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第52話 燻る関係

 孫策が自身の直臣に使わせている官舎の一部屋。一刀たちの他には孫策と周瑜が居た。

「さっきも聴いたけど、母様に何かされなかった?」

 尋問のようではなく、気遣っているのだとわかる声音で孫策が尋ねた。

「何かされた訳じゃなくて……俺の事でかなりボカして言ってる事を見抜かれたんだ」

「そうなの? まあ母様の事だし、悪意のある嘘とかだったらぶん殴って叩き出してるか。本当の事を言うつもりがあったら~って言われてたけど、都合の悪い事なら言わなくてもいいわよ」

「都合が悪いっていうか……言っても信じてもらえそうに無いことなんだけどちゃんと話すよ。まずは物的証拠から――」

 学生証の他、残しておいた硬貨や紙幣を見せながら一刀はこれまでの経緯を話した。

「私はキョンシーとかも見たし、何が起きても不思議は無いかなって。冥琳はどう?」

「言葉だけだったら信じられんようなことだが、この学生証や紙幣を見れば今の我々とは比較にならない技術で出来ているのが分かる。それに加えて蒸溜の原理を筋道立てて説明できるのは高度な教育を受けた証拠だ。私も信じるよ」

「……2千年先の事を知っていたって、相応の設備が無ければこんな貨幣や道具は作れないでしょ?」

「絶対無理。これを作るための道具を作るための道具を作るための……って感じで、大規模な工場とかが必要になる。それに俺もそういう分野の専門教育は受けてないから……」

「そりゃそうよね。むしろ2千年の蓄積が簡単に再現できるものなら私たちの子孫は何をしてたのか! って張り倒してる所よ」

 一刀にとって幸いな事に、孫策も曹操と同様未来の知識を積極的に用いようとは考えていなかった。

「私としては私たちの敵に肩入れしなければ未来人でも天の御使いでもなんでもいいかな」

「天の御使い?」

「洛陽まで行ったのに知らないの? って言っても春頃に流行った噂だし、零陵に居たなら知らないか。管輅って占い師の予言で、乱世を正す救世主が現れるとかなんとか。その頃は大量にいた自称御使いが民草から金を巻き上げようとしてたのよ。結局そういった詐欺師は捕縛されたんだけど、上昇志向の強い一部の士大夫は自分が天の御使いだと言われるように行動を正したの。これでいくらかでも世の中が良くなれば、確かに御使いは世を正したことになるわね」

 そんな噂話、演義にあったか? と一刀が考えていると、

「それはそれとして、一刀の国にはどんな酒があるの?」

「どんな酒って……基本的にはそんなに変わらないな。サトウキビから作るラム酒とか、ローマ辺りの葡萄酒とか? あとは飲み方で焼酎を果汁とかで割るくらいか」

「果汁で割るってのはすぐできそうね。どんなのがあるの?」

「ミカンとかレモンとか色々。お茶で割るのも――」

 酒やつまみなどの事を一通り聞いた孫策は満足したようだ。

「夜も更けて来たからもう戻るわ。この辺の部屋は空いてるから自由に使って構わないわ。行きましょ冥琳」

 自室に戻ると孫策は周瑜に問われた。

「いいのか雪蓮? 未来の知識は大きな力になる。一刀殿は何としてでも味方に引き入れるべきだ」

「今はこれでいいのよ。私たちは味方で、いつでも貴方の助けになるって態度で接するの。もし未来の知識なり実力なりで声望を高めたら、嫉妬する輩は絶対出て来るわ。現に私たちも厄介払いされているようなものだしね。そこで困っている一刀を孫家が保護すれば私たちの声望も高まるし、もし一刀が何も為さず平穏を望むのならモン族との橋渡しとして使えばいいのよ……あー、母様が私に任せたのって一刀の立場をどう使うか試してたのね」

「大殿が悪役を引き受け、雪蓮が味方になりやすいようにしたということか。捕虜の取り調べでよくやる暴力的な兵と温和な下士官の構図だな。だが雪蓮、大殿に一服盛られたと言っていたが一体何をされたのだ?」

