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第10話

「帰るに帰れぬ状況と言うのは私と似たような境遇だね。私の船は大分壊れてしまってね。国書をこの国の皇帝に渡しても新しい船を都合するまでは帰れないのだよ」

 一刀の言葉にルキウスが反応した。

「船で大変な目に合われたのでしたっけ?ローマからだと大変だったでしょう」

「インドの漁師や商人から聞いていた航路の通りに船を進めたのだが、途中の海峡を通ろうとしたら天候が酷く荒れだしたのだよ。あれは死ぬかと思ったよ」

 ルキウスはなんでもなかったかのように言うがガレーや三段櫂船のような船でスコールにさらされれば転覆することもあるだろう。命があったのは幸運に因るところが大きい。

「北郷君はどうして故郷に帰れないんだい?」

「えーっと……」

 違う時代、違う世界から来たと思われることについて話すべきか。士燮だけなら相談するのは決定事項だったが、ルキウスにも聞かせてよいか呂強に相談したいが――

「奇妙な話なのですが……」

 一刀は自分から話すことにした。これが悪手であれば呂強がそれとなく遮っていただろうが、呂強は一刀の話すに任せている。

「では北郷君の国はまだ存在しない、と。確かにこんな紙の金はローマでも見たことがない」

 士燮との会談があるということで懐に忍ばせていた財布から紙幣や硬貨を見せた。

「透かし彫もそうだが紙の丈夫さも目を見張るものがある。狂言で用意できるものではないが、ひとつ未来の知識を試させてもらってもよいかね?」

「何でしょう?」

 答えられる質問かどうか、一刀は身を固くした。

「ルキウスは海路で越南まで来たが、大雑把で構わないからどのような海路だったか分かるかね?」

「あ、それなら簡単です。ローマからだと地中海を南東に行って……スエズ運河が無いから一旦エジプトで船を降りて――」

 世界地図を思い出しながら卓の上に航路をなぞる。ルキウスと士燮は驚きを通り越して呆れているようだった。

「北郷殿は、基本的に地図というのは秘匿されるものだと知っているかね?それを一般教育で公開するなど……いや、これが時代の流れというものなのか」

「あの海峡を通らなかったら南の大陸に着いていたかもしれないのか……」

「短い間ではありますが、共に過ごしてきて北郷様は善の人だと確信しています。どうか、ご自分の世界に戻れるよう御知恵を御貸しくださいませ」

 士燮とルキウスに呂強が頭を下げる。それを見て一刀と区星も続いた。

「呂強殿が信じる人なら私も信じよう。私としては、私とルキウスとともに洛陽へ行き情報を集めるのが良いと思う」

 髭を撫でながら士燮が言った。

「ついでに霊帝陛下に謁見し、何か献上して身分を得てはどうだろう?呂強殿はどう思う?」

「身分を得るのは今後動きやすくなって良いかと思います。ですが、趙忠や他の者に睨まれたり、この世界の北郷様の国が脅かされたりするのではないでしょうか?」

「そこなんだがな、呂強殿。東の島国で思うところは無いかね?」

「……台湾島ですか?」

「いやいや。呂強殿にも縁があることと思う。北郷殿の国には徐福、という女の伝承はあるかね?」

「徐福……女性だったかは分かりませんが伝承はあります。地元の県にも伝承が残ってますし、なんなら近くの県のお土産で徐福饅頭も食べたこともあります」

「「徐福で饅頭?」」

 士燮と呂強は面食らったようだ。

「とにかく、徐福が不老長寿の桃を持ってきたあの蓬莱の島の出身だと言えば兵を送るのは困難だと納得されるだろう。そこの領主の息子を保護できないとなると陛下の名誉を貶めることになるから趙忠も手を出せまい。それに、道中で民草に北郷殿の名を売れば効果も高まろう」

「……確かに趙忠は陛下の名誉が傷つくのを良しとはしないでしょう。名案だと思います」

「何か献上するものがあれば良いのだが……この貨幣を数枚献上するのはどうだろう。他には何か無いかね?」

 士燮に言われて思いつくものは学生服しかないが、呂強が侍女に宝物庫から持ってこさせた実物を見せると献上せずに礼服として着て行くべきだと言われた。

「簡単に再現出来てこの時代でもあり得なくはないもの……難しいが考えてみてくれ。とりあえずは……陛下に献上しようと思っていた沈香(日本では蘭奢待とも)と白壇を北郷殿の名義で献上させよう」

 一刀には沈香も白壇もいまいちピンとこなかったが、呂強はその価値の高さを知っているようでとても驚いていた。

「士燮様!そのような貴重な物をありがとうございます!」

 呂強に続けて一刀も頭を下げる。呂強の態度から見るに、士燮は相当な援助を約束してくれるようだ。自分も本気で考えねばと思考を巡らせる。

(この時代でもできそうなもの……千歯扱きとか?あとは修学旅行とかで製作体験した和紙は材料のなんとかアオイが思い出せないし見分けもつかない……オルゴールは無理過ぎ却下。版画……写し紙が必要だっけ?無理……和蝋燭!)

