第65話 輜重隊、出発
荊州では反董卓連合への協力を襄陽の劉表が表明した。
しかし荊州として軍を出すには霊帝の立場が問題となった。もし霊帝が董卓を討つべしと兵を挙げたとなれば、霊帝と現在の皇帝とで天下を二分することとなる。そうなると漢の臣下同士の小競り合いからどちらかが絶滅するまでの大乱となって双方後に引けない状況になる。
「戦の正当性のために引っ張り出すには、霊帝は重すぎる神輿って訳か。そして臣下同士の戦なら落としどころを話し合う余地がある……なんか南北朝時代がその辺で泥沼になったんだったかな? 複雑過ぎて学校でもさらっとしかやらなかったけど」
「兵を出さない代わりに兵糧を送らねばならん。そのための輜重隊とて兵には変わりないが……引率は直近で経験のある区星たちだ」
「霊帝の居る長沙に納税するついでに済ませることが出来るってのはありがたいよな。なんか公費で旅行しまくってる感じだけど、盗賊とかの危険を考えたら普通に危ないことなんだよな……」
「兵役相当の任務だ。既に一刀のような異民族に求められる以上の働きを果たしていると言えるだろう」
「不法移民みたいに言われなくて済むのはいいな。それで運ぶ荷の準備はもうすぐ?」
「うむ。連絡があればすぐに出られるよう準備しておけ」
零陵からは輜重隊を編成し長沙、新野を経て許昌に兵糧を送るのが劉表から求められたことだった。
中原以北は昨年の冷夏の影響でほとんどの地域で不作だったため兵糧が不足しており、荊州からも兵を出すと補給の負担が無視できなくなると判断されたことと、広大な耕作地を抱える荊州の生産人口を減らしたくないということで出兵を求められなかったのが主な理由だった。
そうして零陵から輜重隊が出発して長沙に着くと、孫堅が手勢を率いて出兵しようとしているところだった。
「李梅、あれってどう見ても輜重隊とかじゃなくて戦うための軍だよな。それにしては人数が少ない気がするけど……」
「1千人程度だな。長沙で募兵せずに子飼いの将兵だけで編成したのだろう」
長沙の城門から出て来る兵の邪魔にならないよう長沙に入ろうと市民と道の端に並んでいると孫家の主だった将まで馬上の人となっていた。
その中で一刀たちに気付いた孫策が孫堅と何か話した後にやって来た。
「流石に早いわね。私たちはこれから義勇兵として出兵するわ。母様の代理として蓮華と雷火先生が残っているから税についてはそっちに聴いて頂戴」
「分かった。義勇兵として行くのか……充分気を付けてな」
「母様にも困ったものだ。漢朝の忠臣であろうとするのは素晴らしいが、示し方というものが有るだろう」
「黄巾軍の討伐もそんな流れなんだっけ。でもそんなことを繰り返してたら旗揚げ当初の兵も減ってくるだろ?」
「それがな……母様を慕って揚州から漁師だのなんだのが長江伝いに集まるのだ。そういった者たちも戦後の漢を支える民であるというのに……母様や姉様は人を狂奔に駆り立てる」
孫堅の強烈なカリスマ性と好戦性に思う所があるのだろう。
「孫権……もしかして置いて行かれて寂しいのか?」
「そんなことは……いや、そうかもしれぬ。とはいえ先ほど言ったように戦の後を考えて欲しいというのも本心だ」
「言ったところで変わらないだろうし、そういうところが孫堅様の魅力なんだろう? でもそこは孫権がしっかり支えて行けばバランスが良い……文武両道になって良いんじゃないか?」
「ふふっ……だがそれは派閥争いを招くぞ。母様の方針で武官ばかり重用されると、今度は文官が私や雷火先生を担ごうとするだろう。その不和を治めるのは茨の道だろうな」
予想される問題の大きさに対して孫権は軽く言った。母の武勇や智謀を信頼しきっているのだろう。虎のように強く狡猾な母が死ぬ訳がない、と……
「そうだ、霊帝様に献上っていうか渡したいものがあるんだけど謁見できるかな?」
「内容によるが……何を献上するのだ?」
「竹トンボっていう遊び道具なんだけど――」
「……一刀。泰然とした霊帝様の態度からは計り知れぬだろうが、各州牧への決裁書や陳情の処理でお忙しいのだ。文面は文官が用意するにしても清書は霊帝様ご自身で行われている。なんでも、正しい事はご自分でやらねばならないと趙忠に教わったとか……話を聴くに、どうやら道徳的に正しい事は霊帝様自身の名で勅を出し、判断の難しい事柄や粛清などは趙忠が各官職に行わせていたらしい」
「そうだったのか……汚れ役を買って出た、ってんなら趙忠も悪い奴じゃなさそうなんだけど細梔……呂強様を粛清しようとしたっていう時点でちょっと信用できないっていうか」
「それは当然だ。霊帝様の前でだけ取り繕う佞臣の可能性は大いにある。それは疑って然るべきだ」
