元気そうだ」
「曹母様から良く見ておくよう言われております。また学ばせて頂きます」
久し振りに輜重隊を伴わない騎馬だけの編成のため、それなりの速度で移動していたにも関わらず酔琳は息も切らさず会話が出来ていた。騎乗技術に加えて体力面の成長も見られるが、前線で軍を直卒できるようにという曹操の教育方針なのだろう。
幸いなことに物資の集積拠点候補はほとんどが無人であり問題なく確保できた。放棄されていた砦のいくつかは武装難民が占拠していたが、それらは一刀たちが徴税のための役人ではなく大軍の先遣隊だと分かるとすぐに山へ逃げて行った。
「軍が来るからってすぐ逃げなくても……もしかして略奪されるって思ってるのか? 反董卓連合は正当性のためにそういうことはしない、っていうか輜重隊にはそんなことは絶対させないのに」
「区星は官軍の規律を知らんが、既に踏みにじられたからこそ流民となっているのだろう。諸侯の志がどうであれ、末端の兵があの邑に叛乱の兆しありと報告するだけで蹂躙の場となる」
「性悪説の世界か……豊かな時代ならそんなことは無いんだろうけど。輜重隊が無理に物資を集めたりしないように気を付けないと」
そう思っていた矢先、徴発から戻ってきた輜重隊の一部から予定した量以上の物資を持ち帰ったとの報告があった。
まさか自分の隊から略奪者が出たか! と一刀は肝を冷やしながらその部隊を呼ぶと隊長は不思議そうに答えた。
「これは礼の物です」
「礼の物?」
「はい。我々も――寿春から徴兵されたのですが――黄巾党討伐の官軍に渡しましたが、求められる以上の輜重品を渡す代わりに兵に乱暴させないように渡す物です。これが県令だの偉い人から贈られた物なら保身のための賄賂になるでしょうが、今回のは年寄りと子供ばかりの邑ですから山に逃げられない者たちからです」
「……むしろ受け取って治安維持の約束しないといけないって事か」
「その通りです」
「分かった。一応袁術様にも連絡するから、余分に受け取った物資は分けて置いておくように」
袁術に伝令を飛ばそうと準備をしていると、先ほどの部隊と同様に「礼の物」を持って来る部隊が続いた。
「まさか……孫堅が同情してるっぽく俺を見てたのってこれか? 統制が効かなそうな連合軍で民衆に治安維持の約束をした責任者にさせられた……?」
一刀の懸念は的中した。袁術からの返書には物資はありがたく受け取り、兵が騒ぎを起こさぬよう監督せよとあった。
どう対応するべきか考えていると、丁度後方での仕事を終えた風が合流したため早速呼び出しことにした。
「やはりそうなりましたか。ですが華琳様が手を打ってくださっていますので安心して欲しいのです」
「まじか! じゃあどうすればいいんだ?」
「まず礼の物についてですが、これは税を先に納めたものとして扱うので後ほどどの邑からどれだけ贈られたかまとめた物を下さい」
「それならもう書いてる。書式とか俺流で書いてあるから、清書する前にどう書いたら良いか見てくれ……でも、税を先に納めるって言っても贈ってくれたのは老人と子供ばかりの邑だったって聞いたぞ。その人たちが食べる分とかは残ってるのか? 一部だけでも返した方が良いんじゃないか?」
「……お兄さんは純粋ですねぇ。その邑はこの場所じゃないですか? まず――」
そう言って風が諳んじた邑は、一刀が帳簿に書き記した覚えのある名前だった。
「ああ、書き覚えがある……どうして分かったんだ?」
「簡単なことです。黄巾党討伐の官軍が拠点にしていた場所なのです」
「官軍の拠点……まさか、物資の横領?」
「その未遂、かと。邑では触れないようにしっかり保管していたのでしょうけれど、拠点にしていた官軍が解散したり遠方へ転戦したりして回収されずに残置された物資だと考えられます。食糧なら自分たちで食べたり、建築資材なら壁や家の補修に使えます。ですが、敢えてそれを渡して恭順を示しながら恩を売れる……と、考えたのだと思います」
