ありすインワンダーランドで崩壊の足音
声高に叫んだ。
屈強の兵士を前にして。
正統な王位継承者の下に主権を返すための戦であると。お前たちは救国の英雄となるだろう、と。
陶酔が染み渡るまで、しばし待つ。
大きな歓喜でもって迎えられるだろう、だが歯向かう者には容赦するな。
簒奪者に絶望と、凄惨な報いを与えよ。
正統な主権を持つ我らを狙い、やつらは襲い掛かってくることだろう。怯まずに奪いつくせ、殺しつくせ、侵しつくせ。
われらの残した足跡が、国境線となるのだ。領土を広げよ。かの地は恵み深い土地柄だ、征服すれば我らの国の支えになろう。
家族を飢えさせたくはあるまい?
子等に実り多き祝福を与えてやろうではないか。
・・・恐れるな。如何なる行為も神はすべて許すだろう。
そう叫ぶ己の言葉に呼応する兵士達の意気が上がる。鬨の声は高まっていく。
それを、どこか遠いところで客観的に見つめながら、男は蜂起した。
胸刺す痛みは、もう感じない。
彼らの傍らには、存在感の無い女がいた。
美しい女だ。悪夢のような女だ。
そして、王の女だった。
王の耳元で囁く。
「恐怖を」
王の耳元に囁く。
「恐れを」
ささやく。ささやく。小さな言葉は軍内部の隅々、一兵卒にまで届いた。
「・・・絶望を」
それは誰の言葉だったか。
「・・・辛酸を」
隣のいつも朗らかな若者の?
「・・・恐怖を」
情け深いと評判の領主の?
「・・・悪夢を」
いつもやさしい微笑を浮かべていた、領主だったのに。
「・・・畏怖を」
隣国の民が望んだ施政者の、正統な王位継承権を持つ、隣国にとってただ一人の、この国と隣国をすべる正統の王。
仰ぎ見る主。
・・・ただ、あくまで隣国にとって、だ。
新たな王を頂いた、この国の民は、エンダール王朝の到来を喜んでいた。
王位継承からすれば末端の、けれど紛れも無く王の子。しかも、人の心の痛みを知る王だった。王位継承に巻き込まれ亡くしてしまった妻を思い、後宮すら開かなかった慈愛の人。人の心に寄り添いいたわる事の出来る、得がたい王族。
彼らを要して、およそ三十年、国は見違えるほどに潤った。
無理な納税も無く、医療機関は充実し、市政の隅々まで施された学問と医療に、民は喜んだ。
腐敗した貴族たちが、王の執政に従い、なりを潜めたからだ。
公共工事も広く市民に提示された。幹線道路は整備され商業が盛んになり、貿易による利益も上がった。彼らは、毎日に満足していたのだ。
だが、隣国の侵攻は否応無く始まる。簒奪者に抑圧された民を解放するとの触れ込みで。
・・・端から舐め取るように、街という街、村という村に襲い掛かる彼らは、悪夢の象徴だった。なまじ第一王位継承者を要していたから、なお性質が悪い。
領土を奪う彼らの姿は、もはや追われる者には悪鬼の群れに見えただろう。
理不尽な侵攻は絶望を呼び、演出された恐怖の高まりは救いを求め、奇跡を希う。
藁にも縋る思いで込められた願いだった。
*****
山中で逃げ惑う獲物を追いかける集団があった。獲物は金色の少年だ。彼を守る騎士たちはすでに事切れたようで、逃げる少年は一人だ。
野卑な男たちが、あとを追い、跳ぶようにかけている。
およそ一国の軍人とはいえない、烏合の衆に見えた。野卑極まりないケダモノのように。だが男たちは国に戻れば貴族として傅かれる立場にあったものたちだ。
本来野卑な盗賊まがいの傭兵達は、そんな貴族を冷めた目で見つめていた。
傭兵隊は、彼らの残虐さに辟易していた。
まるで猫がねずみを甚振るように、手のひらで転がすのだ。自分が絶対の安全圏にいるということを熟知しているからこその行為だった。
傭兵達には己が戦に自負があった。
命のやり取りは崇高なものだ。それは敵の力量にも現れる。戦いの中で、彼らは魂のやり取りを楽しんでいるのだ。
はじめに襲った街では、統率された兵と命がけで戦い、叩きのめした。敵の勇猛さには頭が下がる思いだった。
名乗りの変わりに旗印を揚げ、捕虜として住人を丁重に扱おうと終止徹底させようとしたときだ。
後からおっとり追いついた貴族兵がしたり顔で娘を集め始めたのには反吐が出た。
「・・・もう白旗振ってるんでさ。これ以上いたぶるのはごめんで」
傭兵を率いる男がそう言って戒めたが、貴族たちは首を振らなかった。
「血の修正を行うのだ」
