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第37話 洛陽4 野良競馬

 朝廷への参内を明日に控えた一刀は千歯扱きを組み立て、謁見の際の手順を確認していた。

「まずは士燮様、ルキウスさん、そして俺。士燮様達に続いて小走りで進むこと、促されたら献上品の目録を読む。何か聞かれたら正直に答えること……控えの間でお茶を出されたらまずは桜桃が毒見……たったこれだけなのに、なんでか緊張するんだよな~」

 一刀自身は漢の皇帝に対して忠誠やおそれといった感情を持ち合わせていなかったが、これまでの「皇帝への税を運ぶ」旅の中で太守や民草の有形無形の援助と態度を見ているだけに無意識に緊張してしまう。

「今更怖じ気付いたのか? 皇帝は皇帝でしかない。皇帝個人の振る舞いも気性も知らずに勝手に恐れる必要などないだろう」

「それはそうだけど……沢山の人が「こうだ」って言ってると、そういうものなんだ……って刷り込まれるっていうか、そんな心理が働いてんだろうな。李梅はそういうのは無いのか?」

かねと同じだ。誰もが価値があるという約束の上に成り立っている。誰からも見向きもされなくなったら金も皇帝も価値は無くなる。奉じるに値しない人物からの非礼や評価などどうでも良い。友や家族から理解されない方が耐えられん」

「……その辺は士は己を知る者のために死す、ってのと似てるな。やっぱ死生観が戦国時代と似てるのかね? この時代」

「春秋戦国の事など知らぬ……誰か来たようだ」

 李梅が言った通り、侍女が士燮からの伝言にやってきた。明日の参内のために今夜は風呂を沸かすので存分に運動をしても構わない、との事だった。

「運動……遠乗りでもして気晴らしして来いって事かな? 袁術様と袁紹様の時に白い制服で目立ったから、いつもの乗馬用騎兵服なら目立たないもんな」

「そういう意味だったのか? ……皆にも声を掛けて来るから一刀は馬の準備をしておけ」

 李梅に促され一刀は馬房に向かった。毎日挨拶していたとは言え、一刀が鞍の用意をしていると董衣は興奮した様子で待っていた。

「お前はなんで懐いてくれたのかね? 李梅の子分だとでも思ってるのか?」

 一撫ですると顔を寄せる董衣に押されながらも馬具の確認を済ませる。花相にも鞍を準備していると李梅がやってきた。

「皆、本を読んだり明日の準備をすると言っていた。外に出るのだから剣を用意しておけ」

「二人だけでっていうと区景さんを迎えに行ったとき以来か。なんか懐かしいな」

「そうだな……」

 馬具と荷物を確認して洛陽の外門へ向かう。香風から近道を聞いていたのか、李梅の案内で迷うことなく門に着いた。もしかしたら賄賂を要求されるかも、と身構えていた一刀だったが拍子抜けするほどあっさり外に出ることが出来た。

 壁の外に出たので騎乗し、先日香風と桜桃が遠乗りをした野原へ向かう。

「馬の良し悪しが分かるのだろう。金持ちの馬丁を止めたら何をされるか分からないからこうも簡単に通すのだ。警備がなってないのではないか?」

「李梅は郭石隊長のとこで門番もしたりしてたんだっけ? そりゃあ気にするよな」

「せめて身元の確認くらいするべきだ……ほう、馬の走った後がはっきり見えるぞ」

「陸上競技場のトラックっていうか、競馬場みたいな形だ」

 洛陽の馬丁達が毎日のように馬を走らせているのか、ほとんど芝のない競馬場のコースのようなものが出来上がっていた。

「っていうか競馬やってないか? それとも集団であわせ馬?」

「調教の一種だろう。騎手の一本結びの女達、西方乗りの手練れだ」

「西のってことは華雄さんの同僚かな? それにしてもこの世界で何かやってる女性、大抵凄い人だな……」

「女の方が氣が多いそうだからな。我々も運動場に入ろう」

 一応コース外で馬に草を食わせていた馬丁達に声をかける。今日は競馬の日ではないから自由に走らせても構わないとの事だった。

 以前は野良競馬が行われていたが血の気が多く、馬を巻き込んでの私闘に発展することが多かったのを呂布が止めたらしい。そして呂布の軍師を名乗る陳宮が野良競馬を取り仕切るようになってからは私闘やレースの回数が減り、馬の消耗も抑制されたとのことだった。

