第26話 曹軍へ 2
夏侯惇の案内で曹操軍の陣に到着した。
元々猟師か山賊の小屋が数軒ある所を柵で囲み、出入り口には警備の兵の他に見張り台まで設置されいる。本陣までの道は広く、松明が明るく照らしているがこれは防備への自信の現れか。
「夏侯惇将軍、曹操様はいつも兵を直卒しておられるのですか?」
「そうだぞ。華琳様はいつもご自身で兵を率いて戦に臨まれる。だからこそ兵は華琳様を敬い命を懸けて戦うのだが、矢の届く距離で指揮を執られるのだ。華琳様の武を信じていない訳ではないが、もう少し後方に下がってより戦場を俯瞰されても良いと思うのだ」
夏侯惇が曹操の事を語る口調には敬愛の念が溢れているように感じられた。
「私や秋蘭……妹だが、私達を信じて両翼の指揮を任せて下さるのは嬉しいが、万が一、いや億が一にも中軍を突破されたらと思うと気が気ではないのだ。出来れば徐晃殿や区星殿のような武に秀でた将が仕官してくれると嬉しいのだが……」
「ごめんなさい……。曹操様のことは、以前から清廉な人だと聞いていました……仕官するなら曹操様と考えていましたが、今は呂強様にご挨拶してから考えたいと思います……」
「区星は零陵に仕官しているし、何より『言葉がまだ不自由ですので、私では中原の兵を意のままに指揮することは叶わないと思います』」
「……お、おう? まあ残念だが仕方あるまい。だがもし仕官する気になったらいつでも訪ねてくれ。政庁でも私の屋敷でもかまわんぞ。もちろん鳳統殿や区連殿もだ」
(あの徐晃が魏軍に加入しなかったらどんな歴史になるんだろう……人材の層の厚さで他の人が活躍するのかな? それに鳳統が劉備軍じゃなくて魏軍に行ったら赤壁の戦いは? 徐庶も……いや、そもそも俺の知ってる三國志通りに歴史が進んでる訳じゃない、よな)
一刀が考え込んでいると前に座っている桜桃に声を掛けられた。
「どうされました? 一刀様は民間人なのですから、夏侯惇将軍は登用を考えていなかっただけだと思いますよ」
「あ、仕官を誘われなかった事じゃなくて、これからの歴史について考えてたんだ。本当は仕官してた人が居なくて、別の人が仕官してたらどうなるのかな~と」
「そういうのはなるようにしかなりませんからね。これから細梔様の恩人である曹操様とお会いするのですから、失礼のないようにしませんと」
「そうだった。しっかりしないとだな」
本陣にしている建屋の前で下馬して馬丁に董衣と武装を預ける。
夏侯惇が士燮の使者を連れて来た旨を取次の兵に伝える。兵は大天幕の中に入ったがすぐに出てきて入室を許可された。
まず夏侯惇が入りその後に一刀が続く。最後に許緒が入室する。中では李梅とそう変わらない背丈の女性が紐で括られながらも宙を漂う天灯を観察していた。
「私が曹孟徳です。士威彦|(士燮)様より黄巾党の捕虜の処遇をどうするかについての件で参られた事、お待ちしておりました。私も道理は士燮様にあると思いますので、捕虜の件は漢の法に基づいて私達が官軍として処理します。それと、被害に遭った村の一覧を送って頂き感謝していた事を士燮様にお伝えください」
一刀が跪いて挨拶しようとするのを遮るように曹操から言われてしまった。
面食らった様子の一刀達を見て曹操は、
「私と士燮様の間ならこんなものなのよ。公務の話は以上ね。それと長ったらしいだけの儒教的な礼儀作法も不要だから、貴方も話しやすいように話しなさい」
「は……はい。私は姓が北郷、名が一刀、字の無い島国の出身です」
「北郷一刀、ね。後ろの方々の名前も聞かせてもらえるかしら?」
曹操の求めで控えていた李梅達がそれぞれ名乗る。
「……区連、区星殿のお二人は士燮様から聴いていたところのモンの、神農の直系ですか? 区連殿は神農の伝承のとおり、透けるような白い肌をお持ちですね」
「はい。私と妹の血筋はそのように伝わっております」
「そうですか……貴女達が……」
士燮と曹操の間でモンについてどのような話があったのだろうか。
「鳳統殿は水鏡女学園の秘蔵っ子の一人として名士の噂になっているのを聞いたことがあるわ。今回の黄巾党討伐の鮮やかさを見るにただの噂ではないと確信したのだけれど、私に仕官しない? この国のどこの誰よりも正当な評価と待遇を与えると約束するわ」
「ひゃい!? ……あ、その……すみません。もう少しこの国を巡って見聞を広めてから考えさせてください。でも、曹操様には勢いがありますので、黙っていても知恵者や腕自慢がどんどん集まるのではありませんか?」
「並の者では私の理想とする軍勢の一翼は担えないのよ。だから貴女のように並ではない、神機妙算とも言える智謀の者が欲しいのよ。現状、私が出征すれば留守を預かる守将で手一杯なの。人手がいくら有っても足りないの」
ふう、とため息を吐きながら曹操。本人の産まれ持った美貌にさした陰が艶めかしく映った。気安い話し方ながらも他者の眼にどう映るかを無意識に計算しているのだろうか?
