第9話
区星に名馬の仔だと言われた董衣の乗り心地は不思議なものだった。フワフワした乗り心地で力強さを感じさせないのに加速も良ければ脚の速さもある。かなりの速度で走っているのに汗の感じはまだまだ余力を感じさせる。難があるとすればこちらのテンションの高まりを感じてか勝手に脚を早めるところだろうか。3歳と区星は言っていたが産まれた年を1歳としてカウントしているのであれば精神的な幼さが残っているのも理解できる。
「ホーーゥ、ホーーゥ、抑えて……区景さん達が追い付けてないから」
昨日最初に立ち寄った村までの間を好きなように走るよう言われ馬なりに走らせた。駄馬や空馬は区星が引率してくれているが、単騎とはいえかなりのペースで先行してしまった。
「董衣の駈歩は他の馬の駈歩と襲歩の間くらい速いね」
名を呼ばれてなんとなく褒められていることを理解しているのか軽く嘶いて答えた。
常歩で進みながら区星達を待つが、事前に言われていた通り絶対に董衣からは降りない。野盗や野生の虎を警戒せよとのことだが、董衣の耳を見るに緊張した様子もなく近くに危険は無いように思えるが弓と矢の位置を確認する。
一刀は董衣の首を撫でながら、
「董衣の名前の由来ってなんなんだ?栗毛なのに菫色の要素は?花相も牡馬なのに花の着いた名前だし」
馬の命名規則に思いを馳せていると区星達が追い付いた。
「随分飛ばした……というよりは董衣の気分か?親譲りの脚の脚の速さだったナ」
『北郷殿。董衣も楽しそうに走っていたが御しきれそうかね?』
『はい区景さん。テンション……こちらの気分の高揚を察して速く走るのですが、減速の指示にもちゃんと従ってくれました』
『それなら安心してお任せできますな』
零陵から出て最初に寄った村を素通りしてそのまま進む。今度は区星が花相を走らせる番だ。
「発!」
区星の掛け声で花相が襲歩で駆け出す。鞍上の区星が軽いことを差し引いても良い加速だ。後ろに蹴り出された土の勢いの強さが脚力を物語る。
「すごい加速……どういう経緯でこの時代にこんな品種が産まれたんだ……?」
『北郷殿は我らの馬に興味がおありかね?』
『はい。馬の大きさとか名前の付け方とかなんですけど……』
道中区景から馬についてきいた話をまとめると、大きさについては先祖が持ち込んだであろう匈奴の馬や、荊州南部や交州に亡命してきた人から買ったペルシャ産などの外国馬の子孫を交配したことが馬体の大きさに繋がったのではないかということだ。
また、馬の名前は仔馬の頃は毛並みからとったあだ名などで呼び、親離れする頃にその馬のエピソードに因んだ名前が付けられるとのことだ。
董衣は菫の上で寝転んで菫の花まみれになっていたこと、花相は一時期に花しか食べようとしなかったことから付けられたそうだ。
話をしているうちに零陵の正門前で待っていた区星と合流、先に郭石に話を通していたので入城は速やかに行われた。
零陵の政庁に到着し区星は馬房に馬達を連れて行き、一刀は区景と一緒に呂強の下へ向かった。
区景が長沙太守の張津の横暴を一刀の通訳で伝えると、呂強は明らかに張津がおかしくなっていると断じた。
「太守にあるまじき振る舞いです。直ちに張津を罷免させなければなりません。書状を認め朝廷に上奏します。それと怪しい占い師についての調査もしておきましょう」
呂強はすぐに侍女に筆記具を用意するよう命じた。
(布?の巻物?模様が入ってて単純に偽造が難しいから朝廷への公文書はこうやって出すのかな?……呂強様の字、本当に綺麗だな)
帛書(絹布に書かれた書)に字を書く呂強に見惚れていると区星がやって来た。
「呂強様にはもう張津の事を報告したようだナ」
「お帰り区星。今は呂強様が張津を罷免するための上奏分を書いてるところ。やっぱり例の占い師も怪しいから調査をするんだってさ」
「そうか。誰を送るんだろうナ?」
区星は席について侍女が持ってきた茶に口をつける。
呂強が書状を書き終えると侍女に渡し、早馬で朝廷に送るよう命じた。
「さて。これで張津は罷免されることでしょう。気になるのは囲い始めたという占い師ですが、人を送って調査しようと思います。区星、中原出身の口の堅い武官で腕の立つ者に心当たりはありませんか?」
一刀は隣に座る区景に一応通訳しておく。
「郭石隊長がこういった人事には詳しいと思います。ですが、周朝という若者の事を褒めていたのを聞いたことがあります」
周朝の名を聞いて一刀は少し驚いた。自分と同じくらいの年齢で他者から期待されている……常に死と隣り合わせの世界に住むのだから当然か、と一刀は思った。
「郭石隊長が……ではその者に商人に化けてもらい、調査に行ってもらおうと思います。士燮様の隊商を待っている商人の帰りに紛れれば怪しまれることもないと思います。もちろん本人の意思によりますが」
