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ありすインワンダーランドで暗躍するもの

 神様!


 お願いです。あの子を助けて。


 神様!


 どうして答えて下さらないの?


 助けて。


 叫んでいるのに、泣いているのに、届かない。


 伝わらないのは、なぜ。


 ・・・おねがいです。


 ・・・もううごけないの。ゆびいっぽんすらうごかない。あのこがよんでいるのに。


 ・・・たすけをよんでいるのに、うごけない、の。


 ・・・でも、こえがきこえる。


 こえがきこえるの。


 荒い息遣い、逃げ回るあの子の足音。


 ・・・ききまちがえたりしない、だってじぶんのこだもの。


 かみさま!


 自慢の息子なんです。足が速くて、機転が利いて、ああ、あの人にそっくりなきれいな碧の瞳も。


 知恵も勇気も申し分ない。長じればきっと国のため、王のため、身を粉にして働くでしょう。


 剣が鞘走る音。刀身がかち合って、ぎぃんっと鳴った。荒い息遣い、逃げ場を探して踏みしめる草の音。


 「ーーー母上!」


 焦ったようにわたしを呼ぶ声が、だんだんと泣くのを我慢するように小さくなっていく。


 ・・・ああ、だいじょうぶとひとことだけでもつたえたいのに。


 それだけであの子の気持ちも高揚するだろうに、情けないこの体。


 ・・・こえがでないの。にげなさいと、いけと、たったひとことすら。


 私のあの子が「ははうえ、」と吐き出した。その顔すらもう見えない。


 

 暗闇だ。



 *******


 

 ・・・銀色の悪魔と呼ばれる者がいた。


 姿を見たものはいない。女だとも、男だとも、老人だとも、若者だとも言われている。

 疫病をはやらせ、人心を弄び、操っては悪意の種を植え付け、開花するのを高みで見つめてあざ笑う。

 ・・・最早生きた疫病だ。

 その訪れは人々を不幸にし、その行いは凄惨にして陰湿。

 目を付けられた国は一週間で滅んでしまうと評判だ。

 姿を見たものはおらず、だが確かに悪意は存在する。

 ・・・厄介な相手だ。およそ、相手にしてはいけない類の妖怪だった。


 ・・・そんな、魔呪の持ち主が、すぐ近くで眠っていたのは、僥倖なのか不幸だったのか。


 ざわざわと、声がする。怒声、嘆願、悲鳴。


 ・・・それをわずらわしいと「ワタシ」は思った。まどろみから無理やり揺り起こされて「ワタシ」は憤っていたのだろう。


 おねがいです、かみさま!


             ・・・神に祈っても仕方がないだろうに。


 このからだをささげます。


             ・・・おや、おや、でもとても足りないな。


 このたましいだってささげます。


             ・・・へえ。


 おねがいです。


             ・・・わたしは神じゃないよ。それでも望むのかい?



 願いをきいてくれるのなら、だれでもいい!


 うででもあしでもめでもすきなところをもっていって!


 だから、おねがい。


 ・・・あのこを、たすけて!


 

             ・・・その願い。銀の魔女がしかと聞いた。請け負おう!


 その瞬間、魔女の視界が赤く染まった。


 ごとん。と落ちた首から、血潮が吹き出している。子供の悲鳴が響き渡った。それを、おんなは見ていた。

 『馬鹿! 連れて帰れば褒美は思いの通りだろうに!』

 『寝首をかかれるさ。何せ、俺たちは旦那と子供の敵になるんだからな!』

 『・・・まあ、な。だが、良い女だったのに・・・』

 『負わなくていいものは負わないほうが良いさ。・・・さて、あとは・・・餓鬼一人だ』

 

 『貴様らああああああっ!!! よくも、よくもおおおっっ!!!』

 子供の声を背中に聞きながら、魔女は事切れた女の元に歩いていった。

 血だまりに手を浸し、赤く染まった指先を舐める。


 血に刻まれた、生の記録が脳裏に次々と浮かんでいく。


 事切れた女は、娘であり恋人であり妻であり母だった。


 血潮の中、息絶えたおんなを見下ろしながら、黒衣の女はフードを脱いだ。


 銀色の髪が一筋さらりと落ちる。見下ろす瞳は蒼。


 「・・・お前の、あの子とやらは、お前によく似たきれいな子供だね。おお、お前の敵を討つ気だよ。刀を構えている。・・・まるで小鬼だ」


 しかも力強い魂だ。王者の風格を持っている・・・が、ここを切り抜けられなければ仕方がないか。

 ・・・ほら、刀をはじかれた。

 ああ、あちこち切られて・・・あの男達、遊んでいるつもりか?


