第41話 洛陽8 価値
ルキウスが宮城に呼び出され、ローマの政治経済や周辺諸国との外交状況について聞かれたのは劉協達の訪問から2日経ってからだった。
「早ければ昨日にはルキウスの事も地方自治権の拡大も済んでいたのだろうがな。最後の一押しで劉協様に頼み、十常侍と大将軍にこう伝えて頂いたのだ。交州で五銖銭の鋳造と外国との交易で用いることを許されたなら、今回の5倍は財貨を得られる、と。絹、薬、紙も交易品としての価値は五銖銭よりも高いが、貴霜も波斯も広く使える貨幣を求めているのだ。そこに、交易収支以上の価値が見いだせる、とな」
「広く使える……クシャーンもペルシャもローマも地理的に近くてお互いに仮想敵国だから、そんなしがらみのない漢のお金は国際的に流通させやすいということですか?」
一刀の考察に士燮は満足したように頷いた。
「うむ。加えて言えば、彼らは金貨や銀貨を用いるのだが、市民の商取引に使うには価値が高過ぎる。鉄貨や銅貨も作ることがあるが、額面よりも原料が安価であれば私鋳銭が蔓延り、原料の価値が高ければ鋳潰して銅器や鉄器を作るものだ。漢の五銖銭は質も良く、国際的にしがらみもなく、彼らが共通して欲しがる絹の購入に使える。外国の王が認め無かろうが、商人が利益を上げ税収が高まれば受け入れざるを得なくなる」
「なるほど。ですが、そうして外国に五銖銭が流出したらデフレ……貨幣不足からの物価下落になるのではありませんか?」
「その通りだ。これは構想段階なのだが、貴霜や波斯に公館を建て、そこに持ち込んだ五銖銭の量と同程度の交換紙幣を売ろうと思う。交換の期間を販売して1年後から3年後までとし、期間内であれば各国の公館で五銖銭を受け取れる……無論、一斉に交換を求められたとしても交換可能な量を貯め、先に受け取った代金で銅地金などの輸入をする。益州に眠る銅鉱山に投資して開発を進め、漢の辺地にも銭を行き渡らせるのだ」
「それはまた、壮大な計画ですね……」
「まだ何一つ手を付けていないがな。しかし、夢を見るなら大きい方が良かろう?」
「……竜胆様でも夢を見るのですね」
「夢に狂うから、理想と現実の境で正気を保っていられるのだ。小綺麗な大人の生き方なんてつまらんぞ、北郷一刀」
そう言って笑う士燮に、一刀は少年の姿を見た気がした。
その後、宮城から戻ったルキウスによれば辺境国設置が天子に上奏されたとのことだった。辺境国の国主はまだ決まってはいないが、外交と五銖銭の鋳造所設置の許可が下されるのは確実らしい。
「辺境を治める事の難しさはローマでもよく知られているけど、士燮殿が外交の窓口になってくれるなら安心だよ」
祖国から託された任務を終えた事でルキウスの顔は晴れやかだ。また、絹の製法を知る一刀と違い、その秘密に触れるリスク軽減のために外出の自粛を要請されているルキウスだったが、その時間を使って設計していた船の完成形が見えて来たそうだ。
「ガレーと漢の楼船や大民船(ジャンク船)を組み合わせてみたんだ。推進力の主力を帆にして櫂は予備にすることで、三段櫂船みたいに漕ぎ手の座面を必要としないから積載量は増えると思う」
「この設計図だけ見ても、この先の時代の帆船と遜色無いと思います……この鈎爪みたいな出っ張りはなんですか?」
「昔考案されたコルウスっていう接舷攻撃用の装置なんだけど、これを起重機にして荷物を積み上げられたらなって思ったんだ。どうしても喫水が浅くなるし、重い荷物を持ち上げるなら人力よりは道具を使いたいからね。いっそ、横帆の帆桁に滑車を着けてもいいかもしれないね」
(映画で見る海賊船みたいなもの、俺が口を出すまでもなく完成したぞ……流石に舵輪とかは……いや、途中で気付くか)
「後は帆を操る訓練と季節ごとの風の向きを知る事だね。櫂を手動力にしないから、風が凪いだら弱いんだ」
「ルキウスさんは船の設計士って訳じゃないんですよね。どうしてこんなすぐに帆船の設計ができるんですか?」
「祖父がテルマエの設計士として財を築いてね。私や父が良い教育を受けられるようにしてくれたんだ。ただ、私も父も祖父の発想には及ばなくてね……テルマエの設計とは別の道に傾倒したんだ。私は従軍の過程でカストラや船の修理を学んだのさ」
「それだけで船の図面が引けるなんて凄いと思います。あと、カストラってなんですか? キャッスルの語源?」
