その1
ふと気が付くと、自分は見知らぬ部屋にいた。
辺りは見渡す限りの木造建築。京都の古い家のようだ。
目の前にはちゃぶ台。自分はそのちゃぶ台にしわくちゃな手を置き、床に腰掛けていた。
窓からは朝日のようにサンサンとした日の光。
思い出した。自分は死んだ。
享年は八十過ぎ。家族に見守られ、病院のベッドでその生涯を終えたハズだ。
何も悔いは無い。
心残りは……最後の晩餐くらいはウナギを食べたかった。
まぁ、注射でしか栄養を取られないくらいまで衰弱し切っていたんだがね。
そう言えば体が軽い。立とうと思えばスッと立てそうだ。腕も上がる。
服もお気に入りだったグレーのセーターだ。
ここは天国だろうか?黄泉の国とはこんな感じなのだろうか?
死んだ妻に会えるのだろうか?
視線を再び上げると、目の前にはちゃぶ台越しに若い女性がいた。
流石にそれには驚き、「あっ!」と声をあげてしまった。
後ずさりしようとする自分を、女性は手で制する。
「フフ……落ち着いて。取って食おうって訳じゃないのよ」
女性は見た目の割に結構大人びている。
「……何者じゃ?」
「あらあら何言ってるのよ?久しぶりじゃなぁい!」
前言撤回。子どもっぽい。
そして自分はこの女性に見覚えは無い。
「見た事もないぞ。そしてここはどこじゃ?」
「ふーん……まぁ、それもそっか……あ、ココ?ココはね、あの世よ」
あの世?まだ天国でも地獄でも無いのか。
「じゃあ三途の川とか見れるかの?」
「フフ!相変わらず好奇心の強い子ね!」
女性はニッコリ笑顔でそう答える。
良く見れば自分があと六十若ければ恋に落ちていた程の美人だ。
残念ながら今は妻一筋だがね。
「それで、何故ワシを?」
「早い話よ。あなたとお喋りしたくて」
「もしや神様?」
「残念!神様じゃないけどお友達なの!あ、食べて食べて!」
いつの間にかちゃぶ台には料理が置かれていた。
しかもどういう事か、大好物のウナギではないか。
「ほぉ、ウナギ!人生最後に食おうと思っとったんじゃ!」
「本当に好きなのね。ウナ丼だしおかわり自由!」
「むぅ……何故ウナギを……」
その質問に対し、女性はクスクスと笑う。
「あなた、最後は何も食べてないじゃない!流石にそれじゃ可哀想だから天界からのサービスです!最後の晩餐くらいは食べたい物食べなきゃ!」
「天界から……ありがたいが、何か気が引けるのう」
「もう!遠慮しないでホラホラ!手を合わせていただきます!」
「……いただきます」
箸を手に取り、ウナギをご飯ごと口へと運ぶ。
美味い。
脂身といいタレといい、文句の付け所がない。絶品だ。
「こりゃ良いウナギを使っとるわ」
「そりゃそうよ!原産地は天国よ!」
何故か女性が自慢げに話す。
一段落ついた所で、女性は再び喋り出した。
「どうだった?八十六年の人生は?」
自分は一度箸を止め、我が人生を振り返る。
喜び、挫折、苦悩、恋……色々あったが、
「まぁ楽しかった。親にも恵まれて充実した人生じゃったぞ」
「親ねぇ……どんな人だった?」
自分は古い記憶をま探り、両親を思い出す。
「母は優しい人じゃった。ワシがやんちゃしてた時は一緒に謝りに行ってくれたのう。父は少し頑固じゃったが、一緒に凧を作ったりしたなぁ……」
懐かしいと呟きながら、しみじみと感傷に浸る。
その様子を女性はニコニコしながら聞いていた。
「両親や妻には会えるか?」
「どうかしら?輪廻転生しちゃったら今頃現世だし……」
それを聞き、ガックシ肩を落とす。
もう一度会いたい。
「うーん……神様に掛け合ってみるわ!もしかしたらまだ転生してないかも!」
「おぉ!そうか!ありがたい!」
「フフフ」
その後も色々と話し合った。
小学校時代の先生の話、妻との出会い話、息子や孫との事。
女性も天界での仕事の愚痴に鬼への文句を話してくれた。
ウナギ丼もすっかり空っぽだ。
「ごちそうさま」
「あら?もういいの?おかわり自由よ?」
「いや、もういい。美味しかった」
「……フフフ、お粗末様!」
女性の背後にある戸がガラリと開いた。
そこからは溢れんばかりの光。
ただ眩しいとかでは無く、木漏れ日のように優しい。
「なんじゃ?」
「あらら……お迎えよ?天国から使いが来たわ」
「む?そうか?では、お別れかのう?」
「えぇ、そうね。寂しいわねぇ……」
自分はスクリと立ち上がり、戸の方へと向かう。
ずっと寝たきりだった物だから歩くのが久々に感じる。