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ありすインワンダーランドの辿道 2

 銀色の守護天使は、踊るように鮮やかだった。


 ひらり、ひらりとかわされ焦る男たちをあざ笑い、昏倒させる。


 その青いまなざしが、誘っている。


 瞳が揺れる。さり気なく剣先に、吸い込まれるように振るわれる先先へと身を投げ出して、斬撃を待っている。


 「・・・あなたというひとは・・・っ!」


 その自分を省みようとしない姿勢に腹が立つ。


 「わたくしはそんなもので突けやしない、どこを見ている?」


 泣き出しそうな眼差しを隠して、嘲るように尊大に振るわれる術は、魔女の呼び名も成る程と唸らせるものだった。


 事実、彼女の術でほとんどの兵士が昏倒してしまった。


 「このままだと皆が死に絶えるな、その剣がわたくしに届くのなら、話は別だが」


 ほほほ、と高く微笑んで見せた彼女が目を限界まで見開いた。その肩に、弓矢が突き刺さっていた。


 「・・・飛び道具・・・無粋な」


 ばっと省みれば、帰還が遅いと索敵がてら使わされたのか、自軍の兵士が追いついていた。

 弓を構えて、次の矢をつがえている。

 それを横目に彼女はまるで凪いだような顔で降りかかる災厄を見つめていた。避けようともしない。


 目の前が真っ赤になった。思わず軌道に身を投じ、弓を剣で弾き返した。


 「ディスレイ様!? なにを、」

 「さがれ! あれは・・・俺の獲物だ!」


 叫びは、唸るような気迫だった。


 「ディスレイ様!?」


 そうだ。渡さない。

 誰にも彼女を渡すものか。


 追いすがるわたしを見た彼女の瞳が、ふと緩んだ。


 震える唇、見つめる青い瞳は悲しみに揺れている。


 「・・・アリアナ!」

 

 最後の最後まで焼き付けようと思ったのか、彼女は瞳を閉じようとはしなかった。


 渾身の力で抱きしめた。思ったとおり細い腰。


 甘く香るこの香りは、香来夜かぐやのかおりか。


 夢にまで見た銀の髪の女を抱きしめて、それから。


 刀を翻した。自軍の兵士に向けて。


 「ディスレイ様?」

 「王子?」


 自軍の兵士は目をむいて、あっけに取られている。当然か。


 もちろん、腕に抱いた彼女も、だ。


 「・・・な、にを」


 「・・・惚れた女を信じているからだ。どうしても俺には、あなたが強がって死にたがっているようにしか見えない」


 囁くようにまくし立てると、自軍兵士に向けて厳しいまなざしを送った。

 彼らの混乱が手に取るようにわかる。

 魅了されてしまったのかという困惑も、一緒に討つべきかと混乱しているのも手に取るようだ。


 「ディスレイ様!」


 叫ぶ兵士は、見たことのある顔ばかりだ。それももちろん、当然のこと。

 なにせ、幼い頃から自軍の訓練所に入り浸っていたからな。

 彼らとてまさか、自国の守るべき王子に剣を向けられるとは思ってもいなかったのだろう。

 だが、その混乱を利用する。


 「聞け、リカンナドの兵士よ!貴様らの目は節穴か? 隣国の王が崩御した事、その目で見ただろう。ここでさらに戦火を拡大して果たしてそれが良き事なのか」


 「な、にを! 仕掛けてきたのは奴ら・・・その魔女ではないですか!」


 「やられたらやり返さねば、王子!」


 当然の答えに皆が頷く。災厄の女神、怨嗟の魔女はこの腕の中。


 だが、それだけではないと、胸のどこかが叫ぶのだ。


 「・・・そのままでいいから、各々地面を見ろ」


 慌てて地面に目をやった彼らの中、魔法に長けた者二三名がようやく気付いたようだ。


 「これ・・・魔方陣だ・・・」

 見たものの衝撃に、若い兵士は言葉遣いも忘れたようだ。


 「な! 自爆か、殲滅術か? だから王子はあの女を抑えているのか?」


 真っ先に自爆を考えた兵士が、足をばたつかせ、場がいっそう騒がしくなった。


 「いいや、違う。違うぞ、これは」

 「護符、じゃないか?」

 

