第31話 許昌4
急いで厨房へ向かう荀彧を見送る曹操。
「あの娘の気性を考えれば、貴方に注意を促しておいた方が良かったわね」
「迎えてくれた二人ともが男性を苦手にしていたんだから、まあ仕方ないかな」
曹操が許昌に帰城した日に季衣と雛里達とのお茶会を偶然曹操に見られて以来、一刀達は公務中でないのなら平易な言葉で構わないと曹操に言われていた。初めて出会った時は儒教的な上辺だけの儀礼的な言葉遣いは嫌いだと言っていたがそれ以上に、
(馴れ馴れしい……って言うよりこうしている方が納まりの良さを感じる。波長が合うって奴か?)
「そうではなくて、私が送った書状に貴方達が義勇軍を指揮して戦ったことに感心していると書いてしまったのよ。だからあの娘達が嫉妬してしまったという訳」
「まああのくらいの悪戯なら別に。学生寮でコーヒーの分量を間違えて、もっと凄いのを友達と飲んだ事あるから……」
「珈琲?」
「珈琲……」
不思議そうな曹操と、眠れなくなったことを思い出す李梅。
「香りの良い豆を挽いてお茶のように呑むものかな。目が冴えて眠気を抑える作用がある。実物はまだ荷物の中に残ってたな」
「それは人体に悪影響は無いの?」
「飲み過ぎは身体に良くないけど、どんなものにも言えることだからなあ」
「それもそうね。もし良かったら今度頂けるかしら?」
「もちろん。ただ、かなり苦いから気を付けてくれ」
「失礼します。お茶を持って参りました」
荀彧が茶と茶菓子を持って入室した。以前ほど露骨な嫌悪を見せはしなかったが、それでも極力一刀に近づこうとはしなかった。
「ありがとう桂花。それじゃあ仕事に取り掛かって頂戴」
「はい。華琳様」
荀彧が退室すると曹操はため息を吐いた。
「あの娘が客人相手にこんなにじゃれつくなんて思いもしなかったわ。今まで身内以外には最低限でも体面を取り繕っていたのに」
「じゃれつく……」
「甘えているとも言えるわね」
「甘えていると言うのなら、曹操様も一刀に対して甘えていないか? 初めて会った時から距離感が近いように思える」
「甘えている? 私が?」
李梅の言葉に不意を突かれたような曹操。
「……そうね。確かに区星殿のいう通りかもしれないわ。真名も許していないのに、旧来の友のような接し方をしてしまっている。何故かしら? 貴方の人徳というものなの?」
「俺に聴かれても……庶民っぽさが接しやすいから、とか?」
「区星が思うに、一刀のこの時代には珍しい善性と放っておけない危うさが原因だ。目を離せない小さな子供のような……それ故、つい弟のように接してしまう」
「何だかとても納得出来る意見だわ」
「俺、弟っぽいかな? ……李梅姉さん」
「そういう直接的な意味では無いぞ、馬鹿者」
言葉では否定するが満更でもない様子だ。
「それはそれとして、私としては一刀とその食客が私の下へ来て欲しいのは本当よ。もう知ってると思うけど、急に領地が転がり込んできたせいで手が足りないの。でも、貴方達には士燮様が先に手を付けているから成り行き次第ね」
「士燮様が? まあ無償で協力してくれてる訳では無いと思うけど、悪い事を考えているようにも思えないんだよなあ」
「辺境の交州から中央政府に影響力を拡大させている傑物よ。まだ無名だった頃の私が丁氏と縁を持つ切っ掛けを作ったのが士燮様だもの。頭が上がらないわ。ただ、私が言えるのは大きな事を成そうとしているとだけ。区氏の代表とは調整済みよ」
丁氏のことを知らない一刀に、最近尚書、司徒を歴任した人物を出した一族だと曹操が補足した。
「祖父とは昔からの友だったそうだからな。何か企んでいるとは思うが、区星には教えられていない」
「……まあ貴方達はこれから洛陽で趙忠からの嫌がらせを捌いていかなければいけないでしょうから、自分に出来る事を全力で取り組んでいきなさい」
「宦官の趙忠ねえ……ところで、黄巾党の首領ってどうなったんだ? 太平要術は燃えたし、波才から預けられてたって部下はこの前ので焼死したし」
「首領の張角の事? 先日、自称義勇軍が13級目の首級を持ってきたわ。最初は旅芸人の女という情報だったのだけど、今では身の丈十二尺で体が鱗で覆われている三つ首の大男という事になっていたかしら。薔薇から産まれたなんて伝説があるそうよ」