後一年もしないうちに、正しい血筋の子供が生まれることだろう。彼らの前でそううそぶいた貴族の顔が醜くゆがんで見えた。
王は眉をひそめたが周りの貴族どもは沸き立った。
また、彼らを止めもしない王にも嫌気が差した。
日毎夜毎、娘の悲鳴が響く。
傭兵達は憤った。
「頭! 俺達、あんな事させる為に占領したのかよ!」
「・・・血の修正とはよく言ったもんだ。強姦だろうが。言葉を変えたところで意味はかわんねえさ」
言葉を変えただけで、後ろめたさがなくなるのだ。獣性を抑えずともよいとお墨付きを頂いた貴族たちは、枷を外し畜生のように振舞った。
「・・・頭」
「ああ。末期だな」
冷めた眼差しで、傭兵隊の男たちは、貴族の振舞いを見ていた。止めれば不敬罪で首が飛ぶのは明白だった。
だが、悔しい。
そして何度目かの街襲撃をひかえた彼らの目の前に現れた獲物。
堪えられない高貴な獲物。
常ならば、壇上はるか彼方。声どころか顔の判別さえつかない高みの彼方にいるはずの、貴人。
・・・エンダール王朝の王子だった。
「おお、王子だ! あれをエンダールの痴れ者の前に吊るせば、かの男も嘆くであろうな!」
はじめに目にしたのは、好色で名をはせた貴族だった。
「王子を甚振れるなど、滅多にない好機よ。ふふ、手柄は誰のものぞ?」
舌なめずりしながら、同意していく獣達。
「・・・わしら、遠慮しますわ。子供を追い詰める趣味はないんでね」
そんな彼らを見て、傭兵隊は頭を振った。
彼らにとって、戦いとは魂の叫び。歴戦の勇者との、体を張った話し合いなのだ。・・・子供を追い詰めるほど落ちぶれちゃいない。
「ふん! 腑抜けどもめ! だがよい。向こうは子供がたった一人。我らだけで、のぅ」
「おお。姫じゃないのが、ちと、物足りんが・・・くくく」
貴族と呼ばれた下種どもは、ひゃひゃひゃ、と笑いあいながら、優勢なのをいいことに、余裕の顔で後を追った。
後に残るは、苦い顔を隠しもしない傭兵部隊だけだった。
「・・・頭ぁ。後味悪すぎっす。俺もぅ抜けたいよぉ・・・」
筋骨隆々の男が、眉を寄せて嘆く姿は悪夢のようだ。だが、この国の民を襲った幻は、もっともっと悪意に満ちていた。
「・・・今回ばかりは、選んだ国が悪かったなぁ・・・。だが、あと少しで任期満了、晴れてごめんだ。もう少しの辛抱だぞ」
・・・そんなことを言い合った傭兵達の、気持ちがすっとするまであと少し。
後日、王族を追っていった貴族の連中がその顔が判別つかないほどの力で、めこめこにされた状態で、山中に転がっていたところを、兵士が見つけ出した。
なにがあったと聞くが彼らは一向に口を割らなかった。
*****
霞む記憶のただなかで、王となった男は確かに女の喜色に染まった声を聞いた。
「まぁ! やっと現れてくれたのね!」
・・・しかし、耳を澄まそうにも。意識が擦れてまとまらないのだ。
「さあ、王よ。もっともっと嘆きを与えてくださいませ。絶望を見せてくださいませ。もっともっと声が届くように」
女の青い瞳がうれしそうに微笑んだのを、記憶のどこかで男は認めた。
「楽しそうだな」
「ええ。我が君」
もっと絶望を呼んでくださいね、今度こそあの子を捕まえるの。
(あのことはだれだ)
問いかけは届かない。
銀の女はうれしそうに男の白いものが混ざり始めた髪を撫でる。
(・・・そういえば・・・)
銀の髪蒼の瞳の美貌の女。いつもいつも変わらぬ容貌。その美しさ。
(祖父の影にいた女だった。母の後ろに控えていた女だった)
侍女で寵妃で家庭教師で、母親で恋人で妹で・・・でも妻ではない。妃ではないのだ。
「お前はわたしのなんなのだ・・・?」
その問いかけに、女はゆったりと微笑んだ。
「そろそろお前もおしまいか・・・?」
次の傀儡を定めるまで、お前にはあがいてもらわねば・・・。
圧倒的な絶望が欲しい。
お前が地獄という地獄を開いてくれねば、あの子がやってこない。
あの子がいなくちゃ、あの子が生きていけない。
「・・・あの子の助けが欲しいのよ。もう、わたくしでは助けにならないから」
「たす、け・・・?」
まどろんでいるのか、記憶を操作されているのか、それすら分からない。
これは自分の意思なのか、この女にあやつられているだけなのか。
これは誰の意思なのか。
「命令を」
囁くように女がいざなう。
「えんだーるの血にツナガルモノドモヲ、・・・センメツセヨ」
指し示した指先は、震えていた。