 一人が呟き文様を食い入るように見つめれば、もう一人がおずおずと呟く。


 「・・・そうだ護符だ」


 合点がいったように目を丸くして兵士が呟く。


 「護符? 何で、こんな場所に?」

 「わからん、わからんが・・・でかい。とてつもなくでかい。これならこの辺りから、丸々一国分・・・リカンナドも含まれるな」

 「いいや、この術式、リカンナドの王城が基点だ! ほら、ここ!」


 解析の得意なやつがいたらしい。術式に組み込まれた情報を読み解いていく。


 「な、んでだよ! 何で、この国の魔女が、俺達の国を守護するんだ? 何かの間違いだろう!」


 その叫びは、誰もの心に響いただろう。誰もが思い、誰もが首をひねるだろう。


 その叫びを聞いて、ディスレイは剣先を下げた。ぐるりと地面を剣で指しながら、兵士に向けて話しはじめた。


 「・・・解析に間違いはない。私もそう読み解いた。術の収束する場所はこの魔女の足元だ」


 私の言葉に兵士の何人かが理由がわかったのか、呆けたような顔をして魔女を見つめた。


 「・・・何故、魔女が護符の印を施す」

 「そこ。そこで血を流せば、陣は完成するな」

 「さっきから、そこ動かなかったのは、俺達に血を流させる為か?・・・お前を殺させる為か」

 「・・・この陣の最後の贄は・・・おまえ自身なんだな、魔女」


 書き記された文様は、確かに最後の贄をこの場に立つ者とすると書かれていた。


 それはとても強力な呪術。


 贄とされた者の魂を、業火に叩き落すものだった。


 永劫続く苦痛を糧に施されるはずの、護国守護の術。


 「――――――なんで、あんたがこんな大きな護符を作るんだ。あんたのせいで、俺の国がめちゃくちゃになったのに。あんたが、事を起こさなければ、俺の家族は死なずに済んだのに」

 「なんで・・・なんでだ、なんで、戦いを仕掛けた。なんで、俺達の国をほっといてくれなかった! 護符を施すくらい俺達の国が大事だったなら、なんで!」


 「彼女は、われら王族を守る為に、守護の陣を作成したのだろう」


 「おう、じ」


 彼らの虚脱は無理もないことだった。

 蛇蝎のように嫌って、憎しみを募らせ追い詰めて殺すつもりの相手が、人知れず国の守護を施していたなんて。


 「隣国の王は無知蒙昧で、欲に溺れた愚か者だった。彼の妻である王妃も放蕩三昧、血筋至上の傲慢な女だった。唯一救いがあるとすれば第一王子だったが・・・彼の崩御もこの目で見た。あれらの興す国がどれほどひどいか、脅威は計り知れなかった。ことは一国だけの問題ではないのだ。彼女は・・・血で護符を書き上げようとしたのだ。おそらく、永年続く最強の護符を」


 抱きしめた相手はびくりともしない。

 その感触をしばし味わって、身を離した。

 心残りは多分に、ある。


 「フィン。いるか」


 気心の知れた腹心の名を呼んだ。

 暴君が国を治めている間、どんなに優秀でも日の目を見れない下級貴族出身の男だった。

 エンダールが立ち、国を支えるようになって、彼らのような知と理と勇が揃った猛者が増えた。

 

 「ここに」


 「彼女を頼む」


 「・・・ディスレイ様?」


 滅多に見せない腹心の、戸惑った顔に苦く笑う。


 もう一度彼女の髪の匂いを吸い込んだ。苦もなく見下ろせるようになって始めて彼女が小さくなったと感じた。昔はうんと大きいと思っていたのに。いつの間にか背を追い越して、こうしてつむじを見下ろせるようになった。


 クス、と笑えば身じろぐ彼女。


 「・・・今度はあなたの番だ。追いかけて」

 

 小さく囁く。

 その言葉にはっとしたように彼女が顔を上げた。ちょうど上げられた唇に当たるように首を傾け、待ち構えてキス。

 噛み付くように、刻み付けるように。

 忘れない、ように。


 「・・・愛している。あなたの罪は私の罪だ。あなたの優しさに甘えていた。だから罰を受けてくる」

 