「何か、色々混ざってるな……」
「厄介なのはただの盗賊までもが黄巾党を名乗ることよ。中々本隊に辿り着けないの。そこで皇甫嵩様が自らを囮にして包囲させたところを私が囲んで討つことになったのだけど、10万も集まるとは思わなかったわ」
「その時の討ち漏らしが集まったのがこの間の……ただの盗賊と黄巾党の見分けってつくのか?」
「戦術かしら。基本的には盗賊も黄巾党もただ向かってくるだけなのだけど、波才に教育されていた部隊は官軍の下士官や指揮官を狙うわ。こちらの指揮能力を下げることをしてくるのが特徴と言ったところね」
「考えているんだな」
それから少しすると、女中から一刀を尋ねて来た男がいると報告が入った。
「その人、多分蝗について教えてくれた人だと思う。表に行って話してくるよ」
「例の詩を詠んだ人物? それなら私も行っていいかしら?」
曹操の同行を許して李白と思われる男の下へ向かった。
女中の案内で客間のような部屋に入ると酒の抜けきらぬ様子の男がいた。
「この「白髪三千丈」、雄大な文句じゃねえか。兄ちゃんが思いついた詩の続きを披露してくれるってのか?」
「そういう訳ではないんです。貴方は李白さんではありませんか?」
「如何にも俺が李白だが……名乗ってたか?」
「酒の無心に来ただけで名乗ってはいませんでした。李白さんは今の世に違和感を覚えていませんか?」
「何のことだ? まあ久し振りに山を降りた時にまた飯が旨くなったと思ったが……」
「突拍子もないことだとは思いますが、私も貴方も今よりもっと未来からこの世に来たのだと思います」
「仏教の輪廻転生の話しか? 宗教の勧誘なら他の奴を当たってくれ」
「そうではなくて、実際に時代を越えてしまっていて故郷に帰れない状態なんです。それで――」
一刀は李白に自身の状況を説明した。仮に李白が一刀の事を言いふらしたところで酔っ払いの戯言として処理されるだろうとの考えからだった。
李白は疑わしそうな表情をしながらも最後まで一刀の話を聞いた。
「それで私は帰るための方法を探していたんですが、私と同じ状況かもしれない李白さんに話を聞けたらと思ったんです」
「……故郷を思ってそうと感じたのはそれか。つっても俺は何も知らん。俺の祖父様はトゥルク系、産まれも育ちも親父に連れられ西へ東へ行ったり来たりの根無し草、そしてこの国は来るたびに変わってやがる。俺がいつどこで産まれかなんてのもどうでも良いのさ。酒を飲んで詩を詠んで、飯が旨けりゃそれでいい」
「一刀。どうやら李白殿にとってこの世……いえ、李白殿の生は胡蝶の夢のようなものなのだと思うわ。だからここがどこでどんな時代かなんて本当にどうでも良いのよ。きっと一刀の時代に行っていたとしても、その才能だけで好きなように生きていくことでしょう」
「金髪の嬢ちゃんの言う通りだ。俺にとっては面倒な事が無ければそれでいいのさ。兄ちゃんの境遇には同情するが、俺に出来る事なんて何も無いぜ。悪いな」
「……そう、ですよね。いきなり変な話をしてすみませんでした。最後に教えてください。李白さんに真名は有りますか?」
「俺の家族に真名の習慣は無い」
「……そうでしたか。ありがとうございました」
「話はそれだけか? 面白くないな……そうだ、詩を一つ詠んでみろ」
「え? 詩の才能なんて私には……」
「素人に期待しちゃいないさ。いつか俺を唸らせるような詩でもなんでも作って見せろ。出来たら俺の居る山に来い。それか兄ちゃんの故郷に行く方法が見つかったら、俺に未来の酒をおごってくれや」
「おごって……そうか、来るのも帰るのも片道とは限らないな……分かりました。必ずそう致します」
「まあ俺の寿命までに頼むぜ」
李白が政庁から出る頃には長く続いていた雨が止んでいた。久し振りの日光を浴びながら李白は上機嫌で帰って行った。
「李白さんが俺と同じ歴史から来てたんなら波乱万丈の人生だったみたいだし、ここに居た方が安全なのかもしれないな」
「世捨て人に成るほどのか」
「朝廷に招かれたり宦官の讒言で追放されたり撤回されたり色々」
「碌でもないな。その朝廷」
「私は珍しいものが見れて良かったわ。一刀はどうなの? 帰還の助けになりそうな情報は無かったようだけど」
