第60話 陳留土産
曹昂に馬術を教える事になってから最初の日、書房の一つを借りて一刀は曹昂を呼び出した。
「今日から曹昂に馬の乗り方とかを教える事になったけど、まず最初に……この間の競馬で勝ったけど、あれは俺の実力が凄いとかそういう訳じゃないんだ。曹操に話したら『あの子にも伝えて、それでも求められたら応えなさい。それでも自信が無いなら武安国に任せなさい』って。だから俺に教わるのが少しでも不安だって言うなら遠慮なく言ってくれ」
「分かりました。どうぞお聴かせください」
一刀の言葉に不安がるどころか興味深そうに曹昂が答えた。
「それじゃあ説明するぞ。まず、馬が良かった。曹操は8里っていう超長距離で完走させられるくらい馬を制御できるか、勝気に逸って無理な走りをするような無謀な人じゃないかを判別したかったらしいんだ。でもそれは競争で走らせる距離からすれば超長距離だけど、俺と董衣……俺の馬はあの位の距離と坂道を何度も経験してるんだ。零陵から洛陽まで行ったし、長沙の戦闘にも少し参加したし。長距離は慣れっこだったんだ」
「ではあの競争が短距離だったらどうなっていたと思いますか?」
「他の騎手も最初から全力で走らせて来たら、競馬的な意味で馬群に飲まれる経験の無い俺はミス……えっと、変な失策? をして上手く抜け出せずに負けてたと思う。董衣も一瞬の切れ味って脚では無いから。だから他の騎手が長い距離だからって抑え気味でいてくれたから良かったんだけど、武安国さんがもっと張り付いてきてたら危なかったな」
曹昂は成る程、と納得したようだ。
「それと馬の良さの続きなんだけど、中原の人から見たら董衣……俺の馬は大きいし首もがっしりしてて輓馬に見えるらしいんだけど、外国の馬の血が入っててあの馬体だからただ大きいだけじゃなくて一歩の距離も長くて回転も早いんだよ。しかも長距離に向いてる血統だから今回はかなり有利だったんだ」
「かつて武帝が得た大宛の汗血馬の血統を今でも大事にしていますからね。確かに我々は在来馬を大事にし過ぎているかもしれません」
「在来馬もそれはそれで大事なんだけどな。俺の親戚の牧場が先祖伝来の在来馬の血統を保存してるし。そのお陰で俺も夏休みのバイトがてら乗馬を教えてもらったんだよな……」
「外の血を受け入れるのも土着の血統を保護するのも……国や軍にも言えそうな話ですね」
「そして俺の乗り方なんだけど、馬の動きに合わせて鐙の上で少し立って邪魔をしないようにしてるんだ。でもこの国だと鐙が出てきてまだ間がないんだって? 最近まで片側にしか着けてなかったとか」
「そうですね。鐙の字の如く、馬に登るための道具として普及していましたから」
「そのせいかこの国だと馬の腹に脚でしっかりしがみついてるんだ。走らせるだけなら俺の乗り方の方が良かったのかもしれないけど、靴とか装具とかは元々の乗り方に合わせて作ってあるだろ? だから俺の乗り方を曹昂に教えるとなると装備とかその辺の不都合が出て来るかもしれないんだ。あと、騎乗戦闘を教える武安国さんからも文句を言われそう……」
「……それでも私は一刀さんから教わりたいです。先ほどの外国の血を入れるという話ではありませんが、新しいものを試すことは悪い事ではないと私は考えます。故事を見れば趙の武霊王が胡服騎射を取り入れ騎兵の力を大いに高めました。外の文化でも優れたものはどんどん取り入れるべきです。一刀さん。どうか私に貴方の技術を授けてはいただけませんか?」
そう言って頭を下げる曹昂に一刀は慌てて、
「俺で良ければ! だから頭を挙げてくれ。夏侯惇がこんな所を見たら何を言われるか分かったもんじゃない……」
「春蘭は関係ありません。これは私と一刀さんの、男と男の間の話です。それと私の真名は酔琳です。いずれ戦場に出る身、馬術を習うとなれば命を託すのも同義ですからどうぞお受け取りください」
