第29話 許昌2
若干の緊張を残しながらも許昌政庁内の官舎へ案内された一刀一行。
それぞれに個室が割り当てられ、夜には風呂を用意するとのことだった。
「風呂とはまた随分な贅沢……に感じるようになったな。価値観がこっちに馴染んできたのか」
ひとり呟く一刀。夕食や風呂の時間までは間があり、久し振りのプライベートな時間となった。
(何もしないってのも落ち着かないな……よし)
居室を出て官舎の入り口に居た衛兵に政庁内の散策の許可を願うが、
「申し訳ありませんが現在、政庁内は整理中ですので立ち入りはご遠慮願います」
「整理中? でしたら庭の東屋で休ませては頂けませんか? 日中は馬に揺られる時間が長いせいかどうにも屋内というのが落ち着かなくて……部屋に不満がある訳ではないのですが」
「……自分もその感覚は分かります。上にかけあってみましょう」
「ありがとうございます。すみません余計な仕事を増やしてしまって」
「構いません。自分も戦場から帰ってすぐは落ち着きませんから」
衛兵が詰所に行くがもっと上の許可が必要とのことで、曹操の代官である曹洪の下へ使いに行くとのことだ。
それならついでに、と明日の市内への外出許可も貰えるよう頼む。しばらくして衛兵が戻るとどちらも許可が出たが、警備の兵を同伴することが条件だった。
「本当にすみません。余計なお仕事をさせてしまって……」
「あそこでただ立っているだけよりは退屈しなくてすみます。それに、あとでお茶を持ってきてくれるそうですし丁度良い休憩です」
東屋で衛兵と雑談をするとどうやら本来は騎兵だが今回は拠点の警備を割り振られたとのことだ。士燮のような要人が宿泊する場所の衛兵をするのだから相当に腕は立つのだろう。
馬の餌についての話で盛り上がっていると給仕の女性……ではなく猫耳頭巾の少女が茶を持ってやって来た。
「どうぞお召し上がりくださいませ、北郷様……何故椅子にお掛けになっていないのですか?」
「なんだか落ち着かないんです。戦場から帰って来たばかりだから、なのかもしれません」
「……兵卒や初陣なら大なり小なりそうなると聞きます。さあ、お茶をどうぞ」
(やたらと勧めて来るな……曹操様の性格を考えれば暗殺なんてケチな真似はしないと思うけど、毒殺の可能性ってのは確かに恐いな。政庁前で桜桃とやりあってたし)
味方が居ない状況を自分から作ったことに後悔をしつつも茶を受け取る。外観上は普通の緑茶のようだが香りが強い、というよりキツイ。隣にいる衛兵ですら顔をしかめていた。
「……茶葉を贅沢に使って頂いたようで嬉しく思います。曹操様のお心遣いとしてありがたく受け取らせていただきます」
夏侯惇や季衣を見れば曹操は部下に強く慕われている事が分かる。その名を汚すようなことはするまいな? と、一刀なりに釘を刺す。
少女は一瞬顔を歪めたようだが、
(ええい、ままよ! 何の恨みがあるのか知らないが、自分のしたことには責任を持つべきだ!)
グイっと湯呑を傾ける。
口内から濃厚な茶、というより草の匂いが鼻に抜けていく。ここまできて止められないなら一応安全なのだろう。
分量を間違えた抹茶のような物を飲み干す。少女と衛兵は信じられない物をみるような目をしていた。
「……ごちそうさまでした。曹操様がこのような茶を好まれるとは意外でした。いずれ私からも零陵や我が国名産の茶を送らせていただこうと思います」
久々に強いカフェインにあてられて興奮したのか皮肉を言ってしま一刀。「我が国」はともかく、零陵と交州には濃すぎる茶を飲まされたという事は伝わるだろう。曹操の風評を僅かでも貶める可能性を与えてしまったことを少女は悔やんでいるのだろうか?