(陳宮って最初から呂布の軍師だったか? まあいいや)

 董衣や花相のような良い馬に乗ることを羨まれながらコースに侵入する。初めて董衣に騎乗した時は農道のような狭い道だったため速度を感じやすく恐怖心のあった一刀だったが、乗り慣れたことと広いコースで隣の李梅と花相が付いている安心感から董衣の好きなように走らせた。

 2周してからコースを外れると、例のポニーテールの少女達の一人が近付いてきた。

(李梅の言った西方乗り、ウエスタン乗馬のことか。と言っても、手綱を緩めてるとか馬具の頑丈さくらいしか違いが分からないけど)

「やあやあ、そこのモンの娘さんと匈奴の胡服みたいなのを来たお兄さん。良い走りっぷりじゃないか。私は西涼の馬超だ。よろしく」

 一刀は突然やってきた馬超に戸惑いながらも、

「よろしく、馬超さん。俺は北郷一刀。東の海の向こうの島国出身の遭難者だ。隣に居るのが――」

「区星だ。涼州の馬家と言えば当主の馬騰殿の噂を聞いている。とても賢明な人であると益州や西戎の諸部族からも評判だ。それで、馬超殿は何用で?」

「ああ、とても良い走りをする馬だったから是非近くで見たくてな。二頭ともすごいトモの張りだ……北郷さんの馬は牝馬なのに牡馬に劣らぬ大きさだな。とても持久力がありそうだ。区星さんの方は加速と速度に優れた戦向きの馬だ。これほどの名馬、一体どうやって集めたんだ? あと、馬超でいいよ」

 早口にまくしたてる馬超。どうやら純粋に一刀達の馬に興味があるようだ。

「どうやってって聞かれてもなあ……俺は李梅から借りてるだけだし。元々は李梅の所で繁殖と育成をしてるんだろ? それで馬を軍に貸すのが税の替わりだったっけ」

「そうだ。江南や嶺南は流刑になった都の人間が良い馬を連れて来る。その馬を買ったり、軍が買ったのを我々が世話をするから繁殖もやっている。そして産駒がある程度育ったら江南から益州の西、天竺の手前まで交易に行くこともあるから自然と鍛えられているのかもしれん」

「へー……益州っていうと山がちな地形なんだっけ? 坂道でトモが鍛えられているのか……ウチにも鍛錬用の小山を作ろうかな」

 考え込みながらも目は董衣と花相を離さない馬超。その様子に馬超が乗っている淡い栗毛が嫉妬しているのか暇なのか、大きな欠伸をしてから馬体を震わせた。

「すまない、満天。退屈させてしまったな。それじゃあ北郷、区星、良ければ後で少し走らないか?」

「董衣もまだ動き足りないみたいだし、構わないぞ」

「区星もだ」

「ありがとう! 折角だし妹達も交えて競争形式でやらないか? 鞭と拍車は無しで。ここは大周りの走路で5里(約2㎞)だから、5歳くらいなら余裕だろ?」

「そのくらいなら丁度良いかな。でも、董衣も花相も……俺達の馬だけど、どっちも3歳だぞ」

「うむ。産まれてから3年の若駒だ。競争は初めてだからお手柔らか? に頼む」

「3歳でその馬体か……分かった。馬の調子を優先してやってくれ。馬休達……青い服が馬休で赤い服が馬鉄、橙色のが馬岱なんだが、あまり近付き過ぎないように伝えておく」

(練習程度でも馬超と走る事になるとは……何が起こるか分からんもんだ)

 気軽にやろうと馬超は言ったが、一刀は落馬事故の恐ろしさや、この時代での骨折が命に係わるものだということを認識していた。そのため馬具や蹄の状態などの確認は慎重だった。

「異常無し。李梅の方は?」

「花相に問題は無いな。ただ、競争するなら蹄鉄を付けてやりたくもある」

「もう蹄鉄があるんだ……」

「今までの旅程で様々な道を歩いたから、蹄は頑丈な状態だ。だが競争で勝ちに行くなら、やはり滑り止めになる蹄鉄をつけてやりたい」

「やるなら勝ちたいってのは俺もあるけど、今回はレース、じゃなくて競争慣れさせるつもりでいこう」

「そうだが、狙えるなら勝ちに行くぞ」

 馬超の方も準備ができたのか、妹達を連れてやってきた。

 コースについて簡単に説明を聞きながら発走位置に着く。馬丁の一人が発走の掛け声を出してくれるとのことだったが、競争のニオイを嗅ぎつけた他の馬丁達が飲み代程度の賭けを始める。