「カストラは頑丈な野営地……軍の補給拠点にもなる所かな。技師の徒弟として従軍していたんだよ」
「……ローマに城を作られたら敗ける、なんて異民族に言われてませんでした?」
「昔の時代を扱った演劇だと戦地でテルマエまで作り始めてたよ。つまり、勝つまでやるって意志の強さがローマの強さだと認識されていたんだろうね。さて、船の模型を作ってみようかな。暇になったらいつでも来てよ」
朝廷の使者が士燮の下に仮称・南蛮国の外交を司る者の印綬が届けるまで待機することになったが、これはもう十常侍からの暗殺はほぼ無くなったものと考えて良いだろう。
陸のシルクロード交易で波斯ことパルティアが十常侍の想定以上に暴利を貪っているということが問題視されたようだ。かつて漢から派遣された調査隊がパルティアを越えればすぐにアナトリア属州、現代のトルコに辿り着けばローマは目と鼻の先……だというのに、それを騙すことで労せず肥えるパルティアに十常侍の持つ中華思想が反発したらしい。
そして、交州の税として持ち込まれた10億銭相当の交易品を現金化しようと洛陽中の商家に売りつけることで忙しいのだろうと士燮が言った。
「どうさ売るなら持って行ったあの日に売り出せば良かったのだ。貢物の列を見た商人が興奮している間なら商売敵を出し抜こうと金を出すことに躊躇わない商家が多かっただろうに。国庫を私物化していることに未だ罪悪感があるのだろうが、戦費を賄うためにすぐ売りましょう、と一言主上に上奏するだけで済むことだ。蔵から出す手間も省けるしな」
ともかく暗殺に怯える必要がなくなったので久し振りに馬の運動兼、馬超にサングラスの礼をしに行くことにした一刀達。
馬の準備をしていると孫権が甘寧ともう一人、小柄で長い黒髪が特徴的な少女を連れて士燮邸にやってきた。
「む……北郷殿、遠乗りに出られるのですか?」
「孫権殿……ええ、これから馬家の馬超殿の所へお世話になった御礼に行こうと思いまして」
「御礼が遠乗りですか……? 士燮様と皆様に、母から呉の名物である焼酎を贈らせていただきたいのですが受け取って下さいますか?」
「贈り物を頂くようなことは……あ、モン族の区景さん宛てということですか」
「……確かに区景様とご家族へという意味もありますが、姉が北郷殿の事を気に入ったようでして。是非ご縁を結んでおきたいと申しておりました」
「あー……分かりました。ありがたく頂戴しますとお伝えください」
妾云々のことがあって少しばかり苦手意識を持ってはいたが、それが友好関係を断つ理由にはならない。
董衣の手綱を李梅に預け、周泰と名乗った小柄な少女から焼酎を受け取る。
「どうぞ。とても立派な馬ですね」
董衣の馬体を褒めているが、視線はその腰の上に乗っている猫に注がれていた。
「あの猫が気になりますか? いつのまにか馬房に居ついた猫です。馬房に鼠がいるんじゃないかとちょっとした騒ぎになりましたが、毛並みも良いですし人にも馬にも慣れているので迷い猫では無いかと思います。ただ、この近所では猫が逃げたという話を聞きませんので、取り敢えず好きなようにさせています」
「あぁ……流石は自由なお猫様ですね……」
猫に気をとられた周泰だったが、孫権の咳払いで我に返ると控えに戻った。
「それでは私達は士燮様にご挨拶に行きますので、これにて失礼致します」
士燮の下へ向かう孫権達を見送り、受け取った酒を居室に置いて遠乗りの準備をすすめる。
馬家へ遠乗りの誘いに行っていた香風が戻ってきたが、馬超は馬休達を連れていつものように競馬場の野原にいるらしい。
「桜桃は朱里達が乗ってた紫金に一人で乗るんだったな」
朱里と雛里の軍師組は勉強のために残ったので、洛陽までの行軍で二人が乗っていた馬に桜桃が騎乗することになっていた。
「はい。馬超様から頂いたこの眼鏡のおかげで、昼間でも不自由しないくらい見えますので」
以前野良競馬をした野原に着くと、前の時と同じように馬超たちが馬を駆っていた。
一刀一行が近付くと馬超たちも気付いたようで、コースを離れた。
「来たのか、北郷。区連と区星と、紫鈴の……」
「シャンは徐晃。字は公明だけど、好きに呼んで……」
「徐晃だな。よろしく。私は馬超。あっちから馬岱――」
馬超たちと香風が自己紹介を終え、改めてサングラスの礼を伝える一刀。
「沢山ある物だから気にするなって。それよりも、早く本気で競馬できるように上達してくれよ。今日はその練習に来たんだろ?」
