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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

聖呪術師シリーズ

紳士帽子の聖呪術師は安楽椅子を壊して笑う:使役する男

作者: 正坂夢太郎

以前書いた短編「黒」をモチーフにしています。




紳士帽子シルクハットの聖呪術師は安楽椅子を壊して笑う






 ◇◆◇◆



「立場を弁えろ」


 吉崎よしざき末永すえながに怒鳴った。見飽きた光景に、周りの店員を含めた全ての人間は眉をひそめる。末永の髪からは、水滴が滴っている。


「私に恥をかかせるな」


 末永は地面に散らばった硝子の欠片を手で拾い集める。一片のそれが彼女の手の平の皮を裂き、血を滲ませた。吉崎はもう片方の手のグラスをも彼女に投げつけた。それは彼女に衝突し割れ、重力を受けて落下する。破片は末永を見上げ、今か今かと彼女を傷つける時を待ち侘びている。


「貴様は私の所有物ロボットなんだ。所有物ロボットが俺と対等な口をきくか」


 末永はかがんで破片を拾い続ける。また一つの破片が、彼女の手を裂いた。


「最初からそうしていればいいんだ、産業廃棄物ゴミクズが」


 そして吉崎はワインをあおる。彼はその日常を、ごく当たり前のように過ごしていた。もちろん末永も、所有者マスターである吉崎と共に暮らしている。そして誰も、彼らの異常な日常を止める者はいない。



 ◇◆◇◆



 吉崎は夜の街角を歩いていた。繁華街の喧騒は遠く波のように鳴り、そこここの街灯には蠅や蛾が集っている。街灯の光は、前を通る吉崎を見て、おもむろにその光を向けた。

 高価格なコートを羽織り、十指に余すことなくダイヤモンドやルビーなどの宝石を嵌め込んだ指輪を着け、コツコツと甲高い音を鳴らす革靴を路道に叩き付ける吉崎は、街灯を見上げて溜息を洩らした。


「撤去」


 次の瞬間、吉崎の背後から末永が現れ、彼女の手に装着されている焼却機によって、街灯は焼失させられた。燃え盛る火の海の中で悲鳴を上げる街灯を、末永は同情の瞳でもって見つめる。街灯が消え失せ、あたりは闇に包まれる。


 そのとき前方から、真っ黒なコートに身を包んだ男が闇から出てきた。闇色の紳士帽子シルクハットを被ったその男は、落ち窪んだ眼窩を吉崎に向けた。吉崎は闇に現れたその男を視認することはできなかったが、何かがそこにいることを本能的に感じた。それは『恐怖』だった。


「お前さ。俺のこと、知ってる?」


 吉崎はあたりを見回す。紳士帽子の男の声は、自分の身体の中に響き渡っている。どこにいるのか皆目わからない。見えざる恐怖に恐れをなし、彼は「何者だ」と叫ぶ。


「ど~もお初に。俺は聖呪術師ってんだけど……知らないかな」


 吉崎は体の力が抜けるのを感じた。意思の欠如による脱力ではない。何らかの外的要因に依るものだ。吉崎は両手でコンクリートを擦り、後退あとずさる。


「や、やめろ、私はまだ死にたくない!! 殺すならそこの産業廃棄物を殺せ!!」


 吉崎は金切声を上げた。聖呪術師はふふふとおかしそうに笑う。闇に沈んだ眼窩が妖しく光った。そして聖呪術師は手袋を外す。吉崎の首を鷲掴みにして軽々と持ち上げた。吉崎の両足が地を離れる。


「恨むなら自分を恨めよ、おっさん」


 吉崎の両の眼が聖呪術師の光を捉えた。

 彼の眼の水晶体が真っ白に濁り、虹彩が闇に染まった。勢いよく両目が裏返り、眼球と血液が音もなく路道に流れ落ちた。彼は幾度か痙攣すると、その生命活動を停止させた。

 聖呪術師は燃え尽きた街灯に手をかざす。手から闇が迸り、街灯を立ち上がらせた。フィラメントが熱を帯び、再び路道に光が戻る。

 聖呪術師は大きな欠伸を一つし、今度は死骸に手を合わせた。


「安らかに眠れ」


 手から闇が落ち、地面を這いずって死骸を包み込んだ。闇は死骸を包んだまま、沈んだ。


「あ、あの」


 声のかけられた方に聖呪術師は振り向く。毛皮のコート一枚、ただそれだけを羽織っている末永は、寒さに身を震わせることなく聖呪術師を見据える。


「私はこれから、どうすればいいのでしょうか」


 聖呪術師は両目で末永を睨んだ。彼女は心底困った様子で裸足を路道につけている。別段恐怖を抱いているふうではない。


「お前、俺が怖くねえの?」

「私には、感情はありません」

「へえ」


 特に興味もないふうに聖呪術師は言う。聖呪術師の姿を見て恐怖を抱かない者は未だかつていなかった。それだのに末永は、聖呪術師に教えを請うたのだ。


「行くとこないんなら、俺と一緒に来いよ」

「いいのですか」

「いいって」

「ありがとうございます」


 末永は深々と、地面に頭がつくほどのお辞儀をした。二人は闇の中を歩き始める。聖呪術師は、10M後ろを歩こうとする末永を自分の横につかせた。末永から他愛もない世間話を聞き、新しい時代の動きに驚き、悲しみ、笑う。末永にとっての日常は、聖呪術師にとっての非日常に他ならなかった。


「私からも質問があるのですが」

「なんだ」


 末永は聖呪術師の顔面を指さして言う。


「なぜ聖呪術師様には耳や目鼻がないのですか」



 ◇◆◇◆



 何千年も前から、聖呪術師は生きている。正確に言えば、彼にも自分が何年生きたかなど分からない。だが少なくとも、悠久と呼べる時の流れの中で、聖呪術師は生きている。

 彼がどうやって生まれたのかは、彼にも分からない。だが、どこで生まれたのかだけは分かる。

 彼は闇より出でし者だ。そして彼は生まれつき、人を殺す使命を負っている。人間はそういう存在を“死神”と呼ぶが、彼は神ではない。

 そして彼は、今日も人間を殺す。彼が殺すのはきまって、彼の信条に反する者だ。


 そうして彼は、笑うのだ。

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