「ともかく、私の下に来たくなったら何時でもいらっしゃい。そうでなくとも、個人的に訪ねてくれても構わないわ。なんなら夜でも、ね」
最後の言葉は冗談めかしてはいるが、本気で誘惑しているようだった。一刀が思わず眼をそらすと、夏侯惇がややムっとした顔で、許緒はよく分かっていない表情をしていた。
「徐晃殿は汚職官僚が悪評を吹いて周ろうとしていたのを兵が反論しているところを見たことがあるわ。兵に慕われていることから人格も高潔。見たところ武勇も相当に持ち合わせているわね。貴女も私に仕官しない? ……って、貴女ほどの武人ならもう春蘭……夏侯惇に誘われていたかしら?」
「ご明察です……夏侯惇将軍にも答えましたが、仕官するなら曹操様にと考えていましたが、今は北郷様の食客ですので……呂強様にご挨拶してから考えたいと思います」
「そう。今すぐと言う訳には行かないのは残念だけれど仕方ないわね。こんな短時間に二度もフラれるなんて、今まであったかしら? ね、春蘭?」
「そんなことはありませんでした華琳様!」
芝居がかったように肩をすくめる曹操に夏侯惇が答えた。
「ですが、洛陽へ行くという事情があるので仕方ありません。私が今まで以上に頑張りますので気を落とさないで下さい、華琳様」
「貴女の忠義を疑ったことはないわ、春蘭。だからこそ、「これまで以上に」貴女を働かせる訳にはいかないの。その気持ちだけ受け取っておくわ」
「華琳様――」
うっとりする夏侯惇。二人の関係はとても「深い」のだろう。
「曹操様、呂強様から曹操様に宛てた書簡がありますのでお読みください」
「呂強の? それを早く言いなさい……いえ、受け取るわ」
一刀が書簡を渡す。曹操はすぐに封を切って読み始めた。
「……ふーん……そう。洛陽で貴方と大秦の使者が滞りなく陛下に謁見できるよう手を回して欲しい、と。特に貴方は東の島国の……とても奇妙な事情があるのだとか。差し支えなければ教えてもらってもいいかしら? 書簡にも促すよう書いてあるわ」
曹操に示された箇所には、確かにその旨が書いてあった。
「確認しました。細梔様が書いておられるとおり、私も同じ事を言われても到底信じられないようなことなのですが……」
そうして自身の置かれている状況を曹操と夏侯惇、許緒に説明する。まったく違う時代、違う国、そして違う世界と言えるような歴史。財布から証拠となる硬貨や紙幣、それと学生服のポケットに入っていたカードタイプの学生証を見せた。
「兄ちゃん、苦労してるんだね……」
「北郷、私にはそんなことが起きるなど信じられんぞ。しかし、この学生証とかいう素材の分からん物にそっくりな写真? を見せられてはなぁ……」
「夏侯惇将軍の言う通りです。私自身、こんなことは物語の中の話としか思えませんので」
「呂強が信じているのだから私も信じましょう。でも、対外的には徐福が行った島の出身だという事を貫き通しなさい。いいわね、北郷一刀?」
「はい、曹操様。ところで曹操様はそこの天灯を観察していたようですが、何か気になる事でもありましたか?」
天灯の原理を知り、気球という発想を得たところでそれを作るには必要な物は足りない。
曹操という知恵者のことだ。既に気球や飛行船の予見ができてしまっただろう。一刀にとって最悪な展開は、用途が限定的な気球はともかく作れもしない飛行船に危機感を持たれて暗殺や幽閉をされることだ。
「これくらいなら煙の昇る力を受けて軽いものが飛んだ、だからそれを最適な形で受けた道具だ、と良い訳できるわ。でも、これの他にこの時代にそぐわない発明をするのは慎んだ方が良いわ」
