ランプレヒト
翌日の夜、ディートハルトは手土産の子ヤギは止めろと梟に言われたので、草を編んだ籠に木苺をたくさん摘んで恩人の館にやって来た。勿論ドレスとブーツを身に着けている。
バルコニーの手摺に舞い降りた時、慣れない固い靴底のせいでバランスを崩し、さらにドレスの裾を踏んでしまう。慌ててバサバサと翼を広げて何とか堪えようとしたがそのまま前に倒れて、固いバルコニーの床にしこたま膝を打ち付けた。翼は小さく収納し、膝を抱えて悶絶する。
『イターっ、もう、ドレスなんか嫌いよ。靴を履くと感覚が分からないし、人間はよくこんなので生活できるわね』
ディートハルトが暴れたせいで、窓を叩く前に来た事に気付かれてしまった。青年は部屋に小さな灯りを着けて窓を開けた。
「何と無く、今日も来るような気がして待ってたが、クククッ、随分無様な登場の仕方だな。お? 今日はちゃんと服を着てるじゃないか」
床に座り込むディートハルトに手を差し伸べて立たせてやろうとするが、その行動の意味が分からない彼女は涙目になって、ただその手を見ていた。
「何だ? 足を痛めたのか? 痛い、わかるか?」
ディートハルトは頷いて答えた。元々単語は大分覚えていて、聞き取る事は出来るのだ。
「アシ、イタイ。タツ、デキナイ」
青年は彼女を抱き上げ部屋に入った。
そしてそっとソファに座らせて、バスルームから濡らしたタオルを持って来た。
「足、見せてみろ。怪我したところ、あー、えっと……ドレスの裾を捲って、こう、足を出してくれないか?」
ドレスを捲る動きをして見せて、足を見せるよう話しかける。ディートハルトは躊躇する事無くガバッとスカートの裾を捲り、足の付け根まで露にした。
「いやいやいや、そこまでしなくても大丈夫だから!」
青年はスカートの裾を下げてやり、患部だけが見えるようにした。彼女の両膝からは血が滲み、とても痛々しかった。濡れタオルで傷を優しく拭ってやると、痛かったようでボロボロと泣き出した。
「すまん、痛かったか? ここには治療に使える道具が何も無いんだ。人を呼べばお前の事を説明しくちゃならないし、こんな時間に女の子が部屋に居るのはさすがにマズイからな。ああ、これじゃ駄目だな、風呂場で傷を洗い流そう。ブーツ、脱がせるぞ?」
ごめんね、気を使わせちゃって。やっぱり優しいのは変わってないのね。この程度の傷なら大丈夫だけど、あなたに世話を焼かれるのは久しぶりで、なんだか懐かしくて涙が出ちゃうわ。
青年はブーツを脱がせて抱き上げると、スタスタとバスルームに連れて行った。バスタブにディートハルトを降ろし、スカートをたくし上げさせてシャワーからぬるま湯を出し、足を洗ってやる。
「沁みるか?」
「ダイジョブ、ゴメン、ネ。ヤサシイ、アリガト」
「昨日より喋れるようになってるじゃねーか。お前凄いな。よし、今拭いてやるから、そのまま立ってろよ」
乾いたタオルで拭いてやり、また抱き上げてソファに座らせるとブーツを履かせてやった。
『そこまでしてくれなくても、自分で出来るよ? もう何も出来ないひな鳥じゃないんだから』
「あ? 何か言ったか? お前の言葉は分からないんだ。もう一度言ってくれ」
「アリガト……ナマエ、ナニ? ワタシノナマエハ、ディートハルト、デス。アナタ、ナマエ、ナニイイマスカ?」
片言で、眉間にしわを寄せ一生懸命話しかけるディートハルトに思わず笑顔になる。そこで初めて青年は自己紹介した。
「俺の名前はランプレヒトだ。ランプレヒト。言ってみろ」
「ランプレ? ミト?」
「ランプレヒト」
「ランプレミト」
「ミ、じゃなくて、ヒだよ。ヒ、ト」
「シ、ト? ランプレシト!」
ランプレヒトは笑いが止まらなかった。得意気に言っているが、結局間違っている。彼女の隣に座り、口の動きを近くで見せてやる。
「惜しい。ランプレヒトだ。ヒって言えないのか? ヒ」
「シ、ヒ? ヒ! ランプレ、ヒト! ランプレヒト!」
「おお! 言えたじゃねーか。偉い偉い」
思わず頭をグリグリと撫で回していた。
「オナジ、マエモ、アタマ、シタ。ランプレシト、ランプレヒト、シニカケタ、ヒナドリダッタ、ワタシ、タスケテクレテ、アリガトゴザマシタ。オレイ、シニキタ、デス。キイチゴ、オイシイデス。ドウゾ」
ディートハルトは持って来た木苺をランプレヒトに渡すと、立ち上がって窓に向った。
「待て待て、これの為に今日ここに来たのか? 御礼って昨日も言ってたが、相手は俺じゃないだろ? 俺はお前の事なんて知らないぞ。ひな鳥だった頃にここで誰かに助けてもらったのか?」
「ランプレヒト、チガウ? ココ、ヘヤ、アッテル。ゴ、ネン、マエ、オチタ。キノウエ。オナカ、スイタ、シヌ、オモテタ、ヲ、タスケタハ、ランプレヒト、デス」
ランプレヒトは5年前の事を思い出し、本当の事を言うべきか悩んだ。これを言ってしまえば、嫌われるか恨まれるかして、ディートハルトとの交流はこれまでだろう。彼女は自分を命の恩人だと勘違いして、こうして会いに来ているのだから。
「あの、な、俺は、5年前ここには居なかったんだ。寄宿学校に入ってて、学校、わかるか? 遠くの学校に行ってたから、お前には昨日初めて会ったんだ。その頃この部屋を使ってたのは、病気療養中だった従兄弟のベルンハルトだと思う。お前を助けたのはベルンハルトか、あいつの側近のフリッツじゃないか?」
「フリッツ、ヤマニ、カエス、シテクレタ。ワタシ、タスケタハ、ベルンハルト? ベルンハルト、ドコイル? オレイ、シタイ」
ベルンハルトはここで奇跡的に健康になり、今は王都で騎士として活躍している。そのうち五つあるどれかの騎士団の団長になるだろう。そして王族として騎士団総長となる未来が約束されている。公爵令嬢との婚約も決まって全てが上手く行っているのだ、そんな時に、人では無いが見た目は限りなく人に近い美しい女性が尋ねて行くのは良くないだろう。
「あいつには会えないぞ。あいつはこの国の第三王子だ。簡単に会える相手じゃないんだよ。わかるか? 俺の従兄弟と言っても、身分が全然違うんだ。どうしても御礼が言いたいって言うなら、俺が代わりに手紙を書いてやるよ。それで我慢しろ」
「アエナイ、ワカッタ。デンカ、ヨバレテタハ、オウジダカラ……ランプレヒト、テガミカク。ワタシ、ジブンデ、カク、シタイデス。オシエテ、クダサイ」