ありすインワンダーランドでセクハラの定義
朝日が差し込んで、瞳をやさしく刺激する。
朝だ。
朝なんだけど・・・。
「あ、ぎゅ、むぎゅ・・・ふがむぐ、ぅぐぅ」
あたしは、
・・・圧迫感に負けそうになっていた。
(お・・・起き上がれないぃっ!)
みごとに固められたあたしは、わずかな隙間から空気を肺に入れることしか出来ずに、もがもがした。
傍目で見れば、まるで断末魔の様相だっただろう。
それぐらい切羽詰ってじたばたした。
なのに、固い拘束を外そうと、手で押しのけようとすると。
ふに。って違和感があるんだよ。
(ふに?)
それは、妙に柔らかくて、でも固くって、暖かいの。なんか実に馴染みのある感触でさー・・・。
頭ひねらせながら、柔な感触のそれに、もう一回腕を伸ばした。
顔に覆いかぶさってるやわやわした「ぶつ」を、んしょと持上げたら「あふん」って。
「あふん」って声が頭の上で、した。
・・・はああ、やっぱ人だー。しかも・・・女性。
で、気を取り直して顔に当たってる「ぶつ」以外の場所を押しのけてみようとした。・・・だってさ、いくら同性でも乳を素手で押し上げるなんて失礼、あたしにゃできない。
なのに、わき腹押し上げようとしたらさ・・・「ああん、おねえさま、だめっもっとっ」って、顔に「ぶつ」が押し付けられたんだよ。そらもう、ぐりぐりっとね。死ぬかと思った。
その危険物ったら、やわらかいのなんのって、極上のマシュマロみたいな感触と香りでね、男だったらいっそ本望の死に方なんだろうけど、ええと、あれだよ、腹上死? うーん、この場合乳下死かな?
でもあたしったら、ほら、乙女だからさ。
この乳に対して、覚えるのは憧憬よりも殺意。
死因が、巨乳による圧迫死だなんて。
末代までの恥!
でも、そのまま気が遠くなりかけてたあたしは、危うく涅槃に到達しかかってたのよねー。
誰かが乳引き剥がしてくれなかったら、確実にトリップするところだった。戻れない世界に。
「ベアトリーチェ、僕のありすを殺す気か!」
主にあたしの口と鼻を塞いでいた凶器(乳)が離れて、がっくんがっくんと肩を揺られて・・・ようやくあたしは現世復帰。
「・・・・・・し・・・死ぬかと思った・・・・・・」
ああ、空気! 空気おいしい!
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「ジンみたいなおこちゃまに、ありすねえさまは渡しませんわ!」
凶器をばいんばいん揺らしながら、金髪美女が胸を張る。
そんで、美女天使の懐に、おし隠すように抱きしめられて、危うくまた窒息しかかったあたしを、ジン少年が引っ張りだしてくれた。・・・うう、酸素・・・。
「僕のありすから離れろ、この女好きめ!」
よっく見ろ! 窒息しかかってるじゃないか!
ジン少年の指摘に、美女天使は顔を真っ赤に染めて、
「あふれる思いを抑えることなど出来もしないことなのですわ。あたくしの思いを全身全霊で、ありすねえさまに捧げるだけですわ・・・目くるめく官能の世界へご案内申し上げます、ありすねえさま・・・」
・・・潤んだ眼差しで見つめてきた。
肉惑的な姿態を惜しげもなく晒して、敷布の中にじり寄ってくる様は、妖艶。
艶やかな金の髪が薔薇の香りを運んでくる。しっとりとした肌にも香油が塗りこめられ、身動きするたび立ち香る芳香。くらくらする。
爪の先まで磨きぬかれた、天使の指先があたしの頤に、そっと触れた。
あわされた碧眼があたしを標的にしたことを悟った。
「あたくしのすべてを、ねえさまに捧げますわ・・・」
赤く塗られた肉惑的な、唇がゆっくりと降りてくる・・・。
あああ! ぼおっとしてる場合じゃないわ、ありすうううううっ!
「さ・・・ささげんでいいですっ!(捧げられたらそこで何かが終わってしまうゥゥ!)」
あたしは思わずジン少年にすがり付いてしまった。
縮こまるあたしを、ちらりと目線だけで確かめたジン少年が、鮮やかに笑ったが・・・あまりにも近くにいたあたしは、見ることは出来なかった。
ぐっと肩を抱かれてジン少年の横顔を見た。
金髪の将来有望株は、堂々と前を向いていた。
「本音が出たな。このレズ」
くっと碧眼を細めると、ジン少年が鼻で笑う。
その様にかっとなったのか、美女天使の頬が真っ赤に染まった。
・・・美人はどんな顔しても美人だけど、
「麗しくて可愛いものに惹かれて何がいけないんですの!」
「「存在」」
美女天使の言葉に速攻で答えが返される。
しかも、ぽろっと、ジンの言葉に重なるように、別の誰かの本音が聞こえた。
・・・誰?