「……申し訳ありません。客人をもてなそうとつい張り切り過ぎてしまい、茶葉を入れすぎてしまったようです」
苦虫を噛み潰したような顔で少女が答える。
「そうでしたか。私一人で飲むのはもったいないと思い士燮様にも……いえ、なんでもありません。この茶を淹れたのは給仕の方ではなく貴女が? えーっと」
「……はい。私、荀彧が淹れました」
「……荀彧さん、ごちそうさまでした。散歩と明日の市内見学の許可、ありがとうございます。少し気も晴れたので部屋に戻ろうと思います」
「はい。お気をつけください……」
濃すぎる茶を飲んだせいか徐々に胃痛を感じ始めた一刀。官舎まで戻り付き添ってくれていた衛兵に、
「すみません、もし良ければ女性官舎に居る零陵の区星、区連に早まったことはしないように伝えてもらえますか?」
「向こうの女官に伝えさせましょう。……北郷様、あの荀彧様は男嫌いではありますが今まであのような事を誰かにしたとは聞いたことがありません。曹操様への献身を見るに、何か本当に手違いでああなってしまったのかも……」
「外交問題を作ろうとする人ではないでしょうから、きっとそうだと私も思います……厠所(便所)はあっちでしたっけ? 水場は……」
「水も用意しておきます。さあ、あちらへ」
「お前は馬鹿か!? 一刀! 何故そんなみえみえの嫌がらせに付き合う必要がある!」
珍しく感情を昂らせて一刀を叱る李梅。その隣の桜桃も口には出さないが同じことを考えているようだ。
「もてなしを断ったらそれはそれで問題だし、向こうも毒を飲ませたりはしないだろうって思ってさ……それに、ああ言っておけば貸し一つくらいにはなるかなって……」
「貸しなんてのは向こうが感じなければ……いや、曹操様に聞かれれば素直に答えるだろうが、貸し一つ作ったくらいでどうなると言うのだ。そんなものの為に自分を危険に晒すな、馬鹿者……」
「うん。本当にごめん……もうしないよ」
続く胃痛をこらえながら答える一刀。そこに桜桃が、
「夕食には私達や流民の代表者も招かれています。一刀様は私が食べたのを確認してから口をつけて下さい。これから向かう洛陽での練習にもなるでしょう」
「分かった。自然にそうできるようやってみる」
伝言を聞いてすぐに駆け付けた二人に、心配をさせてしまった事を改めて謝り夕食を待つ。
(こんなに心配させてしまうんだからこの二人だけに伝えたのは正解だったかな。俺の思い上がりでなければこの件で「徐晃」と「諸葛亮」、「鳳統」が「魏」に対して不信感を持ったらどう歴史が動くか分からないもんな)
「乳酪や粥でもあれば胃痛に良いのですが、この時間ではもう厨房は借りられませんし……」
「そんなに心配しなくても……さっき衛兵さんがくれた白湯で随分良くなってきたからさ」
心配を掛けまいと一刀は強がるがどうにも二人は納得しなかった。
夕食では荀彧が悪いと思って手を回したのかは不明だが、比較的胃に優しそうな物が並ぶ。ややぎこちなさがありながらも毒見の練習もできた。
就寝時には李梅が戸締りに注意しろ、この短刀を枕の下に仕込め、と一刀に散々注意する様子を朱里や香風達が不思議そうに見ていた。
「李梅、私からも荀彧様にはそれとなく注意しておくから行きましょう」
と、桜桃が李梅を引っ張って行った。
一刀は桜桃が言った荀彧への注意というのは警戒の意味だと思っていたが、翌朝の荀彧の部屋の机の上には熱い茶が置かれていた。寝ぼけ眼の荀彧が口を付ける。
「侍女が持ってきたのかしら……熱いけど結構いけるわね……ん?」
机の上に置かれていた竹簡の切れ端が目に留まる。
「零陵名産の磚茶|(とうちゃ。茶葉を圧縮して煉瓦状にしたもの)……? まさかっ!」
毒では無いと思いながらも、不審な物を警戒せずに飲んだという事実が荀彧を悩ませた。
朝から夕方までで外出の許可があるので、李梅を連れて李典の露店へ行こうとした。出発時には桜桃から、
「今日の夕方頃には雨が降るかもしれません。それまでに帰って来てください」
と言われた。良く晴れてはいたが一刀はその言葉を信じ、早めに戻ることを約束した。
李典の露店を尋ねてみると人だかりができている。昨日言っていた通り、ハンドルを回すだけで籠が編みあがる絡繰りのデモンストレーションをしているようだ。
「お! 北郷の兄ちゃん。どうや? ウチの絡繰り凄いやろ。籠も買うてや」
「確かに凄いよこの絡繰り。これ、李典が作ったの?」
