第22話 前夜
士燮から預かった馬はいずれも青毛(黒っぽい毛並み)の牡馬だった。李梅が言うには益州からインドと交易をしている支族のナシ族が譲った馬だろうとのことだ。それらの馬は長い山道で荷物を運ぶため頑丈で、気性は我慢強く群れでの行動を乱さないのだそうだ。
「そんな馬を7頭も……でもなんか半端な数だな」
「ナシ族の隊商は7頭で1隊を成すからだろう。馬の出自を考えれば縁起の良い数だ。体躯も歯並びも良いから、まだ若いが隊商でも先頭を任せられる良い馬だな。普通はこんな良い馬を譲ったりしないが、士燮様は特別なのだろう」
「……期待されてるってことか。この馬達も自分から追いてきてきてくれるんだよな?」
「もちろんだ。隊商であれば鈴を着けてやって道から外れたらすぐに分かるようにするが、今日は区星が殿につくから平気だ」
「分かった。それじゃあ出発しようか」
流民の所へ戻ると、中心部の大天幕や炊事場等を広く囲うように柵が建てられていた。礼舞会場を設営した大工集団が建てたのだろうか。
他にも集落周囲のチガヤを始めとした雑草類が刈り取られて干されている。子供や年寄りが新しい草を運んできているので、彼らがやったのだろう。他にも戦えそうな若者は男女問わず竹槍や投石紐を使った投石の調練をしている。流民の意志が天和の下、黄巾党を倒すことで統一されたようだ。
訓練を監督していた香風が一刀達に気付いて近づいて来る。
「お帰り、お兄ちゃん。朱里達が呼んでたよ……こんなに馬を連れてきてどうしたの?」
「士燮様がこの計略のために使ってくれって貸してくれたんだ。……李梅、一頭香風に貸したらどうかな? 明日から必要になるだろうし」
「……うむ。香風は馬に乗れるか? 気に入った馬を一頭選んでくれ」
「いいの?……それなら、この子を借りても良い?」
「脚の強い馬を選んだな。頭絡の頬の所に名前が彫られてないか?」
「紫鈴……って彫られてる」
「紫鈴だな。後で区星達の前で乗れ。そうすれば乗せるべき相手として理解するだろう」
「分かった。それまでに警備隊の調練を済ませておく」
流民の調練に戻る香風。一刀達は言われた通りに朱里達の居る大天幕へ向かった。
大天幕の前には馬車が一台用意されており、明日黄巾党に奪わせるための物資が積み込まれていた。
「朱里、天和、今戻ったよ。士燮様は協力してくれるってさ。詳しくは李梅の持ってる手紙で」
「うむ。これが士燮様からの書状だ」
「ありがとうございます……私達の計略を認めて下さるばかりか、兵の指揮を李梅さん越しに私達に任せても良いとまで書かれています。士燮様はとても思い切ったことをされるのですね……」
「行軍計画を立ててみろって言ってみたり、兵の指揮を任せようとしたり、李梅に武将としての経験を積ませようとしてるのは分かるけど……士燮様は李梅に何を期待してるんだ?交州の盾になる強い荊州でも作ろうとしてるのか?」
「士燮様の真意は今の段階では分かりません。若い士官を実戦で育てるには丁度良い相手ですし、漢に仕える者同士として指揮系統の統一は不自然な事ではありません。まして交州の軍は李梅さんと同族が多く編成されているようですから……」
「まあ士燮様の真意はここで考えていても仕方ないか。ところで、俺達にすぐ来るよう香風に言ってたのは黄巾党の続報かな?」
「そうです。やはり黄巾党はここを目指しているようです。付近の村を略奪しながら、礼舞をする集団の噂を集めているようです。明後日にはここに辿り着くでしょう」
「明確にここを目指してたのか……」
「一刀、やることは変わらん。朱里、明日は表の馬車を奪わせて敵の偵察を着かず離れずでここまで誘導すれば良いのだろう?」
「その通りです。明日のうちにここの位置を知れば、敵は急行し明後日の夜明けに攻めて来るでしょう。そこを狙います」
「……ねえ朱里ちゃん。朱里ちゃんの作戦を疑ってる訳じゃないんだけど、どうしてそこまで予想できるの?」
天和が朱里の真名を呼ぶ。一刀達が漢水へ行っている間に真名の交換を済ませたのだろう。
「相手が半端に賢いからです。許昌方面で指揮を取っていた波才は兵法を学んでいたようで官軍を手こずらせましたが、東の汝南方面へ落ち延びています。その指揮を受けていた兵が今回の敵なのですが、逃げる相手の後を追って拠点を探るとか早朝に東側から仕掛けることで逆光を使うといった事をしようとするでしょう。そこに付け込みます」
「もっと言えば勝っていた時のやり方を真似することと、略奪で兵に褒美を与えないと軍が瓦解するからです。波才と言う優れた指揮官の幻影を追うことで、どうにか敗残兵同士でまとまった行動が取れているのです」
朱里の返答に雛里が補足した。
「成功していた時のやり方って中々忘れられないんだよな。でもいくら情報があっても相手のことを分析しようとしないとそういう心理状態にある、って気付けるものじゃないからやっぱり軍師ってすごいよ」
一刀の賞賛に朱里達は照れたようで顔を紅くしている。年頃の男性に慣れていないせいか、反応が初々しい。
「明後日は敵の指揮官を討ち取るのが一番の目標だな。区星か香風がやるとして、太平要術とかいう書は要らんのか?」