「いくつか思いつきました。まずは千歯扱きですがこれは――」

 口頭と手振りで千歯扱きと和蝋燭について説明する。千歯扱きについては手間のかかる脱穀作業を簡単にできるようになるのが想像できると好評だった。和蝋燭については、

「質問があるのだがいいかな北郷君?何故芯に穴が開いていると炎が大きくなって消えにくくなるんだい?」

「芯の中を空気が通っていくからです。上の部分で火がついているから下から空気っていうか酸素を巻き上げるんですけど……なんて言ったらいいのか。百聞は一見に如かずです」

 正確な表現ではないかもしれないが、現物をみればなんとなく現象を理解してくれるだろうと思い勢いで流す一刀。

「北郷殿が言うには蜜蝋ではなく木蝋ということだが、ハゼの木はあるにはあるが抽出も含めて時間がかかってしまうだろう。とりあえず今回は千歯扱きだけ道中で設計し、洛陽近郊で作って陛下に献上しようではないか。和蝋燭は材料だけ集めておいてもらってまた後日作るがよかろう。だが、いくら構造を知っていても再現するのは難しいという事を私自身交趾で体験している。出来や使い勝手がイマイチでも気にしないことだ」

「私は酸素というものが気になるが、また今度教えてくれ北郷君」

「そうですね。ところで出発はいつ頃になりますか?」

「零陵だけは交易のために長めに居る予定だ。それとルキウス殿と納税団は今回は零陵の兵ではなく交趾の兵で護衛する。次の目的地は武陵の予定だ」




 呂強とルキウスの顔合わせは終わり、その中で一刀は千歯扱きを皇帝に献上することになった。一刀は早速設計図を描こうと思ったが、越南の交易品を見に行ってはどうかと士燮と呂強に勧められたので区星と一緒に市へ向かう。

「さっきの話し合いで呂強様と徐福が関係あるって言ってたけど、区星は何か知ってる?俺の世界だとそういう伝説は残ってないんだ」

「徐福の桃といえば女性を宦官にする桃だ。区星ですら知っているくらい有名だ」

 そんなことも知らなかったのか、と区星は意外そうにしている。

「女性を宦官にする桃?桃の伝説だと若返るとか長寿になるとか魔を払うとかそんなのは伝わってるけど……」

「少し合ってるナ。徐福の桃は若い女が食べると年を取らなくなる代わりに子を産めなくなる。ただ、年々桃の数が減っていて効果も薄れてきているから女性の宦官は本当に頭の良い人しかなれなくなった、という話を聞いたことがある」

「その桃を呂強様が食べて宦官になったのか……」

 一刀は内心とても驚いていた。宦官ということで呂強は元男性だとずっと思っていたが、見た目の通り女性だったとは。

「……まさか呂強様を男だと思っていたのか?」

「あー、いや、その……見た目がすごく若い理由が分かったなーって」

「あぁ……だが呂強様は実際にお若いぞ。区星より少し上くらいだ」

「え、じゃあもっと若いころから朝廷で仕事してたってことか……改めてスゴイ人だって思うよ……」

 すると区星は何故か得意げに、

「そうだろう。呂強様はすごいお方なんだ。区星も姉も呂強様を慕って零陵に士官したんだ」

「へー……お、あの人だかりが士燮様の隊商の市かな?」

 馬車一つの行商、という訳ではないのでかなり広い場所を市として割り当てられていたがそれでも狭く感じるほどの人の量だ。

 売っているものを物を眺めながら歩く。屋台の主はほとんどが区星と同じ色の肌を持つモンの人だ。零陵の外の商人が脚を止めるのは宝石や海亀の甲羅、珊瑚などの珍しい物が売られている屋台だ。