 だが銀の魔女が生還を約束をしたのだ。約定は果たさねばなるまい。


 この「わたし」を揺さぶり起こした、母の願いを叶えるために。その血を代償に叶えて見せよう。


 この土地が夢見る守護精霊を呼び出そう。あの子供を守ってくれる、絶対の守護天使ウワンコウを!


 満足そうに微笑んだ銀色の女の目の前で、金色の少年が今にも息の根を止められそうになっていた。


 ・・・させないよ。


 約束したんだ。永の眠りを妨げるほどの魂の揺らぎをもたらしたあの女と。その子を守るのだ、と。


 さあ。土地の魔力よ。守護天使を連れてきておくれ。この地に流された、命を代価に、銀の魔女が願うよ。


 やがて空中から現れた黒髪の少女が、目を白黒させながらも敵兵を撃退し、何とか金色の子供を抱き上げて走り出した。


 追っ手がそれを追いかける。


 だがあの娘は強かった。


 吃驚しながらも身を盾にして子供を守り、敵兵をなぎ倒して不能にし、土地の魔力の不文律にしたがってまた還されていった。


 後に残るは金色の少年一人だけ。


 『・・・アリ、ス。ウワンコウ・・・』


 呆然と呟いて、いまさらながら駆けつけた近衛兵士に無事を確認されている少年。・・・彼は少年らしからぬ熱いまなざしで消えた黒髪の少女を探していた。


 ・・・そして、事切れた母親の遺骸を前に、透明な悲しみが押し寄せるままに、涙をこぼした。


 その顔を見ていると、胸のどこかが痛み出す。魔女だった女は頭を一つ振りながら、霞む記憶に思いをはせた。


 走り抜けていった記憶の渦。


 「この女の、記憶、か」


 夫らしき男と、子供との他愛のない生活の記憶だった。目を合わせ微笑みあう、何気ないシーン。

 抱きしめられた逞しい腕。

 抱きしめた小さな命。

 あふれる思いをなんと言う?


 「・・・毒されたか。ばかな」


 だが、胸撃つ痛みはいまや自分の感情だ。


 なぜだかあの子の前に駆け出して、その身を抱きしめたい。無事を喜び、怪我を癒して、それから・・・。


 「・・・らちもない」

 ワタシは、魔女だ。災厄の銀の魔女。

 だが、指先からひたひたと浸み込んだ記憶の渦が、胸を焼く。


 逃げたあの子の行く末が・・・気になって仕方がなかった。


 「・・・見るだけだ・・・そう、ただ・・・助けた命の行く末が、見たいだけだ」

 そう言い訳しないと泣き出してしまいそうな感情に、魔女は恐怖を抱き、だが抗えない誘惑に山を発った。山に身を潜めてから、もう何年たったのか、魔女にすら分からなかった。


 ・・・それから、遠くから金色の子供を見つめることが銀の魔女の日常になった。


 女が愛した金色の髪、碧の瞳。その夫だった男を眩しげに見てしまった。・・・他人のものなのに。だが、金色の夫が、妻を悼み遠い目で山麓を眺めていると、胸がうずいた。


 ・・・傍に、行きたかった。だが、叶えられるはずもない願いだ。何せ金色の女でもなければ、自分は銀の魔女。見つかれば有無を言わさず抹殺されるだろう。


 だから遠くから見ているしかなかった。

 

 金の子供が病気になれば他の何も手につかず、人知れず看病の真似事までしてしまった。伸ばされた手を思わず取ったときは、自分をののしった。でも、うなされるように子が「ははうえ、」と呼ぶのだ。

 手を取らずにはいられなかった。


 金の子供が怪我をすれば、どんなに遠く離れていても駆けつけて、癒しの呪を施した。それからその足で悪意ある呪いの類を潰して回った。・・・昔、自分がかけた、傷の治りを遅くする呪いも、綺麗に消した。


 金色の髪に碧の眼のエンダールが、先の王を退け王位を継承したときは、自分のつかえるだけの破邪、破魔の呪いを国中にばら撒いた。

 あちこちに刻み込んだ呪のおかげか、疫病が激減し悪意ある人間が寄り付けない国になった。

 

 いつしか、女の最後の願いは魔女の尊厳を覆す脅威となった。彼らの幸せを祈るのならば、この国にまいた邪な呪をすべて、なかったことにしなければならない。それは自分の存在意義を覆すことだ。銀の魔女が破邪に動こうとは!