「できれば回収したいですが無理をしなくとも構いません。あの書があればまた人を集めてしまうでしょうから、指揮官と思しき人物が見当たらなければそのままこの陣へ入れてしまってください」
「分かった。香風に馬を貸してくるが、他に何かないか?」
「ありません。後は皆さんの働き次第です」
「うむ。行くぞ桜桃、一刀」
「李梅何を急いで……あ、日の入りが近いのか」
慌ただしく出て行く一刀達。
天和は朱里と雛里にからかうように言った。
「区星ちゃん、馬の心配じゃなくて一刀君を取られると思ったんじゃないの?朱里ちゃん達は一刀君のことをどう思ってるの?」
「ど、どうって……その……」
「あぅぅ……王に据えても、良いかな、とは思います……」
「……頬を赤らめながら言うことじゃないと思うなー、それ」
紫鈴は香風が近づくと頭を下げて目を合わせた。香風は動じずに紫鈴の額に手を当てて一言挨拶すると、横に回ってひらりと飛び乗った。
紫鈴はそれを受け入れると香風に指示された通りに駆けだして行く。
「女ということを引いて考えても、ああも簡単にナシ族の馬を乗りこなすとは見事なものだ」
「女性だと乗馬に有利なのか?」
「女が強いんだが……なんと言ったものか……」
「ナシ族は私達以上に母系社会なのです。漢の制度は詳しくありませんが、財産の相続や子供の養育、家としての行動の決定権は余程のことがない限り男性にはないのですよ。一刀様」
「そうなの? っていうか桜桃達もその母系社会? なのか?」
「地域によって違いはあるが、区星達のところは女が強い。結婚して認められれば、男は結婚相手と同じ立場になる」
「他にも有力な家の女性に囲われるだけの男性もいますが、自分の子供が産まれていたことを随分後になってから知ったという話もあります」
「……なんだか種馬みたいだな」
「益州から天竺までの道で遊牧しているという民もそうらしいぞ。馬に関わる民族は大体そうなんじゃないか?」
「男は戦で消耗品って時代だし、そういうもの……なのかな」
家のボスが女性であるから、それを見ていた馬も女性に従いやすいのだろうと一刀は理解した。
しかし、李梅の言う通り香風の乗馬技術は見事なものだった。急な加減速や方向転換でも姿勢を乱さずに駆けまわっている。しばらくすると一通り走り方の癖を掴んで満足したのか戻って来た。
「すごい馬……百里でも千里でも駆けて行けそう」
「紫鈴は良い乗り手に恵まれた。完全に暗くなる前に手入れをするが、香風もやるか?」
「うん、やる。これからお世話になるんだもの。シャンも巡察の後はいつもやってた」
言うだけあって香風の手際は良く、陽が沈む前に馬の世話を終えることが出来た。
外郭に近い天幕は引き払われており、そこで寝泊まりしていた人は既に宛の近くへ退避していた。朱里達の天幕も畳まれていて、今晩は大天幕で過ごすことになった。
明後日の戦のための準備はほぼ整ってはいるが、朱里と雛里へ報告に来る者の脚は絶えない。
天幕の隅の寝袋でそれを眺めていた一刀に、短剣の刀身を確認していた李梅が気づく。
「どうした一刀? まだ眠れないのか?」
「まあ、ちょっとね。神経が昂ってるのかも」
「……何となく眠れないというのは珈琲の時にもあったな。また昔話でもするか?」
「李梅達の昔話もすごく興味あるけど、余計に眠れなくなりそうだな」
「不満か?」
「いや。不謹慎かもしれないけど、なんか祭りの準備をしてるみたいでさ」
「分からんでもないな」
「今のうちに休めるだけ休んどかないといけないから横になっとく。皆より体力ないかもしれないからさ」
「そうか……そうだな」
李梅も一刀の隣の寝袋に潜り込む。
深夜、桜桃が巡回の途中に立ち寄る頃には二人とも寝息を立てていた。
今回で黄巾党との開戦くらいまで行きたかったのですが……
ちょっとした解説
・ナシ族は茶馬古道という南のシルクロードの要衝の一つである麗江(長江上流)に住む民族です。馬の肉を食べない、革も使わないくらい馬を大事にする文化を持ちます。チベットやベンガルへの隊商の馬に音色の違う鈴を付けて隊から離れていないか、先頭はどこにいるかを分かるようにしています。そして家長が女性という母系社会です。真恋姫での魏の種馬というワードや、呉(江南の異民族文化の影響を受けたとして)での子供作れに対する躊躇の低さにこういう下地があるのではないかと解釈しました。
・馬の名前の紫風
オリキャラの名前は植物名からとっていますが、紫風はホタルブクロの中国語、紫斑風鈴草から来ています。前述のナシ族の隊商の鈴と香風の馬、というところから紫風としました。また、オリキャラ一覧に書き忘れていましたが董衣はラベンダー=董衣草≒東夷(日本)の人が乗る馬、花相=シャクヤクの別名から来ています。シャクヤクは美人を例える花で赤と白の品種があり、身近な漢方薬の原料にもなるので神農氏っぽいし褐色肌と真っ白の姉妹の乗り馬で合うかなと思いました。
ただ、何となく選んだ花の由来などを調べたら丁度こじつけられそうだとなっただけなので、最初から狙って名付けられた訳ではありません……センスと編集力が欲しい……