「はい……その、それだけですか? もっと武器になりそうなものや役に立つものを作ったりするよう言われるっていうのが、お話によくあるパターン……えっと、典型例だったので……」
「与えられた勝利に意味など無いわ。遥か未来の知識ではなく、この国に住む今を生きている人間の力でこそ、何かを為したと言えるのよ。歴史の中に失敗と成功の経験があるから私達は学べるの。その大事な過程を飛ばしてただ知識だけを受け取るのは、歴史の流れと私達を乖離させてしまうことよ」
「成る程……確かにその通りです」
「まあ、貴方の時代からしたらこの地で再現できるものはかなり限られるでしょう。おじさまが交州の南部に行った時に随分苦労したそうだから。だから貴方が必死に考えて何かをするのまでは否定しないわ」
「そのようなことを士燮様から聞いたことがあります。それに何より、私が覚えている歴史の知識はこの世界では通用しないでしょうし、兵器については複雑すぎて再現できませんから」
「そうなの? ともかく今日はウチの陣に留まるのでしょう? 古い猟師小屋があるからそこに泊まっていくといいわ。季衣、案内してあげて。それと今日の不寝番は春蘭に任せるから、季衣はもう休みなさい。周りの兵にもそう伝えておいて」
「はい! 華琳様!」
「話は以上ね。私達は捕虜と残党の処理をしてから行くけど、おじさまの軍は許昌に向かうでしょうからそこで合流しましょう。戦果報告で私か名代の……そうね、夏侯淵が洛陽で貴方たちの側に付くわ」
「ありがとうございます。それでは失礼します」
一刀達と許緒が退出すると夏侯惇が問いかけた。
「華琳様、あの北郷一刀と言う者、信用されるのですか?」
「物的な証拠も見せられし、何よりあの堅物の呂強が真名を預けたのだもの。それだけの価値のある男なのでしょう」
「華琳様はまだ呂強様に執着しているのですか?」
「妬かないの。あの宮中という魔窟の中央で、皇帝にどうどうと諫言しながらも生きていたのよ。能力も並外れているけれど、状況も相手も関係なく諫めることができるのは貴重な存在よ」
「華琳様が道理を違えるようなことは無いと思いますが」
「そうね。でも私は一人しかいないの。私の手の届かない場所や私の後の世にこそ必要な人材なの。宦官だから長寿よ」
「華琳様がそう言うのなら……」
「もし私の覇道が人の道理に外れそうなら貴女が止めるのよ、春蘭。私だって感情が無い訳じゃないし、市井の不満を私に伝えられるような人も居ないもの。秋蘭なら自分で解決しようとしてしまうし、桂花もそう」
「華琳様……」
「それにね、春蘭」
曹操がゆっくりと夏侯惇に近づきながら、
「私は今まさに興奮しているの。この天灯という物の浮かぶ原理と空での戦を考える知的な興奮と、あの呂強が真名を預けたのが私や麗羽ではなく男性だったことの悔しさと。ねえ春蘭、私の今の感情、聴いてくれる?」
相手の手を取り、熱くなった頬に触れさせる。
それだけで伝わったのだろう。瞳に情欲の火が付いたのが見えた。
「さ、閨へ行きましょう。朝まででも語りたいの……」
「はい……」
二人は燃える心の内を抑えながら閨へ向かった。
もし大きな事故に遭ったり病気にかかってしまった時のために現段階の借りエンディングを一か月後くらいに予約投稿しておこうかな……
ちょっとした解説
・地の文で真名じゃないのはまだ預けられていないから。でも元ネタの名前で百合な絡みを書いたら薔薇な方を想像されるおそれがありますが、よく訓練された人達なら平気なのでしょうか?
・曹操が士燮をおじさま呼びなのは、士燮の取り成しで丁夫人が曹操に嫁いだから