「妥当と思います」
「では周朝を呼びましょう。武官ですから練兵場でしょうか?そうなら区星、行ってきてください」
「すぐに呼んで来ます」
そう言って区星は退室した。
一刀は意見を意見を求められていないので口を出すことはなかったが、それはいつもは柔和を体現したような呂強から緊張感のようなものを感じたからだ。
「区景様。目の前でお孫さんを使い立てしてしまって申し訳ありません。まだ戻って来たばかりでしたのに……」
『構いません。孫は呂強殿を慕ってお仕えしているので、存分に使ってやってください』
「そう言っていただけますと助かります」
『しかし内偵なら区連をお使いにはならないのですか?』
「区連には区星と北郷様と一緒に洛陽へ行ってもらおうと思っています。実は今、大秦からの使者が士燮様の案内で洛陽へ向かう途上なのですが、洛陽にはそれを良く思わない者が居るかもしれないのです」
『……呂強殿を陥れようとした、確か趙忠でしたか?」
「それだけではないでしょうけれど、彼女が一番実力行使に及ぶ可能性が高いです」
『そのために区連を使うのですね。確かに最適な人事だと思います』
「私としてはあまり危ない目に合わずに何事もなく帰って来て欲しいのですが……」
『区星と士燮殿が居るなら大事には至らないでしょう』
それから少しして区星が周朝を連れて入室してきた。
「周朝、呂強様からのお召しと聞き参りました」
「周朝、長沙にて太守が乱心しました。長沙の様子を調べてきて欲しいのですが……」
そうして呂強は周朝に今回の任務について説明し、身分を偽って調査に行くことについて周朝から同意を得た。調査任務の細部を詰め終える頃にはもう空に夕陽の色が混じり始めていた。
業務時間も終わりの頃合いということもあり区景をもてなす宴席の用意が始まった。周朝も用意の手伝いはしたが宴席には調査任務の準備があるから、と参加を拒否した。周朝の顔に後ろめたい表情が隠れているのを一刀は見逃さなかった。区景の宴席ではかなりの量を飲まされる、という噂が周知されているのかもしれない。
今回は区景の私物の焼酎はでて来ず、零陵で作られた酒――濁酒と清酒が振舞われた。
区星だけでなく呂強もあまり強くはないのだろう。舐めるようにちびちびと呑んでいた。一刀は昨日疲れと度の強い酒を呑んでいたということもあって気づかなかったが、区星だけでなく呂強もほんのりと頬を上気させていて少し艶っぽさがあった。
区連も宴席の準備の途中から参加していたが、こちらはまったく酔いを感じさせなかった。頬は元の白さを保っていたが、真っ赤な瞳には宴席の雰囲気を楽しんでいる様子が見て取れた。区連は杯を持って一刀の隣に来るとそっと声をかけた。
「北郷様、妹が酒を呑むのはとても珍しいんですよ。この場に居ることに安心を感じているようですね。今までは言葉にこそしていませんでしたが、私の事を守るんだーって気を張り詰めていたようですので」
「そうだったんですか……」
「そうそう、北郷様達の上洛に私も行くことになりましたのでよろしくお願いしますね」
「さっき会話の中で聞いたんですが、区連さんが趙忠の実力行使の対策になる、みたいに言われていたんですが区連さんも武将みたいに強いってことなんですか?」
「あぁ、北郷様は炎帝神農の逸話を知らないのですね?私たちは祖先の頃から毒がほとんど効かない体質だったんです。それに私は昼間は眼を閉じている所為か、嗅覚や聴覚に優れているので毒入りの料理や服の下に武器を持っている間者に気付けるんです。もちろん、妹程ではありませんがそれなりには強いと思います」
「まるで座頭市みたいですね……」
「座頭市?」
「物語の主人公なんですけど目が見えない主人公が……」
一刀の日課に董衣の世話が加わった。文官の服では馬の世話は困難なため苗族の服をそのまま着ている。
それに加えて区星と一緒に区景に零陵の観光案内を――むしろ一刀も案内される側だったが――して数日、ついに士燮が零陵に到着した。
呂強の供として区星と一刀が城門の前で出迎える。停止した軍の中段から出てきた馬車に乗っている男性が士燮だろうか。一刀達の前で御者が馬車を停めると男性が下車した。見たところ年齢は60代くらいのようで髪や髭は白い。顔に皺が刻まれてはいるが、眼の輝きや身のこなしは衰えを感じさせない。
「お待ちしておりました士燮様。大秦からの使者をお連れになっていると聞きましたので、もてなしの席を用意しております。どうぞ交州からの長旅の疲れを癒して行ってくださいませ」
「呂強殿は変わりないようだな。モンの姫君は……少し明るくなったか?」
(区星の事をモンの姫君って呼んだ……?苗族のことか?)