「そういうことか……それに、急に壁が新しくなったりして羽振りが良くなれば周りの邑から官軍の物資を横領したって通報されるかもしれないもんな」
「その通りです。あと、働き手の居ない邑だったとのことですがそれも嘘かもしれないのです。輜重隊も農村出身者が多いですから事情を理解して徴兵の声が掛からないよう口裏を合わせたのかもしれません」
「横領や略奪が無かったのならまあ……良い、のか」
「ええ。推測でしかありませんし、証拠を集めなければ民の言った事が真実という事になりますから。さて、礼の物を受け取った以上は治安維持の強化が必要ですが……邑には働き手が居ないという事になっているのです。お兄さんはどうしますか?」
「諸侯やその軍を近づけさせない。幸い、風が確保してくれって言った地域を通ればそうそう掠ることの無い道だ……もしかして最初から分かってた?」
「いえいえ、偶然なのです。最近大軍が通った所に再度軍を通すのは不合理ですし、許昌からなら今の道が最適な行軍路なのです」
風は悪戯っぽく笑いながら答えた。
どこまで本当の事を言っているのか一刀には分からなかったが、味方としては頼もしい事この上ないと感じていた。
「治安維持も華琳様が手配してくださいます。この当たりの邑の「税」を徴収し、官としての責務を果たすことでこの地の支配を追認してもらう狙いがあるのです。今後、もし義勇兵という形で参加を希望されたら後方支援に回しましょう。カマド作りから洗濯、傷病者の看護と人手は必要ですから」
「心配事が無くなったよ。風や曹操が協力してくれてなかったらと思うと……どうなってた事か」
「ふふ……でも、お兄さんもちゃんと自分の仕事を果たさないといけませんよ。ただの人任せで努力をしない人を助けるほど華琳様は甘くないのですから」
その後は順調に拠点の確保と物資の集積を終え、本隊が途切れることのない人の列を地上に描きながら進むのを汜水関に近い拠点で待っていると何やら警備の兵が騒がしくしていた。
「喧嘩か? それとも従軍商人と支払いでもめたのか?」
一刀が幕舎から顔を出すと警備兵が報告した。
「女です。未亡人を自称する集団が飯炊きでもなんでもいいから使ってくれと騒いでいるのです」
「え……いやいや、戦場に非戦闘員の女性を連れて行く訳にはいかないだろ。その人たちの代表者を呼んでくれ」
幕舎の前でどう断ったものかと思案していると、警備兵が見覚えのある女性を伴い戻ってきた。女性は一歩進み跪くと優雅な発音で名乗った。
「黄、と申します。女子の身ではありますが、天下の大事に居ても立っても居られず立ち上がりました。どうぞ何なりと御命じ下さいませ」
僅かな媚びも含まず、誠心誠意を体現したような姿勢で黄と名乗った女性が言った。
「趙忠……さん、ですよね? 確か宦官粛清の際に霊帝の取り成しで誅殺は免れたと聴きましたが……」
「その通りで御座います。ですが、その際に罰として公職からの追放と名――趙忠――を名乗る事を禁じられました。真名を晒し生きることが罰であり、罪人の証なのです。どうぞ、そのように接して下さいませ」
「分かり……分かった。ただ、未亡人の集まりって事だけど、ここは既に戦場に近いって言うかほとんど戦場みたいな場所だ。そんな場所に街から離れて長い兵士たちが何万人も集まってる。そんな所に戦う力の無い女性が居たらどうなるか……誰でも分かるだろ」
「はい。私たちの中でも氣を扱える者は僅かばかりです。ですからそれも覚悟の上で軍属として――」
「駄目だ! 誰であろうと慰安婦になんてさせない!」
現代の価値観が基準の一刀としては黄の言葉は許容できるものではなかった。彼としても従軍商人がそうした役割の女性を伴っていることを知っており、幾度か誘われた事もあったが全て断り、集積所でそういった事はしないよう求めていた。
