第16話
襄陽の市場でも食品を扱う区画で早生のニンジンを買うことが出来た。中国の中心部に位置することと漢水、長江に挟まれて物流が盛んなのか、そろそろ夏入りというこの時期でも春物、夏物の野菜が手に入るそうだ。
「襄陽ってこのまま北に行けば許昌や洛陽があるし、長江の水運で東西の物流もある。零陵越しに交州の珍しい物が入ってくるしすごく良い立地なんだ……」
「長沙も長江に連なる川があるぞ。そこから区星の一族が虎の毛皮や矢羽根になる鳥を売っているな」
一刀と区星の話が聞こえた魏延が尋ねて来た。
「……気になっていたのですが、区星殿は苗族の方なのですか?」
「苗族とも山越賊とも呼ばれる……ます。区星の一族に何か用があるデすか?」
区星は敢えて漢民族からの蔑称も付け加えて答えた。
「子供の頃に苗族から虎の仔が献上されたのを見たんです!虎の仔を捕まえるなんて、すごい勇気のある人達なんだって憧れていました!」
魏延が興奮した子供のように答える。
「私、見ての通り髪が的盧になっているじゃないですか。それで子供の頃は虐められていたんです。でも、苗族の人達は蛮族だって呼ばれたりするのに反乱を起こしたりしないし、虎の仔を捕まえて献上したりしてて、私もあんな風に誇り高い戦士に成りたいって思ったんです」
「お、おう……区星が見るに、魏延殿はとても強い戦士だと思う、マす。それと、的盧ってなんですか?」
「額に白い模様がある馬の事です。騎手に不幸を招くと言われていて、私の前髪の一束が白いのを揶揄されるんです」
「あー……漢民族は流星のある馬を嫌ってる、ますものね。……そのくせ芦毛じゃなくて白馬を寄越せだの脚の色が不揃いだなんだと注文が多い……!鹿にでも乗ってろ!」
(馬の貸付で零陵とか長沙の太守から何か言われたのかな?かっこいい流星とか靴下のある馬なんて沢山居るのに……)
一刀は親戚の牧場で繁養されている馬の顔を思い出した。
「魏延殿の髪は馬の流星というよりは角みたいですよね。ユニコーン……馬の一角獣のなんて言ったっけ」
「麒麟ですか?」
「それです!麒麟の角みたいでかっこいいと思います」
「……そんな風に言われたのは初めてです」
魏延は照れた様子だ。褒められたことなど本当に無かったのだろう。
「さて。それでは厩舎に行きましょうか。馬達にニンジンをあげたいですし」
董衣を始め交州軍の軍馬や荷運び用の牛は放牧中だった。元々居た襄陽の馬とは時間交代での放牧だ。
放牧地の柵に寄って一刀は呼びかける。
「董衣―!花相ー!」
2頭はそれぞれ牡馬、牝馬用の柵の中に居るが、呼びかけにすぐに応えて近くに寄って来た。
「北郷様の呼びかけですぐに来るなんて、本当に賢い馬達ですね……」
「私も驚いています。でもモン……苗族の方達が血統の強化と調教を頑張ったからこんなに利口になったんでしょうね」
「賢いだけなら呼んでも寄っては来ないぞ。信頼されていればこそだ」
「野生だったら知らない場所とか人には近寄らない方が賢いものな」
スティック状に切っておいたニンジンを董衣に食べさせながら答える。
「かなりの距離を歩いて来たのに脚もまだまだ元気そうだし、食欲も旺盛。良い馬だよホント」
一緒に放牧されていた羊もおこぼれを狙って寄ってくるが、脚の下に入られても董衣達は足蹴にしたりせずさせるがままで泰然としている。ニンジンがなくなると、2頭は近くで草を食み始める。
「馬用の水風呂とか打たせ湯みたいなものがあれば汗もしっかり流せるんだろうけど……」
「夏の盛りには汗が乾くと真っ白になるものな。井戸から水を汲むのも大変だ」
「すぐにどうにかなるものでもないしなー」
ルキウスがテルマエを建設するとしたら打たせ湯やプール調教が出来る場所を作ってもらえないか考えていると、魏延から二人の話し方について聞かれた。
「お二人はとても気楽に話しておられますが、立場や身分というものは気になさらないのですか?」
