一章
プルルルルル−−朝、東部伊勢崎線北越谷駅。
私はいつも通り、いつもの時間にホームで電車を待っていた。
たまに人身事故などでダイヤが乱れることはあるが、今日は時間どおり電車が来た。
私は特に意識せず電車が時間通りに来ることを当たり前のように享受して、メールを打ちながら、一瞬目線を乗車口に向けて確認し、すぐケータイに目線を戻してメールを送信しながら電車に乗った。
電車はいつもと同じく超満員。 高校入学当時は初めての電車通学で、他人と体が触れることに抵抗があった。・・・いや、むしろ毎日が不快だった。
ある日、満員電車の中で電車が揺れて私の胸に誰かの肘が触れた。
それは当然偶然のことだと思った。
しかしその電車が揺れる度にその肘は私の胸に触れてくるのだ。
しかも段々肘の当たり方が強くなってきて、仕舞いには肘で私の胸を押し潰すように突いてきたのだ。
私は驚き、咄嗟に別な人に挟まれて動かせなかった右腕を、力一杯自分の体の中心にもってきて肘を弾くようにした。
すると『肘』はどこかに消え、私はその日から混雑した電車に乗るときは必ず両腕で体を抱えるようにするようになった。
当時は少女漫画のヒロインのようで嫌だったが、今ではもう自然なポーズとなった。
あの『肘』の男・・・当時は一瞬見えたその顔を忘れまいと思ったが、正直今見たらきっと正確には判別つかないだろう。
あの男の顔は今はもはや記憶の霞みの中だ。
「新越谷〜新越谷〜」
駅のアナウンスが聞こえ、私は人波を泳いで電車から降りた。
特に何も考えず、人の波に乗って新越谷駅の改札口を出る。
ほかの人と同じ様に駅の階段を無意識にただ降りて、歩いていく・・・。
いつもと変わらぬ歩調、いつもと変わらぬ時間。
意識せずとも体が自然にそう動き、事実、それは私にとって何の変哲もない自然なことであったのだ。
しばらく歩くとJRの改札口に入った。
財布を取り出し、平たいカード入れの方を下にしてタッチして改札を通る・・・。
それもまた日常の毎朝の1シーンであり、私はほとんど条件反射で改札を通った。
南浦和方面のホームに立つ。
私はまたケータイを取り出していじる。特に用件はない・・・。 しかし、これは私が私である為に必要なこと・・・なのかもしれない。
私はふと前を見る。
ホームにいる他の人は、私のようにケータイをいじる人もいれば、音楽を聞いている人もいる。
サラリーマン風の、熟年の人達は携帯電話を使うこともなければ、CDウォークマンを聞くわけでもない。
その多くは小さい文庫小説を読み、たまに器用に折りたたんだ新聞を読む人がいた。
だが、私から見て彼らは同じ生物だ。
もちろん、それは私も同じなのかもしれない。
しかし、目の前の光景は結局毎日と様子が変わりない川の流れを眺めているようであった。
電車が間もなく来る――という内容のアナウンスが流れた。私は機械的に電車に乗ろうとする。
持っていたケータイを握り、乗ろうとすると、私のすぐ後ろに列んでいた人が私の背中に軽くぶつかってきた。
私は別によろけることもなければぶつかられて痛いというわけでもなかった。
しかしポロっと、私の左手で握っていたケータイが電車とホームの間に落ちていくのが見えた。
私はサッと青ざめて何も考えず電車とホームの間に右手をのばしてケータイをキャッチした。
気付くと人込みも気にせずスカートがどうなってるかすら気にせず、よつんばになってケータイをにぎりしめていた。
私をまたいで電車に乗る人々・・・。
私は恥ずかしさと気まずさで今すぐ消えてしまいたかった。
私はケータイのまるで飾りのような、短いアンテナを握っていた。
ちょっと指から力を抜けば、きっと落ちてしまうだろう。
だから私はどうしようもなく、そのまま身動きが取れないでいた。
私がいるせいでそのドアは入りにくくなって人だかりができていた。
何人かは別なドアを探し、何人かは私を無視して電車に乗った。
―――プルルルルル
「まもなくドアが閉まります――。」
などというアナウンスが流れたが、私の耳には入らなかった。
いや、正確には入ってはいたが、大して関心を向けることができなかった。
私が今、必死なのはケータイをどうするかだ。
そうこうしている間にもケータイは手から離れようとする。
(万有引力なんてものがなければ・・・・・・!)