「あのデカい牝馬も気になるが、乗ってるのが丈夫(背の高い男)で他が女じゃなあ。斤量で不利だから、俺は馬岱ちゃんに賭けるぜ」

「それなら乗馬の腕と馬の良さで馬超ちゃんだ」

「褐色の嬢ちゃんの落ち着きも評価できるぞ」

「俺はこの前に稼がせてくれた馬鉄ちゃんで」

 ――馬休ちゃんの方が、いやいやこれからは牝馬の時代だ、と盛り上がる。そんな観戦者のことは無視して各馬、騎手ともに発走の合図を待つ。

 コースの内側に立つ馬丁が大きく手を上げ、

「出ろーーっ!」

 振り下ろす。それと同時に並んでいた馬が一斉に走り出した。

 ハンデとして内枠を貰っていた一刀は董衣の持ち味であるスタミナを活かすべく前へ出る。事前に競り掛けは無しと約束していたが、それでも隣に他の馬の気配があるのは競争慣れしていない董衣はもちろん、一刀にとっても大きなプレッシャーだった。

 馬超達はこれがただの暴走か作戦か見極めるためにも控えめに馬を走らせる。人馬ともに一刀より競争経験も上なら騎乗時間でも遥かにまさっており、多少ハナを譲っても差し切る自信は十分にあった。

 一刀を先頭に、5馬身ほど離れて馬超、馬鉄、馬休、馬岱が一群となり、最後尾に李梅の並びになった。

「おいおいあの牝馬、暴走してんじゃねえか!? 俺の飲み代が!」

「へへっ、あの馬は競争慣れしていないって聞こえたからな。そりゃそうさ」

 観戦者の悲鳴を背にしながら最初のコーナーに差しかかる。

(先頭を取ったのは正解かな……後ろに着いたら蹴り上げられた土で俺がヤバい。それにこんな速度でコーナーを曲がったりなんてしたこと無いから、先行した距離の貯金で少しゆっくりめに曲がれる)

 速度を落とし気味に曲がった一刀に対し、後続集団は速度をほとんど緩めずにカーブを曲がる。騎乗に対する絶対的な経験値の差だった。

 向こう正面の直線で再度董衣を加速させ距離を開ける。一刀なりの作戦を看破した馬超は、その意を汲んで走る董衣と一刀の信頼関係に感心しながらも惜しいと思った。

 ――もっと経験を積んでいれば良い勝負ができただろうに――

 一刀が4コーナーに入った時、後続集団が一斉に馬を進めた。

(後ろから足音が近づいて来てる! これは捉えられたか!?)

 それでも董衣の体力には余裕があり、なんとかハナを切ったまま最後の直線を走る。

「え? 嘘!?」

 後方から馬岱の声が聞こえたが一刀には振り向く余裕は無かった。猛然と加速してくる馬超からの圧力を感じるほどの気迫を受けて必死だったのだ。

 残り50mで馬超に差し切られた刹那、李梅までが一刀をかわし馬超に並びかけた。

 その2頭の競り合いのたった数秒が、一刀には数十秒にも感じられた。

 発走を指示した馬丁がゴール板の替わりに立っており、その判定では馬超が1着、クビの差で李梅が2着、3/4馬身差で一刀が3着となった。

 順当な結果とはいえ良い走りを見た、と馬丁達の興奮冷めやらぬ中、

「はー……ごめんな董衣。負けちまった」

 負けて元々、と思っていたが意外なほど悔しさが残った。手綱を通して董衣の力走を感じればこそだろう。

 愛馬の首を撫で、速度を落としながらコースを外れて下馬する。董衣の状態はまだまだ走れると興奮しているようだったが、競争は終わったという事を理解してか徐々に落ち着いた。

「北郷、とても良い勝負が出来たよ。でも、私は勝ったとは言えないと思うんだ。私達の方がこの走路に慣れてたし、もっと距離があったら敗けていたのは私達の方だったかもしれない。お前達は3角4角で息を入れてたし、本当に大したもんだよ」