区星がどう答えたものかと思案していると呂強が、
「立ち話も何ですから中へ入りましょう。兵の方々にも宿を用意しておりますので、まずは腰を落ち着けましょう」
と入城を促す。士燮も同意し、軍を入城させた。士燮の軍も南方の現地住民と漢人の混成だったが規律は高く、行進は乱れず練度の高さを伺わせる。
政庁内の官舎の空きはそんなに多くはなかったと一刀は思ったがそれは武官用の官舎であり、6人部屋の兵卒用の大きな兵舎が別にあった。
士燮は交易のための隊商を例年通りに街に派遣し、自身は大秦の使者ルキウスと政務の間で呂強とルキウスとの面通しを始めた。
士燮の隣に座る男性は風呂職人の映画で見た主役の男性にそっくりだ。服装も真っ白なトガを纏っており、古代ローマ人のイメージ通りだ。
「既に伝えていたように、こちらが大秦のルキウス・コンモドゥス殿だ。ルキウス、こちらの婦人が呂強、零陵の太守の代官だ」
「呂強と申します。零陵では我が家と思ってお寛ぎください」
「ルキウスです。どうぞお気軽にルキウスとお呼びください」
区星よりも流暢な中原語でルキウスは言った。異国の言葉をすぐに習得できるような最高級の頭脳を持っているからこそ使者として派遣されてきたのだろう。
「異国の王の使者にそのような礼を失することは――」
「それが彼らの気風なのだ。友として接する方がむしろ大秦の礼に適うと言うのだから、それに従うべきだろう」
「そういうことでしたら……」
呂強はいまいち納得しかねているようだった。
「それはそうと、モンの服を着たそちらの御仁は?漢人とはまた少し違った顔立ちをしているが」
士燮が一刀を見ながら問いかけた。
「北郷、一刀です。東の海を越えた先の島国の出身です。帰るに帰れず困っていたところを呂強様に助けていただきました」
結構時間がかかってしまいました。書きたいなーと思っても帰宅が遅れると気力が残らないもので……申し訳ない。
ちょっとした解説
・馬の大きさについてですが、設定上零陵や士燮の居る交趾には中原から政争に敗れた金持ちや民間人が避難民として沢山来ています。金持ちが匈奴やペルシャなどの外国の珍しい馬を連れてきたとして馬の世話を零陵の馬丁に任せるので勝手に種馬として運用されたりする、というところで品種改良が進んだ、ということで。ついでに益州も馬の産地なので漢の支配が及ばない地域を遊牧に似たことをしているであろう苗族の人達が繁用して血が濃くなりすぎないようにするのに一役買っています。
・馬の乗り心地については競走馬のものから。複数の馬を元ネタにしています。名前も競走馬モチーフではないですがいくつかかけていますがひどいこじつけレベルですのであまり気になさらないように。
・モンというのは苗族の自称です。設定上この時代ではまだ差別的な感情は込められていませんがモンという呼称を知っているのはかなりの事情通です。差別的な呼び方は南蛮人とか山越賊とかになります。
・ルキウスの名前は大秦王安敦の息子、つまり本来は次の皇帝から借りてきました。言語をすぐに習得できることからここのルキウスさんはシチリア島の出身かもしれません。そしてもちろん使者に友人のように接するのが礼儀、というのも創作です。




