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ありすインワンダーランドで崩壊の始まり

 女は悪夢のように美しかった。


 ああ悪夢だ。いつからそこにいたのか、わからなくなるほどの。


 あの女は祖父の寵妃だったはずだ。いや、母の侍女だったはずだ。


 もっと年老いていたはずだ。いや私と同じ年のはずだ。


 耳に注がれる毒は抗いがたく、甘美な誘惑は私だけではなく、母や祖父にも及んだ。


 耳に心地よい言葉の羅列。


 期待や希望が必ず叶う約束されたものと思われた。


 その笑顔で、その繊細な手で、甘言を弄し、眩ませては操った。


 ・・・ああ、わかっていた。あの女は悪夢だと。


 ・・・ああ、知っていた。あの女は危険だと。


 けれどそれでも、構わないと思った。囚われたかった。彼女の瞳に映る自分を見ていたかった。彼女が私を見て嘲うその微笑ですら。


 ・・・幸いでしかない。


 「国王様、わたくしを前線へお連れくださいませ。正当な王子が国を取り返す瞬間を見とうございます」

 ねっとりと甘い声で老いた祖父の耳元で女が囁く。

 その姿に、頭のどこかが痺れていった。あの女は危険だ、とどこかが警告するのに、抗えない。からめとられる。


 「お后様、お后様の立たれる国を間近で見とうございます。きっと、すばらしい国なのでしょうね」

 ひそりと母の耳元で囁かれる言葉。

 いつから、そこにいたのだ!?

 いつから、祖父と母にまとわりついていた!?

 女が顔を上げ、面白いものを見るような笑顔で私を見た。

 その笑顔に。


 背筋が凍りついた。


 「王子。あなたの国をわたくしに見せてくださいませ・・・」

 なのに、しなだれかかる温かい体を拒めないのだ。


 胸を撫でるように繊細に動く白い腕。

 ふところに身を預け、斜めに見上げるように差し上げた、蒼い眼差し。

 闇夜に白く浮かび上がる、女の喉。その儚さに目を取られ、動けなくなる。

 女を見ていると、まるで霧の中で息をするように息苦しいのに、それ以上に沸騰する脳。


 胸をざわめかせる女だった。抱きしめても落ち着かない。口付けても物足りない。まるで次の瞬間には消え去ってしまってるような、そんな危うさを持つ。


 こそりと呟かれた言葉は、耳に届かない。

 「絶望を見せてくださいまし」

 誰もが嘆き悲しみ地に伏し祈るように。絶望があの子を呼ぶように。ああ、あの子の為に。

 それをしないことこそがお前の罪。止められもせず、止めもせず、傍観していたそれこそが罪。一歩を踏み出したのなら、止まる事など許さない。

 父王のように残虐に徹せないのなら、ならばせめて精一杯の絶望をもたらせよ。


 「・・・何か・・・言ったか?」

 「いいえ。我が君」


 女のつぶやきは、夢と共に消えていく。


 「・・・お前に見せてやるから・・・だから私の元を離れるな」

 子供のように女にすがり付いて懇願した。

 柔らかい胸に顔を押し当て、息を吸い込む。少しでも女とのつながりが欲しかった。


 女はまるで我が子を抱くようにやさしく男を抱きしめた。


 頭のどこかでおかしいと声を上げる自分がいたのに、思うとおりにならない感情にまたいらだつ。

 女を腕に抱いて安心してるはずなのに、いや増す不安。


 きっとこの女は、祖父にも同じ甘言を伝え、同じように身を投げ出しているはずなのだ。


 わかっているのに、どうにもならないこの感情。


 冷静に見つめれば、おかしいとすぐに分かるほどの異常だった。


 見よ。祖父は焦点が合っていない。

 見よ。母は以前よりも子供染みてきた。あれではもはや人形だ。


 王と呼ばれた歴戦の勇士ではない。王妃と呼ばれた人ではない。


 考えを持たない・・・動物だ。


 いつからそこにいたのだろう。

 この女は、いつからそこに。


 ・・・そしてなぜ、私はこの永の間気付かなかったのか!!!


 見れば祖父は、最早ミイラと化している。

 母は、豊満な体を蛆に食い破られ、眼球を彩る黒は、無数に蠢く虫だった。


 「・・・く、」


 抗う気持ちは今だある。

 人ならざるものに支配を許すなど、腐っても王。その血が許さなかった。


 今は、いったい何年経っているのだ・・・?


 あの頃、伯父の蜂起を喜びその場を譲ったつもりですらいたのに!!!


 あの伯父ならば、その伯父と伯母との間に生まれたあの子なら、腐り果てたあの国でさえ生き返らせてくれるだろうと思っていた。

 そのために隣国に逃げ込み、祖父と母を抑え、傀儡を装い逆に祖父を操りながら、遠くから祖国を愛しむつもりだったのに!


 「貴様は・・・だれ、だ」


 問いかけに女は笑った。

 赤い唇を吊り上げて、艶然と笑った。

 「・・・王子様はわたくしの望みを叶えてくださいますわね?」

 

 歌うように囁く声、覗きこんで来るその瞳。


 「俗物の老いた王や、色と欲に染まりきった女などおもちゃにすらなりませんわ・・・」

 抗おうともせず、すぐに悦楽に身を任せるのです。その点王子様は・・・。


 「合格ですわ」

 抗う最後の意識が鎖に囚われた。

 耳に幻聴が聞こえる。ジャラジャラと囚われの鎖の音だ。


 わたしもいずれ祖父や母のように、自我すら失い、女の意のままに、動く人形になるのだろうか・・・?


 ほら。今宵もまた女がやってくる。


 優しい顔で優しい腕で、頭を撫でて、歌を歌って、手をとり囁いて、女の意のままに動く人形を作るため。


 ほら、

 ほら。


 やってくるーーーーーー。


 「・・・王子サマ? わたくしの願いをかなえてくださいませ」


 「・・・ああ・・・お前に、すべてを・・・お前に、捧ぐ」


 言葉を聴いて女は赤い唇をきゅっと吊り上げ、微笑んだ。


 耳に残る言葉は、「約束ですよ」と囁いた声。


 思考を奪われた男は、あがく。深く深く沈められた自我の檻の中で、男はあがく。


 だが、からめとられた思考を取り戻すことは無かった。


 伯父が反旗を翻したあの頃から、ゆうに三十年は過ぎていた。 


  

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