第一話 暗殺
総理大臣就任を翌日に控えた夜、神矢誠一は官邸の執務室にひとり残っていた。
机の上には、内閣の人事案、今国会で通すべき法案の最終チェック、各省庁からの要望書、そして、国民や支援者から届いた手紙の束。
どれも、彼が「嘘をつけない政治家」として歩んできた証のように思えた。
「やっとここまで来た。」
「……ここからが、本当の始まりだ。」
窓の外には、冬の東京の澄んだ空気と、遠くで瞬く街の灯り。
その光景を眺めながら、誠一は故郷の夜空を思い浮かべて静かに息をついた。
胸の奥には、期待と責任の重さが同時に宿っている。
その瞬間だった。
――パァン。
乾いた破裂音が、夜の静寂を裂いた。
胸に焼けるような衝撃。
視界が揺れ、書類が床に散らばる。
倒れ込む誠一の耳に、遠くで誰かが叫ぶ声がかすかに届いた。
(……。まだ、やるべきことが……。)
その思いだけが、意識の底に残った。
(あぁ、私は誰かに撃たれてしまったのだろう。)
(まだまだ道半ばでこれからだったのになぁ。)
(転生アニメのように生まれ変わってもう一度なんて、そんなことはありえないし。)
(妻はせいせいしたかもしれないけど。)
(娘たちには、こんなパパでごめん、愛してるよ、っていいたかったなぁ。)
(あぁ、なんだかとにかく眠たい……。)
そして、闇がすべてを飲み込んだ。
――暖かい。
次に意識が浮上したとき、誠一は柔らかい布に包まれていることに気づいた。
視界はぼやけ、天井は見慣れない木材。
鼻をくすぐるのは、土と草の混じった素朴な匂い。
(……ここは、どこだ?)
声を出そうとしたが、喉から漏れたのはか細い泣き声だった。
「おぎゃ……?」
自分の声に自分が驚く。
腕を動かそうとしても、短くて力が入らない。
視界の端に、小さな手が見えた。
(まさか……。赤ん坊……?)
戸惑う誠一の前に、若い女性が顔をのぞかせた。
栗色の髪、優しい瞳。
彼女は誠一を抱き上げ、嬉しそうに微笑む。
「セイちゃん。元気に生まれてきてくれてありがとう!」
(セイ――それが、この世界での自分の名前らしい。)
女性の背後には、質素だが温かみのある農家の室内が広がっていた。
窓の外には、見たこともない広大な草原と、二つの月が浮かんでいる。
(……異世界、なのか?)
理解が追いつかない。
だが、胸の奥に残る“未練”だけは、はっきりしていた。
(まだ、やるべきことがある。ならば――この世界で果たすしかない。)
赤子の身体は小さく、無力だ。
だが、心はまだ神谷誠一のまま。
こうして、正直者の元・総理候補は、異世界の農村で新たな人生を歩み始めた。
世界平和という、誰も予想しない未来へ向かって。