 馬超が寄って来て下馬しながら言った。

「ありがとう。でも、李梅はともかく、俺の騎乗が未熟なのは事実だしな。曲がる所でビビッて速度を落としちまうんだもの。それでも3着なのは董衣が頑張ってくれたお陰だよ」

「そのことなんだがお前達さ、ウチに来ないか? あー、仕官しろっていうか、ウチを拠点にして騎乗技術を学んだり商売したらどうかな? ってさ」

「馬の練習は分かるけど、なんで商売なんだ?」

「え? だってお前達、交易商じゃないのか? 遭難ってのは建前の密入国で、ここで絹を買い付けて波斯ペルシャかその手前まで行くんじゃないのか?」

「いやいや、李梅……区星は零陵の武官だし、俺は本当にただの遭難者だ。それを零陵太守代理の呂強様の御厚意で、納税団に混じって帰りの航路探しをしてるところなんだ。それで明日参内して皇帝陛下に献上品を渡す予定」

「は? 主上に? 何で?」

 いまいち馬超は理解しきれていないようだったが、何かあったらいつでも馬家を頼れと一刀に言った。

「馬と手綱を通して血を通わせてんだから、北郷も区星も良い奴に違いない」

 と、馬超なりの賛辞を送られると李梅と馬休達が帰って来た。

「姉さん、区星さんってばすごいのよ! 3、4角を膨らまないで内側を走るって理屈は分かるけど、あんな荒れた馬場を行くなんて普通しないわ! 芝も無いのに加速するなんてどんな鍛え方をしたのかしら?」

「どんな道であれ、虎狼も野盗も待ってはくれないからな。似たような道は何度も経験している」

 どうやら李梅は、競争慣れしているが故に荒れた馬場を通るとは思わなかった馬休達の意表を突いたようだった。

「近寄らせ過ぎないとか色々配慮してくれたから自由に動けた。もしまた競馬をやるなら、次はどうなるか分からない」

「この謙虚さだもの。ウチに仕官しないかって誘ったら、もう零陵ってところに仕官してるんですって。惜しいわ~」

 李梅達も一刀達と同じようなやり取りをしていたのだろう。

 なんにせよ、図らずも漢の中では有力な武門の馬家の次期当主と友情を結んだ一刀。正史通りならこの後の董卓の専横や三国鼎立で馬家は激動の時代に翻弄されることになるが、この縁がどう影響していくことになるかは神ならぬ一刀には分からなかった。

「あ……この時間だともう眼鏡屋に寄れないな」

「明日、いや明後日でも良いだろう。眼鏡屋は逃げん」

「お前達、視力が悪かったのか?」

「いや、区星の姉さんの眼が夜目が効き過ぎて、日中の日差しが眩しすぎるんだよ。それで黒っぽい硝子の眼鏡があれば欲しいなって」

「それならウチに沢山あるぞ。競馬で前から飛んでくる泥に眼をやられないようにする、こういうの」

 ジョッキーゴーグルのような形を手で示す馬超。

「え!?」

 意外なところからサングラスの件が片付きそうだった。

 おかしい……どうして競馬が始まったんだ……?


・書き忘れた前回のネタ解説

 前回の住血吸虫症は真の時の漢ルートで一刀という少年が病に倒れていると聞いた華佗が漢坂を登った……というのと、長沙にある馬王堆漢墓の記録から。

・今回の競馬

 荒れたインコースを強襲した白いアレの皐月賞……董衣と花相は重馬場得意、馬超組は良馬場得意なイメージです。生活している土地や相手にする敵との主戦場の違いでそうなりそうというところからです。

 この話の中では江南での戦は森林が多いので基本的には歩兵によるゲリラ戦と、散発的に襲い掛かる騎兵で敵を隘路や坂に誘導しての伏兵や罠を主体にした戦闘が基本戦術になっています。

 そのため江南、益州は力強い馬が多く、涼州は敵も味方も騎兵が多いため基本的には開けた土地での騎兵同士の会戦主義によるスピード重視の馬が多いようです。

・今後出て来るか分からないもの

 馬超の馬の名前の満天はカスミソウの中国名の一つから。花言葉が「清らかな心」「無邪気」「親切」「切なる願い」なのであっけらかんとした翠と魏への復讐を果たそうとする馬超っぽいなと。産まれた時に曇り空が晴れて満天の星空が現れた、なんて縁起があれば天の付く名前もありそうかと。趙雲の馬なんて白龍で名前に龍が付いてますし。

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