 孫策は言いたくは無かったのだろうが、他ならぬ周瑜が相手なので頬を染めながら答えた。

「……薬で眠らされた後、恥ずかしい恰好で縛られてたのよ。「好きに使え」って書置き付きで」

「それはまた……相変わらず何をしでかすか分からない御方だ……」




「はあ……」

「まだ引きずっているのか? 孫家が一刀の出自をどう吹聴しようと、荒唐無稽な讒言だと言えばそれで済む。むしろ孫堅殿が言ったように、何を言われてもふてぶてしく堂々としていれば良いのだ」

 長沙郡を後にし、長江を渡る船の上で曹操たちへの土産を確認しながら諭される一刀。

「そうだよな……良し、切り替えて行こう! 村で貰った味噌で作る味噌汁、楽しみだな。この際、煮干しとかの出汁が無くても美味しく飲める気がする」

「具にする大根は秋も近いし、中原ならそろそろ収穫が始まるだろう」

「大根と人参の味噌漬けがあるってのもありがたいよ。時期になったら絶対食べたい」

 過ぎた事は仕方ない、と長江を渡った一行は許昌への途上にある新野へ向かった。

 新野に寄るのは公的な用事では無いので町の中で宿を取ろうと門兵に道を尋ねるとそれには及ばないと言われた。

「徐晃の姐さんたちじゃないですか。長沙でも皆さんには世話になってますから、魏延様から客人としてもてなすよう言われておりますぜ……おります」

「ん……長沙の時の義勇軍にも居た人だよ、お兄ちゃん……どうする?」

「そうだな……お邪魔しちゃおうか」

 魏延ならば余計な詮索はするまい、と考え厚意に甘えることにした一刀。張三姉妹に楽器を指導してもらえたとしても、練習には音が出るため使われていない聴堂が政庁にあるのは都合が良い。

 政庁では老若男女問わず忙しそうに働いていた。受け入れた流民で読み書きが出来る富裕層だけでは手が足らず、庶民階級の者まで臨時に雇われているようだ。

 政務の間には丁度一息ついていたらしい魏延が居た。

「久し振りっ……て程でもないか。この前来た時より忙しそうだな」

「お! 来てくれたか。むしろ落ち着いたからこそやることが増えたんだよ。今年は襄陽から食糧を分けてもらえるけど来年は自活できるようにしておきたいからな。冬が来る前に田畑の区画割り当てとか開墾計画とか建てて備えておかないとな。種苗や農具の買い付けもあるし、人手がいくらあっても足りないのにこれ以上増えると考える事も増えるって有様だよ」

 そう言う割に魏延は充実した表情をしていた。

「でも楽しそうだな。李梅……区星たちは荷物整理してくれてるから今は俺だけ挨拶に来たんだ」

「そうか。こっちはこんな感じだけど、一刀の方は大変だったらしいな。なんでも王莽の玉璽の隠し場所を予言したとか」

「冗談で言っただけなんだよ。よくある隠し場所は寝台の下とか井戸の中って……そうだ、天和たちは? 楽器について助言を貰えるとありがたいんだけど」

「楽器? また突拍子もないことを始めたな。地和と人和は向こうの書房で書類仕事をしてくれているから天和も多分そこにいると思う。もし昼食を食べていないようなら休憩するよう伝えてくれ」

 礼を言って魏延が指した方へ行くとやはり人の出入りが激しい部屋があり、そこで天和たちが文官や町民からの報告をまとめていた。

 天和が一刀に気付くと、それまで話していた老婆と若い女性との会話を切り上げて近付いた。

「一刀君たち、長沙の事はもう済んだの? また私たちの礼舞を聴いてくれる? 今度はもっとドキドキさせちゃうんだから、ちゃんと聴いてね」

「前の時もかなり感動したんだけどな……さっきのお婆さんたちとの話はいいのか?」

「うん。あのお婆さんたち、元々新野に住んでた人なんだけど娘さんの結婚相手を流民の中から探してくれないかって相談なの。でも娘さん、既に一緒に仕事をしてる流民の一人と良い仲だったから今度家族同士で会食の場を作るってことで解決したの」