「命を……分かった。酔琳、俺には真名が無いから好きに呼んでくれ。俺も出来る限りの事を教えるから一緒に頑張ろう」
そうして真名を交換し、酔琳は一刀に師事することになった。
「それじゃあ馬術の練習……の前に、踵のある靴を用意しようか」
「于禁が靴にも詳しくて助かったよ」
軍装品の管理係から酔琳のような子供の体格に合う靴や装具は数が少なく出払っていると言われたため街に買い出しに行くことになった一刀たち。服屋などに詳しそうな人に心当たりがあるとすれば于禁だった。
「と~ぜんなの! 最近の乗馬靴はかなりオシャレだから注目してる女の子は多いの」
「非番の日にすみません、沙和さん」
「そんなことはないの、酔琳様。後で一刀君にお昼を奢ってもらうの。勿論凪ちゃんと真桜ちゃんも一緒にだから覚悟しててね一刀君」
「俺!? お小遣い足りるかな……あ、競馬の賞金があるからいけるか。李梅たちも呼んで良いか?」
「賑やかなのは歓迎だよ。それに区星ちゃんたちにもっとカワイイ服を見繕ってあげるって前に言ったから、願ったり叶ったりなの」
于禁の案内で酔琳の乗馬用品は足元から手袋、さらにヘルメットまで揃った。
その後集まった女性陣を加え昼食を奢り、午後からは酔琳にその乗り馬となる絶影の世話の仕方を教えた。
「――裏掘りは蹄の病気の予防とか、今ある異常や足首の炎症とかに気付く事が出来る。それに人間だって走る時に小石とかが靴の中に入ってたら走り難いだろ? だから走る前後と言わず毎日でも確認するのは大事なんだ」
「お腹の側から手を回して……あ、脚を挙げてくれました――」
「――ブラッシング……毛づくろいも毛だけじゃなくて垢を擦り落としてやったり、今だと夏毛と冬毛の生え替わりの時期で痒いだろうからそれを掻いてやって」
「肩を唇で挟まれました! くすぐったいです――」
酔琳の理解力は高く、応用も効き数日で速歩まで出来るようになっていた。
「筋肉痛が治まったら駈歩、襲歩だな。障害飛越まではやった事がないから李梅に頼もうか。折角だし俺も一緒に教えてもらいたい」
「ありがとうございました……絶影、帰って水を飲むよ」
酔琳は疲れてフラフラしながらも水の入った桶を持って絶影に水を飲ませてやった。一刀の指導方針だったが、馬装や世話を率先して行う酔琳の姿に騎兵や馬丁、虎豹騎までが感心と信頼を寄せていた。
最初、馬丁たちは自分の仕事を奪われるのでは無いかと心配していたようだが、むしろその仕事の大変さや専門性を認識した酔琳が労いの言葉をかけたことで杞憂だったと悟ったようだ。そして騎兵たちもただ乗り物の一種として乗るだけではなく、戦場で生死を共にする仲間として馬を扱っている所に好感を覚えたのだった。
そうして酔琳に馬術の指導をしつつ、時には李梅たちと街で零陵への土産の本などを買いながら曹操からの洛陽の報せを待つこと半月。
「李梅、夏侯淵から呼ばれたけどもしかしてあれかな? 洛陽の」
「うむ。やはり早馬だけならば速いな」
政務の間へ着くと夏侯淵の他、陳留に居る幹部要員も集まっていた。
「来たか北郷。洛陽の詳しい情報の他に、お前たち宛ての文が来ているからこの後も少し残ってくれ」
全員が集まったのを確認した夏侯淵が曹操からの報せを読み上げた。
董卓が劉協に禅譲するよう迫ったという話はやや誇張があった。
事の始まりは宦官に暗殺されそうになったとして何進が宦官誅殺計画を強硬に推し進め、袁紹らが兵を用意し宮廷で粛清が行われた。
騒ぎを聴きつけた趙忠が皇帝である劉宏を避難させるため呂布の下へ行くと、董卓も劉協を連れて来ていた。そこで趙忠が自分が囮になっている間に劉宏を無事に避難させるよう董卓と呂布に頼んだらしい。