それが兵から恨み言を聞かされる原因と分かっており、商人たちが更に後方の本陣で諸侯相手に営業している事も知っていた。それでも彼は潔癖過ぎると言われながらもその態度を改めなかった。
「……私たちとしましても乱暴されたくはありません。ですが、それを覚悟の上で軍属として働きたいのです。私たちは許昌から参りましたが、北郷様の隊の規律の高さはどの邑でも聴いておりましたので」
「だからって……大体、どうして軍で働きたいんだ? 国のために働くならそれこそ許昌で食べ物を寄付するとか、兵士の服を縫って贈るとかあるだろ」
「北郷様、我々は未亡人や罪人の集まりです。子を育てるため妾に成らざるを得なかった者も多く居ます。ですが妾や罪人が母というのは家名を守る者にとって都合が悪いのです。ですから従軍することで烈女としての証を立てなければならないのです」
「メンツの国、ってのは聞いたことがあるけどそこまでするのか……軍で働きたい、そしてこの部隊が選ばれた理由も分かった。もし俺が断ったら他の部隊の所に行くんだろ?」
「そうしなければなりません」
黄はハッキリと答えた。
「……分かった。この部隊で面倒を見よう。それとは別に聴きたいことがあるんだけど良いか?」
「なんなりと」
「趙忠と言えば讒言で細梔様……呂強を誅殺しようとしたそうだけど、それはどうしてだ?」
すると黄は先ほどまでとは様子が変わり、宮中という毒蛇の巣に潜んでいた慈悲の無い怪物がブツブツと呟くように答えた。
「細梔は、あの娘は空丹様に頼られた。あの御方に頼られて良いのは私だけ。私だけがあの御方を愛して良いの。だって私はあの御方に阿母と言われたのだもの。阿母に断りもなく諫言などして良いはずがないのよ……」
焦点の合わない瞳で自身が如何に霊帝を愛し敬い、その間に割り込もうとする事が悪い事なのかを延々と語り続ける。
(これはヤンデレってやつか? 確かにこの執念深さなら細梔様が暗殺を警戒するのも分かる……でもこの人、自分が愛してるって言うだけで霊帝がどう思っているかとかを考えてないんじゃないか?)
先ほどまでの烈女として家名を守る……と言っていた彼女と、一体どちらが黄の本性なのか。
李梅が集積所周囲の警備に出ていて良かったと一刀は思った。もし今の黄の言葉を聴いていたらその身勝手さに掴みかかっていたかもしれない。
「黄、貴女がどれだけ霊帝の事を想っているかは分かった。でもそれは愛し方が違うんじゃないか? 霊帝のために全力で働いたって事だけど、阿母は母親みたいな人って意味だろ? 親だったら子供の成長を、親離れを喜ぶものじゃないか?」
自身の愛を否定されたと感じたのだろう。黄に睨まれながらも一刀は続けた。
「貴女と別れてから霊帝はかなり食が細くなった、というかほとんど食べられなかったって霊帝が許昌に居た時に聴いたぞ。それだけ慕われていた、愛されていたってこと――」
「空丹様が!? 空丹様は今もお召し上がりになられないのですか!?」
黄は鬼気迫る様子で一刀の言葉を遮った。
「安心してくれ。あの時は俺がハンバーガー……胡餅で挽き肉とか乾酪を挟んだものを出すよう提案したらちゃんと食べるようになったんだ」
「良かった……本当に良かった……」
今度は泣き出す黄。霊帝の事が第一である事は間違いないのだろう。
「とにかく、霊帝にとって貴女はそれだけ大事な存在だったんだ。その愛情をどうして信じられなかったんだ……」
号泣はしばらく続いた。激しい感情の起伏を経験したことで黄の心から少し毒が抜けた事に気付くのはしばらく後の事だった。
お待たせいたしました。構想は積もれど出力できない状態でした。しばらくは忙しくないので捗るはず……です。