と考えていたとき
「あ!」
何か異常事態を感じた。
だがそれが何なのか理解するのに時間が必要だった・・・しかし、それは確かに存在する『危機感』・・・。
そう、電車がゆっくり走り始めていたのであった。
そのときいくつか同時にどうでもいいことを考えたはずだが、良く覚えていない・・・。
ひとつ確実に覚えているのが、イメージ――電光掲示板のイメージ。
駅で電車が遅れる『メッセージ』、『文字』――『人身事故』・・・。
何故それをイメージしたかはそのときはわからなかった。
いや、頭半分では理解していたはずだが、それを認めるのが恐かった。
私達一般人にとって、『死』とは『文字』に他ならない。
駅の電光掲示板で流されるメッセージは、◎×駅で人身事故が起こった、何分の遅れ、などが迅速に伝えられる。
しかしそれは確実に人が1人、自分と同じように呼吸して、ものを食べて、笑ったり遊んだり長い人生を送った、あるいはこれから送るかもしれない人が死んだ、という事実。
その事実を文字は確実に人に伝える。『文字』として。
ただしそれは『死』を伝えず、『状況』を伝える。
『死』はすべての生物にありえるものであり、脆い人間ならばなおさら、ちょっとしたことで死は起こり得るのだ。
しかし自分に直接関係なければ人の死はただの『文字』だ。そういう意味を伝える情報に過ぎない。
それは日常に満ちあふれている。
TVで流動的に流されるニュースや、新聞などは現実の死をデフォルメする。 また一方で架空の死を出来る限りリアルに表現しようとする、映画や漫画などが巷には流行している。
どちらも受け手には大して違うようには感じない、『文字』としては同じものを表すのだ。
――ドクンドクンと心臓が鳴り響く中で、私はどこか冷静だった。
何故なら今まで自分が死ぬなんてことは考えたこともなかったし、これからずっとおそらく少なくとも年金をもらうまでは死ぬ、ということを真剣に考えたりはしないだろうと思っていた。――そう、そのときまでは・・・。
電車がおもむろに、だんだん加速し始めた。
私は一瞬手を離してケータイを諦めようとも思った。
しかし加速によって、私の体は安定し自然と立って歩けるような体勢になったのだ。
このままいけば、ケータイを救えるかもしれない。
そう考えて、私は中腰のまま走って、ケータイを引き揚げようとした。 しかし、なかなか引き揚げられない。
そうこうしているうちに、電車は速度をあげ、足が追い付かなくなってきたので、私は怪訝に思い、ケータイを見た。
「あ!そ・・・」
バチン!!
私が最初に感知したのは音だった。
強烈な、それでいて鈍い音が辺りに響いた。
少なくとも私はそう感じた。
そして次に吐き気。得体の知れない『味』を感じ、吐き気も生じた。
そしてそれとほぼ同時、あるいはそれが吐き気を引き起こしたのか、強烈な衝撃、熱を感じた。
いや、それは常軌を逸した痛みだ。
体全体に痛みが熱として伝導するのがわかる。そして最後に・・・『息苦しさ』
まるで水の中で溺れたかのような、感覚。
息を吸いたくても、吸えない。
変わりに何か別な液体を感じる。これは・・・・・・?血液?
呼吸を何度も試みて、血液が気管から逆流して、鼻や口から吹き出しているのがわかった。
そして、視界は極端に狭く、色々な映像が、人の顔や電車の側面、電車の窓から目があった人の、上から怯えたように見下ろす顔等が、コマ送りのように見えた。
私はやけにゆっくりした時が流れたように感じた。
しかし次の瞬間、ゴオーという音とともに一瞬のうちに視界は暗くなり体にとてつもない重力を感じた。
混濁した意識の中ではっきり理解したことが、2つあった。 1つは私のケータイが相変わらず私の右手にあること。
そしてもう1つは、状況は正確にはわからないし、信じられないことではあったが・・・。
『私は死んだ』
という事実だ。
私は死ぬ。電車に引き割かれて−−−。それは紛れも無い、絶対的な理解。
理性ではない、本能による悟り。
そう、私の人生のカセットテープはここで、このとき停止したのだ。間違いなく・・・。