しかし劉宏がそれを拒否し、どうにか趙忠も救えないかと言うと賈駆が献策した。それが禅譲に伴う恩赦で趙忠を含む宦官の朝廷からの追放処分で済ませようと言う物だった。
禅譲を迫るとは何事か! と董卓が賈駆を叱責したが劉宏はそれを受け容れた。
皇帝が禅譲すると袁紹、袁術に董卓軍の使者が伝えた頃には既に宦官のほとんどが誅殺された後だった。
「そこで袁紹らは粛清を止めたそうだが、華琳様の私見ではこのままでは宮中で何進一強になるから劉協様に信頼されている董卓に恩を売る形で止めたのではないかと考えられたそうだ。何進閥は妹の立場あってのまとまり。袁紹、袁術の他にも野心のある者は多く、これが何進閥の終わりの始まりであろう、と……」
生き残った宦官の中で最も権勢を揮っていた趙忠が公職から追放されることでの見せしめの効果を狙ったのか、それとも再起を図り反体制派の人間と接触するのを監視する意味もあったのか。
いずれにせよ何進閥が密かに揺れた機を逃さず、禅譲を受けた劉協の後ろ盾として董卓が昇格人事を行った。
黄巾党討伐の功績や新たな皇帝を支えるため、清流派の忠義に報いるためなどを理由としていたが何進からすれば自分の部下を董卓が引き抜こうとしているように見えたことだろう。
「妹が皇帝の相談役から解任された何進だが、大将軍の位にあることに董卓は手を付けていないのだそうだ。放っておけば派閥内で勝手に自滅すると華琳様は見ておられる」
そして劉宏こと禅譲した霊帝は貴霜国に対する備えとして荊州、交州、益州をまとめる王として長沙に封じられる事になった。
(先代の皇帝だから無下にはできないだろうけど、確か益州の劉焉はかなり独立色が強かったって言うし……荊州の劉表さんはともかく、その息子二人のお家争いもあるから本当に名目だけの王になるかも。そこに洛陽で董卓とか張遼が話してくれた、左遷された人たちを地方から呼び戻すってのが加わると……ゴチャゴチャの状況に劉備が出てきて王位を譲られれば蜀がスムーズに産まれるか?)
曹操は自分が不在の間もしっかりと任地を守るよう結び、読み上げた夏侯淵が幹部たちを解散させた。
「華琳様からの北郷宛ての文だ。もし文が読めないなら代読するが、どうする?」
「ありがとう。でも曹操のことだから俺にも分かりやすいように簡単な文章で書いてくれてると思うから……多分」
「うむ。もし読めなかったり難解な表現があれば遠慮なく頼ってくれて構わん」
夏侯淵から竹簡を受け取った一刀は李梅と部屋に戻り文を読んだ。
「えーっと……書かれている内容は夏侯淵が読んでたのとほとんど同じだな。最後に呂強殿と、既に知っているかもしれないけれど士燮様にも見せて欲しいって書かれてるな。それと酔琳に馬術を教えてくれてありがとうだって」
「酔琳は模範的な生徒だったではないか。一刀よりも障害飛越が上手になっていたな」
「天才ってのは居るもんだな。俺は董衣に任せてるから飛べてるだけであって、他の馬だったら怖くて飛べないぞ」
「良い馬に慣れさせ過ぎてしまったか……」
「俺もその自覚はあるけどさ。それで、明日か明後日には出発……いや、確か沙和と一緒に買いに行った服がそろそろ仕上がるんだよな。出発はその後か」
この半月の間で沙和や凪、真桜とも真名を交わしていた。
「うむ。季節が冬になるから温かそうな服だ」
「どんな服か教えてもらってないんだよな。沙和はきっとびっくりする、って言ってたけど……そうだ、零陵に戻ったら何月になるんだ?」
「早ければ12月に入るくらいだ」
「12月か……」
「どうかしたのか?」
「あー、うん。もう正月になるんだなーって。春になったらここで1年過ごしたってことになるし」
「早いものだな」
これまでの旅路を振り返っていると部屋の扉が叩かれた。