孫権から趙忠のことを聴き、少なくとも霊帝に責任を負わせるような性格ではなかったのだろうと一刀は評価した。
「まあ謁見のことは取り次いでおこう。一刀は資材搬入をしている区星殿たちの手伝いに戻ると良い」
「ああ、納税の報告に来たのについ話し込んじゃったな。それじゃあまた」
一刀を見送って孫権は呟いた。
「打算もなく真心からの行動、か。霊帝様の御人徳か一刀がお人よしなだけか……その両方か。少し羨ましいな」
まだ若輩者として母や姉を始め重臣たちから期待されていないものと思い悩んでいただけに、未だ何の実権も無い飾りのような立場の霊帝の無聊を慰めようとする者が居る。
それだけのことではあるが、敬愛する母たちに認められようと努力している孫権は羨ましく思った。
「いや、霊帝様は今出来る事を粛々と為されている。ああまで機能に徹している御方に嫉妬など……」
長沙での納税を済ませ、空いた荷車に反董卓連合への追加の補給物資を積み込んで一刀たちは出発した。
次の目的地は新野であり、長江を越えるために船の用意をしなければならないのだがこれは孫権が使いを出して用意をしてくれていた。
「前の時は俺たちが先行して船を頼んでたんだよな。今回は李梅が責任者だから俺はともかく、李梅はやたらと動けないな」
「うむ……周辺の偵察も斥候の報告を待たねばならんというのはもどかしい。討伐巡察では先遣隊を任されていたから猶の事だ」
「まあ輜重隊を守らないといけないんだし、軍を率いる練習みたいなものだって細梔様も言ってただろ? 将としての働きを期待されてるんだから我慢しないと」
「将か。以前は大声を出そうとすると元々の言葉が出ていたから適性は無いと判断されていた」
「発音が大事だからなー。大声を出して指示を出そうとすると訛りが出るのはしょうがない。でも確かに李梅はどっしり構えた歩兵隊より騎兵隊の方が向いてそうだよな。張津の時も突撃してたし」
「いや、むしろ山に潜伏しての遊撃戦の方が慣れている。隠田を作ろうとする豪商だの野盗どものお陰でな……」
「遊撃戦っていうとゲリラ戦か……北の遊牧民は騎兵の引き射ち、南は山でのゲリラ戦が相手じゃ確かに漢も征服なんて考えないよな」
益州の同族から供給される馬に目が行くが、李梅たちの得意とする戦法はやはり根付いた土地を活かしたものなのだろう。
「それはそうと竹トンボだったか、あれはどうだったのだ?」
「ああ、結構喜んでたっぽいぞ。表情に出ないから分かりにくいけど」
「そうか。では香風も喜ぶであろうな」
霊帝に献上した物は元々は空を目指す香風のために一刀が思い出して作った試作品だった。
「とは言え戦の前だからなー。こういうおもちゃとか渡しても私物の保管って難しいよな。渡した後許昌に届けるか」
長沙領内は孫家による治安維持だけでなく道の整備も徹底されており、一刀たち慣れたものでものとばかりに問題なく長江を渡ることが出来た。
新野に着くと物々しい様子で警備をしている門番に積荷の確認をされた。
「あなた方が私たちと一緒に戦ってくれた人だというのは分かってるんですが……義勇軍として進軍する孫堅様を止めた刺史や太守が斬られたのです。なんでも孫堅様の軍の兵糧調達を邪魔したとか、董卓の塩政策を悪用して不正を働いた部下を処罰してないとかで……まあ、それを真似して義勇軍を騙って暴れる者が出ないか警戒しているのです」
「えー……孫堅様そんな事をしてたのか……警備の仕事お疲れ様です。そうそう、長沙に行ってくれた義勇兵の皆さん、この部隊にも混じってますが零陵で大口の仕事に就いてますよ。安心してくれって伝えて欲しいと言われました」
「ああ、何人か戻って来た者から聴いております。こっちの建築が片付いたら出稼ぎに行きたいってのが何人もいます」
荷物の確認が終わり入城の許可を得たところで李梅が尋ねた。
「武装は解かなくとも良いのか?」
「問題ありません。魏延様から許可が出ましたので帯剣しての入城、及び登庁をどうぞ……我々からはもちろんですが、魏延様からも信頼されているのですね」
衛兵たちに礼を述べて一刀たちは新野の政庁へ向かった。
そして輜重隊の休息と補給を受けられるよう魏延に願い出ると快諾された。
「区星殿たちであれば疑う必要はありません……が、以前に会った時よりも、随分一刀と距離が近くないですか?」
「うむ。我らは契りを交わした間柄故」
一刀を半目で睨みながら尋ねた魏延に、李梅が事も無げに答えた。
「はあ、契った……契った!? 契ったって、その、男女の……ええ!?」
「そういうの、はっきり言っちゃうんだ李梅……」
恥ずかしがる一刀と魏延。一方で李梅は当然と言った様子で言った。
「いずれ子が出来れば問われる事だ。親となる事を恥じるのか?」