「・・・ディィィオォォォッ」
・・・いつの間に、いたんだ、この金髪君。
目くじら立てる美女天使と、寝てるのか起きてるのか分からない様相の金髪天使(男)。
騒がしい美女天使を横目に、金髪君があたしを見下ろして、ぼそぼそとしゃべった。
「・・・めし」
「言葉には気をつけなさい、ディオッ! お姉さまの前よ!」
目くじら立てて叫ぶ美女に、金髪君はめんどくさそうに眉をしかめて、きびすを返した。口元でもごもごと何かを呟いたようだったが、どうも、行くぞって言ったみたいだった。
「え、あ、ちょ・・・まっ、」
思わずその後姿に続いてしまった。
あっさり切り離すように背を向けるから、追いかけたくなるんだよ。
「あ! ありすぅぅっ!」
「あ、おねえさまあああああ」
まあ、この城内にいる限り、金髪わんこがついて回るのは仕方が無い。
それにしても無口な金髪わんこだなあ。邂逅の合間にこんな無口なわんこいたっけ?っと首をひねってみた。
みんな、可愛くて、瞳がきらきらしてて・・・あ、そういえば、一回だけ。
「眠ったまま起きない時が、あったっけ」
ぐっすりと眠ったままの金髪わんこがいた。
ナイフをかざしたメイドさんを昏倒させた後も、熟睡してた。そのまま、気が遠くなって・・・戻ったんだ。
そしたら、あたしの前を歩いてた金髪君・・・ディオが、淡々とした眼差しで見下ろして、呟いた。
「・・・起きたら、もういなかった」
「・・・よく寝てたもんね」
うんうん頷くあたしと、無口な金髪君の通路の真ん中での、お見合いだ。
でも金髪君は無言だな。余計な言葉は要らないという感じかな? でも無言で見つめるだけなんで、なんと言うか、居心地が悪いよ。
背中や、お尻がうずうずしてしまって困るじゃないか!
「ディオ、ねえさまが困ってるわ。ちゃんと口に出しなさい」
美女天使が口を挟んでくれた。
そこで初めて金髪君は我に帰ったようだった。綺麗な碧眼であたしを見つめ、ああ、と分かったように頷いた。
整った顔の一番印象に残るのが眼差しで、次に鼻筋。
唇は動きを忘れたか、色も厚さも薄い。黙って立ってれば、美貌の剣士という風情なのだが。
その彼の言葉を、ありすはなぜか、神妙な気持ちで待っていた。
待って、いたのだが・・・。
「・・・絵、より・・・ちいさい」
「・・・は?」
ちいさい?
絵より小さいって、身長のこと?
それとも顔? 腕かい? ああ、それとも、顔のパーツかな?
ありすの脳内はしばし、混乱した。
ちいさい・・・ちいさいんだってさ・・・あれ、このわんこ、あたしのどこを見て言ったんだ?
どこを、見て・・・・・・・・・・・・。
あんた今、あたしの胸見ながら言ったなああああああっ!
********
・・・何で怒っているんだろう。
ディオは目の前で真っ赤になっている守護天使を見つめた。
会いたいと思っていた。なのに、眠っていたおかげでチャンスを逃してしまった。
周りの奴らはみんな、まるで自分だけの天使のようにありすの名を呼ぶ。
話を聞けば聞くほど、会いたいと思った。
ようやくの自分の番。なのに会えなかったときは自分が如何に間抜けかと、ベアトリーチェにとことんせめられたっけ。
でも仕方が無い。
確かに間抜けだった。思い出しても自分に腹が立つ。
あの朝、目が覚めたら、部屋の中に転がっていたメイド服の刺客のぎらついた目線。
ベッドの周りは嵐の後のようだった。
見慣れた絨毯は、護衛の血を吸って赤く染まっていた。
猿轡をかまされ、グルグルにシーツで縛られたままの刺客は、どうも隣国の手だれだったようだが、あの時はそんなことも分からない餓鬼だった。
ぎらぎらした眼差しで、しきりに「守護天使め!」とうなっていた。
その刺客の目を見ながら、
「・・・来たなら、声くらいかけてくれてもいいだろうに・・・」
せめて起こしてくれれば。・・・と、悲しくなったものだ。
ありすを思い返しても、寝ていた自分の記憶の中に、ありすの姿は無いままだ。
だからせめて、と絵を見上げた。
あれがありす。ぼくのありす。
音も無く(気づいてないだけ)僕を守ってくれた、守護天使・・・。
・・・そして今、目の前に本物がいる。
記憶の中のありす(絵)と比べて・・・気がついた。
本物のありすは、絵の中のありすよりも、生き生きとしていて、とても綺麗だ。
近寄ると良い匂いがして、吐息を感じられて、目線が僕を見つけてくれるのが、うれしい。
くるくるときらめく瞳は見ていて飽きない。
ふっくらとした赤い唇は、舐めたら甘そうだし、ほっそりとした肩口に、そこから続く首筋、胸元・・・と目線を降ろして行って、僕はおや?と首をひねった。
おかしいな。記憶(絵)の中のありすは、健康的でこう、ばーんと弾けそうな感じだったのだけど。
「・・・絵、より、ちいさい・・・」
・・・けれどはっきりしてることがある。
絵なんか比べ物にならないくらい、ありすはかわいい。
ディオにセクハラの概念はありません。