「外交問題みたいなものですか?私は蓬莱の島の地方領主の血筋とは言え今は連絡もとれない状況ですし、公式の場所以外では友人とはこんな付き合い方でしたので」
「区星は一刀と沢山話すことで中原の言葉が出来るようになってきたから、丁寧な言葉なんぞはまだ言い難い、です」
「……もしよろしければ、私にも普通に話しては頂けませんか?宮仕えの言葉ってなんだかその、肩が凝ると言いますか……」
「区星もその方が良い。区星の事は好きなように呼べ」
「ありがとうございます区星さん!私の事も気軽に魏延と呼んで下さい」
「じゃあ俺の事も様とかいらないから気楽に頼むよ」
「いやいや、北郷様は北郷様ですよ。でも、私なりに肩肘張らずに話させてもらいますね!私の事は魏延とお呼び下さい」
「それでいいなら。よろしく、魏延」
「一刀は自分で言ってただろう。外交問題とかいうやつだ」
「漢の公務員だから仕方ないか。細梔さんもそうだったし」
魏延や黄祖の古代中国らしからぬ服装が気になり、襄陽の服屋を見に行きたいと思っていた一刀だったがこれからでは日が暮れてしまう。何より、牧場の匂いが付いているので行ったところで迷惑をかけてしまうかもしれないという事で今日は諦めることにした。
襄陽の官舎で軽く顔と手足を洗って香を炊くといくらか汗や動物の匂いもごまかせそうだ。
(と言ってもこの世界でまともに風呂に入ってないし、長旅で鼻がバカになっているだけかもしれないんだよな。石鹸も香料がないせいか無臭のような土っぽいような匂いだし)
夜の宴席ではアルコールが入るので誰も気にはしないだろうが、現代日本人の感性を持つ一刀には気になって仕方がない。
案の定、宴席は一刀と士燮、ルキウスと劉表の4人の会食で男同士という事もあり誰も匂いのことなど気にした様子はなかった。
宴席の後、居室に戻った一刀はいつものように念入りな楊枝の歯磨きと塩水でのうがいをする。体感で夜8時頃、いつもであればもうそろそろ区星が来て次の移動の話し合いをする時間だったが、
「夜分に失礼します。黄祖でございます」
思わぬ客が尋ねて来た。
「北郷様に折り入ってお願いしたき事がございまして」
「なんでしょうか?黄祖殿」
扉を開けると黄祖が例の露出の激しい恰好で立っていた。昨日は離れた場所から見たので気づかなかったが、黄祖の肌は艶やかでハリを感じさせ、否が応にも成熟した女の性を強く想起させられる。
「少し長くなるかも知れませんので、部屋に入れて頂けますか?」
一刀は少しためらいながらも黄祖を部屋に入れることにした。
小さな卓を挟んで椅子に腰かけ黄祖の頼みとは何なのか尋ねた。
「率直に言いますと区連、区星の二人が欲しいのです。洛陽からの帰りでも構いません。零陵ではなく私の居る江夏に仕えるよう口添えして頂けませんか?」
「は……?えっと、どうしてまたそんな事を?」
黄祖は丁寧な言葉ながらも耳を撫でるような声音で答える。
「私は強い女が好きなのです。手元に置いて、その女が一番輝くような場を与えてその姿を眺めたいのです。区星は戦場でこそ輝き、区連は敵将の暗殺や調略でこそ輝きましょう。零陵のような僻地で腐らせておくのは、あの二人の天命に対する罪でございます」
強い内容の言葉なのに、甘く優しい母の子守歌のように黄祖は紡ぐ。
「もし口添えを約束して下さるのであれば、私は貴方様の子を一人産みましょう。気を扱える武将の血を故郷に迎えるのは、損にはなりませんでしょう?」
「子、子を産むって、な、何を言って!」
驚きのあまり椅子ごと後ずさりしてしまう。
すると黄祖は立ち上がり、ゆっくり近づいてくると隣に跪く。そのまま腕を抱かれ、胸を押し当てられる。強い力ではないのに振りほどけない。蛇に睨まれた蛙だ。
「口添えさえしてくれると約束して頂ければそれで良いのです。あの姉妹が断ろうとも構いません。あの姉妹程若くはありませんが、それでも良ければ身一つで江夏太守に上り詰めた暴れ馬、好きにしてみたくはありませんか?」
口が乾く。目の前の女が自分を誘惑している?「仕えてみては」という一言を伝えると約束するだけでこの恐ろしくも美しい女を好きに出来る。捕食されそうな蛙が、蛇と立場を逆転できる――