「な、成る程……事の責任を負うのであれば秘め事とて恥じることは無い、と……欲しいものは欲しいと、自分に素直になるのも大事なのですね」
「魏、魏延? あんまり変な影響受けないようにな……」
一応魏延に釘を刺してから一刀は話題を逸らした。
「それは置いといて、長沙の孫堅様が刺史とかを斬ったらしいじゃないか。ここは何もされなかったのか?」
「ああ、その事か。治安維持には力を入れていたし、役人も庶民から登用していたのだが熱心に働いてくれていてな。むしろ褒められたぞ。限界集落と流民の街だが、それ故に若く活力があるのが今の新野なんだ」
新野の統治は魏延にとって良い経験になっているのだろう。会うたびに経験に裏打ちされた自信と落ち着きを深める魏延に自然と尊敬の念を覚える一刀だった。
「新野を出ればすぐに許昌だ。我々は兵役を求められてはいないが、それでも横暴な者が徴用しようとするかもしれん。その時は分かっているな?」
「ああ、まずは俺が曹操に話を通せって主張する。拒否されても主張しまくる」
「その隙に乗じて私が脱出して曹操様か袁術様に直接申し立てに行くのよね」
「うむ。それが叶わぬ場合は――」
新野出発の前日、もし許昌の周辺で強制的に兵を徴募する諸侯が居たらどうするかの確認をしていると部屋の扉が叩かれた。
「一刀君、居る~? ちょっと相談したいことがあるんだけど~」
声の主は天和だった。一刀が李梅に目をやると頷き、天和の用事を先に済ますべきだと言った。
促された一刀が扉を開けると天和が子供を一人連れて入って来た。
「ごめんなさい、お話中だった?」
「いや、いいよ。それよりその子は?」
「えっとね、昔お父さんを亡くしたんだけど、この間お母さんまで亡くしなって……一人でも生きていくんだって言って聞かなくて。それで義勇兵として孫堅様の軍に入ろうとしたんだけど、その時は「若すぎる!」って断られたの。私や焔耶ちゃんは勿論そんなことしないでも働ける年齢になるか、親族が見つかるまで救貧院で保護を受けるよう説得してはいるのよ」
「そりゃそうだろとしか……10歳ぐらいだろ? 他の所は知らないけど、魏延が治めてるなら救貧院だっけ? そこも悪い施設じゃないと思うし、焦って義勇軍に入る必要はないんじゃないか?」
一刀も天和に同調するが当人は納得していないようだ。
「は、は、はん、範は吃音だから……ままま、まともな仕事に付けないです。奴婢になってもきっと虐められます。そ、そんなの嫌です……」
範と名乗った少女は吃音だった。
「一緒に歌を歌ったりする時は吃音も無いし、そのうち治まるとは思うんだ。だから大人になったら私たちの礼舞の手伝いを仕事にしてくれたら良いんだけど……」
「あ、あ、甘えてられないです。それに吃音が治らなかったら、自分がしっかりしてないとうば、奪われるだけです」
この時代の中国で吃音は良い扱いを受けないだろう事を一刀は思い出した。
「区星はこの輜重隊に参加させても良いと思う。戦うだけが義勇軍ではないのだ。牛ぐらいは牽けるのだろう? 」
「ひ、牽けます! ありがとうございます!」
「兵の半分の給金と、道中の時間のある時に訓練をする。少なくとも街の暴漢ごときに犯されることのない程度にはなるだろう。それで良いか?」
「はい!」
李梅の言葉に範は拱手の礼をしながら答えた。
「李梅がそう言うなら良いけど……天和、さてはこの展開狙ってたな? 別の街に着くなり奴隷として売ったりしないような、自分の知ってる限りでまともな人間が率いてる部隊に入れてやろうってさ」
「あはは、バレちゃった~? 一刀君たちならあの子の吃音も気にしないだろうし、少年兵として戦わせたりする事も無いでしょう?」
「ああ、俺の国だと吃音があっても別に何も思わないしなあ……少なくとも俺は」
「その事なんだけど、一緒に歌う時は吃音がないんだけど……他に感情が昂る時も饒舌になるみたいなの。その……激しめの、世の中への不満や怒りをぶつける感じの……それだけが心配で」
「ああ……なんとなく分かった。なんであれ零陵に戻ればまともそうな働き口もあるだろうし、範ちゃん? もその頃には折り合いがついてるだろ。俺も時間を見つけて簡単な読み書きとか計算を教えておくから」
「うん。よろしくね」
天和は計画通り、安心して任せられる所に範を預けることが出来て安心した。しかし、それと同時に羨ましくも思った。
――読み書きと鍛錬と……優しい人たちに見てもらえる鄧範ちゃんも、子育ての練習ができる一刀君たち……不謹慎だけど、いいなあ――
天和はどちらの立場を羨んでいるのか、自分でも分からなかった。
落馬して肘と肩にちょっと傷が残りましたが今では元気です。今年はコロナになったり色々続くなあ……