「そうや。ウチの手製やで。モノ作りが好きで小んまい頃から色々作っとったから、今では邑でも一番の職人なんや」
「へー……雨が降ればしばらく滞在することになるよな……作って欲しいものがあるんだけど、材料費と手間賃出したらやってくれる?」
「物の大きさとか複雑さにもよるなあ。あと、人を傷つけるようなもんには加担せんで」
「いや、そんな物騒なもんじゃないんだ。設計図とか持ってくるから……またここに来ればいいかな?」
「そんなら昼飯の時にでも話そか。あそこの角の飯店でウチの友達も合流するから正午頃にでも来てや」
「分かった。そうだ、この手提げ鞄みたいな籠を買ってくよ」
「毎度おおきに!」
正午までは時間があるので他の店を見ながら政庁へ戻る。許昌の大通りは賑わっており、酔っ払いが半分寝ながら本を読んでいてもその荷物を奪おうとする者もいない。
「余裕のある街なんだな。治安も良さそうだし。曹操様が良く治めてるってことか」
「元々の許昌太守が文官なのに黄巾党との戦に駆り出されて戦死したそうだ。そこに潁川黄巾軍の波才を破った皇甫嵩様か曹操様を一時的に封じようということになって曹操様が選ばれた、と朱里達が言っていたな。ただ、曹操様はエン州の陳留郡、ほとんど隣とは言えここは豫洲の潁川郡だから州を跨ぐ特例中の特例だそうだ」
「あー、隣の村なのに川一つ挟んだだけで別の県って感じか。それで村長が兼任しちゃってると……後で揉めそうだな」
「後で揉める分には良いが、子飼いの文官の数が足りなくて行政が滞る可能性があるのが問題だ。急に文官を雇おうとすると質も不確か、最悪の場合は元から居た文官に混じって黄巾党の間者が紛れ込むことだ」
「領地が増えると苦労するってのも妙な話……いや、戦線が広がって苦労したのは俺の国も同じか」
「戦なぞするものではないな。するにしても十分な準備が必要だ」
菓子や携行食を買って政庁に戻り、行軍中に描いた千歯扱きの設計図を荷物から出す。
朱里や雛里は庭で張三姉妹の歌の練習を聴いており、香風はその隣で眠っていた。
一刀は皆に昼食に誘われたが大工仕事を頼みに行くからと断った。
李典との約束の飯店へ行くと既に卓についていた李典が手を挙げて一刀と李梅を招いた。李典は同席している二人の少女を指し、
「ウチの親友の二人や。こっちが楽進、んでそっちが于禁や。兄ちゃん達のことは昨日の行列で見たから二人とも知っとるで」
「どうも始めまして。楽進です」
「沙和が于禁なの~」
「(一人称が真名の人は自己紹介がややこしいな)……北郷一刀だ。李典みたいに好きなように呼んでくれて構わないよ」
「区星だ」
「わ~区星ちゃん目がぱっちりしててカワイイの~。オシャレしたらもっと可愛くなるの~」
「いきなり失礼だぞ沙和。すみません区星さん」
「いや、構わんが……」
「そうそう、李梅は可愛い系だからな。もうすぐ夏なんだし、夏服とか選んでもらったらいいんじゃないか?」
「っ!……はぁ~。確かに夏は益州に居ることが多かったからこっちの気候向けの服はもってないな。于禁、服を選ぶのを手伝ってもらっても良いか?」
「構わん、の~。……でも、北郷さんは昨日も色白の女の子を侍らせてたの。女の敵?」
「……一刀にそんな甲斐性はないぞ」
「俺のことは良いからさ……李典、こういう農具なんだけどどうかな」
李典に設計図を渡すと于禁はからかい甲斐がないと興味を失ったのか李梅と話し始めた。
「……持って歩く馬防柵……って訳でもなさそうやな。農具っちゅう事はこれって……」
「稲とか麦を持ってこれを通すと脱穀できるって道具。(皇帝への)献上品にしたいから自分で作って雑な出来になったら申し訳なくてさ」
「(曹操様への)献上品なら下手なもんは出せへんな。しかしこれ、かなり脱穀の手間が省けそうやな……なんで今まで気付かんかったんやろ。細かい所とか手直ししてもええか? 3日くらいで出来上がると思うわ」
「どれどれ……強度が無いとすぐ壊れそうですね。でもこれ、村に作ったら喜ばれますね。非力な子供でも脱穀の仕事が出来るようになりますよ」
李典、楽進から褒められながらも児童労働の是非について考える一刀だった。
Q.どうやって荀彧の部屋に忍び込んだ?
A.堂々としてたらバレないくらいに新旧の職員が入り乱れてた。
濃いお茶の嫌がらせは伊達政宗が蒲生氏郷にやったとかやらないとか。