 ・・・ああ、でも最大の罰はあなたを泣かせる事かな。

 あなたのしたことは許されないことだ。

 国を犯し、人心を貶め、惨劇を招いた。

 たとえそれが破邪の為といえども、血を流しすぎた。邪を撒き散らしすぎた。


 おそらくは、最後は敵兵(・・・この場合は私か、彼らだ)に嬲り殺されるまま、この地で果てるつもりだったのだろう。


 そして、自分の血で呪いの終結を果たし、呪いを完成させるつもりだったのだ。


 報いは、受けねばならない。 やったことに対する報復は、甘んじて受けねばなるまい。

 だが、彼女を犠牲にするのはもう嫌だ。彼女には微笑んでいて欲しい。


 なればこそ。

 

 「・・・ディ!!!」


 「おうじっ!」


 「・・・ああ、やはりあなたは優しいね。私の、守護天使」


 呟いて微笑んだ金色の美丈夫の背中には、冷たい鋼が顔を覗かせていた。


 大きく息を吐いて、己が胸につき立てた刃を、ずるり引き抜く。体が揺らいだが、意地で地を踏みしめた。


 剣先が抜けると同時に、血潮が吹き出した。


 刻み込まれた陣が光を放ち、守護の印が、発動した。



 *********



 ぱた、ぱたた。ぱたたた、と血が浸み込んでいく。それを瞬きもせず見つめていた。


 これは、誰の血だ。


 むごい目に合って引き裂かれるのは私だと思っていた。


 臓腑を引きちぎられ踏みにじられるか、猛り狂った男たちの慰み者になるか。いずれにせよ、これまでだと思っていた。


 赤い血潮の中、醜くのたうち回るのは私のはずだった。


 ・・・なのに、血潮をしたたらせているのは、いとし子で。


 わたしは。


 わたし、は。


 あ。


 「うあああああああああああああああああああ!」


 なぜだ!

 

 贄として死後も縛られ、業火に焼かれるのはわたしのはずだ。

 なぜ、お前が。


 お前、が。


 「ディスレェイィィィッ!」


 だめだ。いくな。いかないでくれ。お前たちがいたから、笑えた。お前たちがいたから、世界が色づいて見えた。お前たちがいたから、生きても良いかと思ったのに。

 

 お前が、いなければ、私に価値など。生きている価値など、


 赤い呪が、大地を走り抜けるのを見た。あれが円を為せば、まじないが完遂してしまう。


 破邪の陣に囚われたまま、未来永劫業火に焼かれ、永続の苦痛に苛まれる!


 「・・・だめだ、連れて、行くなぁぁぁあああああっっ!」


 地面に額づいて、護符の印を大きく爪で抉った。まだ、間に合うかもしれない。


 少しでも印を崩すことが出来れば、あの子が助かるかもしれない!


 「いや、嫌だ。ディスレイ、ディスレ、いやだああああああ」


 泣きながら陣を削った。地面を掘り上げても、浸み込んだ血は消えない。刻み込んだ怨念は薄くならない。それでも、泣きながら地面を削る。


 ・・・鬼気迫るその姿。兵士たちは、そんな彼女を遠巻きに見ていた。


 魔女と呼ばれ恐れられ、嫌われていた女が、髪を振り乱し、白い指を血で染めながら地面を泣きながら抉っている。


 陣の中央では忠誠を誓った王子が、自分の剣で自らの腹を割いて血を流している。


 悪夢としかいえなかった。悪夢としか見えなかった。


 だが。


 「―――――魔女。この陣を削ればディスレイ様は助かるのか」


 フィンが蒼白な顔で魔女に詰め寄った。


 「魔女、聞いてんのかよ、魔女!」


 「答えろ!」

 

 兵士の尋ねる声にも「早くしないと、早くしないと、いとし子が」と魔女は意識さえ向けてくれない。


 だが、その必死さに、彼らも剣を振り上げて、地面を抉り始めた。


 がつっがつっと土を削る音がひとつ増え、二つ増える。やがて、あたりは土を削り打ち付ける音で一杯になった。


 「陣の端から削りだせ! 弓班は負傷者を動かせ、ディスレイ様の後方を右翼、一列になれ! 契約に縛られているのはディスレイさまだけのようだ、左翼、急げ! ・・・血を流している者、怪我しているものは陣に近寄るな!」