「なら良かった。ところで昼食はちゃんと食べた? もし食べてないなら休憩するようにって魏延に言われたんだけど」

「もうお昼……をちょっと過ぎてるんだ。よし! 皆、一旦休憩にしよう!」

 パン! と手を鳴らした天和が号令すると、報告に来ていた人々がもうそんな時間だったか、と不平を言うでもなく退室して行った。

(あれだけガヤガヤしてたのに殺気立つでもなく解散した……流石は張角……)

 天和の人柄によるものか、既に流民だけではなく地元の人々とも信頼関係を築いているのだろう。

 新任太守として裏方仕事に専念するしかなかった魏延と違い、積極的に顔を出して村々を慰問に周って地元民と流民の融和に務めていたのも大きいだろう。もしも野心があれば魏延を追い出して自身を太守にするよう仕向ける事も出来るであろうが、本人にその気は無いらしい。

「そうそう、俺も弦楽器を始めたんだけど、良ければ少し弾き方教えてくれないか?」

「ホント!? 一刀君なら身体の軸がしっかりしてるし、きっと上達も早いよ! 弓を使うの? それとも爪弾く?」

「――姉さん、ここで質問責めにするのは如何なものかと。食事の後で落ち着いてからにしましょう」

「暇な時にでいいから声を掛けてくれれば。俺は荷解きとか馬を洗いに行くよ」

 昼食に行った張三姉妹と別れ、一通り作業を片づけ居室で休んでいると李梅がやって来た。

「魏延に貰った短刀が役に立ったと言ったら喜んでいたぞ。天和たちに二胡を習えそうか?」

「向こうもノリ気だったけど、忙しそうに仕事してたから暇な時にって頼んだ。まあ今が無理でも帰りにコツとか簡単そうな曲とか教えてもらえたら良いよな」

「一芸をもてば何かの役にも立つ。それはそうと、だ。長沙もここも、胸の大きい女が多いが……区星とて形は良い。興味は、無いか……?」

 李梅は一刀に身を寄せた。

(誘われてる!? あ、李梅の所は母系社会だから、女性側がリードしようとするのか……)

 一刀も奥手ながら女性に興味が無い訳ではない。むしろ年頃の女性に囲まれながら自制心を保っていられたのは、日々の行軍による疲労や精神的な緊張が性欲に勝っていたからだった。

 しかし、長沙での戦を終えて一息ついたことでそれも薄れていた。

「そんなことない……触っても、いいのか?」

 李梅は答えず、一刀の手を取って胸元に導いた。

「ん……!」

 柔らかくも張りのある乳房に指を沈めると、その奥にあるしなやかな筋肉と温かい体温を感じられた。

 初めての感触に名残惜しさを覚えながらも李梅の背に手を回し、そっと抱き寄せる。

 夕陽が射す中、潤んだ瞳で見返す李梅に唇を寄せ――

「一刀君、居る? 聴堂を借りて来たから楽器の練習しに行かない?」

 扉越しに天和の声がした。

「仕方あるまい」

 李梅は離れるとわずかに乱れた衣服を整えると扉を開けた。




 新野には2日滞在し、人馬ともに十分な休息が出来た。

「もう行くのか。また帰りに寄ってくれ」

「音程は練習が必要だけど、拍子と姿勢が良いから段々上手くなっていくよ。それと、一刀君の故郷の音楽に歌を付けてみるね。きっと面白い歌になると思うよ」

 新野を後にして許昌へ馬を走らせる。

 新野では結局一刀の女性関係に進展はなく、燻る関係が続いていた。お互い冷静になってみれば出先で事に及ぶのは憚られるという気持ちもあったからだった。

(どのタイミングでもう一歩踏み出すかって言うと……家を買う? 官舎の独身寮じゃなくて家族用の一戸建てを申請したらそこで……)

 漠然と考えていると桜桃に話しかけられた。

「一刀様、最後に天和様たちに披露した曲はどんな意味の曲なのですか?」

「え、ああ……あれは鼻の長い象の母子の事を歌った童謡なんだ」

「日本にも象が棲息しているのですか?」

「野生じゃないけど動物園って所に居るぞ。天竺とかアフリカっていう砂漠の象も居るんだ。他にも――」

 許昌まで道を遮る賊の影も無く、一行は無事に許昌、曹操の下へ辿り着いた。

 忙しくしてるうちに時間が過ぎてます。もう防護服を着たく無いのに中国でまたコロナが流行ってるようで……

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