 面白がって呪をかけて回ってた昔の自分をあざ笑う。

 思えば魔女に、守るものなどなかったと、ここに来て銀の魔女は気がついた。


 いつしか銀の魔女と恐れられていた魔女にとって、金色の王様とその王子は守るべき者となっていた。


 エンダール王の善政は続いた。

 穏やかな人柄で争うことが嫌いな彼だったが、国を脅かす相手にとっては鬼にもなった。彼は、優しいだけの元首が決して幸せをもたらさないことを知っていた。毅然とした採決は時に反発を生んだが、彼はよくやっている。


 たった一人残された息子である金色の少年も、いつまでも少年ではなかった。父王について政治を志、戦が始まれば臆することなく前線に立った。今までの王族では考えられない出来事だ。王も王子も前線で一歩も引かぬのだから。


 だが、彼らはこう言うのだ。


 「兵士は消耗品じゃない」と。


 ・・・遠くで指揮をしていれば、前線で戦っているものが人間であることを忘れてしまう。

 戦を怖がって、物音に首をすくめて、敵が攻めてきたらがたがた震えるのが人だ。

 敵も味方も前線に送られる兵士が人間だと言うことを忘れているんじゃないか? 

 そしてわたしは王だ。

 わたしがそれを思い知らなければ、戦など到底収めようがない。

 怖がらなければ妥協点など見つからないし、何より殺しあうより話し合いのほうがよほど良いだろう?


 …だが、皮肉なことにそういう彼が誰よりも戦上手だった。


 前線で兵士と共に戦う王。

 それは、味方には何よりの戦意の鼓舞となった。


 そして、人知れず施されていた銀の魔女の破邪の呪いが、エンダール初代王を「不死身のエンダール」と呼ばせることになる。


 父王が不死身のエンダールなら、息子のほうは「命知らずのエンダール」と呼ばれた。


 人知れず魔女が施した呪いは、かけられた本人が知るはずもなく、だがそれでも臆することなく戦場を駆ける彼ら親子の勇猛さは語り草となった。


 ・・・群れなす軍人の只中で、黒衣に身を包んだ(一説によると亡くした妻のための喪章だった)エンダール王が鬨の声を上げると、その威風に驚いた敵兵が、戦意喪失し捕虜となるほどに。


 エンダールの第一子も勇猛果敢で名をはせた。


 黒衣に身を包んだ、金色の髪、碧の眼は、理知的で、決して彼らが力押しだけで台頭してきたわけではないことを、敵方は知るのだ。そしてそれを知ったときはもうすでに遅いのだ。畏怖と敬意を持って見上げられる二人の姿に、銀の魔女は胸を篤くした。この二人を守り抜こう。魔女は思いを新たにする。


 戦場で、城内で、銀色の魔女は人知れず王と王子のためにしばしば破邪の呪を行った。


 ・・・この頃には金色の少年の面影はなく、一人の凛とした若者だ。魔女は感慨深く彼の姿を遠くから見ていた。


 金色の少年は長じれば、恋仲の女と結婚し、子をなした。その子がまたかわいらしい。


 「・・・ほほ、父にそっくりではないか・・・」


 眠る赤子を目にした魔女は、一つの考えにたどり着く。


 愛しい子。だがまだまだ、きな臭いこの国の内外。

 特にきな臭く、うるさい隣国の・・・。

 ・・・戦はまだ収まらないだろう。あの親子がいる限り。


 ・・・この子にも守護天使の加護を与えたい。でもそれには、沢山の悲劇が必要になる。

 そう。

 あの母親のように、大地を震わせ、魂を揺さぶる嘆きが。


 その考えに至ったとき、魔女は身を一つ震わせた。


 認めてしまえ。ワタシは彼らが愛しいのだ。はじめの感情はあの女が植えつけたかもしれないが、この胸に去来する感情はまさしく。


 無上の愛。


 叶うはずもない思いだった。何せ相手はワタシの存在にすら気付いていない。


 だけど、彼らは紛れもなく、銀の魔女の天使だった。


 愛しい夫で、愛しい「ワタシ」の子だった。


 「・・・そうだ。あなたたちの幸せがいつまでも続くよう、この国に恒久衰えぬ破邪の呪いを施さねばならない。たとえ、あなたたちがワタシを知らなくとも、あなたたちはワタシの愛しい人なのだから」


 ・・・では、嘆きを集めればよいのだ。


 見知らぬワタシが、幾程の嘆きをかき集めても、あなた達の負担にはならない。


 ・・・魔女だった女は、呪の種を一つ、隣国の王に植え付けた。疑心、疑惑、錯乱。


 ・・・魔女だった女は呪の種を一つ、隣国に渡った女に植え付けた。慢心、疑心暗鬼。


 ・・・魔女だった女は、動き出す。


 嘆きを。願いを。祈りを。


 いま、呪の花が咲く。



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