 「フィン! 呪いが収束に向かっている・・・!」


 赤い光が地を這い、無数の模様を浮かび上げていく。


 「ディスレイ様! 魔女、ほかに方法は無いのか!」


 赤い線が彼らの足元を走りぬける。向かう先に、金色の王子。


 もう、時間がなかった。


 「・・・陣を崩せないなら、書き足せ!」


 フィンが叫んだ。


 その言葉に始めて魔女が顔を上げた。


 しん、とした顔だった。


 「・・・確かに書き足して別の呪にはできる。だが、それでは護符の意味がなくなる」

 「ディスレイ様を犠牲にして何が護符だ! できるなら書け!」

 「魔界の扉が開くぞ。人は人との争いに構ってなどいられなくなる」


 焦ったようなその言葉に、フィンは始めて鮮やかな笑いを見せた。


 「願ったりではないか!戦が終わる。同族殺しが終わるんだ、何をためらうことがある?」


 それに、と彼は続けた。


 「ディスレイ様も、きっとそう言う」


 その言葉に、魔女が動いた。


 剣で地面を削っていたフィンの刃に手を伸ばす。ざっくりと切り裂いた右腕で、地面に何かを書き記していく。髪振り乱し、書き記すその姿は、悪鬼にしか見えなかった。


 瞬きすら忘れて一心に書き記す。


 一息でそれを書き上げた魔女は顔を上げ、両手を血塗られた陣形に押し当てる。


 祈るように見上げたそこに、音を立てて赤い水晶柱が立ち上がった。陽に反射して、ぎらぎらと赤い。


 ―――――同時に、魔気があふれだした。


 寝物語に、戒めに、親から聞いた物語を思い出しているのだろう男たちを前に、魔女は血を振り落として呟いた。


 「心配せずともすぐに魔物があふれることはない。魔王様は人になど興味がないからの。・・・いや、三番目の竜族の御子様はなぶり殺しにするのを好んでいたか?・・・まあ、高貴なお方ゆえ遭遇することもなかろうよ」


 魔女の答えにフィンを初めとする兵士達が文字通り震え上がった。


 「・・・地獄の業火で焼かれるのを知っていながら見過ごすことは出来ない。あの子に取り付いた呪いは永劫あの子を苦しめるものだ。だがあの子に罪はない。だから呪いの質を捻じ曲げた。あの子に苦しみが行かぬよう。あの子が永続の鎖に繋がれぬように。のろいが正しく効く様に。・・・フィン、といったか。同道願う」


 多少身体に負担がかかるぞ。覚悟はいいかと尋ねれば、フィンと呼ばれた男が当然とばかりに頷く。


 ・・・いい部下を持ったのだなと、ひとりごちる。私のいとし子ならば当然か。


 「陣の中央を突破する。あの子を抱えて外へ出れるな?」

 流し見れば、頷き返す。


 「たどり着ければたやすい。だが、障壁は?」

 先ほどはどんなに挑んでも弾き返されるばかりだった。


 「呪いの構造は変換されている。力づくで打ち壊せ。たどり着いたら、なんとしても引きずり出せ」

 青い瞳が力を発するように輝いた。それを見たまま、フィンは呟いた。


 「・・・それで、ディスレイ様が助かって、あなたはどうなる。魔女」


 「断罪の場に引き立てられても良いが、ここを押さえねばならん。いとし子は怒るかもしれんが、そこは気でも落としてくれ。・・・当初の予定から比べれば楽なものよ。あの子が血を提供してくれたおかげで、私の穢れた血でも十年も捧げ続ければこの魔水晶も満足するだろう。魔界との境界が薄くなったが、時と場所とタイミングさえ合わねば、そうそう道はつながるまい。・・・ここに、この水晶でもって境を作る。魔が流入しないよう防波堤となるように」


 「・・・人柱になるというのか」


 フィンの言葉に魔女は片眉を引き上げて、顎をそらした。


 「永年続く苦痛ではなくなったのだ、行幸ではないか、ほんの十年。・・・短い旅だ。ウワンコウが残した言葉にあるだろう?・・・ショートとりっぷ、だよ」


 待っていてくれる人もいなければ、土産話も何もない、なんとも味気ない旅路だけれど、いとし子が、ディスレイが私を守護天使と呼んでくれた。その言葉のために。


 「無駄話に時間を取るな。・・・いくぞ」


 赤い線で描かれた陣の中に一歩足を踏み入れた。



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