第30話 許昌3
千歯扱き作成の前金を渡すと、いつでも進捗を見に来れるようにと李典達が宿の場所を一刀に伝えた。
「あの路地に入ってすぐの宿ね……そうそう、夕方頃から雨が降るらしいから気を付けて」
飯店を出て李典達と別れ際に注意しておく。
「ホンマに? よう晴れとるけど……凪、どうや?」
楽進が目を閉じて集中する。
「んー……確かに水気と木気の集まりを感じる。朝は感じなかったのに……午後はほどほどで店じまいをした方が良さそうだ」
「凪ちゃんが気付かなかったのにすごいの~。一刀さんは気を扱う達人なの?」
「いや、雨が降るって教えてくれたのは李梅……区星の姉の区連だ。眼を閉じたまま歩いてるし、達人と言えば達人かも」
「ほんなら姉さんによろしく言っといてや。濡れ鼠にならんでホンマに助かるわ」
「うむ。伝えておく」
李典達と別れ政庁へ戻ろうとすると大通りがにわかに騒がしい。どうやら曹操が帰城するようだ。
「早いな……黄巾党の捕虜、やっぱり……」
「同情する必要は無いぞ。逃がしていればまた人を襲う。国や村から離れ、他者から奪った以上は法の外に出る事を承知しているのだ。奴らなりの大義があったとしたら、それに殉じたのだから結構な事だ」
「そんなもんか……じゃあ村から離れた流民達って」
「あれは彼ら自身が村だろう。その土地の安全を保証できずに流民を出すのは領主の責任だ」
「そういうので領主が罷免されたりするのか……じゃあ遅かれ早かれ許昌の文官領主は罷免されていたのかな」
「だろうな。治に居て乱を忘れず、という奴だ」
「……やっぱり李梅は賢いな」
「区星なりに自分の村の事を考えているからな。一刀も村民みたいなものだぞ」
「そうなの? じゃあ住民票移しとこうかな」
「なんだそれは?」
曹操の出迎えのために正門へ向かう兵を横目に政庁に帰った。
一刀が李典に千歯扱きの作成を依頼して二日目、依然として雨は降りやむ気配を見せなかった。
この間に一刀は官舎の衛兵をしていた騎兵づてにその友人達と仲を深めた。騎兵らは皆純朴な青年であり、一刀は彼らの愛馬自慢や騎乗姿勢の研究を聴くのが主だった。
そんな折り、一刀は曹操に献上された名馬の仔のことで相談を受けた。
「――自分の影を恐がっているようなのです。よく懐いている馬丁や曹操様が近くに居れば比較的マシなのですが、晴天の下ではどうにも落ち着かないのです」
馬房で見せられた馬は確かに見事な馬体ではあったが毛艶が悪いように感じられた。
(暴れて満足な放牧ができていないのか……運動不足で蹄を悪くする前に対処してあげないと)
そこで一刀が作ったのが簡易なシャドーロール(馬の鼻梁に装着し、下方の視界を遮ることで自身の影を見せないようにする道具)だった。親戚が経営している牧場で見たことがあったのが幸いした。
後に試したところシャドーロールはその効果を発揮し、この馬は曹操より「影より速い馬」、「影を絶った馬」として絶影と名付けられることになるのであった。
一刀が後の絶影のためにシャドーロールを作り終え、時間を持て余したので李梅を連れて李典に進捗を尋ねることにした。この頃には監視の兵が居なくとも政庁の重要区画以外を歩いていても黙認されており、外出の許可も喫食の申請の有無で構わないと曹操から許可が出ていた。
「なんやもう来たんか。言われた通りの物は出来てそこに解体して置いとるで。ただなぁ、ちょっと創作意欲が湧いて……これ見てや」
そういって李典が見せたのは回転式の千歯扱きである足踏式脱穀機、の手回し式であった。
楽進と于禁が使っている様子を模擬で示してくれた。
「一々自分で麦束やらを引いて扱き出すのはめんどいなって思ってな。この円筒に歯を挿して回転させてやれば麦束をかざすだけでええやんって。せやけど、これやと一緒に落ちてまう藁屑の量が増えるんや。贅沢な悩みやってのは分かるんやけど、この藁屑をどうにかする方法が無いか悩んどるんや」
(郷土資料館で見たことある奴だ……千歯扱き一つ作っただけでこの発想に至るってちょっと異常過ぎないか? 藁屑の選別も唐箕のことだよな? 余計な知恵を付けたらまずいかな)
と、一刀が考えていると李梅が、
「藁屑なら風で飛ばしたらどうだ」
唐箕の着想に至るヒントを出した。
「風か……やっぱ箕でふるいわけるか……」
「いや、その円筒をもう一つ用意して扇を挿して風を起こし、上から実を落として風に当てるのだ」
「天才か! そんなら腰を悪うする人も減るで。でもそうなると流石に装置が大掛かりになりそうやな。村で一つ二つあれば十分なもんではあるんやろうけど……」
脱穀の歴史が早まりそうになったため一刀が制する。
「ま、まあ作って欲しかったものは出来たからいいよ。報酬は今度持ってくるからその時に千歯扱きを受け取るから」
「ん? 曹操様に献上するんやろ? せやったらウチらが代金貰いがてら持ってったるで。組み立ても必要やろ」
「え? 献上するのは天子様、皇帝陛下にだよ。だから組み立ては……まだ……」
一瞬、その場の空気が凍った。
「……は? ……は? 天子様に献上するんか?」
「そうだよ。言ってなかったっけ?」