「俺と同じかそれ以降の時代の人じゃないとタイムスリップ……時間移動? の概念がうまく伝わらないって思うし、覚悟は出来てたよ。それに李白さんもあの様子だからあんまり期待はしてなかったかな」
「ふうん。貴方がそれで良いならいいのだけど……晴れたけれど明日すぐに出発という訳にはいかないのでしょ?士燮様の大荷物、相当重そうだもの」
「……もしかして中身の検討付いてたりする?」
「士燮様から聞いたわ。金と銅を相当量でしょ? 具体的な量は聞いていないけれど、まだ私は知らなくても良いという事でしょう」
「多分その方がいいと思う……俺、見せられて恐くなったもん」
「何よそれ……」
「まあ出発は明後日の路面次第かな。士燮様に相談しないといけないから失礼します、曹操様。行こう李梅」
道路の状態が良くなり出発を控え一刀は輸送隊の荷物を確認する。税として納める銭と南方の珍品の他に食料、そして李典から受け取った回転式千歯扱き。
千歯扱きを見た曹操は各村落に配りたいから、洛陽から帰還したら量産させて欲しいと言った。一刀は了承し李典達の村を教えたが、千歯扱きを上手く使うためには根元の方から作物を収穫しなければならない。そのためには鎌を流通させる必要があると説明すると曹操は、
「鉄製農具や牛を貸したり、なんなら駐屯させる兵に農作業や開墾の手伝いをさせるつもりよ」
と言った。
(屯田兵か。爺さんから聞いたけど、銭じゃなくて作物での物納でいいから人気だったんだっけ? この世界でも悪銭が増えてるらしいし人手不足の今の曹操軍だと当然の発想なのか?)
「できれば昨日返した流民達を私の所に呼びたいけれど、彼らは新野へ行くそうだからしょうがないわ。徐州方面へ移った黄巾党から逃げて来た流民を保護して軍屯、民屯を進めて行こうと思うの。あの天和という娘に流民の慰撫と募兵を任せれば大いに効果がありそうだったのだけど、少し残念ね」
一刀は去り際の天和を思い出した。
『零陵に帰る前に絶対に新野に寄ってね! 中原で巡業した経験を活かした新曲を作って待ってるから!』
流民の食料事情を支えるために歌い詰めだった生活から離れて休めたのだろう。初めて会った日よりも活力に満ちており、警戒心の無い笑顔は一刀の心に響くような魅力があった。
「新野は中原と荊州を結ぶ中継点だから早く復興させたいって劉表様が言ってたんだっけ? だから税率も低いし住居も世話してくれるとなれば、そりゃ行きたくなるよな。黄巾党も撃退したし、豫洲に曹操軍がいれば安全だしな」
「その私の軍を支えてくれれば、というのは求め過ぎね」
「軍と言えばあの影を怖がっていた馬はどうだった? アレを付けたら落ち着いたんじゃないか?」
「絶影と名付けたわ。元々は馬鎧の兜を被せようとは思っていたのよ。でも首の発育に悪そうだったから軽く済むあのフワフワしたもののお陰で助かったわ」
「正直、未来の物だから怒られるかもって思ってたよ」
「馬に罪は無いもの。それに似たような物なら考えていたから」
曹操の説明では馬鎧を簡素化した布の兜に眼を覆うものを付けて前だけを見せる――現代の競馬用具で言うところのメンコとブリンカーだった。
「重かったりヒラヒラしたり、馬が嫌がりそうだからどちらも試せずにいたの」
(発想の次元が違う。一を聞いて十を知る天才ばかりだ。むしろこんな天才が集まってるんだから火薬くらい出来てたり……)
「明日は許昌を出たら虎牢関へ向かうわ。洛陽に着いたら曹家の屋敷の場所まで案内してあげるから覚えておきなさい」
「久し振りの行軍か。昨日は董衣も駆けまわってたらしいし、俺もちょっと楽しみだ……朝廷への挨拶とか趙忠の事とかは気が重いけど」
「そうそう、貴方の所の区星殿が出陣前の景気づけに羊を食べたいから売って欲しいと言っていたわ。私も食べたいから厨房に用意するよう命じたのだけど、区星殿は1滴の血も溢さずに捌いて見せると言って牧場に羊を受け取りに行ったわ。解体するところを見学しようと思うのだけれど、一刀も見に行かない?」
「もちろん行くけど……何やってんだ李梅……」
帰る気が無い、或いはそもそもタイムスリップや異世界転移やらの超常現象を認識していない人に会っても有益な情報が得られる確率は低いですよね。