「そんなところだ。俺も勝つための秘策が有るからその練習もしたいし」
「ほう、そいつは楽しみだ」
併せ馬の前に一刀は鐙をいつもより少し短く設定した。
「一刀、その鐙の位置は……猿乗りをする気か?」
「あれ、俺の秘策……李梅はこの乗り方知ってるのか?」
「区星の村の競馬で前傾する乗り方が流行った。だが、かなり疲れるし、競馬は戦の訓練の一環で斤量調整の鎧を着なければならないから結局廃れた。胸当て程度の鎧ならまだしも、中原風の重装になると無理な乗り方だろう」
「青銅の鎧を着てモンキー乗り……腰が死ぬな! まあ、覚えておいて損は無いだろ」
「それもそうか」
一刀の鐙の位置を見て馬超たちもその意図に気付いたようだ。モンキー乗りについて感覚的には理解しているが、実用性の観点からこの乗り方はしないらしい。騎乗方法を洗練させる前に棄却されたモンキー乗り、どこまで通用するのか。 2頭ずつの併せ馬で一刀は馬超と組んだ。学園入学前に親戚の牧場で習って以来の乗り方なので緊張はあった。
「そう硬くなると振り落とされるぞ。もっと気楽に行こう」
「そうだな。董衣は激しく揺れる走り方じゃないもんな」
一刀が董衣の首を一撫ですると、任せろと言わんばかりに鼻を鳴らした。
併せ馬を始め、腰を浮かせ身体を前傾させる。最初はわずかに、スパートを掛けると董衣の背に張り付くように身体を前傾させる。
走り終えて鞍に腰を下ろすと脚にかかった負担が襲ってきた。
「これまでの行軍で太ももバキバキになってたつもりだけど、まだまだだった……ほんと競馬関係者ってタフだ……」
「そうは言っても随分走るじゃないか! 全力で走らせても追い抜けなかったぞ。伝令にもその走り方をやらせたいが、鎧無しは危険だしな……」
「鎧着てこんな走り方はできないだろ……もう少し練習してみるか。董衣はまだまだ余裕そうだし」
自分に出来る事を増やし、何らかの形で親切にしてくれる人達に恩返しをしたいと願う一刀。
「それなら襲歩じゃなくて駈歩くらいで、抑えながら長い距離を走らせるようにするか。北郷と董衣の駈歩なら、並の馬の襲歩と駈歩の間ぐらい速いからきっと役に立つぞ」
長距離を一定のペースで走らせる練習をしつつ、馬超から馬が疲れ難い西方乗りことウェスタンスタイル風の乗り方や旅に持つの乗せ方を教わる。
(これから乱世が始まったら荊州の伝令くらいは……って、あの董卓様じゃ反董卓連合が始まらないんじゃないか? それはそれで平和でいいか……)
その後も運動を終えるまでに併せ馬のパートナーを交換しながら走り、一刀一行と馬家の仲は深まった。
士燮邸に戻ると、既に朝廷からの使者が印綬と帛書を士燮に授けた後であり、兵糧の準備さえ済めば明日か明後日には出発出来るようだ。
「許昌で李白さんが言った、蝗がどうなるかだよな。もう発生してるのかな?」
「何かあれば曹操様から連絡が来るはずです。まだ発生していないか、或いは発生中で身動きが取れないのかもしれません」
「それよりも、許昌は事前に準備が出来ましたが、宛や新野の備蓄が心懸かりです。宛は黄巾党に備えて軍を動員していたようですし、新野も流民が増えたことで備蓄が足りても次の収穫前の作物を蝗に喰い尽くされたら……」
「朱里の言う事ももっともだ……新野は襄陽から支援が受けられるとして、宛が危ないな。荊州だけど中原寄りだし、北東の許昌、南の新野くらいだろ、大きい街は。東と西は山道だし……」
朱里はしばし考え、
「実際に蝗害が確認された訳ではありませんし、私としては蝗が出ていた際の対応策を士燮様と曹操様に献策しておくのが妥当かと思います」
「許昌方面は蝗が進んで行くとして、漢水を挟んだ襄陽に兵糧を分けてもらうよう取り付けるか?」
「江陵からも支援してもらいましょう。漢水から船を出せば距離の不安もほとんどありませんし」
「なるほど。じゃあ朱里の献策、俺から士燮様に伝えておくよ。蝗害なんて起きないのが一番だけどさ」
筋肉痛に痛む脚をさすりながら一刀は士燮の下へ向かった。
概ね忙しいのは終わりましたが、それでも時間を取れそうなのが6月に入ってから……
質の良い貨幣を鋳造して周辺国にばらまくように貿易をすることで、互いに緩やかなインフレと好景気と文化交流が起きて国境での諍いが減った、らしいです。南宋では。