黄祖は一刀の股間を見て、
「童女にしか反応しない訳ではないのですね。嬉しいです」
その瞬間一刀は一瞬寒気を感じた。黄祖も何かを感じたようで一刀の腕を離し、元の椅子に腰かけた。
「零陵の事を気にすることはありません。黄巾の乱の後、次は諸侯が戦乱を起こすことでしょう。荊州の武官が集まり、漢水より南を諸侯の魔の手から守るだけなのですから。零陵に大切な人が居るならその人も一緒に連れて来てもよいのです。では、色よい返事をお待ちしております」
そう言うと黄祖は一刀の部屋から退室していった。
それから10秒程、やっと緊張が解けた一刀は息を吐いた。
「はーっ……恐かった……桜桃でしょ?天井裏から助けてくれたの」
天井に向かって話しかけると板の一部が外れて区連が降りて来る。
「申し訳ありません、一刀様。黄祖殿は直接危害を加えようとしていた訳ではないのに、つい殺気が漏れてしまいました……」
「いや、むしろ助かったよ。桜桃や李梅を部下にしたいからって、その、子供を産むって、ちょっと……どころじゃなく恐い覚悟だよ」
「黄祖殿の言葉に嘘は全く含まれていなかったように思います。子を生すというのも、私達が力を振るっているところを見たいと言うのも。もちろん、私達が士官の誘いを断っても構わないというのも」
区連は一刀の股間に目をやると、
「もう少ししたら李梅が来ると思いますので、その……大きくなっているのを御鎮めになられては……」
「あ、違うくて、男って変な刺激があると勝手に反応しちゃうから!俺は無理やりとかそういうのより心の結びつきの方が大事だと思うし!」
自分でも訳が分からないことを言いながら呼吸を整え興奮を納める一刀。
「そうだ、水鏡女学園の徐福さんへのお手紙出してくれたんだって?こういうの、勝手が分からないから本当に助かるよ」
「はい。苦手なことは得意な者に任せるのが民の世界でも兵の世界でも常道です。ですが頼りっきりはいけませんから、次の機会は私が手引きして一刀様がやってみてくださいね」
「うん。よろしくお願いします」
日常の、普通のやり取りに癒される気がする一刀。
「李梅が来るでしょうからお茶を用意してきますね」
漢水越えの用意があるのでもう一日駐留して補給と船の手配をする。長江越えまでに覚えてきたことを思い出せば簡単だろうかと考えながら区姉妹を待った。
「あ、天井の板どうしよう」
黄祖は蛇のような女性というのが立ち絵とサンプルボイスの印象でしたので、蛇のようなねっとりした誘惑の表現をしてみようと思いました。難しいですね……
荊州の最前線で曹操の南下を抑える、という観点で言えば零陵だとか長沙から士官を集めるのは理に適っていると思います。むしろまとまって対抗しろよ常識的に考えて、となりますが呉と結んでおきたかったり魏と内通していい立場につこうとするやつが居たりして現実はハードモードだと思います。
投稿ペースというか1話当たりの分量を100行、15KB程度で書いていますが筆者の力量的にこのくらいで区切りがつきやすいからです。一般的に読みやすい分量ってどのくらいなんでしょうね。
ちょっとした解説(要るのだろうか?)
・羊君たちについて:馬と羊を一緒に放牧に出すのは匈奴の真似をしての事。そもそも羊が温暖な襄陽で育つか分からないし、肥育できれば肉が沢山で毛も手に入ってすごくおいしい。途中で死んでも買った時よりは肉がついたしこれまで腐らなかったからヨシ、程度の存在として飼われていました。現実では山羊と馬を一緒に飼育している牧場もあるそうですし、古代中国の温暖な地域なら馬、山羊、ロバ、牛を(勝手に交雑しないように離して)飼育していそうです。
・黄祖の誘惑は他国の要人の子息とされる一刀にそれなりの利用価値を感じての事。戦国時代で言えば松前の蠣崎氏の子息が千葉に流れ着いたから人質なり恩を売るなりしようとして庶子の娘を嫁がせるような……?