「アホ! 聞いとらんわそんなん! アホ! アホ! そんなん畏れ多過ぎて死んでまうわ! ちゅうかなんで一刀が天子様に拝謁するんや!?」
「えーっと色々あって帰る方法……航路を探すためにこの国中を移動するための身分と言うか許可を貰う……うん。そんな感じ」
「なんやそんな感じって! あかん、そんな大事なもんやったら金箔とか貼らな……ちゅうか代金受け取ったらあかんやんか」
「あくまでこれは俺が個人的に献上するものだから形になってればいいんだよ。それに代金も俺の給金から出すから問題ないって」
尚も落ち着かぬ様子の李典達をなんとかなだめる一刀。
「大体、行商に来てるのだって村にお金を持って帰らないといけないから来てるんだろ? だったら猶更受け取って欲しい」
「そこを突かれると弱いんやけどなぁ……」
「じゃあ、また何か作ってもらうことがあるかもしれないからその時にちょっと割引してもらうってことでどうかな?」
「ん~……分かったわ。ウチらの村はこっから――」
李典達と別れる頃には昼飯時になっていたので飯店へ寄った。
「天子様ってなんだかんだ慕われてるのか? 香風が都で役人するのに嫌気が差すくらい国政が乱れてるなら、何て言うか軽んじられたりとかしそうだろ」
「区星は漢人の事は分からんが、零陵の漢人は趙忠が国政を壟断? 十常侍が天子様を政事に関わらせないようにして自分の好きにしているからと言っていたな。故に、天子様は十常侍に囚われている被害者と見られているのかもしれん」
「なるほど……十常侍が立ち行かなくなった国政の矢面に立って天子様を非難から守ってるって事は……無いか。細梔様を殺そうとした時点でなあ」
「汚職をしない官僚を粛清する意味が分からんからな」
などと話していると、
「ちょいとそこのお二人さん、俺に酒を恵んではくれないかい?」
酔った男に話しかけられる。
(李典に依頼を出した日に見た、大通りで本を読みながら寝てた酔っ払いか……)
「なあなあ、頼むよ。こうも雨が続いちゃ気が滅入ってしょうがねえんだ。幸せそうなお二人さんからそのおすそ分けを恵んではくれねえか?」
「……まあ一杯だけなら。俺も小遣いを節約しないといけないから」
「助かるぜ~……おーい姐さん、酒を一杯頼む!」
酒が来るまでの間、男が詩を一首くれると言い出した。
「兄さんの方は故郷を思ってる顔だ。それとこの前、白い姉ちゃんと相乗りしてたな。姉さんの方は西戎とも商売してるモンの人かい? どっちの馬乳酒も好きだぜ……良し、出来た」
(少し話しただけでこっちを見透かしてる。ただの酔っ払いじゃないな、この人)
「牀前月光を看る――」
(李白の詩!? 時代がごちゃまぜになってる? それとも進みが早過ぎるのか……俺と同じように未来から来たにしては大分前から居るようだし、単に李白と同じ感性をしているだけか?)
「お、酒が来た。そうそう、ここ何年かの飢饉で俺の住んでる山の鳥が猟師以外の連中に乱獲されてるらしいんだ。そこに来てこの長雨、蝗害には気を付けなよ」
言うだけ言って酒を呷ると男は眠ってしまった。
「この酔っ払い、一族と交流が有ったのか。しかし美しい詩だな。酒一杯では釣り合わんぞ」
「俺の想像が正しければ詩仙と呼ばれる人なんだけど……それはともかく、蝗って言ってたな」
「鳥の他にも山菜だの何だのを取りつくせば蝗は増え、餌を求めてやってくるだろうな。酔っ払いの戯言と切り捨てるのは道理ではない」
「一応曹操様に伝えておこう」
飯店の店主に頼み布の端切れを貰い、一刀の連絡先と「白髪三千丈」と書いたそれを男の懐に入れた。もし李白ならこの句に反応するだろう。
それから店員に李白らしき男が目を覚ましたら何か一品上げるのと、来て欲しいと伝えてもらうよう金を払う。
政庁の曹操の下へ向かう。曹操は政務を終えて休憩中であったが、取次の兵から蝗と聞いてすぐに一刀達から事情を聞くことにした。
「成る程。酔っ払いの言葉とは言え理に適ってはいるわね。山に潜んだ黄巾党が食料を取ろうとすればさらに加速するわ。どの道、食料の備蓄は進めたいと思っていたところよ。栄華と桂花を呼んで来て」
曹操が部屋の外に居る侍女に命じると、すぐに曹洪と荀彧がやってきた。
「お呼びでしょうか、華琳様」
「ええ。蝗害があるかもしれないという情報をそこの一刀達が――」
「そのケダモ――男性がですか? 何かの間違いではないでしょうか?」
荀彧が不審そうな顔で言った。
「私が聞いた所、道理に適っていると判断したわ。そこで二人には潁川郡と周囲の補給線の整備と、村々の備蓄と戸締りについて調べて欲しいの」
「! 分かりました華琳様。すぐに着手致します」
二人とも曹操の意図を察したようだ。
「お願いね。それと桂花」
曹洪と共に退出しようとする荀彧を曹操が呼び止める。
「何でしょうか華琳様?」
「仕事の前に私と一刀と区星殿にお茶を淹れて頂戴。あまり濃すぎない物を頼むわ」
「はい……すぐにご用意致します」
震えた声で荀彧が返事をした。
前回の誤字報告ありがとうございました。
許昌の拠点パートはそろそろ終わって洛陽へ……序盤に何話かけるんだって自分でも思います。




