10話 愛、大いなる愛
私の目の前で、クロンが地面に倒れる。右腕が大きく切り裂かれており、血がどくどくと溢れ出していた。
「く、くろ……」
「ううっ……アナ、逃げるんだっ……!」
「あ……いや……」
私は二度目のショックで完全に腰を抜かしてしまい、動くことができない。本能的な逃げないといけないという思いと、でもクロンが、という思いが重なってもっとだ。
「ガルルルッ!」
狼がこっちを見る。私はいよいよ恐怖で涙が溢れ出してしまった。視界が滲み、どちらに逃げればいいのかもわからない。手が震えているのでそれを拭うこともできない。
もう駄目だと思ったその時----
----ジュッ
「ギャウンッ!」
光が視界を包み、何かが焼ける音がしたかと思うと、狼が鋭い鳴き声をあげてひっくり返った。光はすぐに収まり、僅かにみえる視界からは狼が泡を吹いているのがわかる。
「え?」
私は突然の出来事に涙と震えが止まった。狼のその大きな頭からは、血ではない何かが流れている。
横から”グフッ”と何かを吐き出すいう音が聞こえたので、私は慌ててその方向を見ると、なんとクロンが口から血を流しながら、指を三本狼へと突き立てていた。
もしかして、今のはクロンがあの技を……?
「ク、クロン!」
私は何とか地面を這いずり、クロンを腕で抱き寄せる。狼はピクピクと痙攣しており、自ら動く気配はない。
「クロン! 大丈夫、クロン!?」
「アナ……そんなに叫ばないでくれ、頭に響く……」
クロンは苦笑いをしながらそう言う。
「クロン、血が……!」
クロンの口からは未だに血が溢れ出ており、眼が徐々に開かなくなっているようだった。
「はは、アナを守らなきゃって、思ったら、三本も、光を出せたよ……」
「クロン、死んじゃいやぁ……」
私はクロンの顔がよく見えるように上にして、その頭を抱きしめる。止まったはずの涙が目元からまた溢れ出し、一粒、二粒とクロンの顔へ垂れる。
私のことを守るために、身を乗り出して、血を吐いてまで……
「クロン……好きぃ……結婚しよ……」
私は、無意識にそう呟いていた。
「ああ……」
!
今、ああって言わなかった!?
「クロン、今、返事を……?」
「アナ……」
クロンはもうほとんど開いていない目をこれでもかと優しくし、私に微笑んだ。
その時、私の頭の中に声が響いた
----愛するものを救いたいか?
----愛するものを?
----そうだ。
----……救いたい! 当たり前じゃない!
----わかった。そちの願いを聞き届けよう。
----え?
----我は慈愛の神、ラビュファト。憶えておくがよい……
謎の声はそれだけ言うと、もう聞こえなくなった。
と同時に、私の身体の中を暖かい何かが駆け巡る。そして不思議と、これから何をすべきかが既に思いついていたかのように頭に流れ込んできた。
「……クロン、絶対結婚しようね!」
「ああ、アナ……」
また返事を……! しかもさっきよりも力強く! クロン、死にそうになってまで、私の名前を……!
絶対に、絶対に、助けなきゃ!
★
「くふっ……」
アナを助けたい、その想いがどこかへ通じたのか、なけなしの力を振り絞って発動した、いつもは人差し指から一本だけしか出せないあの”技”が、なんと人差し指から薬指までの三本を使って出すことが出来たのだ。
そしてその光は運良くもヴォルフェヌスの頭を貫いた。
その光景を見た俺は、安心してしまったのか体の力が一気に抜け、意識も朦朧としていた。
顔に水が当たる……アナ?
俺は、いつの間にかアナに抱き寄せられていた。アナの顔がとても近くに見える。はは、いつ見ても、綺麗な白い肌と流れるような茶色い髪の毛をしているな。そうか、泣いているのか。そんなくしゃくしゃにしてしまったら、綺麗な顔が台無しだぞ。
「クロン……ぃ……しよ」
アナが何かを呟いているが、耳も聞こえなくなってきたせいか、よくわからない。
「ああ……」
せめてこの目に、アナの顔を死ぬその時まで焼き付けていようと眺めていると、無意識に言葉が漏れた。
「アナ……」
俺は動いているのかもわからない口を使って、幼馴染の名前を呼ぶ。たった三年間だが、とても充実した三年間だった。アナと会えた日は次の日まで良い気分でいられたし、次第に次はいつ会えるのかな、と考えることも多くなって行った。
そして思った、これが父さんの言っていた、人を愛するということなのか、と。
「……ロン、……ね!」
今にも完全に閉じそうになる目の隙間から、アナの笑顔が見える。俺がもう生き返らないと思ったのか、最後にとびきりの笑顔を見せてくれたかな。もう彼女が何を言っているのかわからない。
そして俺は、薄れゆく意識の中で、残っている全ての力を込め、一番の感情を込めて呟いた。
「ああ、アナ……」