 そんな中、一刀の目を引くものが食べ物の屋台にあった。

「バナナ!?なんでバナナが!?」

「バナナ?」

「あの緑の房になってるやつだよ!熟して黄色くなってない以外はスーパーで見るのと変わらないんだけど……」

 他にはコーヒーの香りも別の屋台から漂っている。キャベンディッシュ種にしか見えないバナナにコーヒーの飲用。歴史の常識が崩れていくように一刀は感じた。

「いやいや唐辛子を使っている料理もあったから今更……なのか?」

「そんなに驚くことなら聞いてみればいいだろう。これはどこから仕入れたんだ?」

 驚いている一刀に対して区星は落ち着いた様子で屋台の店主に問いかけた。

「はい、これは南東の島から伝わって来た芭蕉の実でございます。その島の者は、もっと東の海の果てにある大陸の商人が持ってきた芭蕉と現地の芭蕉を掛け合わせたものだそうです」

「だそうだぞ北郷。店主、1房いくらになる?」

 店主のつけた値段に区星は意外に安いな、と2房で20本のバナナを購入した。

「お買い上げありがとうございます。黄色く熟したら食べ頃ですが、それから少し置いて黒い点が出来るとより甘くなります」

「そうなのか。では少し置いてから食べるとしよう。北郷、次はコーヒーとやらを見るか?」

「ん……そうだな。行ってみようか」

 南東の島とその東の大陸から来た商人。一刀は区星の御先祖様の一派かな?と思いながらもとりあえず目の前の現実を受け入れる。

「コーヒーフィルターは……流石に紙の使い捨てじゃないんだ。でも懐かしい香りだ」

 特にコーヒー党という訳ではなかったが、久しぶりの香りは故郷を思い出すのに十分だ。豆を乳鉢で粉砕しているのも見ていて楽しい。

「すみません、2杯下さい。区星、バナナ1房持つよ。飲みにくいでしょ」

 代金を支払い区星が持っているバナナを受け取る。コーヒーは輸送費や珍しい物、という事を差し引いても良心的な価格だった。

「はいどうぞ。熱いから気を付けてください。それと苦みが強かったらこのお菓子を食べながら飲むと良いですよ」

 陶器のカップに注がれたコーヒーを受け取る。よくカップを割らずに持ってこれたものだと思いながらも久しぶりの苦みと酸味を味わう。一刀は特に気ならないが区星は何だこれは?と警戒しながら飲んでいる。すぐにビスケットのようなお菓子を食べきってしまったようなので、一刀は自分に渡されていたお菓子を区星に渡した。

「この飲み物、どこから伝わって来たんですか?やっぱり西の方から?」

「その通りです。天竺よりも西の国で眠気覚ましに飲まれているそうです。ご自宅で飲むならこの豆を砕いて――」

 上澄みを飲むトルコ式と布でドリップする淹れ方のレクチャーを受け1袋分の豆を買った。結構な量が入っておりお得に感じたが区星は信じられない物を見るような目で見ている。

「区星には合わなかったか……半分残ってるけど飲めそうになかったら貰うよ?」

「……頼む。体が温まるのはいいんだが……炭を飲んでいるような気分になる」

 区星のカップを受け取り飲み口を少しずらして飲む。間接キスなどの羞恥心など持っている暇はない時代なのだろうが、一刀は初心だった。

 もうちょっと進んで行くと話のテンポが上がっていくはず、です。……多分。


ちょっとした解説

・千歯扱きは江戸時代に発明されたものですが原理自体は実に簡単ですし、受益者の農民も未亡人や老婆や子供の仕事が減る=そういった人たちでも出来る程度の仕事が増える程度なので歴史にはそうそう大きな影響はないと思われます。脱穀作業でお金を得ていた人たちの救済は追々。

・徐福と桃。やっと書いたというべきかもう書いたというべきか。女性の生殖能力を奪うというと男性のように切り取りやすい位置にはありませんし麻酔なしで開腹手術を何件もこなすのは流石に無理、なら毒物の蓄積で卵巣を破壊する……確認方法は?というわけで不思議パワーに頼りました。多分全盛期の桃を食べた徐福さんは元々若いのにさらに若返って低身長黒髪ロング童女に。

・バナナとコーヒーはこのお話の世界だと交易レベルがぶっ飛んでいるので登場。恋姫本編でもトウガラシ出てたような……気のせいかも。それと漢の筆まめな記録が残ることでいわゆる白人世界の「探検による発見」は既に記録済みの知識になりますがこの話でそこまではいかないでしょう。そのせいでアメリカ大陸の名前が変わるかもしれません。

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