「李梅ちゃん居るー? 入って良いー?」
「お、沙和か。今開けるー」
扉を開けようと一刀が近づくと、真桜が遠慮なく扉を開けた。
「邪魔するでー」
「注文してた服を受け取りに行こう、李梅ちゃん」
「失礼します」
さらに、3人の後ろから袋に入った筒を持った香風が続いた。
「久し振り、お兄ちゃん、李梅……」
「香風、最近まで新兵の調練で忙しかったんだっけ? お疲れ」
閲兵式や競馬の後、募兵の受付が一時的に麻痺するほど事務所に人が殺到していた。その時の新兵の調練を夏侯惇や香風が行っていたが、特に夏侯惇は徐州黄巾軍討伐の編成も軍師たちと協議していたため多忙を極めていた。
「華琳様から洛陽の情報を貰うまでの約束で居るって聴いてたから……出発の前に、これを渡しておきたかった」
「お、ありがとう……矢筒? 開けて良い?」
「うん……真桜に作ってもらった……李梅たちが出かけてる間に説明する」
李梅と沙和、凪が服屋へ出かけ香風と真桜が残った。
「んじゃ開けるぞ。蓋付きの矢筒か。蓋が開かない……お、捩じれば取れるな」
矢筒と蓋の接合部は先端だけネジのような水平のガイドが付いており、馬上の激しい動きでも簡単には蓋が取れないようになっていた。
「嘘やろ……まあ取り出しやすいよう滑らかにはしてるけど、そんな簡単に気付くとは思わんかったわ」
真桜の反応を見るに、まだ珍しい機構なのだろうか。少なくとも庶民階級では見る機会の無い物なのだろう。
「俺の国だと似たような仕組みの物があったから……あれ? 中の矢に矢尻が付いて無い?」
「うん。使う時はこっちの小さい箱に入った矢尻を付ける」
「まさか毒、とか?」
蓋が簡単には外れないようになっていることからある程度準備してから用いる物だと考えた一刀。
「そんな危ないものじゃない……匈奴が使う鏑矢。笛みたいになってて、矢に付けて射ると凄い音が鳴る……」
「せやで。形で音が違うようになっとる。この箱の並びやとこっから高い音、んで順に低い音、最後に獣の叫び声みたいな音や。形が形やし、どうしても矢飛びが遅くて威力も石が飛んで来たって程度やからそこは気い付けてや」
「ん……当然だけど街の近くで使うと匈奴が攻めて来た、って騒ぎになるから……でも、盗賊とかには脅しになると思う」
「そっか……ありがとう。大事に使わせてもらうよ」
「消耗品なんやし使いそびれんようにな。命あっての物種や。しっかし、一刀の弓って何であんなに長いん? 馬上から下の物をどかしたり拾ったりする杖か何かかと思っとったら、弦を張ればモンの人らの弓みたいになるし……あんな長い弓、馬上で射れるもんなんか?」
「それが意外とやれるんだよ。俺も馬を走らせながら射つ流鏑馬ってのをちょっとやったんだけど、引いた時に丁度良い感じに――」
引き方を真似しながら説明していると李梅たちが帰って来た。
「ん? ……あ、李梅か。匈奴風、って言うかコサックみたいな帽子まで被ってるし……カッコいい、じゃなくてすごいオシャレさんだな。良いね」
「む、そうか、カッコいいか……ふふっ」
女の子にカッコいいなんて言うものじゃないの――と言いかけたが、満足そうな李梅の様子を見て沙和はその言葉を飲み込んだ。
「まあ持ってる雰囲気がシャキっとしてるから分からなくもないの……あ、一刀君! 夜勤の桜桃さんにはこっちの服を渡してね」
曹昂の真名の酔琳は琳が曹家の通字らしいのと植物の馬酔木(アセビ)からです。アセビの字から酔をとって酔琳。花言葉が「献身」、「危険」、「二人で旅をしよう」などで曹操のために自分の馬を譲った献身からです。
また、馬酔木は有毒植物で字の通り馬が食べると酔ったようにふらつくそうです。ここではそういう意味では無く、人にも馬にも心酔されるような人として名付けました。




